表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/110

作戦会議

電炉でんろ建設?」

「ええ。シュタール初の電炉です」


 ずいっとテーブルの前に身を乗り出して、アンドリュー・バーチと名乗った男は、オズワルドの瞳をのぞき込んだ。浅黒い肌に、ぎょろりとした大きな瞳。魚類を思わせる瞳を更に見開き、つばが飛びそうな距離まで顔を寄せたアンドリューに、オズワルドは思わず身を引いた。


「よく分からないのだが、その方法は画期的なのか?」

「勿論です。かのメイソン・マックスウェルはこの電炉法によって、独占状態にあった鉄鋼業界への参入を果たし、巨万の富を築いたのですぞ」

 

 バスカヴィル家の応接間で、男の説明にオズワルドは真剣に耳を傾ける。話の内容の半分もわからなかったが、この男の話が、起死回生のチャンスになるかもしれないからだ。

 5日前、レイモンドに銀行家を紹介してもらえないかと頼んでから、事態は思いがけない方向に進んでいる。依頼をしてからわずか2日後、レイモンドはある人物を連れてバスカヴィル家を再び訪れた。


『父の知り合いの銀行家で、トーマス・ブルームさんです』


 トーマスは自らをシュタール中央銀行の頭取だと名乗った。最初にその肩書を聞いた時は、唖然としたのを覚えている。

 シュタール中央銀行は、国内トップの規模を誇る。トーマスは金融界の大物だった。


『レイモンド君の頼みとあれば、断われないからね。とりあえず話を聞くだけでいいというから、押し切られてしまったよ』


 丸々とした顔に口髭を蓄えたトーマスは、オズワルドと握手を交わしながらにやりと笑う。顔と同様ふくよかな体型は、贅のかぎりをつくした食生活の賜物に違いない。

 トーマスを前に当座の窮状を脱するため、金を借りることはできないかと口にしたオズワルドに、彼は少し渋る素振りを見せた。


『私としても力になりたいのですがね。こちらも商売ですから、私の一存で決めるわけにはいきません。失礼ですが、どのように返済するのか具体的な計画はおありでしょうか?』

『それは……』


 言葉につまったオズワルドに、トーマスは事情を察したように顎をさすった。


『そうですねぇ……これは提案ですが、銀行から金を借りるより、投資をされては?』

『投資、ですか』

『ええ。バスカヴィル卿にはそちらの方があっているのではないかと。元手を失うリスクはありますが、上手くやれば投資額の何倍ものリターンが得られます。利益が出れば、返済義務もないですからね。実際、裕福だといわれている貴族の多くは投資によって財産を増やしていますよ』


 投資で資産を増やした貴族を何人も知っている、とトーマスは言う。

 

『資産を増やす方法としては、非常にオーソドックスなやり方です』

『しかし俺には投資の知識などないが』

『それでしたら、仲介を生業にしている人間を何人か知っています。紹介状を書きますから、一度話を聞いてみては?』


 その会話をした翌日には、トーマスから手紙が届き、約束通り数名の仲介業者を紹介された。目の前に座るアンドリューは、その内のひとりである。

 何に投資をすればいいのか、と尋ねたオズワルドに、電炉建設の話が水面下で進んでいるとアンドリューは答えたのだった。


「電炉は高炉の10分の1のコストで建てることができる、高効率の製鉄方法なのです。メイソン・マックスウェルも最初は、この電炉によって、独占市場であった鉄鋼業界でシェアを奪ったことはご存知ですかな。彼の会社は今や技術力を背景に高炉でも成功をおさめている。まさに鉄鋼業界の巨人です」


 その再現をシュタールでやるのです、と力説するアンドリューの鼻息は荒い。熱弁をふるう彼の話術に、徐々にオズワルドは引き込まれていく。


「高炉は一度火入れをしたら最低でも10年は操業を続けねばなりません。投資額の回収までには、膨大な時間がかかるという弱点がある。対して電炉は高炉と比べて効率が遥かにいいのです。ライバルができやすいというデメリットは、ありますがね。ですから、"最初のひとり"になることが重要です」

