ある夜這い者の手記
世間では、既に「かぐや姫」の物語が広く流布されている。姫を巡ってあれだけの騒ぎが起きたと言うのに、世の人々は貴賤を問わず、率先して、この美しい物語を受け入れている。まるで、あの出来事を全て夢物語だったと思う事にして、一刻も早く、この事件の記憶を忘れたがっているかの様に。
竹林で光る竹から現れた、身の丈三寸の娘が僅か三月で美しい姫となり、帝を初めとした世の男達を惑わせて、三年後に月へと帰って行く……。それが只のおとぎ話なら、民草や後世の者達も納得するだろう。現実にそんな事が起こる筈がないのだから。
だが、実際にそれは起きたのだ。
私は幾つかの幸運……やはり悪運と言うべきだろう……に導かれて、この事件を最も詳しく記しているとされる、かの“カグヤ異本”にも記されていない、姫の知られざる、恐るべき正体の一端に触れる事が出来たのだ。
あれから歳月が巡り、かぐや姫の物語が事件の真実を完全に覆い隠そうとしている今こそ、私はあの翁の屋敷で体験した奇妙な体験と、そして最後にこの眼でしかと見た、姫の真の姿について書き残す事には、大きな意義があると信じている。
……
私が姫の噂を聞いた時には、既に多くの若者がその身分に関わらず、せめて姫の顔だけでも見ようと翁の屋敷の周囲を彷徨いたり、大胆にも侵入を試みて警備に摘まみ出される者が続出していた。
当時は軽率で向こう見ずな性格であった私も、そうした所謂“夜這い者”の一人として、館に忍び込んだ者の一人であり、そして姫の顔を拝む事が出来た数少ない幸運に恵まれた一人であった。
夜陰に紛れて屋敷に侵入した私は、いきなり庭先で月を眺める姫を見出だした。天を見上げる姫の顔は月明かりに映えて、その名の通り輝く様に美しく、私はそのまま姫の美貌に魅入られて身動き一つせずに、ただ見とれるばかりであった。
その直後に警備の者に取っ捕まり、外に放り出されてしまったが、その日からと言うもの私は完全に姫の虜になってしまった。しかし、地位も財産も容姿にも乏しい私に姫が靡いてくれるとはとても思えず、更に五人の貴人が揃って求婚を申し込んだと聞いては、最早諦める他になかった。
かぐや姫の物語では、件の貴人達とは違う者達が名指しされており、姫が求めた宝物も“蓬莱の玉の枝”や“火鼠の裘”等とそれらしい者に差し替えられていたが、実際にはカグヤ異本に記されている通りの、更に得難く、危険な代物ばかりであった。
後から、姫の背景について調べている内に判った事だが、実際の貴人達には、世間に知られぬ神秘と魔術の徒としての裏の顔があった。彼らはその豊富な忌まわしき知識から姫の正体を察して、危険を冒しても姫の持つ深淵の秘密に近づきたかったのだ。
結局は五人共が宝物を得ること無く、宝物を護る邪悪な存在の餌食となってしまったのだが……
五人の貴人達が一人も戻って来なかったと聞いて、僅かに希望を取り戻した私だったが、今度は帝がしきりに姫に逢いたがっているとの噂を聞いて、再び絶望に陥った。
帝の真意がどこに有ったのかは、私にも判らない。単に風変わりな美姫の噂を聞き付けて、好奇心から逢われてみたくなった物か、それとも、帝も姫に関する何らかの知識を御持ちであったのか……
ともあれ、帝が近々お忍びで姫に逢われる事を、買収していた翁の家の使用人から聞いた私は矢も盾も堪らず、ある満月の夜に、翁の館に再び夜這いに入ったのである。後で判った事であったが、この夜こそが帝が姫と逢われた夜であり、私は帝と入れ違いになる形で館に侵入したものらしい。
そうした事情を知る由もない私は、以前と同様に屋敷に侵入した。果たして、庭先に居たのは呆然と月を見上げる一人の媼であった。恐らくは竹取りの翁の妻であろうと察しを付けた私は、彼女に見付からない様に、慎重に屋敷に入り込んだ。
