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ハイゲート墓地

 ソフィアが部屋に入ると、セオドアはペンを動かす手を止め顔を上げた。


『どうした?』


 扉の前から動かないソフィアにセオドアが問いかける。ぐっと手に力を入れると、ソフィアは口を開いた。


『グウィンのことで、お話があります』


 そう言うと、一瞬にしてセオドアの表情が険しいものに変わる。探索は遅々として進まず、最近はソフィアが父親の前でグウィンの名を口にすることもなくなっていたから、なぜ突然と不審にも思うのだろう。セオドアは手にしたペンを脇に置くと、ソフィアに座るよう促した。


『話を聞くから、座りなさい』


 部屋の隅に置いてあった肘掛け椅子をセオドアの前に移動させ、ソフィアはそこに腰を下ろした。「それで?」と先を促すセオドアに、ソフィアはこれまでのことを慎重に説明する。死者の力を借りてグウィンの行方を追っていること。そのために情報を集め、時に売っていること。セオドアに見つからぬよう、全てはソフィアの私室で行われていたこと。

 話を進めていく内に、セオドアの顔色はみるみる悪くなっていった。


『なんて危険なことを……! 彼のことを探すのはよせと、そう言っただろう!』


 強い叱責に、思わずびくりと肩が震える。けれどソフィアも引く気はなかった。


『隠していたことは、申し訳ありません。……でもこの力があって、何もしないなんて無理です』

『ソフィア!』

『お父様に話したのは捜索をやめるためじゃありません。そうじゃなく、力を貸して欲しいんです』

『そんな話を聞いて認められるものか!』


 張り上げた声が廊下にまで響き、ダイアナが驚いた表情で書斎に顔を出した。「ドアの外まで聞こえてるわよ」と目を丸くするダイアナを、ソフィアは真っ赤な顔で振り返った。

 握りしめた手を小刻みに震わせ、顔を赤らめた愛娘に、ダイアナは困惑を隠さない。


『一体何があったの?』


 書斎に足を踏み入れたダイアナはセオドアとソフィアの顔を交互に見ると、「二人とも顔が恐いわね」と苦笑した。事情は分からないが父娘おやこ喧嘩とは、この二人には珍しいことだった。

 ソフィアはどちらかと言えば聞き分けの良い子供で、反抗期らしい反抗期もない。両親の言いつけをよく守り、叱りつけたことなど皆無といっていい。思春期の娘であれば親に反抗するのは自然なことだが、ソフィアにその様子は見られない。ソフィアが感情の高ぶりを表に出すことは滅多にないことであったが、これはむしろ喜ぶべきことなのかもしれなかった。

 そう考えて少し心に余裕のできたダイアナは、自身もソフィアの隣に椅子を並べると腰を下ろした。


『さ、私も話に混ぜてちょうだい』


 ダイアナが微笑むと、ソフィアは強張らせていた肩から僅かに力を抜いて、深く息を吐き出した。

 セオドアは恐ろしい顔でソフィアの方を見つめたまま、イライラと指で机の上を叩いている。ソフィアは先程父にしたのと同じ話を繰り返した後、懇願するように言った。


『彼の行方を追いたいんです。この力を迷惑をかけずに使うのに、お父様の助けが必要です。お父様ならそれができるでしょう? この力をオールドマン家の為に使いますから、どうか力を貸してください』

『駄目だと言っている。聞き分けなさい』

『……どうしても許してくれないというのなら、私は一人でもやります。この家を出てでも、彼のことを探します』


 唐突な家出宣言に、セオドアは「馬鹿を言うな!」と再び声を荒げる。

 ソフィアはきゅっと唇を結んだまま、ずっと握りしめていた書類をセオドアに差し出した。それを受け取りながら訝しげに「これは?」と目線で問うセオドアに、ソフィアは書類に書かれたリストを指し示した。


『ティム・タイラーという人物の行動記録です。彼はセントラル鉄道の情報を、北部シュタール鉄道に売ろうとしています』


 ずっと考えていた言葉を、ソフィアは切り出す。それだけで、セオドアはすぐに意味を理解したようだった。その表情が、さっと曇る。

 ひと月程前、協力者である霊が偶然知った情報である。怪しい行動をしている男がいると、ソフィアに耳打ちしてきたのだ。

 調べると男の名はすぐに分かった。ティム・タイラーという名の、設計技術者である。彼から目を離さないようにと、監視を続けて一ヶ月。くだんの男が北部シュタール鉄道の幹部と連絡をとっている、と死者から報告があったのが昨夜。

 この事はセオドアを説得する材料になるのではと、ソフィアは思った。


『彼は会社の機密を売るつもりです。……この力を使えばオールドマン家を陥れようとしている者の罪を暴くことができます。お父様ならこの力の使い道を、私などよりずっと分かっている筈でしょう?』

 

 オールドマン家の事業は、多くの人々の生活を支えている。従業員数だけでも三千。下請けや家族を含めれば、関係する人の数は万を超える。巨大企業を維持するため父が寝る間も惜しんで働いている事を、ソフィアは知っている。セオドアの双肩にかかる重責。

