第十章 からっぽ②
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碓氷さんと関わりを断ってから一週間が経った。
赤色の女の子らしい手袋、お揃いで買ったペンギンのぬいぐるみキーホルダー、何度も碓氷さんが迎えに来てくれた職場を出たところの大通り、碓氷さんが「綺麗」だと言ってくれた私の瞳……。
至るところで碓氷さんとの思い出が霞んで煌めいていて、未だに私は毎日過呼吸になる程 咽び泣いてばかりだった。
自衛のために身勝手に選んだあの日の選択はきっと、未だに碓氷さんの心を傷つけ続けている。
そして、私の心も……日を追う事にどんどん傷は増えていくばかりだった。
後悔と自責の念に駆られて、仕事も手につく筈なかった。何をしていても碓氷さんの優しい笑顔が思い浮かんでしまって、夜も眠れず、目の下のクマも もう消せないくらいに濃さを増していった。毎晩、決まって見るのは碓氷さんの夢で、けれど…碓氷さんじゃないみたいだった。
出会った頃よりも冷酷な目で私を見つめ、鋭い言葉を突き刺して私から離れていく…。
……そう、見た目も声も碓氷さんなのに、中身は私のお母さんのようで……その恐怖で私は毎晩飛び起きては泣いていた。
碓氷さんを傷つけてしまった、絶対に碓氷さんに嫌われてしまった……幽霊が見えることが…バレてしまったかもしれない………。そう思うと食事も喉を通らなくて、惰性で食べては吐いてを繰り返す日々が続いていた。
早く、早く忘れたい。
ただその一心で、碓氷さんが褒めてくれたオーバーオールもドレスも、碓氷さんと出かける為に毎度 態々新調した可愛らしい服たちも全て、処分した。
ただ……やっぱり、お揃いで買ったものやプレゼントして貰ったもの、一緒に撮った写真などは捨てることができなかった…。
その代わり、碓氷さんを好きだった頃の私から少しでも離れようと、イメチェンをした。まだ結ぶには短すぎる髪を無理矢理 束ねて、仕事でいつも着ている個性溢れる鮮やかな色を取り入れたブラウスも、一般的な白いワイシャツへと変更した。
新しくなった「笹野 明香里」は、鏡で見てみると何だか空っぽの人間のように思えた。
けれど、それでもよかった。
碓氷さんを好きだった頃の無垢な私から離れられれば、碓氷さんを忘れられると思ったから。
そうやって、全く新しい色の無い世界を生き始めた私に、突然 電話がかかってきた。
バクバクと暴れ出す心臓でスマートフォンを手に取るが……かけ主は、期待していたような人物では無かった。
「麗華さん」と表示されたスマートフォンはいつもの着信音がけたたましく鳴り響いている。
……着信音も変えなきゃな…。
そう思いながら、慎重に受信ボタンを押して音の止んだスマートフォンを耳へと当てる。
「どうしましたか…麗華さん…。」
なんとかいつも通りを取り繕おうと頑張ったけれど……私にはもう、「いつも」がわからなくなっていた。その所為で、麗華さんは直ぐに何かを察して気まずそうに話し始める。
『突然ごめんね…あのさ………最近、明香里ちゃん…スマイリーホームズ来てないよね…?もしかして……碓氷と何かあった…?』
「………な、何もありませんよ。もしかして…………う、あの方…何か言ってましたか…?」
声が震える。何も無いフリをしなくちゃいけないのに。苦しくて、碓氷さんの名前が呼べない…。
『ううん、あいつはなんも言ってなかったよ…。あ……のさ…今日は、土曜だし碓氷は出勤してないからさ………久々に、飲みに行かない…?何も訊くつもりは無いの…。 ただ……あたしは明香里ちゃんが心配なだけなの…。やっぱりちょっと……元気無いみたいだし…。話したかったら、全然あたしが話も聞くし……。』
珍しく元気の無い麗華さんの声に、胸が痛む。
……私の所為で…麗華さんを苦しめている…。
そう再び自責が湧き上がってくると、突然…私は取り繕うことができるようになった。
「ふふっ、心配してくれてありがとうございます麗華さん。実は私も、麗華さんに会いたかったんです♪ 今日、いつもみたいに八時頃にスマイリーホームズに向かいますね♪」
けれど、笑顔を作る度、自分を隠して傷が増えていく……そんな気がした。
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通常なら出勤することの少ない土曜日。この日、俺は珍しく出勤していた。
勿論、その訳は家に居ると笹野のことを思い出してしまうからだ。
仕事をしていると、嫌でも人と話すことになるので少しは笹野のことを忘れられる。だから、俺の安心できる居場所は……皮肉なことに笹野の居ない職場しか残っていなかった。
仕事の成績も笹野に振られてから右肩下がりなので、巻き返すのにも丁度いいだろう。
そう思っていたのに……
「えっ…?碓氷…?!なんでいるのよ…?!」
桔梗さんに朝一でそんなことを言われた。まるで来て欲しくないとでも思わせるような言い方だ。
「なんでって…別によくないですか。土曜出勤は自由でしょ。」
「い…いや……そうなんだけど…。あ…のさ……何時までいるの…?」
「定時終わってもいるつもりですけど、何か。もしかして帰れとでも言うんですか?」
俺から居場所を奪うつもりか?
