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第9話:泥まみれの再会、休息の聖域

 王都から馬を走らせること数時間。

 僕とハンスは、なだらかな丘の向こうに広がるヴィラールの村へと辿り着いた。


 街道を駆ける僕の頭の中は、今や「カニ(食用)6割、シルヴィアの安否3割、ジャガイモ1割」という、極めて偏った構成になっていた。


「……ねえハンス。やっぱりカニ、いないね。カニってお土産に最高なんだよ? 知ってる? カニって美味しいんだよぉ」

「……殿下、この国の街道に野生のカニはそうそういません。今は前を見てください。村が見えてきましたよ」


 ハンスに促されて視線を上げると、僕は思わず目を疑った。

 不作と重税に喘いでいるはずの村は、なぜか活気に満ち溢れていたのだ。

 村の広場では、人々が何やら真新しい農具や飼料を荷馬車に積み込み、明るい顔で笑い合っている。


「……あれ。僕、来る村を間違えたかな?」

「いえ、間違いなくヴィラールです。……あ、村長がこちらに気づきましたね」


 僕たちの姿を認めるなり、村長のブラムが顔を引きつらせ、猛烈な勢いで駆け寄ってきて地面に膝をついた。


「こ、これはリオン様! ヴィラール村村長のブラムと申します。まさか直接お越しいただけるとは! も、申し訳ございません、何のおもてなしの準備もしておらず……!」


「あ、いや、そんな畏まらなくていいよ。ブラムさんだっけ、元気そうで何より……というか、なんだか村全体が活気に溢れてるけど、何かあったの?」


 僕が尋ねると、ブラムは感極まった様子で震えながら答えた。


「それが……先日、財務局の方々が山のような金貨を持って現れまして!過去数年分の税が不当だったとか、還付するとかなんとか……」

「何やら難しい話をシルヴィア様と財務局の役人様が話をされてましてな。」

「とにかく、シルヴィア様が話をつけてくださったおかげで村は救われました……! まさに奇跡です!」


「……へぇ、シルヴィアが役人とねぇ。」

「なんだかんだ役人の扱いはうまいんじゃないかなぁ。ゼノビアって実力主義でしょ。役人も百戦錬磨って感じな人が多いじゃない。シルヴィアも会議とかで揉まれたんじゃないかなぁ。」


僕は一つの可能性に至った

「……まさかとは思うけれど、自分は王族だとか言って、脅したりはしてないと思うよ。あははは。ねぇブラム?」



 僕が冗談めかして笑うと、ブラムは「滅相もございません!」と首を振りつつも、彼女の威厳を思い出したのか少し顔を引きつらせていた。


「まあ、お金が返ってきたなら良かったよ。……それで、僕がここに来たのはね、シルヴィアが上手くやってるかなぁ、って心配になったからなんだよね。……何か迷惑かけてない? 本当は秘密だから小さい声で言うけれど……」

「(シルヴィアって結構性格きついでしょ?)」


 村長さん、大丈夫だったかな?


「とんでもございません! シルヴィア様は、我らの『聖女様』です! あちらで陣頭指揮を執っておられます!」



 指差された方へ向かうと、数十人の農民たちが一斉にくわを振るっていた。その中心で、誰よりも泥だらけになり、銀色の髪を振り乱しながら叫んでいる影があった。


「いい、みんな! 表面を削るだけじゃダメ! もっと深く、土に空気を吸わせてあげるのよ! よーし、やってやるんだからー!」


 顔は鼻の頭まで泥だらけ、服のあちこちが土で汚れている。けれど、そのアメジストの瞳だけは、これまで見たどんな宝石よりも生き生きと輝いていた。


「……リオン?」


 僕に気づいた彼女が、満開の笑顔で駆け寄ってきた。


「リオン! 来てくれたのね! 見て、この土! 私たちが拓いたこの土地、来年には最高の畑になるわよ! ここ、前にリオンがやったみたいにジャガイモを植えて、次は大麦で、その次はクローバー……って感じで植えられるじゃない。そうすれば土も休まるし、村全体の収穫ももっと安定するわ!」