丁度、私が入り込んだ広間から数人の話し声が聞こえたので、私は慌てて縁の下に身を隠した。下ろされた御簾の隙間からは灯りが漏れていて、そこで翁と数人の男達が何やら話している様だった。
まず、翁の声が聞こえて来た。
「これは失敗ではありません。帝は思慮深い御方です。きっと納得して下さったはず……」
翁の声を遮る様に一人が発言する。
「帝の思慮深さはともかく、お前達の浅慮の度し難さ……これまでの我々に対する協力への見返り……お前達が望んだ娘と富を贈ったと言うのに、それに飽き足らず……」
また別の声が話す。
「言ったはずだ。人間の……を……促成だから……は通常の……速度を遥かに……。あれが……で……だ後も、残った黄金で満足すれば良いものを……現世の官位に目が眩んで……子供騙し……詐術……」
再び最初の声。
「ともあれ、騒ぎが大きくなりすぎた。帝と……には後程…………するとして、我々は全ての証拠を回収……暫くはこの……を去らねばなるまい」
「お待ち下さい! そうなったら、私たちはどうすれば……」
慌てた様な老女の声。これが翁の妻か? なら、庭に居た媼は一体?
第三の声が頭上で聞こえて、思わず思考を中断する。
「月に還った……とでも言えば良かろう。光る竹の中から娘が現れたとか言う、下らない駄法螺を受け入れた知性しか持たぬ種族だ。今度も通用するだろうよ」
あとは老夫婦と謎の存在との、がやがやとした騒がしい議論が続くばかりだった。私は、その謎の存在の一種名状しがたい声色と、床下まで伝わってくる異様な気配に恐れをなして、一刻も早くここを逃げ出したかったが、せめてもう一目だけ姫に逢いたいと言う思いが僅かに勝り、私は買収していた使用人に聞いていた姫の部屋に入り、姫との対面を果たしたのだ。
そして、以前逢った時と全く変わらぬ姫の美しい顔を見た私は、すんでの所で恐怖の悲鳴を圧し殺すと、そのまま後も見ずに屋敷を逃げ出したのだった。
……後は、かぐや姫の物語と大して変わらない。結局、老夫婦と何者かとの交渉は上手く行かなかったのか、次の十五夜に……恐らく奴等が月か、あるいはそれよりも遠い天体から現れて姫を迎え入れ、屋敷から一切の痕跡を消し去ったのだろう。
翌朝、屋敷に残されたのは気絶したか一時的狂気に陥って錯乱した警備の者共と、永久的狂気に侵されて、最早何も語れなくなった老夫婦のみであったと言う。
ある筋から伝え聞いた話では、その後、帝の元に姫から、書状と何らかの贈り物……かぐや姫の物語では不死の薬と言い換えられている、カグヤ異本にすら記述が無い何らかの貴重な呪物……が届いたと言う。それが何かは不明であるが、恐らくは奴等が帝と朝廷との間に何らかの密約を結ぼうとして贈った物であった様だ。
帝は、それらを天に最も近い山の頂で、天に棲む物共に見える様に焼き捨てる事で、奴等との密約や同盟の締結を拒否する意思を示されたのだと思う。
極めて賢明な判断であったと言えるだろう。あの様な異界の物共と一時の和睦を結んだとしても、きっと待ち受けているのは、竹取りの老夫婦の様な狂気に満ちた悲惨な末路であっただろうから。
そう断言出来るのは、この私自身が、あの夜に姫の部屋で、彼女の顔を間近で拝む事によって、その正体の一端に触れる事が出来たからである。恐らく、帝も同じものか、似たような証拠を御覧になられて、姫が真に“変化の者”であったと悟られたに違いない。
まさしく、私が最後に姫の部屋で見出だした物は、褥の上に脱ぎ散らかされた衣と黒髪の鬘……そして、その上に置かれていた、美しい姫の顔と二本の腕であったからだ。