桔梗さんの態度に思い切り顰めっ面をして言い返す。桔梗さんは何か悩んでいるかのように、苦虫を噛み潰したような顔で首を傾げた。
「い、いや……うーん………『帰れ』って言うか…ほっ、ほら…!碓氷最近疲れてるみたいだしさ…!クマもできてるし、寝れてないんでしょう?」
「疲れてないです。働かせてください。」
無理矢理でも体を疲れさせないと、まともに睡眠もとれない…。
「ダメダメ!ほら、早く帰りなって!帰ってぐっすり寝なよ!」
俺にはきちんとした言い分があるのに、桔梗さんは俺の背中に手を当てて出口までグイグイと押し始めた。桔梗さんの怪力の所為でどんどんと俺は出口へと近づいてしまう。
「ちょっ、何なんですか?押さないでください、セクハラで訴えますよ。てか、絶対休ませることが目的じゃないですよね?」
「ううん!休んで欲しいのあたしは!とにかく今日は働かずにゆっくり休みなさい?」
「いっ、いや勤労権 勤労権!」
「休息権!」
「んなもん無いでしょ!」
と、ツッコミを入れながらも俺はくるりと回って桔梗さんの手を振り払った。
俺を申し訳なさそうに見上げる桔梗さんと目が合う。
その桔梗さんの困ったような笑顔からは、話してくれそうな雰囲気が窺えた。
「……はぁ…ホントに何なんですか…。俺に帰って欲しい理由があんなら、はっきり言ってくださいよ。」
いつもの癖で威圧を与えることが無いように、ため息混じりに深呼吸をしてから落ち着いて尋ねる。
そんな俺に、桔梗さんはまた困ったような顔をして息を吸い込んだ。
が……
「………い、いや…何も無いわ…。ただ、碓氷にはゆっくり休んで欲しいだけ。ほら、前に風邪ひいたばっかりでしょう?」
桔梗さんは教えてくれなかった。
古びたピンクシルバーのネックレスを触りながら、相変わらず困ったように笑顔を作っている。
……どんだけ前の話してるんだ…。
「…話すつもり無いんなら、俺も桔梗さんの頼みごと聞く必要ありませんよね。」
俺は話そうとしない桔梗さんにイラついてそう吐き捨て、自分のデスクへ戻ろうとした。
だが、「待って…!」と止められる。何やら深刻な事態のようで、いつもの呑気な桔梗さんからは想像できない焦った顔をしていた。
「ごめん…話すことはできない……けど………定時前には帰って欲しい…。」
……桔梗さんがこんな顔…珍しいな…。そんなにピンチなら…仕方ない……。
「……はぁ…わかりましたよ。定時前には帰るんで、もう邪魔しないでくださいね。」
家に帰ったら、何をして気を紛らわそう…。
そんなことを考えながら俺は、今度こそデスクへと戻った。
十九時四十五分、なるべくギリギリまで働いていたかったが十分前に帰るのもどうかと思ったので、俺はいつもより早い十五分前に急いでバッグを持ってスマイリーホームズを出ようとした。
すると、帰ろうとする俺に気がついて桔梗さんがこちらへ駆け寄る。
「今から帰るの?急いで帰って…!」
未だ焦った表情の桔梗さんは、先程のようにグイグイと俺の背中を押す。
「わかってますって…帰りますから、触んないで貰えますか。」
いつもの顰めっ面を向けて出口のドアを開けたその瞬間――
――ぼふっ…!
