ブラックジャック
ティトラへ来て半年が過ぎた。
その日は、はじめて炭鉱の仕事が日も高いうちに終わった。昼頃、坑内で小規模の落盤事故が起きたからだ。
死者は2人。レイモンドの知らない人物であるが、いずれもベテランの鉱夫だったという。さすがにそれ以上作業を続けることはできず、その日の仕事は中止された。
炭鉱での仕事は常に死と隣り合わせである。落盤、ガス中毒、炭塵爆発。爆発事故が起これば、死者の数は100を超える。
シュタールにいた頃読んだ書籍の中に、そのような記述があったのをレイモンドは覚えていた。炭鉱労働は死亡率が高く、危険を伴う。孤児達の多くが巻き込まれたのが自分ではないことに胸をなでおろす中、レイモンドは決意を強くしていた。
ーー早く、ここから離れなければ。
事故の発生は予測ができない。復讐を遂げる前に、落盤事故で死ぬなど冗談ではなかった。
「おい、あっちで何かやってるぞ」
帰り支度をしている途中マイクが声をあげた。その声にレイモンドも思考の海に沈んでいた意識を浮上させる。
見れば、視線の先には人だかり。
炭鉱から帰ろうとした労働者達が集まり、20人程の人垣ができていた。
「行ってみようぜ」
ハリスの言葉に、3人はそちらへと足を向けた。
近づくとどうやら男達がカードに興じているようだった。人垣の間から中を覗き込むと、事務所から運び出した円卓に、4人の男が座っている。
「さ! どうする? ヒットかスタンドか?」
胴元らしき男の声に、円卓に座る3人の男達が唸っている。
「……ヒットだ」
「俺はこのままでいい」
「俺もヒット。もう一枚くれ」
興じているのは、ブラックジャック。胴元を相手に1対1で戦い、カードの合計が21に近い方が勝つという古典的なカードゲームである。レイモンドもパブリックスクール時代、遊びでやったことがある。
仲間の死んだ日に昼間からギャンブルかと、レイモンドは苦い顔になった。
「事故があったばかりなのにな」
ボソリとハリスが呟いた声は、前で見ている男の耳に入ったらしい。岩のように屈強な男は振り向くと、レイモンド達を見下ろしながら口を開いた。
「事故があったから、こんなことやってんのさ。みんな死んでたのは自分だったかもしれねぇって思ってる。今日は無事でも、明日死ぬかもしれん身だ。こつこつ穴掘るより、ひと勝負して儲けたいって思ってんのさ」
刹那的な生き方だなと、レイモンドは思う。ある種の逃避なのだろうか。辛い現実から目を背ける為に、文字通り賭けに出る。
「興味があればやってみればいい。賭け金さえ出せば、子供でもいいんだぜ」
聞けばこの賭け事は炭鉱主であるディエゴ公認だという。確かに野次馬の中にはダンの姿もある。こうしたギャンブルが労働者達のガス抜きになっているのかもしれなかった。中には大きく賭けている者もいるが、大半は小遣い稼ぎ程度の賭け金だ。
「ハリス、レイモンド。どうする?」
マイクは少し興味を引かれたようだった。そばかすの散った頬が興奮したようにわずかに赤い。
「どうするもなにも、賭ける金がないだろ?」
毎日こつこつ貯めてきた金を賭け事につぎ込むなどできない。堅実なハリスが返すと、マイクは不満そうに唇を尖らせた。
「でも勝ってる奴もいるぜ。俺達も上手くやれば勝てるかも」
「でも負けて失うかもしれない」
淡々と返すハリスに、マイクは押し黙った。レイモンドの方は、円卓の上に並ぶカードに集中していた。ひとつ思いついたことがあったのである。
ーールールはシュタールと同じなのか?
