1話 勇者が魔王を倒す旅にでたので、スライムは困っています
ここは始まりの村。
世界のどこにでもある、ごく普通の村である。
特別な事件は起きていない。
差し迫った危機も存在しない。
世界は今日も、特に問題なく回っている。
その中で、勇者は旅に出ることにした。
理由はよくわからないが、そういうものらしい。
そしてその隣には、最初からスライムがいた。
始まりの村の朝は、思っていたよりも静かだった。
勇者は村の入口に立ち、深呼吸をひとつしてから、ゆっくりと背中の剣に手をかけた。
剣はやたらと立派で、刃は無駄に光っている。
「よし……ついにこの時が来たな」
勇者はそう言って、満足そうにうなずいた。
その足元で、ぷるん、と小さく揺れるものがある。
透明で、丸くて、ぷにぷにしていて、どう見てもスライムだった。
「……え、もう行くの?」
「ああ。魔王を倒す旅だからな」
「その魔王って、今なにしてんの?」
勇者は少し考えた。
「何してんだろうな。たぶん、なにもしてない……かな」
「だよね?」
「いやいや、魔王って存在してるだけで脅威だからな」
「それ言い出したらさ、村の犬も脅威じゃない?」
ちょうどその時、村の犬が二匹の横を通り過ぎて、尻尾を振りながら去っていった。
「ほら、あいつ噛む可能性あるし」
「何もしなけりゃ噛まないだろ」
「魔王も今のところ噛んでないよね?」
勇者は少しだけ黙ったが、すぐに剣を構え直した。
「いや、でもさ。これはそういう役割的な感じなんだよ」
「役割?」
「そうそう勇者は旅に出て、魔王を倒す。そういうもんだろ?」
「それ誰決めたの?」
「世界だよ。ほら、勝手に回っているやつ」
「その“世界”って誰?」
「世界は……あれだよ。あれ」
「いやいやいや、それ説明放棄してるだけじゃん」
その後ろで、村人が声をかけてきた。
「おお!勇者さま!ついに旅立ちですか!」
「ああ、そうだ!」
「これから魔王を倒してくるところだ!」
「それはそれは!頼もしいですなあ!」
「ねえ、その前に聞いていい?」
「はい?」
「この村、今なんか困ってる?」
村人は少し考えた。
「いや、特には……」
「ほら!!」
「誰も困ってないじゃん!!
畑元気だし、犬元気だし、
宿屋営業中だし!!」
「でも、魔王が……」
「魔王が“いるだけ”で旅に出るのおかしくない!?
それもう概念と戦ってるじゃん!!」
勇者は少し困った顔をした。
「まあまあ、旅ってそういうもんじゃない?」
「どういうもんなの!?」
「出発したら、だんだん仲間も増えるし、事件も起きて……」
「起きてないけど!!?」
スライムは村を見渡した。
子供は走り回っている。
武器屋のおやじは店を開けている。
宿の主人は暖簾を出している。
村の猫は、勇者のマントの上で寝ている。
「どこに事件あるのこれ!!」
「これから起きるんだよ。これから……」
「“これから”万能すぎない!?
全部それで済ませてない!?」
二人は、そう言いながら村の外へ歩き出した。
道はゆるやかな草原へと続いていて、
遠くまで見渡しても、特に目立つものはない。
風が吹いて、草が揺れる音だけが聞こえる。
しばらく、会話が途切れた。
「……ねえ」
スライムが小さく言った。
「今のところ、ほんとに何も起きてなくない?」
「ああ。でも、これから起きるから」
「またそれ!!」
スライムは、勇者の背中を見ながら、
どこからツッコめばいいのか、だんだん分からなくなっていた。
さっきからずっと同じ会話をしている気がするのに、
勇者だけが、なぜか前に進んでいるつもりでいる。
二人は、特に何も起きない村を後にした。
村人たちは、特に深い意味もなく手を振っていた。
見送られたからといって、何かが変わるわけではない。
二人が去った後も、村は普段通りだった。
旅立ちによる影響は、特に確認されていない。
世界は相変わらず、静かなままだった。
「てかさ、僕たちもう一緒にいるよね?」
「ああ、仲間だな」
「いつから?」
「うーーん、いつだろ」
「なんで?」
「なんでも、だよ」
「いやそれ怖くない!?
出会いイベントもなくて、
気づいたら横にいるって何なのこの世界!!」
勇者は少し考えてから、にっこり笑った。
「まあまあ、細かいことは気にしない。気にしない」
「よくないよ!!!」
「細かいこと全部無視してるから、
世界が今こんな感じなんじゃん!!!」
「どんな感じなんだよ?」
「誰も困ってないのに、
勇者だけやる気満々で、
世界は無反応で、
僕だけ違和感感じてる感じ!!!」
勇者は剣を持ち上げた。
「そんなこと言ったって、行かないと何も始まらないだろ」
「だからその“何も始まらない”って何のことなの!!」
「俺のほら、あれだよ、あれ」
「世界は!!?」
「そんなもん、考えても仕方ないんだよ」
スライムはしばらく黙った。
そして、ぷるんと小さく揺れた。
「……もういい。行こ」
「え、いいの?」
「どうせ止めても行くんでしょ?」
「ああ、そうだな」
「じゃあもうさ、横でずっとツッコむからね」
「それも仲間って感じだな!」
「全然うれしくないから!!」
勇者は、旅に出た。
スライムは、最初から一緒にいた。
村は、いつも通りそこにあった。
草原も、特に変わった様子はなかった。
世界に、目立った変化は見られなかった。
つまり、特に何も起きていない。