何かが俺の胸元付近でぶつかった感触がした。
どうやら店に入ってきた小さな客に気づかず、ぶつかってしまったらしい。
「申し訳ありま……――」
と言いかけたところで…妙に慣れた匂いが先程から俺の鼻を擽っていることに違和感を覚える。
その違和感を証明するかのように、俺の肩までの高さに目線を下げると………
「え……」
そこには…………笹野がいた…。
「さ…さの……?」
けれど、瞬時に笹野と確信した訳でも無く、目の前の人物が笹野だと認識するには数秒要した。
それは……笹野が髪を結んでいるとか、服が珍しくシンプル過ぎるとか、そんな理由じゃない。
笹野の目の下は、俺と同じく真っ赤に腫れていて…濃くなってしまったクマがこびりついていたのだ。それに、ぷにぷにと柔らかな白い肌も……最後に会ったときよりも痩けていることが一目瞭然だった。
痛々しい笹野の姿に、俺は暫く戸惑う。
せっかく会えたのだ、何か……何かかける言葉は………と頭をフル回転させて考えるが…何も思い浮かばなかった。
…そりゃあそうだ。笹野は、まるで怯えているかのように瞳孔の小さくなった瞳で俺を見上げて………
「はぁっ…はぁっ……」
過呼吸を引き起こしていたから。
声も出ないような様子で、ただひたすらに痙攣する瞳で俺を捉えていた。
脚は無意識に後退りをしていて、一刻でも早く俺から離れたい、けれども脚が竦んで逃げ出せない…といった状況だった。
こんな反応をされると、勿論俺も苦しくなり……本人の目の前で涙が零れてしまいそうになる…。
後方からは桔梗さんが「ご、ごめん明香里ちゃん…あのね……」と震えた声で弁解を試みている。
そんな桔梗さんの声も聞こえないようで、笹野は……数秒間、怯えた瞳で俺を見つめると………よろめきながらも俺から逃げるように、来た道へ駆け出してしまった…。
直後、背後から桔梗さんの絞り出すような声が聞こえる。
「……碓氷…ごめん………。」
「…いや……鉢合わせすんの止めようとしてくれて………ありがとうございました…。」
俺は振り向かず、涙が零れ落ちないようにお礼を言ってから…その場を後にした。
車に戻るまで抑えることはできず、俺は寒空の下、街灯に照らされながらも情けなく涙を流した。
笹野の赤く腫れた目元、消えそうもない酷いクマ、明らかに痩せてしまった頬と身体、怯んだ表情、震えた瞳、必死に落ち着こうと息を吸い込む口元、後退りする脚……
そんな…笹野の全てが…またもや頭に、心にこびりついて離れてくれなかった…。
笹野は……俺と話さなくなってから、眠れていないのだろうか…碌に食事もとれていないのだろうか……。
幾つもの不安が頭をぐるぐると駆け巡る。
………いや……そうじゃない…。
俺が告白したからだ………。
笹野は…俺が自分に想いを寄せていると知って、きっと怖くなったんだ…。
こんな俺に好かれているなんて、気持ち悪くて夜も眠れないのだ……。
俺は……また笹野に、トラウマを植え付けてしまったんだ………。
でも……それなら、何故笹野はあのとき嬉しそうな顔をしたのだろうか…。
幾ら考えても、答えはわからないままだった。
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スマイリーホームズで碓氷さんの顔を見た瞬間、夢の中での碓氷さんが突然フラッシュバックした。
まるで、目の前の碓氷さんが実際に言っているかのように嫌悪の籠った瞳が私を睨んでいるような感覚に陥った。
「水族館で気づいたけど、やっぱりあんた幽霊見えるんだなぁ?前から思ってたんだよ気持ち悪ぃって。普通じゃないって。被害者ぶってるみたいだけど、この反応が当たり前なんだからな。だってそうだろ?誰でも普通じゃない人間とは関わりたくない。そんなんだから母親もあんたにうんざりしてたんだよ。」
視界が歪んで、碓氷さんの顔が渦を巻いている。
絶対にそんなこと言う筈が無いと分かっているのに……目の前の碓氷さんが怖くて、私を突き刺す碓氷さんの瞳を見ていると苦しくて………私はその場から逃げ出してしまった…。
早く、早く碓氷さんから離れなければ……。
そうやって震える脚を無我夢中で動かしていると、ふと……「そういえば…」と思い出した。
碓氷さんの目元は…私と同じように……真っ赤に腫れてしまっていた……。それに………クマも…。
碓氷さんは……まだ、私のことを好きでいてくれてるのかな…。
バカだな………自分から突き放したというのに…好いてもらいたいだなんて……。
どこまで私は自分勝手なのだろう………。
ぼろぼろと零れ落ちてくる涙を必死に拭いながら、暗い夜道を歩く。
そういえば、この道は初めて出会ったときに碓氷さんが歩いてきた道だ。この先を少し歩いたところに、私が碓氷さんを殴ってしまった曲がり角がある。
……住んでいる地区が同じ所為で、どこを歩いても碓氷さんとの思い出が浮かんでくる…。
だから……私には、安心して過ごせる「居場所」なんてものはどこにも無かった。
あのとき選んだのは自分自身の筈なのに、心に絡まる黒いぐちゃぐちゃとした汚い何かはずっと留まって消えない。
結局、私は……碓氷さんがいないと生きていけない脆い人間なんだ…。
信じることすらできないのに、なんて傲慢で身勝手なのだろうと自分でも嫌になる。
「っ……うすいさんっ…………ううっ…うすいさぁん………!」
届く筈もないのに…寧ろ、届かないで欲しいのに、口からは大好きな名前が溢れ出してくる。
怖いのに、信じることもできないのに……会いたくて、苦しくて、愛おしくて、恋しくて…どうしようもなかった。
帰宅して少ししたところで、私のスマートフォンが鳴り響いた。
馬鹿な期待を胸に抱いて咄嗟にスマートフォンを手に取ったが……画面に表示されたのは「麗華さん」という文字だった。私はそのままベッドに倒れ込んで、耳を塞ぐ。
けれども、幾ら経っても耳障りな音は消えず、けたたましい音楽を部屋に充満させるばかりであった。
痺れを切らした私は、乱暴な手つきで着信拒否ボタンを押す。
けれど……それでも容赦無くスマートフォンは鳴り続け、最終的にはメッセージが届いた。
『明香里ちゃん、出て欲しい…話を聞いて欲しいだけなの』
「たった今」の文字と並ぶ言葉に、私はついに折れて応答ボタンを押す。
耳に押し付けると、麗華さんの震えた声が私の鼓膜を震わせた。
『明香里ちゃん……ごめん…。あのね――』
「悪いと思ってるなら最初から仕組まないでくださいよ…!」
『ちっ、違う…あたしは仕組んでなんかっ…』
「碓氷さんと何があったのか訊きましたよね…?!最初から私と碓氷さんを鉢合わせさせる計画だったようにしか思えません…!!余計なこと…しないでくださいよ……。」
なんで………。
…なんで………?