「と、言うと?」

「後追いでは遅い、ということですよ。電炉の可能性については、国内ではまだ誰も気づいていません。投資をするなら今です」


 電炉の魅力を熱心に説くアンドリューの言葉には、説得力があった。

 1時間も話を聞けば、オズワルドはすっかりその気になっていた。


「魅力的な投資先だという事は分かった。だが、その電炉だって利益を出すまでには時間がかかるのだろう?」


 唯一の懸念は、オズワルドにはあまり時間がないということだった。収益があがるまで何年も悠長に待つ余裕はない。


「まあ、高炉と比べて短期間とはいえ、それなりの時間はみてもらいませんと」

「それでは遅い。すぐにでも金になる投資先はないのか」

「すぐに、ですか。これはまた、難しい事をおっしゃる」


 ううむ、としばらく考え込んだあと、アンドリューは「でしたら」と、口を開いた。


「2週間後、電炉建設を新聞で大々的に発表する予定があります。そうなれば投資家はこぞって株を買い漁るでしょう。その時、株を売っては?」

「株価が釣り上がったところで売るわけか」

「ええ。電炉建設発表前に株を買い、発表後株価が上がったところで売るのです。長期的に保有していた方が更に利益になるのは確かですがね。この方法でもそれなりに儲かるはずです」

「なるほど。……だが、そんなにすぐに売ってもいいものなのか?」


 オズワルドにとってはこの上ない儲け話だが、少し話がうますぎるという気もした。探るような視線を投げかけたオズワルドに、アンドリューは豪快に笑う。


「トーマスさんの紹介ですから、今回は特別です」


 元手があれば自分で投資したいくらいですよ、とアンドリューは言う。

 最終的にオズワルドは、この男を信じた。いずれにせよ、何か手を打たねば落ちるだけなのだ。ここのところギャンブルの負けが込み、のっぴきならない状態になっている。ならば、一発逆転を狙うのも悪くない。


「投資額が多ければ多いほど、見返りも大きい。2週間後の新聞発表がリミットです。それまでにできるだけ資金を集めてください」

「ああ。分かっている」

 

 バスカヴィル家の保有する資産のうち、まだ手を付けていないものがある。シュタール東部に位置する、バスカヴィル領。あの土地を担保にすれば、相当な額の金を集められるだろう、とオズワルドは頭の中で計算する。


「ぜひ今後とも長いお付き合いを」

「ああ。こちらこそ」


 アンドリューから差し出された手を、握り返す。にぎられたその手は、思いのほか強かった。


 ***


「じゃあ、あのレイモンド・マックスウェルが、いなくなったソフィアの婚約者かもって言うの?」


 緑の瞳を丸くして、ヴァネッサは声をあげた。雲ひとつない春の午後。隣に座る友人に、ソフィアは小さく頷きを返した。

 オールドマン家の庭園で、4人の男女が芝生の上に車座になっている。4人はそれぞれソフィア、ヴァネッサ、クリス、ヘクターである。

 この日、ソフィアは3人を屋敷に招いていた。友人である彼らに、これまでの事を打ち明けるためである。

 

「そうかもしれないっていうだけなの。証拠と呼べるものもなくて」


 荒唐無稽な事を言っている自覚はあった。グウィンと同じ黒曜石の瞳や、年齢の一致。劇場でレイモンドがトビーの事を見ていたこと。トビーがバスカヴィル家の事件について、何かを知っていそうだったこと。

 それらの事象をつなぎ合わせて、レイモンドはグウィンではないかと以前にも増してそう思うようになっている。少なくとも彼はグウィンと何か関係があるのではと、そう疑っているのだ。


