~試の一~
オリヴィアとトモエの冒険譚、第参章でございます。
様々な要因で二人はより広い世界を知ることとなります。
更新は不定期になるかと思いますが、少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。
宜しくお願い致します。
しとしとと小雨が降り続く昼下がり。
普段なら庭で剣の稽古に勤しんでいる時間だが、今日は自室でくつろいでいる。
怪我をしているとか体調不良とかではなく、雨が降っているからと言う理由でも無い。
私の中にいる彼女が、「やってみたい事がある」と言うから付き合っているだけだ。
(ふんぬぅりゃぁあああああああ!)
彼女……トモエは、テーブルの上に置かれたぬいぐるみに向かって渾身の念を送る。
しかし、ぬいぐるみに変化はなく、その愛らしい瞳を私に向け続けているだけだ。
ぬいぐるみは私の亡くなった母、剣聖オルキデアをモデルにしている。
全高30cm程のSサイズで、剣と鎧を装備した三頭身のデフォルメタイプ。私の知っている優しく毅然とした母とは違い、可愛らしさ溢れるデザイン。国民からは「オルデちゃん」と呼ばれ、親しまれている。
私の部屋には玩具の類は殆どない。唯一所有しているのが、このオルデちゃんだ。
正直、お母さんを連想させる物は自室に置きたくは無かった。楽しい思い出も沢山あるけれど、どうしても寂しさの方が勝ってしまうから。
でもトモエと出会い前を向けるようになった事で、少しずつ過去を振り返る余裕が出来た。
そんな時、ふと幼い頃にお母さんからプレゼントされたオルデちゃんを思いだし、キャビネットの奥から引っ張り出した。今はベットの横に飾っている。
オルデちゃんを見るたびに、お母さんの恥ずかしそうな、それでいて嬉しそうな顔を思い出す。
そんなオルデちゃんが、トモエと睨み合いを続けて早数時間。
昼食を挟んでいるとは言え流石に長すぎる。手持無沙汰になった私は、オルデちゃんの両手を握り、ブンブンと振って遊んでいた。
(どりゃぁあああああ!)
絶え間なく続くトモエの雄叫びにうんざりしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
椅子に腰かけたまま返事をすると、ゆっくりと扉が開かれ栗色の髪をした執事服の少年が現れた。
「失礼します」
少年アルフィルクは、手慣れた所作でテーブルの上に淹れたての紅茶を用意してくれた。
芳醇な香りに癒され、次第にストレスが薄れて行く。
「上手く行きそうですか?」
アルの問いに私は無言で首を横に振った。
「そうですか……」
アルは複雑な表情を浮かべ、そのまま黙ってしまう。
なぜこんな状況に陥っているのか。
それはトモエが寝起きの私にこんな事を言い出したからだ。
(人形に取り憑いてみたい)
何を言っているのか理解するのに、かなりの時間を要した。
トモエは霊魂のみの状態で私の中に居る。要するに、私が幽霊に憑依されている状態になる。
その取り憑いている側のトモエが、私の体から出て人形に取り憑いてみたいと言い出したのだ。
何故かと聞くと……。
(幽霊ってそういうモンだろ?)
と、あっけらかんと言われた。
そう言う物なのだろうか? 正直理解に苦しむが、トモエは異世界から来た霊魂。私達とはスピリチュアルに対しての考え方が異なるのかも知れない。
因みにトモエの存在を知っているのは従者のアルだけ。正確にはもう一人いるが、私が憑かれている事やトモエの正体までは知らない。
今回の事をアルに相談すると、何とも言えない表情のまま……。
「トモエさんがやってみたいなら……何時も稽古をつけて下さっている事ですし……」
そう言った。
元聖騎士であるアルが、幽霊のトモエに忖度する姿と言うのは傍から見ても奇異に映る。
アルにとってトモエは剣の師であり、教えを乞う者としての立場をわきまえていると言った所か。
トモエは生前凄腕の剣士だったようで、普段は私とアルに剣を教えてくれている。
私にとっては、同居人であり友人であり師匠でもある存在。
彼女の事は信頼しているし、恐らくトモエなりの理由があるのだろうとも思い、私も彼女に付き合う事を承諾した。
とは言え……私に出来る事と言えば、椅子に座りオルデちゃんを眺めているだけ。
そんな状態で数時間も経てば流石に飽きもくる。せめてお母さんとの思い出に浸ることができればれば良いのだが、トモエの叫びがそれを許さない。
「トモエ、今日はそろそろ終わりにして続きは明日にしませんか?」
(もう……少し……何か……出来そうな……気がする……むぅむぅう~~~!)