前までなら簡単に信じることができたのに………。
どうして私は…人を傷つけることしかできないんだ……。
そう思いながらも、私はやはりどうしても麗華さんを信じることができなかった。
前まで……どうやって人を信じていたっけ…?
あれ………そもそも私…本気で誰かを信じたこと…………
「すみません…今日は飲みに行けません……。」
気づいてしまった事実に、胸が苦しくなって私はそう零した。
麗華さんは『そう……ごめんね…。』と言って、電話を切った。
そんなある日、私に一通のメッセージが届いた。
『明香里のスマホで合ってるよね? はるなから連絡先もらった! この間はほんとにごめん!!ゆっくり話せるときに電話かけて欲しいです』
「IBUKI」と表示されたアカウントのアイコンをタップすると、確かに一颯の後ろ姿を映した画像が拡大された。特徴的な赤色の髪の毛と襟足のプラチナブロンドで、詐欺ではないんだと安堵する。
私にはもう、人を信じることができない。ましてや碓氷さんを追い詰めた一颯なんか信じられる訳が無い。
けれども……私には、心を癒してくれる何かが必要だった。
誰かと心を通わせなくては、もう一生立ち直れない気がしてならなかった。
どうせ誰のことも信じられないのだ、相手をしてくれるのならもう、誰でもよかった。
それに、碓氷さんを傷つけたなんて私がとやかく言えるようなことでも無いだろう。
愛されたい欲が、愛したい欲が、血のようにドロッと溢れ出してしまいそうで気がつけば私は一颯へと電話をかけてしまった。
すると、二秒もしないうちに『もしもし…!』と懐かしい声が聞こえる。
『よかった〜電話かけてくれて…。オレさ……あの日からずっと気がかりだったんだよ…。明香里に………嫌われたんじゃないかって……。前も言ったけどオレ、明香里のことずっと大好きだからさ…。もうイジワル言うのやめる。あのオッサン、腹立つけど気づかせてくれたんだ。あの人にも謝りたいから今度、三人で出かけない?』
興奮したように一颯は一人でべちゃくちゃと喋り倒す。
その中の衝撃的な誘いに、私はごくりと息を呑んだ。
そして………
「……碓氷さんはもう、怒ってないから大丈夫!」
そんな嘘をついてしまった。
碓氷さんのことを相談するとなったら、幽霊が見えることも打ち明けなくてはいけない。だから、絶対に「縁を切った」ということは知られたくなかった。
また一つ、心の中に「罪」と名の蟠りが生まれる。
『え?!ガチで?!あの人怒ってないの?!めっちゃ根に持ちそーなのに!w じゃあさじゃあさ!今度オレたち二人でどっか行かない?オレ車持ってっからさ、ドライブでもしようよ!』
「二人で」という言葉よりも、「どこか行く」という言葉に私は興味を持った。
勿論、今はどこかに出かける気にはなれない。しかし、人との約束ならば嫌でも行かなくてはいけない。最近、私はずっと部屋で泣いてばかりだから気分転換にいい機会ではないか。
それに、誰かと一緒に居れば……少しは碓氷さんのことを忘れられるだろう。
「いいね!どこ行こっか!」
いつものように明るい声を取り繕うと、電話の向こうからはとてつもなく嬉しそうな騒がしい声が聞こえた。
『えっ!!マジでマジでマジで?!!やっっったぁ〜!!デートじゃん!!絶対フラれると思ったから超嬉しいんだけど〜!ww』
「いやデートじゃないよw」
『男女二人で出かけんのはもうデートっしょ!えーなぁに〜?w 明香里、オレのこと好きになっちゃった?!ww』
「無いからww」
『照れなくていいのに〜!ww てかどこ行く?!明香里したいことある?!』
「うーん、したいことかぁ。」
『あ、江ノ島とかどー?オレ、明香里ん家迎え行くからさ!』
「江ノ島!いいね!私行ったことない!」
『でしょ!超絶有名な“デートスポット”だしね!てか、あのオッサンと行かなかったんだ?』
「……あの人とは…別に、お互い恋愛感情持ってないから…。」
『あれー?そなの?ならオレにも可能性あるってことー?w なんちゃって!w』
一颯は、あまり碓氷さんのことに関しては深掘りをしてこなかった。
それが少しだけ……碓氷さんのことを思い出すとすぐに泣いてしまう私には、救いだった。
それに、一颯は明るく楽しそうに話してくれる。お喋りだから会話に困ることも無い。だから、一緒に話していてとても楽だった。