「そんなに似てるのか? なら一度見てみたいな」


 口を挟んだのは、ソフィアの向かいに座るヘクターである。彼の右隣にはクリスがいる。


「私は一度会ったことがあるが、彼がグウィンだとしたら、正直昔の面影はないぞ。雰囲気がグウィンとは全く違う」


 ヘクターの方へ顔を向けて、クリスが自身が感じた印象を説明する。3人の方を見ながら、ソフィアは口を開いた。


「私の言っていること、笑わないで聞いてくれてありがとう。自分でも変な事を言っているのは分かってるの」

「まぁ、今のところ否定する材料もないしな。気にするな」

「たとえソフィアの勘違いでも、調べてみる価値はあるんじゃないか?」

「そうよ。そう言えば、セオドアおじ様は何て言っているの?」


 ヴァネッサとヘクターはこれが初対面である。互いの紹介を済ませ、これまでの経緯を説明する間、彼らは真剣に耳を傾けてくれた。グウィンのことを知らなかったヴァネッサははじめ驚いた様子だったが、話を聞き終えると「ソフィアが男の人に興味を持つなんて珍しかったから、不思議だなとは思ってたのよね」と納得したように何度も頷いていた。

 唯一、死者を見る力の事は伏せた。話せばレイモンドの話どころではない。ソフィアの正気が疑われかねない内容だからだ。


「お父様の話だと、3年前メイソン・マックスウェルが養子にしたのは、確かにレイモンドという名前の少年らしいの」

「社交界に出回っている噂は、事実だということか?」

「この国に現れたのが本当にメイソンの養子のレイモンドなら」

「……偽者の可能性があると?」

「お父様はその可能性もあると、考えているみたい」


 5日前ハイゲート墓地から戻ったソフィアを、セオドアが待っていた。レイモンドに関する調査報告が届いたのである。


『確かにレイモンドという名の青年は、ティトラにいたようだ』


 そう言ってセオドアは手元のファイルに視線を落とした。セオドアが人を使って調べた結果、メイソンの養子はレイモンドという名で間違いないという。ティトラでは、彼は他国へ留学中という触れ込みになっている、とセオドアは続けた。では噂は真実だったのかと聞き返したソフィアに、「まだわからない」とセオドアは首を振る。


『レイモンドという青年は実在するようだが、それがエルドの社交界に現れた男と同一人物かは確証が持てない』

『どういうことです?』

『この国に現れた男は、レイモンド・マックスウェルの名を騙る偽者の可能性があるということだ』

 

 セオドアの説明に、ソフィアは困惑した。


『わざわざ別人になりすます必要があるのでしょうか』

 

 何のために、とソフィアは首をひねる。あまりに回りくどいやり方のように思えた。


『メイソン・マックスウェルが経営するティトラ・スチールは世界的な大企業だ。マックスウェルの名を騙るメリットはいくらでもあるさ。現にあの噂が出回って、彼はただの学生とは思えないような扱いを受けている。この国の有力者達が群がる状況を見れば、ソフィアにも理解できるだろう?』


 セオドアの言葉に、ソフィアにもいくつか思いあたることがあった。令嬢達の熱い視線ばかりではない。名だたる有力者達が、レイモンドと縁を持とうと虎視眈々と夜会で機会をうかがっていたのだ。

 

『彼自身はマックスウェル家とは無関係だと言っているそうだな。それも、いざという時言い逃れできるようにするためかもしれない』


 裏で噂を広げ、本人はマックスウェル家との関係を否定する。たとえ本人が否定したとしても、一度火がついた噂は簡単には消えないものだ。

 そうしてマックスウェル家の御曹司だと信じた人々が殺到し、それが更に噂に真実味をもたせることになる。


『お父様は、彼がこの国の人々を騙しているとお考えなのですか?』

『可能性の一つとして考えているだけだ。彼が何者か判断するには、まだ情報が足りない』


 話を聞き終わった後、ソフィアもハイゲート墓地での出来事を口にした。トビーの事を調べたいと言ったソフィアに、セオドアは否定的だった。


『駄目だ』

『どうしてです。彼は何かを知っている様子でした』

『それはソフィアの勘だろう? 事件に関わっている明確な証拠がない限り、力は使わない約束だ』

『でも』

『直感は証拠とは言えないよ、ソフィア。お前にも分かるだろう』

『……はい』


 しゅんとうなだれるソフィアに、セオドアは声をやわらげた。


『慎重に行動しなさいソフィア。たとえ力があったとしても、お前自身は生身の人間なのだから。もしソフィアが私の言葉に納得ができずに隠れて力を使っても、私には気づくことができないだろう。だからこそ、自分の行動がもたらす結果をよく考えて欲しいんだ』

