71: 賭場
「奴が入っていたのはあそこか……」
真っ暗な路地裏をなんとか抜けたグラストスの前には、一軒の家が鎮座していた。月明かりだけを頼りしても分かるほど薄汚れた小さな家である。
その周囲に他の建物はなく、ぽつんとその家だけが立っている。空き家なのだろうか。入り口の扉は開け放たれていた。
暗さと地理の不明さによってか、異様な空気を発しているようにグラストスは感じていた。理由がなければ、昼間でさえ進んで入ろうとは思わないだろう。
ただ、そこにグラストスが追い求めた人物が入っていったのだ。理由はある。入らないわけにはいかなかった。
「……行くか」
意を決して、グラストスはその中に足を踏み入れた。
「これは……地下へ続いているのか?」
中は狭く、とても人が暮らしているとは思えない。物も何もなかったが、ただ、家の中央に地下へと伸びている階段だけが存在した。
家の中に居ないとなると、対象は地下へと下りたに違いない。グラストスは一呼吸すると、階段をゆっくりと降り始めた。
階段は狭く、勾配も急であった。しかし、グラストスは問題なく進むことが出来た。
地下に進んだ先に人がいることを証明するように、階段の横の壁の窪んだ場所に蝋燭が設置されており、それに灯された火によって、階段の足場が照らされていたからだった。
思った以上に長い段を下りきった先には、それより先への侵入を拒むかのように、分厚い扉で道が閉ざされていた。
「何でこんな扉が……」
グラストスは取っ手を掴み引こうとするが、ビクともしない。数度力を込めて引っ張っても、取っ手がガチャガチャ音を立てるだけだった。どうやら中から閂がかけられているようだ。
これでは中に入れない。となれば対象を捉えることもできなかった。
グラストスは忌々しそうに扉を、ドンドンと叩いた。
「くっ。おいっ開けろ! ここにいるのは分かってるんだぞっ! デイヴっ!」
グラストスが見かけたのは、数日前行動を共にしたデイヴだった。魔物への囮にされた上、剣を盗まれた相手でもあった。その後、あれほど探しても見つからなかった相手をようやく見かけたのだ。追わない訳にはいかなかった。
日が経ってしまった為か、囮にされた事に対しては、グラストスはそれほど恨みに思っていない。
しかし、剣。それもアーラから借りている剣だけは取り返さなくてはいけなかった。何故自分にそれを貸しているのか分からないが、恐らくアーラにとって『ジェニファー』は大事な剣だということに、グラストスは気付いていたからであった。
あの小さな森での事があった後、グラストスはアーラとは一度も会話をしていなかった。互いに会話の糸口が見えなかった為である。そのままグラストスはこの旅に出たので、あの時の感情のぶつけ合いがアーラと交わした最後の言葉となっていた。
もしこのままフォレスタに戻り、次に交わす会話がアーラの剣を失った話では、関係修復どころではない。
怒声を浴びせられるのであればまだ良い。が、アーラが沈み込むのは見たくはなかった。
そういった事情により、グラストスは何としても『ジェニファー』を取り返さなくてはいけなかったのだった。
「ここを開けろっ!!」
グラストスの怒声が家中に響く。
そして、右手を叩き付けた回数が十数度を数えた時、ゴトッ、と中から音がした。
閂を外している音のように聞えた。つまり、誰か人が居る。
(デイヴか!?)