やはり、明るさは人を救うのだと改めて感じた。
お出かけ当日。
一颯は予定より五分遅れて私の家の前に車を停めた。
「ごっめん!車渋滞しててさ!って…!目の下真っ赤じゃん!なに?!どした?!」
「あー…昨日めっちゃ感動する映画観ちゃって。気にしないで!」
「ならよかった!てか髪型変えたんだ?!ポニテも似合うじゃん!すっげー可愛い!!」
「あはは、ありがと。」
褒めてくるとか、キャラ崩壊すぎて反応困る…。
というか………キャラ崩壊案件よりも、一颯の乗っている車の方が私は気になった。
「これ一颯の車…?!」
「え?そーだけど?カッコイイっしょ!」
なんと、一颯の乗っている車は……赤のオープンカーだったのだ。しかも…銘柄はフェラーリ……。
そういえば一颯の親は物凄くお金持ちなんだった…。
オープンカーに乗るなんて初めてなので、少し気分が高揚する。が……絶対めっちゃ寒い…。
なんでこの人はこんな三月にオープンカーをオープンして来たのだろう…。
「カッコイイね!けど…寒くない?」
「ちょー寒い!www」
当たり前のことを言って一颯は「がはは」と笑っている。そのバカらしさが、何となく懐かしかった。高校の頃も、みんなでバカしていたなぁ…なんて少しだけ思い出に浸る。
そうしていると、一颯が「なにしてんの?ほら、早く乗って行こーよ!」と笑った。
「そうだね!お願いしまーす!」
と私も笑って、オープンカーに乗る。
車内の筈なのに、外の気温と全く変わらない。私がシートベルトをしたのを確認して、一颯は洒落たサングラスをカチャリとかけて握りしめた拳を澄み切った青空へ突き上げた。
「よし!じゃ、レッツゴー!」
ブンブンとエンジンを吹かしたフェラーリは物凄いスピードで発進する。曲がり切れるだろうか、ぶつからないだろうか、など様々な心配が募って、アシストグリップをぎゅっと握りしめる。
楽しそうに大音量のヒップホップにノリながら運転する一颯の横顔を見ていると、楽しそうにJ-POPを口ずさみながら運転する碓氷さんの穏やかな横顔を思い出した。
一颯とは正反対の安全運転。真面目で責任感が強い碓氷さんが大好きだった…。
「――でさ〜、超オレ嬉しくって!あのとき明香里は、どんなこと考えてたの?」
「えっ?」
私の意識は一颯の昂った声で引き戻された。
その瞬間、「しまった…」と察する。別のことを考えていたので一颯の話を全く聞いていなかったのだ。
私の所為で一颯の笑顔に若干、霧がかかる。
けれども、一颯は怒ったりせずにもう一度話してくれた。
「あれ、聞いてなかった?修学旅行のグループ分けでさ、明香里が一緒のグループになろうって誘ってくれたっしょ?あれって、なんで俺を誘ってくれたの?」
「……あぁ…ごめんね…。あれは………確か、仲良しグループで回りたかったの。一颯がいちばん最初に目合ったからさ、誘いやすかったんだ。」
「そう…なんだ。……だよねw あーあ、ダメだなオレ…。昔っから、どうしても明香里の一挙手一投足が気になっちゃう!」
一颯の優しさに、明るさに、思わず笑顔が零れる。
一颯はそんな私に気づき、一瞬だけ私の顔を覗き込むようにして嬉しそうに笑いかけた。
「やっと笑った。」
「えっ?さっきから笑ってるよ?」
「さっきのは作り笑い。でしょ?目の下の腫れてんのがホントは映画の所為じゃないってのも、寝れてないのも食べれてないのも、見りゃわかるからさ。」
気づかれていたのか…。と、驚くと同時に…碓氷さんのことを訊かれるんじゃないかと怖くなる。
けれど……
「あぁ、別にオレ、深掘りする気無いから。今日はオレが明香里のこと、存分に笑わせてあげる。もう腹筋割れるくらい。」
一颯は、そう言って私を見透かしたように笑った。
嬉しかった。何も訊かずにそっとしておいてくれることが。
けれど、そんな一颯の悪戯げな笑顔を見ていると……
――「そっちに何があるのか分からないけど、何があっても俺が守ってやる。命に変えてもな。」
――「えっ?何が?てか、さっきの子供?どこ行ったんだ?」
私が幽霊を見てしまったときの、碓氷さんの反応を思い出してしまった。
碓氷さんは、明らかに私が「見える筈のないものを見ている」ときも、何も訊くことは無かった。
普通の人なら「何が居るんだ」とか「なんでそんなに怯えた顔をしているんだ」とか、そういった核心となる情報を求める筈。けれども……碓氷さんはそれをしなかった…。