 彼女は、僕が以前カスピの村でやったことを、自分なりに解釈して、完璧に実践しようとしていた。


「シルヴィア……君、本当に楽しそうだね。……よし、僕も少し手伝うよ」


 三分後。


「……はぁ、はぁ……。もう、無理……。カニ……カニが……リーゼに……」


 僕は早々にダウンした。そんな僕を見て、ブラムが苦笑いしながら言った。


「リオン様とシルヴィア様は木陰で休んでてください。ここは私たちが引き受けますから」



 なだらかな丘に立つ、大きな広葉樹の木陰。

 そこには、下界の喧騒を忘れるような、涼しい風と暖かい木漏れ日が降り注いでいた。


 僕は木の幹に背を預け、力の抜けた身体を草むらに投げ出す。

 すると、シルヴィアが僕の隣に静かに腰を下ろした。


「もう、リオンは本当に体力がないんだから。……ちょっと、じっとしてて」


 彼女は泥だらけの手を自分のエプロンで丁寧に拭くと、どこからか取り出した白いハンカチを近くの水桶で冷やし、甲斐甲斐しく僕のおでこを拭き始めた。


「……くすぐったいよ、シルヴィア」


「我慢なさい。……ほら、ここも土がついてるわよ」


 目の前には、少しだけ顔を赤らめ、真剣な眼差しで僕を気遣うシルヴィアの顔がある。

 揺れる木漏れ日が彼女の銀髪を黄金色に染め、開墾の疲れを癒やすような優しい風が二人の間を通り抜けていく。

 

 王宮の執務室でハンコを叩いている時とは違う、どこか開放的で、それでいて守られているような心地よさに、僕は思わず口を滑らせた。


「……でも、ありがとう。……なんだか、君がいてくれて良かったよ」


「なっ……。急に何を言ってるのよ、バカリオン!」


 シルヴィアは耳まで真っ赤にして、持っていたハンカチを僕の顔に押し当てた。


「あぐっ、冷たい……! ちょっと、シルヴィア!」


「お礼を言うなら、ちゃんとシャキッとした時に言いなさい! ほら、拭き終わったわよ!」


 そんな賑やかなやり取りをしていた僕たちの元へ、湯気の立つ大きな皿を抱えたマルタが歩み寄ってきた。


「あらあら、まあまあ。お二人は本当にお似合いですね。村のみんなも、殿下たちの仲の良い姿を見て安心していますよ」


 マルタのその言葉に、僕とシルヴィアは弾かれたように距離を取り、同時に声を上げた。


「「そ、そんなことないです(よ)!」」


 完璧にシンクロした僕たちの否定に、マルタはさらに楽しそうに「あらあら」と微笑んだ。

 僕とシルヴィアは互いに顔を背け、赤くなった顔を隠すようにして、差し出されたジャガイモと牛肉の重ね焼きに手を伸ばした。


「……美味しい」


「……そうね。本当に美味しいわ」


 木陰で肩を並べて食事をする僕たち。その傍らでは農民たちが鍬を振るい、遠くからはリーゼやハンスがこちらへ歩いてくるのが見える。


 後に絵師ルネが描くことになる、歴史的名画『休息の聖域』の構図が、今まさにここで完成しようとしていた。


 「お兄様!ずるいですわ。シルヴィアお姉様と何かするなら、私も呼んでくださいまし。ひとりぼっちは寂しいのです」

 と、遠くからリーゼの声が聞こえる。

 僕は、なんだか幸せな満腹感の中で、重くなるまぶたを閉じるのだった。

 ……明日からは、リーゼにカニのハンコ、たくさん彫ってあげられるな……なんて考えながら。

読んでいただき、ありがとうございます。


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