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第11話:ハンスの確信、あるいは『ノーフォーク』の衝撃

 ヴィラールの村での「奇跡」から、数ヶ月が経過した頃。

 王宮にある僕の執務室には、これまでにないほど芳醇な、そして暴力的なまでに食欲をそそる香りが満ちていた。


「ふー、ふー……はい、リーゼ。熱いから気をつけてね」

「わあ、ありがとうございます、お兄様! ほくほくしてて、とっても美味しい!」


 リーゼは幸せそうにジャガイモを頬張りながら、嬉しそうに報告を続けてくれる。


「それと子供たちにも、お兄様が作ってくれるハンコが行き渡って、またみんなでペタペタして遊んでますの」

「リーゼたちが喜んでくれて良かったよ」


 そう言いながら、僕は半分に切って紙で巻いた、蒸したての大きなジャガイモにたっぷりのバターを落とし、リーゼの口元へ運んであげた。


 かつては不遇の象徴だった茹で芋は、塩以外にも食卓に並ぶバターが、僕たちの胃袋と心を満たす至福の食事へと進化を遂げている。


「おっと、リーゼ。鼻の頭にバターがついてるよ。じっとしてて」


 僕は指先で、リーゼの鼻先についた黄色い塊をちょいっと拭き取ってあげた。リーゼは「えへへ」と、くすぐったそうに笑っている。


「……はい、シルヴィアも。あーん」

「なっ、何よ急に……! 自分で食べられるわよ。……あ、あーん……。……っ、おいしい。やっぱり自分で耕した大地の味は格別だわ」


 ふとシルヴィアの方を見ると、彼女の鼻の頭にも、リーゼと同じようにバターがちょこんと付いていた。


(……あ、シルヴィアの鼻にも付いてる。……こっちは、言わないでおこう)


 一生懸命に食べている彼女の姿は、なんだか小動物のようで微笑ましい。多分、今このタイミングで指摘したら、彼女の性格上、多分僕は何をしても怒られる。


 僕は保身半分、愛着半分で沈黙を貫くことにした。


「その前に、リオン殿下。一つ伺いたいことがございます」


 いつの間にか部屋の隅に立っていたハンスが、僕の差し出した「じゃがバター」を恭しく受け取ると、それを頬張りながら僕に質問をしてきた。


「ハフッ、ハフッ……。殿下、この農法の名前を伺いたく」


 僕は手元のジャガイモを眺めながら、一秒ほど考えて答えた。


「…… 『ノーフォーク』 」


「……ハフっ…………?」


 ハンスは目を見開き、雷に打たれたような表情で立ち尽くしている。


「……殿下。今、何と?」


「ノーフォーク。……だって今、ジャガイモをフォークいらずで食べてるでしょ? だから、フォークはなし。ノー・フォーク。あははは、これでいいや」


(……考えるの、めんどくさかったんだよね。響きもそれっぽいし)


 だが、有能すぎる事務官ハンスの脳内フィルターは、それを「原始的な苦役に頼らず、知性と循環で大地を制する新時代の宣言」と、もはや病的なレベルで超解釈してしまった。


「……驚嘆いたしました。まさに真理。……それとシルヴィア殿下、不躾ながら」


 ハンスが眼鏡をキラーンと光らせる。

 そして彼は、僕の隣でまだ芋を頬張っているシルヴィアの顔をじっと見つめると、自分の鼻の頭をポリポリと、意味ありげに指で擦ってみせた。


「……?」


 シルヴィアが不思議そうに首を傾げ、手元のハンカチで自分の鼻の頭をそっと拭う。

 ……そこには、べったりと黄色いバターが付着していた。


「………………っ!」


 シルヴィアの顔が、一瞬で茹で上がったジャガイモのように真っ赤に染まった。

 彼女は鋭い視線を僕に向ける。


「……リオン。貴方、まさか気づいてたわね?」

「い、いやぁ、何のことかなぁ……」

「この、バカリオン!! なんで教えてくれないのよ!!」


 案の定、怒鳴られた。

 

 そんな僕らの痴話喧嘩(ハンス視点)を余所に、ハンスは一歩踏み込んでくる。


「殿下、 (この結果をアルカディア王国の他の村に広めるため) ……この『ジャガイモ』をもらってもよろしいですか?」


「いいよ、好きなだけ持っていって。たくさんあるから、ハンスも食べなよ」


(……お、ハンスも?ハンコが欲しいのかな? ……まあ、わかるよ。毎日あんなに分厚い書類と戦ってたら、僕みたいにカニのハンコでも彫って現実逃避したくなるよね)


「……御意!! (殿下のこの『ジャガイモ』、必ずや王国の糧としてみせましょう!) 」


 ハンスはまるで聖遺物を授かったかのような恭しさでジャガイモを抱えると、そのまま熱に浮かされたような足取りで執務室を飛び出していった。


 ハンスが狂信的な手つきで「ノーフォーク農法宣言」を書き綴っている理由は、ヴィラールの村で、リオンの預かり知らぬところで「革命」が起きていたことが原因だった。


 シルヴィアがリオンのために開墾した土地に植えた「ジャガイモ」。そしてその後に大麦、クローバー、小麦を植えるサイクル。

 この「ノーフォーク農法」の真骨頂は、 『冬の克服』 にこそあった。


「……素晴らしい。殿下の推奨されたクローバーとジャガイモが、冬場の完璧な飼料となったのです!」


 ハンスの手元にあるヴィラールの村の報告書には、驚くべき事実が記されていた。


・冬の飼料不足を解消: これまでは冬になると家畜の餌が尽き、屠殺するしかなかったが、クローバー、ジャガイモ、カブが完璧な冬場の飼料となった。


・農畜一体の循環: 土壌を休ませることなく、家畜の糞を肥料として大地に戻し、家畜を冬の間も肥えさせ続けるシステムが完成した。


・食糧供給の劇的改善: これにより、村にはかつてない量の『肉』と『乳製品』の供給が約束された。


 これまでは「人間が食うか、家畜が食うか」の二択だったが、ジャガイモやカブの導入により、冬の間も家畜を生かし続けることが可能になったのだ。


「殿下。貴方の『ノーフォーク農法』が、家畜を救った。……これにより、王国の畜産業は前年比三割増の見込みです」


 ハンスは執務室の外で、受け取ったジャガイモを高く掲げる。


「この農法を、直ちに全領土へ通達します。名称は殿下の御意志通り―― 『ノーフォーク農法』 ! さて、忙しくなりますな!」


(……よし、ハンスも行ったし。シルヴィア、もう一個食べる? ……え?グーはよくないと思う……いたいっ)


 リオンの「手掴みで食べたい」という怠惰な一言が、救国のシステムとして拡散されていく。

 その光景の裏側で、アルカディア王国の食糧事情は、文字通り180度の転換を迎えようとしていた。

読んでいただき、ありがとうございます。


ヨーロッパではノーフォーク農法が確立してから畜産業に革命が起きたようです。

この「ノーフォーク」と言う名前でピピンときてこの章を作りました


いかがでしたでしょうか。つい「ノーフォーク農法」を調べてしまったらリアクションをぜひお願いします。


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