それは、きっと……訊かれて欲しくないことだということを察していたから…。
私の気持ちを第一に考え、例え不思議に思うことがあったとしても心の中に留めておいてくれたのだ……。
そんな碓氷さんの優しさに気づいてしまえば、もう……碓氷さんのことを考えずにはいられなかった。
思い返せば……碓氷さんは私の気持ち悪い能力に気づいていたのではないか…。
もしかしたら、内心……「気持ち悪い」「普通じゃない」と思いながらも…私と関わってくれていたのかもしれない…。
たった今 新しく出た不安は、考えれば考えるほど私の心を吸い取って膨らんでいき、割れてしまいそうになる。
普通とは違う気色の悪い能力を知っても尚、私を傷つけないように普段と変わらずに接してくれていた碓氷さんの優しさに、胸が張り裂けそうな思いになる。
申し訳なくて、嫌われていたんじゃないかと怖くて、けれども……その優しさが恋しい…。
「……明香里?」
一颯の声にビクッと肩を跳ね上げさせて、視線を一颯へ移す。
「ごっ…ごめんまた私っ…――」
「オレ、なんも言ってないよ? 明香里聞いてたでしょ?『腹筋割れさせてあげる』って。」
「あっ…うん……。」
よかった……。
「も〜、オレのカッコイイ告白、ちゃんと聞いてよ〜。」
「ごめん…。ほんとに……。」
「ま、いいけどさぁ〜。てか江ノ島は夕方の方がキレイだからさ、それまで観光しよーよ!」
「う、うん!そうだね!」
「ちょっとどこ行くか探そー。」
そう言って、一颯は車をコンビニの駐車場に停める。そして、スマートフォンを手にしてマップを開いた。
私も一颯に倣って「江ノ島付近 観光」と検索をかける。
「あ、ここは?新江ノ島水族館!」
先に提案したのは一颯だった。
「水族館」というワードにピクリと眉が動くのを自覚する。
「えっと…水族館はちょっと……。」
碓氷さんのことを思い出してしまいそうだ……。
「え〜?オレなら海の生き物のこと熟知してるから教えたげられるのに〜。」
と、ブーブー言いながらも再び探し続ける。
「じゃ、ここ!」
そう言って一颯が見せてきた画面には、一枚の鐘が映った画像と「龍恋の鐘」と記された文字が。説明文には「カップルの名所♥」と記されている。
検索エンジンに堂々と「江ノ島付近 デート 観光地」って書いてあるし…。
「……。行かないよー。そういうの私あんまり得意じゃないし。」
「あーそっかぁ。純粋無垢な明香里ちゃんは誰とも付き合ったことないもんねぇ?」
「…なんかその言い方腹立つなぁ…。」
「ま、安心してよ。オレもずーっと誰かさんを好きだった所為で、ロクな恋愛できなかったんだから。」
「安心できない…。ってか……その『誰かさん』のどこが好きなの?」
「え〜?もしかして、オレからの愛の告白聞く気になった?♡」
「ううん、どこがいいのかわかんなくって。」
「ふーん?『どこが好きか』ねぇ…。うーん、全部好きなんだけどなぁ。やっぱり、明るいとこと可愛いところとー、子供っぽいところとー、アホなところとー、キラキラしてるところとー、顔とー、ちっこいところとー、友達思いなところとー、寝たときに時々白目向くところとー、まあ全部だよ!」
「…所々貶してない?てか私白目向いてるの…?!」
「あれ?知らなかった?w 時々ね時々w けどこんなふうに貶してる節はあるけど、」
「貶してるつもりで貶してたんだ…。」
「ちょ、聞いててよ。今から大事なこと言うんだからさぁ。」
「ごめんごめん。」
「貶してる節はあるけど、独り占めしちゃいたいくらい大好き。明香里の短所も、オレは大好きだよ。」
そう当たり前のように笑った一颯の手は、計画していたかのように自然に私の手を包み込んでいた。
……チャラいからと十歩くらい引いていたが、どうやら一颯は本気なようだ…。
けれど………やはり、この時に私の頭に思い浮かぶのは碓氷さんだった。
――「…碓氷さんの手………好きです……。私と違って……大きくて…長くて、細くて……硬くて………男の人って感じがします…。」
そう言って碓氷さんの大きな手に、私の手を絡めたあのとき、碓氷さんはとても緊張したように黙り込んでいた。顔が耳まで真っ赤で、繋いだ指からはドッドッドッドッと物凄い速さの心音が伝わってきていた。
時間が経てば経つほど手汗も出てきていて、何だか意識してもらえて嬉しかったのを思い出す。
