ロイの正体
「馬鹿な。ありえん」
「しかし彼は確かにマックスウェル家の人間です」
信じられないというように、イライアスは顔をしかめた。
フェラー家の書斎に呼びつけられた秘書のポールは、淡々と調査報告書を読み上げていく。
「赤銅色の髪に黒の瞳、身長や体格もティトラで調べた結果と一致します。養子という触れ込みですが、実はメイソンの隠し子だという噂も」
不機嫌そうなイライアスを前にしても、ポールは動じない。冷静なポールの顔を見て、イライアスの頭も徐々に冷えていった。
「ーー奴が本物だという証拠は?」
「エルド大学の学長に確認をとりました。彼はティトラでマックスウェル親子に会っています。彼がレイモンドという青年の身元を保証しました」
イライアスは顎に手を当てて、じっと考え込んだ。そんな偶然がありえるのだろうか。アリシアの連れてきた男が、たまたま世界的富豪の御曹司などということが。
だが今のところ、あの男がペテン師であることを示唆する材料はない。
万一彼がマックスウェル家の人間ならば、イライアスの計画は抜本的な見直しを迫られることになる。イライアスは揺れていた。
「アリシアはどうしている?」
「不安そうにされています」
午餐会にレイモンドを招いて以降、あれこれと理由をつけてアリシアとレイモンドを近づけぬようにしていた。男と女だ。いつどんなきっかけで間違いがあるか分からない。レイモンドを詐欺師だと思っていたイライアスにとって、それは当然の判断だった。
だが、レイモンドが本当にマックスウェル家の人間ならば。その前提は根底から崩れることになる。
彼が本物か否か。
レイモンドを偽物だと糾弾して、後で本物だとわかった場合、イライアスは大きなチャンスをふいにすることになる。それどころか、マックスウェル家を敵に回すことにもなりかねない。
安易な判断は危険だった。
「もっと他の、奴がマックスウェル家の人間だという証拠を集めるんだ。アリシアには手紙を書くことは許すと伝えろ」
「承知しました」
今のところできるぎりぎりの妥協点である。直接会わせなければ、滅多なことはあるまい。ポールの報告を聞き終えて、イライアスの胸中には、迷いが生じていた。
これまでレイモンドの正体を暴いた後の事ばかりを考えていたが、本物だった時の事も考えておかねばならないだろう。即ち、アリシアとの結婚を許すのかという問題である。未婚の男女が揃って夜会に参加しているのだ。レイモンド方もまんざらではあるまい。
だが、結婚を許せばアリシアを手放さざるを得ない。一人娘を別大陸に嫁がせるなど、想像だにしていなかった。イライアスにとって世界でただひとり心から信頼の置ける、愛情の全てをそそいできた愛娘である。すぐに結論は出なかった。
「……どうするか」
漏れた声は、珍しく憂鬱さが滲んでいた。
***
この日ソフィアは、ホテルで催される夜会に出席していた。レイモンドからもう会う気はないと言われた日以来、はじめてのことである。本当はあまり気乗りしなかったが、もう既に招待状に参加すると書いて送った後だったのだ。
例によって、今日もエスコートは長兄のケニーである。レイモンドが参加するという噂のある夜会にばかり出席の返事を出していたため、会場にはレイモンドの姿もある。ソフィアは遠くで談笑するレイモンドの姿をぼんやりと眺めた。レイモンドの方はソフィアの存在には気づいていないらしく、年上の男性と笑顔で言葉を交わしている。その光景を見ながら、無意識に溜息がこぼれた。
「ソフィア、元気がないようだが大丈夫かい?」
「はい。大丈夫です」
一度拒絶された相手と同じ空間にいるのはどうにも居心地が悪いが、仕方がない。ソフィアは兄に笑顔を向けた。
「そうか、ならいい。私は少し商談してくる。後で合流しよう」
せっかくだから楽しんでこいよ、とケニーはそう言ってソフィアの元を離れる。
エスコートしてくれた兄には悪いが、今日は壁の花になろうと決めていた。壁際に移動しようとして、後ろからソフィアを呼び止める声に振り返ると、小柄な老人が目の前に立っていた。
「あら、こんばんは。ロイさん、奇遇ですね」
「こんばんは。お嬢さんもここに来ていたとは」
最近よく会いますねぇ、と目を細めたのは街で出会ったロイという名の老人だった。薄くなった髪を後ろになでつけ、きっちりと正装している。初対面では、どこかの店のご隠居さんかと思ったソフィアだが、こうした場で会うと威厳のようなものが加わり、随分と印象が変わった。
「先日の降霊会でも会いましたな。あの日はなかなかいいものが見れました」
「はい。なんだか驚いてしまって……ロイさんはああいった場によく行かれるのですか?」
「ええ、しょっちゅうです。前にも少し言いましたが、私はエレン・ラングレイのファンでしてね」
その言葉に、エレンには有力者のパトロンがついている、と言ったヴァネッサの話を思い出した。ロイはそのパトロンのひとりなのかもしれない。
「ああそうだ、もし興味があるなら今度彼女を紹介しますよ」
「え?」
「なかなか一対一では会えない女性だが、私と一緒なら問題ないでしょう。私はよく彼女に占ってもらっていてね。エレンの言葉は実によく当たるのです。お嬢さんも一度占ってもらうといい」
愛嬌のある顔で笑いながら、ロイはソフィアを見る。
