↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Left Arm Wars  作者: 過酸化水素水
【4章 神の医師】
PR
73/121

70: 路地

 

 一日後。一行の馬車はムマルの街外れにあった。

 村の女性から『神の医師』の手伝いをしていた女性の現在所在地を聞いて、そこへ向かう途中だったのである。

 オーベールは、例えその場所がどんなに遠くであったとしても、向かう事に決めていた。


 オーベールとしては、直ぐにでも向かいたかった。

 ただ、昼過ぎに村に着いて、夕方には引き返そうと言うのだ。

 それはかなりの強行軍といえた。

 通常、余程の事情でもない限り、新たな街に着いたら一泊は休息を入れたいところである。

 なので皆のことを慮り、オーベールはその主張を躊躇っていた。


 しかし、オーベールのそうした感情を察したグラストス達は、強行軍を辞さずに戻る事を逆に提案したのだった。

 その決定には一人だけ渋っていた人間がいたが、その意見はオーベール以外の二人からの冷たい視線で却下されることになった。

 ――――理由が至極下らないことだったからだ。

 そうして、一行はとんぼ返りの様相で、再び村を後にしたのだった。


+++

 

「ヒルニ……確か最初に通過した街だったよな?」

 馬車の入り口に陣取って、両足を無造作に投げ出しているグラストスが、急に思い出したかのように顔を上げて尋ねた。

 その問いには、それまでずっとリシャールと雑談をしていたオーベールが答える。

「ええ。その通りです」


 手伝いの女性の居場所は、一行が領主の館を出て初日に辿り着いた、フォレスタの北隣の領地の『ヒルニ』ということだった。

 フォレスタからは、馬車だと一日程度の距離である。

 一呼吸おいて、オーベールが説明する。

「その方は、ヘイディさんというお名前で、年齢は二十代半ばと言う事だそうです」

「でも、その人について分かったのはそれくらいなんですよねぇ」

 リシャールが言葉を添える。

 言うとおり、医師の手伝いの女性の名前と年齢以外について、正確な情報を得る事はできなかった。

 村の女性の話では、元々他所から来た人間だということに加え、神の医師程ではないにしろ、個人的なことを殆ど話さない女性だったそうだからである。


「あ、でも、とても綺麗な人だったそうですよ」

「なんでも、村の若い男性の殆どから求婚されるほどだったとか。ただ、どなたの求婚もお受けにならなかったそうですが……」

 リシャールとオーベールは、女性に関しての最後の情報を話す。

 が、それに対して、グラストスは渋い顔をする。

「綺麗か……。参考にはなるだろうが、それだけじゃあな。ヒルニはそれほど大きな街じゃなかったが、綺麗な女性が一人しかいないというわけでもないだろう。そんな中から女性一人を探すのは大変だな」

「そうですよね……」 

 オーベールもそれは認識しているのか、苦い笑いで同意した。

 皆、その困難さは容易に想像できていた。

 それを思いやってか、それきり言葉が途絶える。


「でも……丁度良かったですよね!」

 揺れる馬車の中、沈みそうになった空気を振り払うようにリシャールが声を上げた。

 そして、更に続ける。

「ヒルニってことは、帰り道ですからね。それに、ムマルのような治安の悪い土地とかじゃなくて良かったです。人探しはずっと楽でしょうし」

 