けれど……今私が触れているのは、碓氷さんよりも一回り以上小さくもう少し骨感の少ない手。
――この手は碓氷さんのじゃない。
そう気づいた途端、何故かゾワッと全身に寒気が走り、一気に鳥肌が立った。
そして気がつけば私は……
「っ…!!」
物凄い勢いで……一颯の手を振り払っていた…。
「ごっ…ごめんっ…!私っ…そんなつもり……」
一瞬で自分のしてしまったことに罪悪感が沸き上がってきて謝る。一颯は、そんな私に……
「恋愛初心者の明香里ちゃんにはまだ手繋ぎは早かったかーw」
そうやって、おどけてみせた。
傷つけてしまったんだと、瞬時に確信する。それは、一颯の貼り付けた笑顔に沢山の動揺と憂いの色が混ざっていたから。
「あ、ここどう?明香里、甘いもん好きっしょ?」
「うん……。そこがいい…。」
その後は、二人で幾つもカフェを探し、カフェ巡りをした。
ずっと、一颯はおかしな話をして私を笑わせてくれていた。カフェも巡った場所全てが当たりで、美味しいスイーツと楽しい話によって私は束の間の幸せを感じていた。
けれど、頭の片隅にはずっと、 一颯を傷つけてしまった罪悪感と碓氷さんのことが居座って消えてくれなかった。
やがて夕方になり、江ノ島に到着した。
茜色に染まった海と灯台は、苦しめていた悩みも忘れてしまう程に美しかった。
「綺麗…。」
そう呟くと、一颯が優しく笑いかけてくれる。
「やっぱ有名観光地なだけあるよね。ちょ〜キレイ。」
「だね…。」
半分ほど沈んだ夕日が、江ノ島の海を照らしてキラキラと揺れる。磯の匂いが風に乗って私の鼻を掠めた。
息を呑むほどの美しさに、太陽へこれ以上沈まないで欲しいと願う。
じっと夕焼けを眺めていると……囁くように一颯が言った。
「明香里にはさ、あんなオッサンよりも……オレみたいに明るくて元気な奴がお似合いだと思う。」
思わず顔を上げると、一颯はいつもとは想像がつかないくらい真剣な顔をしていた。
夕日に照らされたくりっとした形の瞳が、私を真っ直ぐに捉えている。まるで、他のことは見えていないかのように。
「ほら、明香里自身がオレと似て明るい奴でしょ?やっぱりさ、明るい奴は明るい奴と一緒にいるべきなんだよ。少なくともオレには、明香里がいなくちゃダメなんだ。明香里じゃなきゃダメなんだよ。」
傷だらけだったぐちゅぐちゅとした心に、一颯の言葉一つ一つが浸透していくようだった。
けれども、それは刹那の出来事で、浸透していったものは全てぐちゅぐちゅと液状の心に混ざっていき跡形もなく消えてしまった。
……一颯は…碓氷さんのことも私のことも………勘違いしている…。
碓氷さんは私みたいに嘘つきなんかじゃないし、私は碓氷さんみたいに真っ直ぐなんかじゃない。明るくなんかもない。
心の奥では誰よりも臆病で、誰よりもつまらない人間なのだ……。
「ごめん………。」
私は、真剣に伝えてくれた一颯の言葉に、何も返すことができなかった。ただ謝ることしかできない私に、一颯は困ったように笑うだけだった。
夕飯も食べた後の帰り道。
久々に仕事以外で外に出たから疲れたのか、私は……一颯とのお出かけ中にも関わらず、車の激しい音楽や揺れは気にも止めずにいつの間にか眠りに落ちてしまった…。
とても久しぶりに、碓氷さんと楽しく映画を観ている夢から目が覚めると――
――「っ?!!」
視界は一颯で全て埋まっていた。
驚いてゾワッと背筋に寒気が走って、私は飛び上がる。その拍子にゴンッと車内の窓ガラスへ頭をぶつけてしまった。
そんな私を、一颯はクスクスと笑った。
「キスはさすがにしないよw 明香里の寝顔、近くで見たかっただけw ってか、されたくないんならなんで今日来たの。思わせぶりばっかしといてさ……。」
初めて一颯は苦しそうにそう訴える。
「…ごめんっ……。」
この時も私はただ、謝ることしかできなかった。
全て、申し訳ない。だから、何も言い返すことなんてできない。
そんな私にも腹が立ったのか、一颯の声はワントーン下がった。
「……明香里って…なんか変わったよね。変わったのってあのオッサンとつるんでから?明香里はもっと明るくていつも笑顔で楽しそうな子だったのにさ、今日はなんか変。今日っていうか……水族館で再会したときから。つまんない大人になったみたいで、なんか見てて萎えるわ。ほらあのオッサン、自分に自信が無さそうだったじゃん?伝染ったんじゃない?オッサンのネクラが。」