そう言いながら唸り続けるトモエ。
「オリヴィア様、そろそろお時間が……」
アルが申し訳なさそうに次のスケジュールを告げる。私にと言うよりも、トモエにだろう。
(もうチョット! もうチョットだから!)
子供の様に駄々をこねるトモエ。時間があれば付き合ってあげたい所だけれど、流石に仕事を休む訳にはいかない。
私はアハト国の第4王女という立場にある。勝手は許されない。
「また明日にしてください」
(あぁ〜! もうチョットなのにぃ~!)
私がオルデちゃんを持ち上げた途端、トモエが抗議の声を上げた。
それから暫く、私はトモエの愚痴を聞かされる羽目になり、彼女を宥めながら公務に当たらざるを得なかった。
彼女の事は信頼しているし尊敬もしている。しかし偶に「この人は本当に年上(享年)なんだろうか?」と、首を捻りたくなる。
今日は王都の巡回だった為まだ良かったのだが、これが書類整理等であれば五月蠅くてとてもこなせなかっただろう。
本来巡回は各地区に常駐している兵士達の役割だが、今はとある理由で人員不足に陥っている為、自ら立候補をして一部を担当させて貰っている。
今、私が担当してるのはクトゥア地区。
私にとっては因縁の地であると同時に、大きな転機となった場所。
私がトモエと出会ったばかりの頃、義姉に命じられクトゥアの視察を行った。
クトゥアは所謂スラムと称される場所。
そこで発見されたのは、住民を「商品」として扱う闇商人の存在。商品と言っても奴隷ではない。それは住民の遺体を繋ぎ合わせた、吐き気を催す工芸品の数々だった。
発見時、私に代わり体の主導権を得たトモエが闇商人の一団を壊滅。首謀者の一人を捕縛、残り全員を即討伐する事で決着した。
事件後、王命によりクトゥアの改革が始まったのだが、その進捗がずっと気になっていた。この目で見届けたいと思っていた。
クトゥアは、お母さんが産まれた場所だから。
人手不足の話を聞いた時、私は王に直訴して「人員確保の目途が立つまで」と言う条件でクトゥアの担当をさせて貰っていた。公務扱いなのは、王の計らいだと思う。
お母さんは元第2王妃でもあった。当然、王はお母さんの出身地も知っている。だからこそ配慮してくれたのだろう。
「気になる事があれば、すぐに報告しなさい」
とも言ってくれた。
お母さんが生きている時にもクトゥアの改革は行われていたのだけれど、亡くなった後はおざなりになっていたようだ。王としては、その事に気が付かなかった贖罪の気持ちもあったのかも知れない。
正直、王との個人的な思い出は殆ど無く、実父と言う意識はあまりない。自分がどう見られているかも分からない。ただ、お母さんの事は愛してくれていたんだと思う。それだけで私は充分だった。
「オリヴィア様、そろそろ到着します」
御者席からアルに声を掛けられ、私は降車の準備を行う。準備と言っても剣を装着して、髪を隠す為の帽子を被るだけ。
私が王女と気付かれるのは流石にまずいと、王が近衛騎士団の制服と装備一式を用意してくれた。アルも同じ制服を着用している。
私の深紅の髪はお母さん譲りで、この国では珍しい為に髪の色だけは隠す必要が有るのだ。
降車準備が完了した所でタイミング良く馬車が止まる。到着したのは地区の境界線。馬車を降りると、立番をしていた兵士が敬礼をしながら出迎えてくれた。
「ご苦労様です」
私は挨拶もそこそこに、一日分の報告を受ける。
最近は毎日巡回に来ているので大した変化は無い。ただ事件等も発生していないので、その点は改善されてきていると言っても良いだろう。