盤上に視線を走らせながら考える。
「レイモンド?」
ハリスが呼びかけるが、レイモンドは険しい顔のまま答えなかった。集中していたせいで、ハリスの言葉が耳に入っていなかったのである。レイモンドは間近にいた男にルールを確認すると、2、3度納得したように頷いた後、円卓の方に歩きだした。
「おい、どうしたんだよ?」
ハリスの声に、ちらと後ろを振り返ると「行ってくる」とレイモンドは答えた。
人の隙間を縫うように進み、人垣の1番前まで出てきたレイモンドに、胴元の男がからかい混じりに声をかける。
「お、どうした坊主? まだ席は余ってるぜ。お前もやるか?」
「ーーはい。賭け金は、これだけでもかまいませんか?」
手の中のわずかなコインを見せると、一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、胴元の男はガハガハと豪快に笑った。
「こりゃあいい! 坊主、ルールは分かるのか?」
面白がっているというより、馬鹿にした口調である。レイモンドは表情を変えぬまま、「わかります」と席についた。
小さなプレーヤーの登場に、周囲で見てる男達が面白がって野次り出す。
「坊主、金が無くなっても泣きつくなよ!」
「俺達を楽しませてくれ」
「子供に負けたら恥だぞ!」
「いやいや、意外と初心者の方が勝ったりしてな」
それらの言葉を全て無視して、レイモンドは先を促した。
「どうぞ、はじめてください」
ルールはシュタールと同じ。ならば勝てるという勝算があった。
ブラックジャックは最初に2枚のカードがプレーヤーと胴元に配られる。
カードの合計で勝敗が決まるのだ。
エースは1か11、絵札が10、それ以外はそのカードの数字で計算し、合計が21に近い方が勝ちとなる。22以上になったらその時点で負け。これだけだ。
プレーヤーの手札と胴元のカード1枚は表になっているので、それを見てプレーヤーはカードを引くかどうかを決める。
シンプルだが、札の読みが醍醐味といえるゲームである。
ゲームが開始されると、レイモンドはカードを配る胴元の手元を追った。場にはそれぞれ2枚のカードが配られている。
「さあ、ヒット? スタンド?」
胴元の言葉に、男達が考え込む。ヒットは札の追加を、スタンドは追加なしで勝負することを意味している。
「俺はこのまま」
「ヒット」
「スタンド」
「……私はヒット」
なけなしのコインを卓上に出しながら最後にそう言ったレイモンドの手元に、もう1枚カードが配られた。3枚の合計は20。いい手といえる。
プレーヤーの手札が確定した後、胴元の手札が明かされ勝敗が決まる。
胴元の手札の合計は19。
レイモンドの勝ちだった。
「くそ、駄目か!」
「坊主の勝ちか。ツイてるな」
男達の声をよそに、レイモンドは盤上に集中していた。今話しかけられたら、せっかく覚えた記憶が飛びそうだった。
「ーー坊主、続けるか?」
胴元の言葉に、レイモンドはコクリと頷いた。
それから1時間後。
レイモンドは、勝ち続けた。最初小遣い程度だった賭け金が、終盤には炭鉱でのひと月分の賃金に匹敵するほどになっている。周囲の反応も面白がるものから、どよめきに変わっていた。
ーーそろそろ引き際だな。
ひとしきり稼いだ後で、レイモンドは増えた賭け金を懐にしまった。
「私はここまでにします」
「……ああ」
やや呆然とした胴元の声を聞きながら、レイモンドは素早く立ち上がると、後ろで見ていたマイクとハリスの方へと歩み寄った。
「早く帰ろう」
あまり目立って、道中襲われてはたまらない。
足早に歩を進めるレイモンドを追いながら、マイクとハリスは興奮冷めやらぬ様子である。
「すげぇ! どうやったんだ?!」
「一体どんなからくりがあるんだ? 俺達にも教えろよ」
レイモンドが勝った秘密を知ろうと、2人が口々に問いかける。レイモンドは周りに聞かれていないことを確認すると、口を開いた。
「ズルはしてない。カウントしただけだ」
「カウント? なんだそれ?」
ブラックジャックにおける戦略のひとつである。場に配られたカードを瞬時に計算し、残った山のカードを推測するのだ。未使用のカードがプレーヤーに有利なら大きく賭け、不利なら小さく賭ける。カードの引き方もカウントによって決める。確率と統計からカードを"読む"のである。
レイモンドの説明にハリスが首をひねった。
「え? つまりテーブルにあったカード全部覚えたってことか?」
その問いに、レイモンドは小さく頷いた。正確には、それまで出てきた全てのカードを覚え、計算したのであるが。
「私が思いついた技じゃない。元々そういうテクニックがあるんだ」
言い訳のようにそう言うと、マイクが呆れた顔をした。
「変な奴だと思っていたが、ここまで変な奴だとは思わなかった」
「やり方が分かっても、真似できねぇな」
ハリスからもそう言われレイモンドは肩をすくめた。
「計算を覚えたら、そのうち2人もできるようになるさ」
お返しのようにそう言うと、マイクとハリスが途端に苦虫を噛み潰したような顔になった。
3人で暮らしはじめてから、夜のわずかな時間を使ってレイモンドが読み書きと算術を2人に教えているのだ。貧民街の子供は自分の名前さえ書けない。その事実を知った時、レイモンドから2人に提案したのだった。
『読み書きを覚えておけば、将来絶対役に立つ』
『文字が読めなきゃ自分達に不利な契約を結ばれても気づけないだろ?』
『釣り銭をごまかされることもなくなるぞ』