一颯の言葉が、グサリと胸に刺さる。
けれど、私が一番嫌だったのは碓氷さんを悪く言われたことだった。
「碓氷さんは根暗なんかじゃない…!根暗なのは……私の方だよ…。私は、最初からそんな明るい人間じゃないの…。汚くて自分勝手な人間なんだよ…。」
この期に及んで庇おうだなんて、あまりにも自分勝手過ぎる…。
言い返したあとには、自分への嫌悪感が再び強まった。けれど、一颯はそんな私を更に追い込むように声を荒らげて訴える。
「汚いのはアイツだろ!アイツと関わったから明香里はそんなふうになったんだよ!!いい加減気づけよ!!アイツは、明香里をどう変えた!高校んときまで明香里の目は真っ直ぐで綺麗だったのに、アイツと関わってから澱んで汚くなってんだよ!傍から見ててもわかる!アイツは、明香里を汚すだけ汚して苦しませて、最終的には明香里から逃げたんだ!!明香里はあんな奴と関わるべきじゃなかったんだよ!!」
「そっ、そんなわけない…!碓氷さんを汚して傷つけたのは私だしっ……逃げたのも私…!碓氷さんはっ……私を………私を…──」
その先の言葉が、出てこなかった。
一度疑ってしまった今、もう……碓氷さんが私を大切に思っていたのかも、信じていたのかも、よくわからなくなってしまったのだ。
そんな私を見透かしたように一颯は、私の言葉に被せて訴えた。
「そんなわけあるんだよ!……明香里は、アイツのこと…ホントに信じてんの…?ホントは……傷つけられるかもって…裏切られるかもって……怖かったんでしょ…。不安にさせる奴は…もうそこでダメなんだよ…。だって、常に安心させてくれるような奴じゃないと、この先もずっとつらいでしょ……。」
認めたくない言葉たちは、全て核心を突いている…。だから、尚更苦しかった。
正論が脆くなった私の心をグサリグサリと、何度も刺していくようだった。
その痛みに耐えられずに、私の口はまた自分勝手に動いてしまう。
「なんで……なんでそんな…ひどいこと言うの…?……いま…わたしがつらいってわかってるのに………正論みたいなことばっかぶつけてさっ…。もう…………もうこれ以上……私を苦しくさせないでよ…。」
涙が溢れてきて、また被害者ぶることしかできない自己中心的で醜い自分に吐き気がする。それは一颯も同じだった。
「……イラつくんだよ…。今、一緒にいんのはオレなのに…………明香里が見てんのはずっと…記憶の中のアイツばっかで……。オレはずっと……アイツよりもずっと前から…明香里のこと見てきた…。だから全部わかんだよ………。明香里がどんな人間でどんな考え方なのか……。明香里がまだアイツのこと好きなのも、オレがどれだけ言っても明香里の気持ちが変わんないことも…。……知りたくなくても…わかっちゃうんだ……。寝言でもあの男の名前出されたら、さすがにオレも嫌んなるよ…。」
今にでも涙が溢れてきそうな詰まった声で、一颯はとても苦しそうに零した。
どうして私は………こう人を傷つけることしかできないんだ……。
「ごめんっ……ごめん一颯っ………。」
そう謝っても、もう一颯が笑顔を見せることは無い。
「もう……オレは…傷つきたくない……。連絡先も消すから………。明香里も…消しておいてよ……。」
泣き疲れて家に帰ると……ポストに不在連絡票が入っていた。不思議に思って、そっと手に取る。
その直後、私の目に「碓氷 律月」という文字が飛び込んできた。
届け主の欄に、そう記されていたのだ。
「え……?」
思わず声を零して、多くの情報を取り入れようと瞳孔が大きくなるのを自覚する。
次の項目へと視線を移していくと、「冷蔵」「食品」の文字にチェックがつけられている。慌てて再配達の手続きをしようとスマートフォンを開いたところで、私は思い出した。
そういえば……今日は三月十四日…。……ホワイトデーだ…。
物凄い勢いで心臓が収縮・弛緩を繰り返し、全身に血液を送り出す。
なんで……なんでホワイトデーなんか………。
と言葉が浮かんだところで、私は思い出す。
――碓氷さんの真面目さを。
碓氷さんは、貰ったものはどんなときでも返す、とても律儀な人だ…。
「っ……。」
そんな律儀さが懐かしくて、嬉しくて、苦しくて、恋しくて……私はフローリングにしゃがみ込み、再び咽び泣いた。