何せ今までは窃盗、傷害、殺人等の犯罪が毎日の様に行われていた地区だ。事件が無い、それこそが改革が進んでいる証明でもある。
「ありがとうございます、また何かあれば教えてください」
私は報告を終えた兵士にお礼をしてから、地区内の巡回を開始する。既に雨は上がっていた。
巡回に帯同するのはアルだけ。王からは護衛の増員を提案されたが、それでは自分が巡回を行う意味がないと断った。
隣国エルバドスでの振る舞いが伝わっていた事もあり、人員不足が解消されたら即刻手を引くとの条件で、王も同意してくれた。
正直に言えばアルを連れて行くのも躊躇われた。クトゥア地区で起こった一件には、アルの祖父が関わっていたから。
本当なら近付きたくないだろうし、思い出したくもないだろう。
しかし、アルからは「絶対にお供します!」と言われ、トモエからは「そりゃアイツの事を舐め過ぎだ」と言われた為、巡回の帯同を許可した。
乗り入れた馬車を兵士に預け、アルと並んで決まったルートを歩いて行く。
嘗てエリア内は荒廃し、まさに廃墟と言って差し支えない状況だった。エリア中に、排泄物の臭いや腐敗臭が蔓延していた。
しかし廃棄物の撤去や清掃を優先した結果、地区内の空気は驚く程に浄化された。
今も雨上がりの匂いに交じって、どこからか食欲を掻き立てる良い香りが漂ってくる。炊き出しだろうか、今日は肌寒いから煮込み料理か汁物かな?
そんな事を考えながら奥へと進んでいると、路地から小さな人影が飛び出してきた。
アルが咄嗟に私を庇う。しかし影の正体がわかった瞬間、私もアルも笑顔で彼女を迎えた。
「お姉ちゃん、おかえりなさい!」
黒髪の少女は、しゃがんだ私に向かって飛び込んできた。
「リリア、急に飛び出したら危ないでしょう?」
私がそう言って注意すると、リリアは可愛らしく頬を膨らませた。会うなり怒られたので拗ねているのかな? と思っていたのだけれど……。
(オリヴィア……)
トモエに声を掛けられて、ハッと気が付く。
「……ただいま、リリア」
そう言って頭を撫でると、リリアは満面の笑みを浮かべた。
リリアはクトゥアの孤児院に住んでいる。少し前まではストリートチルドレンだった。
改革の一環である孤児院の立て直しにより、同じような境遇の子供達と一緒に引き取られたのだ。
孤児院に引き取られた時のリリアは骨が浮き出る程に痩せこけ、立って歩くだけで精一杯の状態だったらしい。
会話もおぼつかず、ただただ獣の様な目で大人達を睨みつけていた。その瞳からは、言い様の無い憎悪が宿っていたと言う。
リリアは自分の歳を知らない、何時何所で生まれたかもわからないからだ。
見た目は7〜8歳位に見えるが、長く栄養失調の状態が続いていた為、本当はもっと上かもしれない。
名前も孤児院に入ってから付けられた物で、その出生は全て不明。
最も古い記憶は、初めて人を襲った時の事だと言っていた。生きる為に。
「皆も変わりない?」
私がそう聞くと、リリアは「もちろん!」と元気よく答える。
昨日も会っているので当然と言えば当然かも知れないけれど、私は安心して胸を撫でおろした。
「そんなことより、お姉ちゃん! みんなまってるよ!」
リリアはそう言って私の手を引っ張った。
私はアルと目を合わせた後、リリアに引っ張られるまま彼女に付いて行った。
路地を抜けてやや開けた場所へ辿り着くと、現れたのは一軒の教会。
雨露に濡れた教会は、雲の隙間から差し込む日差しに照らされ、普段よりも一段と神秘的なオーラを醸し出していた。
教会は孤児院と併設されている為、敷地面積には余裕が有る。
リリアに引っ張られた私は、そのまま教会の裏手へと向かった。