こんこんとそう言い聞かせ、2人を説得してしまった。2人とも文句を言いつつも、新しい知識を覚えることは嫌ではないようだった。
その日の食事は、いつものパンに干し肉とチーズが加わった。普段より豪華な食事。今日勝った分は、3人で山分けした。「いいのか?」とマイクから何度も確認されたが、「私達はチームなんだろう?」と返せば、2人は嬉しそうにそれを懐にしまった。
「思ったより早く、ボリスに行けるかもしれないな」
マイクの声が弾む。
2人の夢は金を貯め、内陸部の街ボリスへ行くことなのだ。そこに行けば仕事があり、人々はいきいきと暮らしているのだと、以前マイクが言っていた。ボリスの支配者でもあるメイソン・マックスウェルは聖人のような人物で、市民から慕われているという。
眉唾ものの噂だとレイモンド自身は思ったが、マイクとハリスは違う。貧民街での生活から抜け出し、ボリスへ行くことが彼らの目標であり、夢なのだ。
ボリスをこの世の楽園のように語る彼らに、レイモンドは何も言えなかった。
2人にとってはそれが大きな心の支えになっているのが分かるからだ。自分にとってのソフィアがそうであるように。希望がなければ、人は生きられない。
それで目下レイモンドの目標も、2人とともにボリスへ行くことになっている。メイソン・マックスウェルはシュタールでもその名を聞く大富豪。ボリスへ行けば、何かしらのチャンスが転がっているかもしれない。
その日は、久しぶりに空腹を感じることなく眠りについた。
翌日、いつものように炭鉱に集合したレイモンドを、現場監督のダンが呼び止めた。
「待て。昨日カードをやっていたのはお前だな?」
瞬時に厄介な人間に目をつけられたと警戒したレイモンドだったが、予想外にダンから手渡されたのは、分厚い帳簿であった。
「……これは?」
伺うようにダンを見上げれば、「読んでみろ」と高圧的な言葉が返ってきた。レイモンドは言われた通りパラパラと帳簿をめくる。どうもこの炭鉱の会計帳簿のようだった。
「お前これが何かわかるか?」
「帳簿のようですが……」
「そうだ。ここからここまで計算できるか」
ダンが指差したのはこの炭鉱の収支に関連する数字だった。こんなものを自分に見せてもいいのかと訝りつつ、レイモンドは数字の羅列に目を通す。
「ペンと紙をお借りしても?」
ダンから差し出された筆記具を受け取ると、レイモンドはさらさらとそこに答えを書きつけた。それを見てダンが更にレイモンドに問う。
「お前、もっと複雑な計算もできるか?」
「どこまで高度な計算を求められているのかにもよりますが。一度教えていただけるのでしたら、できます」
「実は経理をしてる人間が1人辞めて困ってる。代わりを見つけろと言われても、俺はこういうのは苦手だしな」
ダンの言葉を聞きながら、話が見えてきてレイモンドは内心ホッとした。どうやら昨日のブラックジャックを見て、別の意味で目をつけられたらしい。ということはダンはレイモンドがカウンティングをしたことに気づいたのか。数学は苦手でも、この男は目ざといのかもしれない。
「できるならお前を経理に移す。賃金もあげてやろう」
「やります」
ダンの言葉に、レイモンドは即答した。これはチャンスだ。できるかできないかではない。やるのだ。
「早速今日からだ。事務所の中へ行け」
指示された建物に入ると、皺だらけの老人が待っていた。レイモンドには年齢の判別が難しいが、60近いのではないだろうか。聞けば彼が経理責任者だという。
「レイモンドといいます。宜しくお願いします」
「貧民街の子にしては行儀がいいね」
ローガンと名乗った老人は、簡単な挨拶を済ませると早速仕事の説明に入った。
初日は久しぶりに頭を酷使した感覚があった。ローガンは身体は老いているものの、頭脳は明晰。レイモンドへの教え方も簡潔で、仕事には厳しい人物だったが、理不尽を強いる人物ではなかった。
朝の5時から夜の10時まで、経理以外の雑用も含めて労働時間は変わらなかったが、それでも肉体労働と知的労働では随分違う。新しい知識を一つ一つ覚えていくのは、パブリックスクール時代を思い出して楽しかった。
ローガンのおかげで帳簿のつけ方だけでなく、財務諸表の読み方も学んだ。知識を身につけるのは好きなのだ、とレイモンドは思った。
マイクとハリスは1人経理に異動したレイモンドを見ても羨む素振りはなく、「やるじゃないか」と自分の事のように喜んでくれた。
「俺達はまだ文字もまともに読めないし」
お前のやってる仕事は俺達には無理だから、とハリスは笑った。
そうして1ヶ月が経ち、新しい仕事にも慣れ始めた頃。
事件は起こった。
ある日、レイモンドが帳簿をつけていると、凄まじい叫び声が聞こえてきた。ーー子供の声だ、とレイモンドは思った。叫び声はなかなか止まず、建物の中にいてもつんざくような声が聞こえる。
「すみません。ちょっと見てきます」
ローガンに断って外に出ると、耳に届く音は大きくなった。
声のする方へ走って行くと、鉱夫達が遠巻きにどこか一点を見ている。その視線の先を追うと、そこにいたのは炭鉱主であるディエゴともう一人、尻もちをついて叫んでいる子供が見える。
ーーあの子は。
レイモンドは眉根を寄せた。
「やめろぉ! くるなぁ!」
子供は狂ったように手足をバタバタと動かしながら、まるで悪魔を見るような目でディエゴから後ずさる。絶叫とも奇声ともつかぬ叫びを上げていたのは、ライアンだった。