グラストスは数歩後退した。
咄嗟に腰から剣を抜こうとして、自分が現在手ぶらである事を思いだした。突然の事だった為、デイヴのピッケルも持ってきていない。
仕方なく、グラストスはいつでも行動が起こせるように、重心を下げるようにして身構えるに止めた。
ガチャリと、扉が開け放たれた。
中から影が現れる。
思わず右手に力を込めたグラストスだったが、出てきたのはデイヴではなかった。
現れたのは中肉中背の男だった。だが、普通の人間ではない。目つきが明らかに堅気の人間のそれではなかったからだ。グラストスの胸に緊張が走った。
男は無遠慮にグラストスの全身に視線をめぐらせる。そして、グラストスの警戒を見てとったのか、その男がボソリと口を開いた。辛うじて聞き取れる程度の小さな低い声だった。
「…………ここは初めてか?」
「……あ、ああ。すまないが人を探している。中に通してもらえないか?」
「…………」
グラストスの問いを聞いて、男の視線が急に警戒するような、冷たいものになった。
不穏な空気を感じたグラストスは、敵意の無いことを示す為に、必死に言葉を続ける。
「あ、いや。中が拙いならば、ここに呼んできてくれるだけでもいい」
「…………」
「俺が探しているのは、デイヴと言う男なんだが……」
そこで突然、男の視線が緩む。先程までの圧力は嘘のように消え去っていた。
「お前は奴の知り合いか?」
デイヴの知人であると思われたのだと察したグラストスは、とりあえず話を合わせておくことにした。
「まぁ、そうだ。……好悪は別として」
「……いいだろう。入れ」
どうやらデイヴは意外とこの街では顔が知られているらしい。恐らく決して表沙汰に出来るような理由からではないだろうが……。
グラストスはそんな事を考えながら、男に押されるまま扉の中に入っていった。
男は中に入ると、再び扉を閉め閂を掛けた。
+++
二人の姿が消えた後少しして、この家から飛び出していった者がいた。
階段の上から気配を消して様子を探っていた事情を知らないその人物には、グラストスが怪しい扉の中に連れ込まれたように見えていた。
「た、た、た、た、大変だぁっ!!」
薄暗い路地を進むことへの恐怖すら忘れ、ただひたすらに叫びながら、仲間の元に向かうのだった。
***
扉の中に入ると、グラストスはこの中が思った以上に広い空間である事に気付いた。扉の先には、人二人はゆったりと通れる通路が、少し先にある大部屋と思わしき場所に続いている。
そして、
「……人が多いな」
その中からは五十以上は居るのではないという程の人間の声と、明るい光が漏れていた。
「何の集まりだ?」
「…………」
男は問いには答えず、ただグラストスの背中を押し続けた。
「デイヴはあそこにいるのか?」
「…………」
どうやら何も答える気がないらしい。グラストスは男から情報を聞き出すのを諦め、大部屋へと意識を移した。
大部屋の中からは、大勢の人間の怒声、笑い声、泣き声。様々な声が聞えてきていた。何の集まりなのか想像がつかない。
ともかく、どんな集まりであったとしても、デイヴから剣を取り返すことだけに努めようとグラストスは決めた。
そうして、大部屋に辿り着く。
グラストスは、入り口で立ちすくむ事になった。ただ大部屋をグルリと見回す。
構成としては男が多いが、中には女もいる。皆一様に言えることは、全員堅気ではないであろうという事だった。
「ここは……もしかして、賭場か?」
「……そうだ。この領地唯一のな。お前はデイヴの知り合いという事だから入れたが、本来はここの事を知っている客しか入れない」
男の言葉で、ようやく騒いでいるのが客である事に気付いた。