 リシャールの真向かいに腰掛けているオーベールが、柔らかく微笑む。

「そうだね。静かな街だから、暮らすには良い所だよ」

「確かにそんな感じだったな。人通りの感じが、ビリザドに似ていた」

 グラストスは初日に通ったヒルニの街並みを脳裏に思い浮かべながら答えた。

 うんうん頷いて、確かにそうですね、と相槌しようとしたリシャールの前に、それまで皆の話を黙って聞いていた男の能天気な声が割り込む。


「特に特徴のない街だが、酒はそこそこ品揃えが良かったなぁ」

「またお酒の話ですかっ!? もう、体中の水分が酒で出来てるんじゃないですか?」

「おっ。そいつぁ良いな。自分の身体にかぶりつきゃ、飲んでは蓄え、飲んでは蓄えて、ずっと酒が楽しめるじゃねえか」

 ドレイクは、リシャールの皮肉には何ら堪えず、逆にウットリしながら夢想し始めた。

「はぁ……もはや守銭奴ならぬ、酒賤奴ですね。ドレイクさんは」

「おお! 俺っちの墓碑銘にはそう刻んでくれ。『酒を愛し、酒に愛された酒賤奴、ここに酔い潰れる』ってな感じで」

「…………この人は」


 微笑ましく二人のやりとりを聞いていたオーベールは、話に乗る形で尋ねる。

「ははっ……本当にドレイク殿は酒がお好きなんですね。実は、僕は一度もお酒を飲んだことはないのですが、そんなに良いものなのですか?」

 するとドレイクは、この旅一番の笑顔を見せた。

 まるで幼子のような、邪心のない曇りなき笑顔である。


「そいつぁ、いけやせん。人生の半分は損してますわぁ。今度、是非にでも俺っちが酒の美味い店に案内しやすぜ」

「それは楽しみです。是非お願いし――――」

 ドレイクの言葉に嬉しそうに返答しようとしたオーベールが礼を言い切る前に、リシャールが飛びつくようにしてオーベールの前に回り込んだ。


 リシャールは最後まで言わせないようにオーベールの手をぎゅっと掴むと、真剣な表情で語りかける。

「駄目ですよオーベール様! この人の言うとおりにしてたら、将来はこんな駄目人間になってしまいますよ!?」

 そこまで言うと、リシャールはキッと表情を厳しくして御者台の方を睨みつける。

 そして、まるでオーベールをその小さな背に庇うように仁王立ちになった。

「この不良中年!! 純真なオーベール様を、悪の道に引っ張り込まないで下さい!」


 リシャールの怒声に、ドレイクは片手を挙げてひらひらと揺らす。

「ああ、分かった分かった」

「本当ですか!?」

「分かったって。安心しろ」

 御者台から中を振り返ってそう告げたドレイクの顔には、全てを悟りきったような優しい笑みが浮かんでいた。

 気持ち悪さから、リシャールは思わず、うっ、と腰が引ける。

 そして、その菩薩のような微笑を浮かべながら、ドレイクは言った。


「安心しろい。お前を仲間外れにゃあしねえから。そん時はお前も連れてってやる。大丈夫だ。ちゃんと一杯は奢ってやるから」

 瞬間的に、リシャールの額に青筋が浮かぶ。

「ち、違いますよっ!! やっぱり何も分かってないじゃないですかっ!!」

「何!?」

 リシャールの怒声に、ドレイクは何かに驚いたような顔になる。

 その表情の意味が分からず、憤りつつも疑問符を浮かべていたリシャールに対して、ドレイクは呆れたような視線を送った。

「……一杯じゃ足りねえってか? 人の金だと思って、意地汚ねえ奴だなぁ」

「こ、こ、この……!」

 怒り過ぎてだろうか、二の句が告げないリシャールは顔を真っ赤にして唸る。

 そんなリシャールと、ひたすらに挑発し続ける、本気なのか冗談なのか判断がつかないドレイクのやり取りを、やはりオーベールは微笑ましそうに眺めていた。


 そんな同行者達の様子を遠巻きに眺めていたグラストスは、

「……はぁ」

 と、一人溜息を吐くのだった。



***



「すっかり夜になっちまったな」

「行きは一日半は掛けた所を、一日で踏破しましたからね」

 ドレイクの呟きを聞いたオーベールは、御者台へ身を乗り出すようにして答えた。


 オーベールは、ここまで自分達を運んでくれた馬たちに視線を移す。

「君たちも有難う。よく頑張ってくれたね」

 馬たちに対して、まるで友人に語りかけるようなオーベールを横目で見ていたドレイクは、おかしな貴族も居たものだ、という風な笑いを口の端に浮かべた。

 ただ、馬鹿にするような感情ではなく、好ましい感情がその大半を占めているようであった。


 一行の馬車は、既にムマルの街中に入っていた。

 辺りは暗く、人通りも疎らである。

 馬車の車輪が地面を転がる音だけが、無機質な音色を奏でている。


「また、この前の場所に止めるんですか?」

 そう尋ねた後、リシャールもオーベールの横手から、御者台に上半身を出してきた。

「まぁ、そうだなぁ。資金は思ってたより節約できてるが、宿に泊まるのはちっときちいな」

「すみません。僕の不手際のせいで……」

 まだ気にしていたのか、オーベールが財布を落としたことを謝罪する。

「そんな。いいんですよそんな事。僕達は野宿には慣れてますし。こう見えて、歴戦の自由騎士ですからね!」

「歴戦の? ……まあ、そういうこってす」

 そんなオーベールを励ますように言葉をかけた二人だったが、

「…………自由騎士」

 オーベールは、その単語を口の中でぼんやりと復唱する。

 その呟きに、何かを感じたドレイクが、理由を尋ねようと口を開いた時だった。


「あっ!? あいつはっ!!」

 