『……はい』

『ソフィアももう大人だからね。できるだけお前の意思を尊重したいとは思っている』


 話は終わったからもう行っていいという言葉に、気落ちしたままソフィアは部屋を出た。それが5日前の出来事である。


「それで、私達は何をすればいいんだ?」


 顎に手を当てながら、クリスが今日呼び出された理由を尋ねた。彼の色素の薄い茶色の髪がさらさらと春風になびいている。


「レイモンドという人物について、もう少し調べたいの。まずは、彼がエルド大学に本当に在籍しているのか確認したいと思ってる」


 クリスとヘクターはエルド大学の学生である。大学でレイモンドの事を調べてもらえないかと頼んだソフィアに、二人は了承の意を示した。


「分かった。やってみよう」

「ありがとう。ごめんね、こんなことをお願いして」

「グウィンに会いたい気持ちは、私達も同じだ。だから、謝るな」


 ヘクターの言葉に、ソフィアはもう一度「ありがとう」と繰り返した。

 レイモンドは本当にエルド大学の留学生なのか。彼がこの国に来た経緯に、不審な点はないのか。

 まずはそれを調べることが、今は1番安全な方法のように思えた。バスカヴィル家の事件を調べるということは、殺人事件の犯人に近づくことと同義でもある。仮にトビーが犯人なら、うかつに調べ回るのは危険だという気がした。その点レイモンドは年齢からいっても、犯人像からは除外されるだろう。


「ねぇ、ソフィア。もし、彼がソフィアの婚約者なら、その後はどうするの?」

「その後?」

「彼の正体がグウィンという人だったとして、今は別人の名前を名乗っているわけでしょう。それって何かやましいことがあるからじゃない?」


 普段率直なヴァネッサが、躊躇いがちにソフィアを見る。言いにくそうに投げかけられた問いに、ソフィアは返答に窮した。


「生存を誰にも知らせず別人のふりをして帰ってくるなんて、どう考えても普通じゃないわ。ソフィアはそんな人と婚約関係を続けるの?」

「グウィンは悪い人間じゃないわ。ーー優しい人なの。とても」


 家族思いで、不器用だけど、とても優しくて。そして、深い哀しみを抱えていた。いつかグウィンが戻ってきたら、自分が彼を幸せにするのだと、そう思ってきた。

 もう一人ではいかせない。グウィンの傷が癒えるまで、何年かかっても、ずっとそばに居続けよう。そしていつか彼が心穏やかに過ごせる日々が来ればいい。


『ーーバスカヴィル領で穏やかに過ごす未来を、私は想像するようになりました』


 グウィンが口にしたあの未来がソフィアの心の拠り所だった。

 心配そうにソフィアを見つめるヴァネッサに口を開こうとして、けれど言葉は出てこない。

 この5年でソフィアが変わったように、グウィンもまた変わっているのかもしれない。生きているのか死んでいるのかも分からない。生きていたとして、グウィンはソフィアの元に帰ってくる気があるのだろうか。あの頃と同じ願いを今も変わらず持っているとどうして言える?

 固まったソフィアに、ヴァネッサは申し訳なさそうな顔になった。


「ごめん。その人の事を悪く言うつもりはなかったの。ただ、可能性の一つとして、彼が自分の意志で戻ってこないこともあると思って」


 全ての真実が白日の元に晒される日が来ても、グウィンは戻ってはこないかもしれない。もしグウィンが、それを望んでいなければ。


「ーーそうだとしたら、ソフィアはどうする?」


 答えられなかった。その答えも、その可能性に向き合うだけの覚悟も、まだソフィアは持ってはいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