エレンは初めて出会ったソフィアと近しい力を持つ女性である。本音を言えば、一度じっくり話してみたいと思っていた。ロイの提案はソフィアにとっては心動かされるものがあるが、同時に躊躇う気持ちもあった。
迷う素振りを見せたソフィアを誘うように、ロイは続ける。
「迷惑じゃないかと考えているのなら、気にする必要はありません。実は明日彼女に占ってもらう予定でね。連れがひとり増えても、嫌がる女性じゃないですよ」
「ですが……」
「何か他に心配な点がありますかな」
「ロイさんがどうこうというんじゃないんです。でもあまり知らない方と出掛けるのは……」
なにしろ慎重になれと言われたばかりだ。よく知らない人間と行動を共にするのは、浅慮というものだろう。
「なるほど。あなたのような若い女性なら警戒するのは当然ですな」
声をたてて大笑いしたロイに、ソフィアは縮こまった。
「ごめんなさい。せっかくの申し出なのに」
「いや、私も配慮に欠けていた。残念だが、今回は諦めよう」
何が楽しいのかロイは先程より機嫌がいい。誘いを断ったのになぜだろうと、ソフィアは内心首をかしげたが、ロイは「今日は退散しますよ」と言い置いて去ってしまった。
ロイがいなくなって、ソフィアはまた一人になる。と、直後に背後から名前を呼ばれた。
「ソフィア!」
振り返ると、つい先程商談があると話していたケニーである。血相を変えて駆け寄ってくる兄を見て、ソフィアはびっくりした。一体、何事だろう。きょとんとした表情のソフィアを見て、ケニーは安堵した顔になった。
「大丈夫か? ソフィア、何もされてないか?」
「ケニー兄様、どうしたんです」
「それはこちらの台詞だ。ソフィアこそあの男に何か言われてないか」
「あの男?」
ロイのことだろうか。特に何もされていないが、この兄の慌てぶりはどうしたことか。
「気づいてないのか。さっきソフィアが話していたのは、ロムシェル・バーシルトだ!」
「ーーえ?」
瞬時に意味を理解して、すうっと血の気が引いた。
名前だけならば、よく知っている。父セオドアの、不倶戴天の敵である。
「でも、彼はロイと名乗りましたが」
「偽名まで使ったのか。あの男に何を言われた?」
「先日の降霊会のことを。それに、エレン・ラングレイを紹介すると」
「ソフィアに近づいて、一体何を企んでる」
青ざめたソフィアの顔を見て、ケニーは落ち着きなく周囲を見回している。こんな兄の姿を見ることは滅多にない。それだけ気が立っているのだ。
「ソフィアに近づいて来るとは想定外だな。今日はすぐ帰ろう」
「でも、商談はまだ途中では?」
「それどころじゃないさ」
いいからとソフィアの手を取って歩きだしたケニーに、ソフィアも遅れずについていく。
手を引かれながら、ソフィアは口を開いた。
「でもよくわかりましたね」
「ああ、ロムシェルと話していたことか?」
一度商談に入ったら、普段は1時間は戻ってこないのに。不思議に思って尋ねたソフィアに、「教えてくれた青年がいてね」とケニーは言った。
「青年?」
「ああ」
ケニー達が話している所に、声をかけた者がいたのだという。「最初は会話に割って入られて、少しムッとしたがねーー」とケニーは話し始めた。
ケニーの商談相手は、ウィル・バセットという男で、その青年はウィルに挨拶に来たようだった。
『バセットさんじゃないですか。お久しぶりです』
『おや、レイモンド君。君から挨拶に来てくれるなんて珍しいんじゃないか?』
『そんな不義理をしていましたか? それは、すみませんでした。お見かけしたので、ご挨拶をと』
肩をすくめたレイモンドに、ひとしきり嫌味を言った後で、満足したのかウィルはケニーを紹介した。
『ああちょうどいい。紹介しよう。ケニー・オールドマン君だ。彼の実家は有名な鉄道会社でね』
『ケニー・オールドマンです』
『はじめまして、レイモンド・マックスウェルといいます。妹さんと目元が似ていますね』
『おや、ソフィアをご存知ですか?』
驚いて尋ねると、レイモンドは静かに微笑んだ。
『先日の夜会で少し話しました。そういえばさっきお見かけしましたよ』
『ああ、商談中は自由にしていいと言ってありますから』
『それでかな。バーシルト家の方と一緒にいましたが』
その一言に、一瞬でケニーの顔が青くなったのは言うまでもない。すぐにソフィアの姿を探すため、戻ってきたのだという。話を聞きながら、ソフィアの胸に湧き上がったのは、形容し難い感情だった。
ーー助けてくれようとした?
もうソフィアと関わる気はないと言っていたのに。彼の行動が偶然であるとは思えなかった。結果的に何もなかったが、ロムシェルの誘いは確かに心ひかれるものがあったのだ。
その時、ソフィアの胸に去来したのはある願いだった。
ーーグウィンだったらいいのに。
はじめて、そう思った。レイモンドがグウィンかもしれない、という憶測ではなく、グウィンであればいいのにと。2度ソフィアを助けてくれた。彼がグウィンであったらいいのに。
心臓がトクトクと音を立てている。じんわりと顔が熱くなっていくのが分かった。先ほどまで青ざめていたソフィアの頬は、今はうっすらと朱に染まっている。この胸の高鳴りがレイモンドに対してのものなのか、グウィンに対してのものなのか、ソフィア自身にも分からなかった。