 突然、荷馬車の後ろから大声が上がった。

 三人は突然の大声に驚きながら、慌てて後ろを振り返る。

 しかし、荷馬車の中に、叫び声を上げた筈のグラストスの姿がない。

 三人は視線をそのまま延ばしていき、馬車の後方に降り立ったグラストスが、何処かに向かって走り出しているのを辛うじて捉えることが出来た。


「グラストスさん?」

「何処に行くんですかっ!?」

 ドレイクが馬たちの手綱を締めて速度を落とし、オーベールとリシャールは叫んで呼び止めるが、グラストスがそれに応える事はなく、そのまま暗い路地に消えていった。


「ど、どうしたんでしょう?」

「どなたかお知り合いでも見つけたんでしょうか?」

「それにしちゃあ、様子がただ事じゃ無さそうだったが……」

 そのまま暫し三人は黙り込む。


 やがて、ドレイクが口を開いた。

「まあ、泊まる場所は兄ちゃんも分かってんだろう。とりあえず、荷馬車をこの前の場所に置きにいくか」

 のんびりとした口調は、ドレイクが大して心配していないことを示していた。

「え、ですが……」

「何か重大な事があったのかもしれませんよ? ドレイクさんと違って、グラストスさんが血相を変えるなんて余程の事ですよ!」

 返答に詰まったオーベールの代わりに、リシャールが歯に衣着せない主張をする。

 その隣では、オーベールも静かに頷いていた。


 聞き捨てならない台詞があったものの、ドレイクはとりあえず気にしない事にして、うーん、と唸った後、

「じゃあ、坊主。お前が兄ちゃんの後を追え。で、何か問題ありそうだったら、俺っち達を呼びに来い」

 と、代案を挙げた。


「ええええええええええっ!?」

 リシャールは顔を歪ませて叫ぶ。

「っつ。でけえ声出すじゃねえ。何だ、兄ちゃんを探すのが不満なのか?」

「いや……そういう訳じゃ……」

 リシャールの口は重い。

 無論、グラストスを追う事自体が嫌なのではなかった。

 リシャールはグラストスには、何度も助けられている。

 いつかそのお礼をしたいと、ずっと思っていた。


 ただ問題なのは、今が夜で、このムマルの街は治安が悪い、という事である。

 要するに、リシャールは一人でグラストスの後を追うのが怖かったのだった。

 特にグラストスが消えていった路地など、通常ならリシャールは近寄りもしないような、怪しい空気を発している。

 少なくとも、リシャールの目にはそう見えていた。

「でも……」

 そういったことから、後を追うことを渋るリシャールに、ドレイクは早くしろ、と促す。

「急がねえと、追いつけなくなるぞ」

「そ、そうですけど……」


「では、僕が行きましょう」

 見かねたオーベールが、役割を買って出ようとする。

 だが、それにはドレイクは困った表情を浮かべる。

 こんな夜に、貴族のご子息を一人で行動させるなんてことは、流石のドレイクにも憚られた。

 また、一行にとっての最も価値のある、と周囲の人間に見えているのは、間違いなく荷馬車と馬である。

 当然、不逞の輩に狙われる可能性が高い。

 なので、どうしても荷馬車の番はドレイクが行う必要があった。


 つまり、この役はリシャールにしか無理だった。

 それを理解していないリシャールではないだろう。

 ドレイクはオーベールには見えないように、ギロリと強い視線をリシャールに注いだ。


「うっ……」

 リシャールはその眼光にたじろぐと、やがてガックリと頭を垂れた。

「わ、分かりました。僕が行ってきます……」

「だ、大丈夫?」

 悄然としたリシャールに、オーベールは恐る恐る声を掛ける。

 リシャールは、ははは、と悲しそうな笑みを浮かべると、

「だ、大丈夫です。じゃあ、行って来ます……」

 力なく呟き、荷馬車の中に放っていた自分の剣を拾い上げて、腰に括りつける。

 そして、「グラストスさん、近いところに居て下さいよ~~~!!」と、泣きそうな声で叫びながら、荷馬車から飛び出して行った。


「大丈夫でしょうか……」

 おっかなびっくり路地に消えていくリシャールを、オーベールは馬車の後方から心配そうに眺めていた。

 急に人が半分になった馬車の中で、リシャールの不安さが伝染したように、オーベールが重たい表情で呟く。

「まぁ、何があったかは分かりやせんが、兄ちゃんも坊主もそれなりに腕は立ちやす。そこらへんのゴロツキには遅れをとらんでしょう…………ただ」

「…………ただ?」

 ドレイクの含みを、オーベールが深刻そうに尋ね返す。

 少し溜めた後、ドレイクは答えた。


「ちっと、やっかいな事になりそうな予感がしやす」

 しかし、言葉とは裏腹にドレイクの口元は愉しげに歪んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。