客たちは大部屋の数箇所に置かれている大きな机を囲むようにして陣取っていた。その机の上には、何かの模様が描かれた札。硬貨。サイコロ。そういったものが散らばっており、それが賭け事の道具であることはグラストスにも予想がついた。
客の視線はそれらに目を血眼にして注がれていた。戸口に立ち尽くしているグラストスの事に気付く者すらいない。
そして、大部屋の隅には賭場の関係者と思わしき人間が、客たちの挙動を見張っているように、ジッと観察している。大柄な男たちで、不正者がいないかを調べているのに違いなかった。
「こんな場所が……っと、そうだったデイヴは!?」
予想外の事に呆然としていたグラストスだったが、本来の目的を思いだし、慌てて中の人間の顔に視線をやっていった。
デイヴは、あっけなく見つけることが出来た。
小男だからでも、特徴のある顔立ちだから、という事ではない。
ただ、賭け事に負けでもしたのか、デイヴが大声で叫んで周囲の注目を集めていたからであった。
グラストスはデイヴの顔を見つけるなり、デイヴの置かれた状況を気にすることなく、感情のままに近づいていった。
ドカドカと距離を詰めて、他の客の間を強引に抜けて、騒いでいるデイヴの肩をがっちり掴む。
「おいっ。デイヴ!」
「や、や、ま、待って下せえっ! な、何とかしやすから」
デイヴはグラストスに対して、何事か懇願するように頭を下げた。剣を盗んだ事の謝罪か、とグラストスは一瞬思ったが、何か様子がおかしい。
何故かデイヴは俯いたまま弁解するだけで、グラストスの顔を見ようとはしない。それでいて必死に謝罪しているからだ。
様子は気になったものの、グラストスが求めるのは一つだけである。
「剣を返せ、デイヴ。そうしたらもうそれ以上は咎めたりはしない」
「そ、そうだ。この剣を質にして下せえ。それでなんとかこの場は……」
デイヴは持っていた剣『ジェニファー』を献上するように両手で抱え上げ、卑屈な表情でグラストスの顔を、ここで始めて見上げた。
そこでデイヴはピタリと停止した。
デイヴの表情が目まぐるしく変化する。驚きから、動揺へと。やがてそれは歓喜に変わった。
「こ、こりゃあ良い所に。兄さん。良くぞご無事で!」
デイヴは本当に嬉しそうにグラストスの腕に縋るように喜んだ。
お前が嵌めた癖に、とグラストスは思ったが、それは胸の内に収めて「ともかく剣を返せ」とだけ告げた。
「そりゃあ、もうっ! はいっ。どうぞお持ちになって下せえ!」
デイヴはすんなりとグラストスに『ジェニファー』を差し出した。
意外な対応に若干拍子抜けをしたグラストは、黙ったままそれに手を伸ばす。『ジェニファー』を右手で受け取り、グラストスは鞘を少し抜いて、異常が無いことを確認しようとした。
「この兄さんがあっしの形でやす。代わりにこの兄さんを連れていって下せえ。負け分の働きくれえはする筈です」
デイヴはそんなことを誰かに早口で告げると、足早に大部屋から走り去っていった。
急な事にグラストスは追いかけるのも忘れ、そのまま後ろ姿を見送ることになった。何を言っているのかも分からなかったが、剣さえ返してもらえばもう接触する必要もないか、とデイヴのことは忘れる事にした。
剣の中身が無事なことを確認すると、グラストスはようやく満足そうに頷く。
もうここに用は無い。
奪われたのは二本だったが、『ジェニファー』さえ回収出来ればそれで良い。『ジェニファー』を腰に差し、同じく大部屋を出て行こうとしたグラストスだったが、周囲の客の目が自分に注がれているのに気付いた。どの目も、何か面白がっているような、そんな色に覆われていた。
(何だ?)
