第1話:領主の館と、リーゼの微笑み
ガタゴトと、情緒もへったくれもない振動が数日間続き、ようやく馬車が止まった。
扉が開くと、乾燥した風と共に、鼻をつく砂埃が舞い込んでくる。
「……到着、かな」
僕――リオン・アルカディアは、凝り固まった腰を叩きながら、妹のリーゼとハンス、そして父上が連れて行って記録を取れと帯同した絵師のルネと共に馬車を降りた。
目の前に広がっていたのは、地面がひび割れ、申し訳程度に枯れ草が頭を覗かせているだけの茶褐色の荒野。
そこには、怯えたような、あるいは絶望を通り越して無感動になった瞳の村人たちが、遠巻きに僕たちを眺めていた。
「よ、ようこそおいでくださいました、領主様……。村長のゴートンと申します」
腰の曲がった白髪の老人が、震える声で頭を下げる。
彼が指し示したのは、村の奥に寄り添うように建つ、数棟の平屋だった。
「こちらが、領主様の館と……その、お連れの方々の宿舎にございます。お見苦しい限りのあばら家ばかりで、申し訳ございませぬ」
村長が消え入りそうな声で謝罪するその「館」を、僕はまじまじと観察した。
……うん。これまでの王宮暮らしからすると、どう見ても犬小屋みたいな家だった。
以前、父上に「たまには比較的小さめの休暇用の施設で静養してこい」と言われて赴いた離宮でさえ、前世の不動産表記基準で言うなら優に『8LLLDDDKK』はあったのだ。
それと比べれば、今目の前にあるのは、確実に『L』が1個……いや、色々と決定的に足りない薄汚い小屋がポツンと鎮座しているだけである。
(えっ、ちょっと待って? 前世の感覚で言うなら、これほぼ3LDKじゃん。え、僕はどこで執務をすればいいの? リーゼとのお茶会のスペースはどこ? っていうか、これから村民たちと面会する時は一体どこで会えばいいわけ????? まさか全部この同じスペースでやれってこと!? 公私の境界線が完全に行方不明なんだけど!!!!!)
脳内でスペースのやりくりに激しい大パニックを起こす僕。
けれど──。
目の前でペコペコと平謝りしている村長の態度を見ると、ガクガクと小さく震えながら、こっちの顔色を必死に伺っている。後ろにいる村人たちも、「高貴な王子様がブチギレて暴れ出すんじゃないか」と、今にも泣き出しそうな目で僕を見つめていた。
(……もう、そんな顔をされたら、文句なんて何も言えないじゃないか)
元はしがない事務屋の僕だ。ただでさえ理不尽な左遷でへこんでいるのに、自分より圧倒的に弱者である彼らに、これ以上の恐怖を与えるような真似はしたくない。
わかったよ。いいじゃないか、ここで。
よく見れば三棟並んだ平屋建て。メインの館はおおよそ3LDK……、とにかくここに落ち着くとしよう。
「いいよ、村長。責めているわけじゃないんだ。これくらいコンパクトな方が、多分、掃除も楽そうだしね。まずは荷物を入れよう」
(……ふぇぇぇ! 本当は8LLLDDDKKの広い部屋とフカフカのベッドが恋しいよぉ! 業務スペースが狭すぎるよぉ! グレモリー公爵のばかやろーーー!!)
内心で涙目を浮かべながらも、表面上はなんでもない風を装って優しく微笑みかける。
すると、僕が拍子抜けするほどあっさりと環境を受け入れたため、村長は困惑したように目を丸くして顔を上げた。
「は……? さ、左様でございますか……。寛大なお言葉、恐悦至極に存じます……」
僕が拍子抜けするほど淡々と受け入れると、村長は困惑したように顔を上げた。
そこに、僕の背後からリーゼがふわりと降り立つ。
「お兄様! 見てくださいまし、手付かずの自然がこんなに美しいですわ! 空がとっても広くて、まるでお城の天井がなくなったみたいですわね!」
リーゼは顔を輝かせ、殺伐とした荒野を「贅沢な景色」として肯定してみせた。
彼女の纏う、春の陽光のような柔らかいオーラ。
その微笑みに当てられた村人たちが、一人、また一人と、毒気を抜かれたように呆然と彼女を見つめる。
「まあ、あんなに綺麗で、お優しいお顔の姫様が……」
「まるで、女神様が降臨されたようだ……」
怯えていたはずの村人たちの間に、さざ波のように安堵が広がっていく。リーゼの「ふわふわ」とした天然のカリスマ性は、この絶望的な村の空気すら一瞬で浄化してしまったようだ。
「……美ざんす! この、絶望的な茶色の中に咲く一輪の白百合! 構図が決まったざんすー!!」
ルネは馬車から降りるなり、村の惨状など目に入らない様子で、割り当てられた別棟へ向かう前にスケッチブックを広げている。
ハンスとルネが別の家に落ち着けば、僕の執務室兼居間は、文字通り僕とリーゼだけの聖域になる。完璧だ。
さて、ひとまず館(3LDK)に入ると、案の定、中はがらんとしていた。
生活感どころか、家具の類もほとんどない。
「お兄様! 早速お茶会をしましょう! 新しいお家のお祝いですわ!」
リーゼが楽しそうに提案するが、部屋を見渡してピタリと止まった。
そこには、お茶を置くためのテーブルも、腰を下ろす椅子もなかったのだ。
「あら……? お兄様、テーブルはどこにありますの? ハンス、お茶の準備はどうしましょう……?」
困り果てたようにリーゼが、荷解きを手伝いに来たハンスを見上げる。
ハンスは眼鏡をクイと押し上げると、微塵も動じない様子で言い放った。
「リーゼ様、これこそがリオン殿下の『深謀遠慮』にございます。殿下はあえて贅沢品を排除することで、『民と同じ苦難を分かち合う』という高潔な意思表示をなさっているのです。テーブルがないのなら、地べたに布を敷き、大地と共に茶を愉しむ……これぞ真の『王道』に違いありません」
「まあ! お兄様、そんなに深いお考えが……! さすがですわ!」
(……いや、ただの予算不足と準備不足だと思うんだけど)
僕はリーゼのキラキラした視線を避けるように、窓の外のひび割れた大地を見つめた。
だが、テーブルすらないこの拠点で、どうやってリーゼの笑顔が続くような環境に作り変えるべきか。
元事務屋としての、あまりに前途多難な生活が始まったのである。