居心地の悪さを覚えながらも、気にせず歩き出そうとしたグラストスの動きが止まる。両肩を複数の手によって掴まれたからだった。
「何だ?」
グラストスは後ろを振り返り、自分肩を掴んでいた者を確認する。掴んでいたのは、先ほど見かけた部屋の隅にいた関係者と思われる者達だった。
その内の一人が低い声で尋ねてくる。
「何処へ行く」
「何処へって……もうここに用はないから帰るんだ」
そう言いながら肩の手を離そうとグラストスはもがいたが、男達の手は固く、容易に外す事が出来なかった。
「それは無理だ」
「どうして?」
「お前が『形』だからだ。おいっ、奥に連れて行け」
男がそう言うと、他の男達がグラストスの体を強引に押さえ込もうとする。
「何するんだ!? 放せ!」
叫びながらグラストスは暴れたが、一人で数人の男達の力に叶う筈も無い。今度は男達に『ジェニファー』を奪われると、そのまま大部屋の奥の部屋に連れて行かれた。
そのグラストスの様子を、周囲の客は見世物のように笑いながら見つめていた。
+++
隣の部屋はこの賭場の関係者の詰め所であるようで、幾人かの男達が休息していた。彼らはグラストスに気づくと、同様の薄笑いを浮かべた。
「そいつぁ形か? まあ、若いから多少は働いてくれるだろうが……今日はどうしちまったんだ? 収穫が多いな」
「多い時は、そんなもんだ」
彼らは意味不明な会話を交わすと、鍵束をグラストスを掴んでいる男達に投げ渡した。
それを受け取った男達は、再びグラストスを強引に歩かせるようにして動き出し、部屋の隅にある更に地下へと伸びる階段に進んだ。
「放せ! 形とはどういうことだ!?」
「うるせえ奴だな。お前はデイヴの負け分の形なんだよ。黙ってやがれ!」
男達の一人がそう言い放つと、騒ぐグラストスの腹に拳をめり込ませる。両手を押さえられているグラストスは避ける事も適わず、それを鳩尾に受け悶絶する。
「く、はっ」
「これ以上暴れられても面倒だ。後ろ手に縛っておけ」
そのまま、両手を体の後ろで縛られる。乱暴に左腕を掴まれたため、グラストスは激痛を覚えた。その痛みの中、グラストスは地下に運ばれた。
地下は上とはがらりと様相が変わっていた。
一言で言えば、牢屋。それ以上でも、それ以下でもなかった。
階段の先に大きく堅牢そうな鉄の牢屋があり、グラストスは抵抗する間もなく、そこに乱暴に押し込まれた。
両手を縛られているため、体勢を立て直す事が出来ず、そのまま地面に顔から落ちる。
「ぐっ」
続いて、後ろでガチャリと、鍵が掛けられた音がした。
「そこで大人しくしていろ。……おい、そいつの縄は外すんじゃねえぞ」
男達はそう告げると、『ジェニファー』を牢屋の前にある机の上に放り投げ、哂いながら上に戻っていった。
「くそっ。デイヴの形だと……」
グラストスはようやく自分がデイヴに嵌められたことを悟った。
恐らく先程デイヴが叫んでいたのは賭け事に負けた所為で、だが払う金がなく、丁度良く現れたグラストスをその負け分の代わりの形にしたのだろう。
「ちっ、俺はなんて間抜けだ……」
またもやデイヴにまんまと嵌められた自分が情けなく、グラストスは自嘲気味に哂った。
そして、デイヴへの怒りもはっきりと胸の内に再燃した。今度はただでは見逃さない。そう心に決めていた。
「だ、大丈夫ですか?」
グラストスがそのままの姿勢でデイヴへの怒りを燻らせていると、頭上からグラストスを気遣う声が聞えてきた。若い女性の声だ。
どうやら牢屋には先客が居たらしい。
グラストスは膝を開いてゆっくりと姿勢を取り戻し、面を上げた。
「お怪我はありませんか?」
その人物はそう言うなり、恐る恐るグラストスに近づいてくる。その表情は心配そうに歪んでおり、本気でグラストスのことを気遣っているのが分かった。
「ああ、大丈夫だ」
どうしてこのような人物がここに居るのか分からなかったが、グラストスは無理やり笑顔を浮かべると、改めてその人物の顔に視線を移し――――そこでグラストスは固まった。
「アンタは確か……」
「はい? 申し訳ありません。どこかでお会いしましたでしょうか……?」
「あ、いや……」
グラストスは言いよどむ。綺麗だから印象に残っていた、とは言えなかったからだ。
そんなグラストスの様子に首を傾げたのは、以前この街の宿屋で遭遇した、見目麗しい女性だった…………。