 会社を維持し、発展させていくのにソフィアの力は役に立つはずだった。

 

『グウィンを探すのを許していただけるなら、捜索以外はこの力を全て家の為に使います。情報を売るのも、やめるつもりです』

『親を相手に交渉する気か』


 お前の手など借りなくても会社は問題ない、と言うセオドアにソフィアは首を振った。


『相手が卑劣な手を使ってくる場合はどうするのですか。私の力を使えば、会社を守る為に目を光らせるのだって、今より簡単にできると思うんです』

『あなたがそんなことをする必要はないのよ』


 と、ダイアナが口を開く。ソフィアにだって分かっていた。セオドアがソフィアの力の利用価値に気付かなかったとは思えない。それでもセオドアがこれまでこの力を会社や家の為に使えと命じなかったのは、ソフィアを思ってのことなのだと。


『分かっています。この力を使えと言わなかったのは、私の為だと。でも私は気にしません。使えるものは使うべきではないですか』


 セオドアには、冷徹な経営者としての顔がある。本来事業を守るためには手段を選ばず、利用できるものは何であれ利用する人間なのだ。自分からこの力を使うと、ソフィア自身が言っている。感情論を抜きにすれば、この力の有用性は無視することができぬほど大きいはずだった。

 ソフィアの申し出にセオドアは逡巡する素振りを見せた。もうひと押しだと、ソフィアは見て取る。


『駄目ならこの家を出てでも続けます』

『……それは脅しだ。グウィン君の行方は私が追うと言ったろう』


 諌める言葉に、ソフィアは思わず声を荒げた。


『嘘、そんなの嘘。お父様はもうずっとグウィン探しを止めているじゃない!』

 

 私が気づいていないと思っていたのですか、と責めるようにソフィアは叫んだ。

 この1年、セオドアは捜索を止めていた。表面上探すふりをしながら、内実はまるで力を入れていないようだった。その事を知った時、言葉にできないほどショックだった。


 ーーお父様は諦めてしまったのだ。


 震える声で「お父様の嘘つき」と顔を歪めたソフィアに、セオドアは苦々しげな表情になる。それを叱責したのはダイアナだった。


『ソフィー、謝りなさい。セオドアはできるだけのことはやっているわ』


 常にソフィアの味方をし続けてきたダイアナが、この時は厳しかった。ソフィアはきつく唇を噛みしめる。むっつりと黙り、苦しげな様子の娘を見て、セオドアは深いため息をついた。


『そんなに強く噛むな。血が出る』


 セオドアはゆるく首を振ると、「ソフィアはーー」と口を開いた。


『私が未だに二人の婚約を解消しないのは、どうしてか分かるか』


 グウィンが消えて、すぐにでもセオドアは婚約を解消させるかと思われたが、予想に反して二人の婚約関係は続いている。それはきっと、ソフィアのためだった。グウィンとの繋がりにすがるソフィアを傷つけぬように。セオドアは何よりソフィアの心情を慮っている。じっと父親の顔を見つめるソフィアに、セオドアは優しく囁いた。


『ソフィア自身が決断するまで待とうと思ったからだ。お前が納得の上で、婚約解消を受け入れるのを』


 グウィンを忘れ、いつか別の誰かに心を寄せる。そんな己の姿をソフィアは想像することができない。

 唐突に終わりを告げた初恋に、ソフィアはまだ蹴りをつけられずにいる。グウィンの生死さえ分からない状況に、この思いが恋愛感情なのか、ただ彼の無事を確かめられたらそれで満足なのかソフィアにも分からなくなっていた。


『お前の言い分は分かった。ーー無茶をしないと約束できるか?』


 はっとして目を見開く。信じられないものを見るように、ソフィアはセオドアの顔を凝視した。


『許していただけるんですか?』

『隠れて調べないと約束するならな。どう調べ、何を知ったのか全て私達に報告しなさい。外出の際は常に護衛をつけること。調べる場所も人も我々に事前に教えるんだ。約束できるか?』

『はい! ありがとうございます!』


 がばっと父親の手を取ると、弾んだ声で感謝を述べるソフィアにセオドアは苦笑した。


『分かったから、もう部屋に戻りなさい』


 本当にありがとうございますと、喜色を浮かべてソフィアが部屋を出た後で、ダイアナが心配そうに口を開いた。


『認めてよかったの?』

『反対してもあの様子では聞かないさ。こそこそやられるより、目の届く所にいる方がまだ安全だ。ソフィアが死者を見る力を使ったら、私達には止めようがないのだから』

『それはそうかもしれないけど……』

『あれは一度こうと決めたら意見を変えないところがある。君に似たんだな』


 セオドアの言葉に、ダイアナが不満げに目を細めた。じっと夫の顔を見つめた後、不意にダイアナはふっと吹き出した。そんな妻の表情に怪訝そうな顔をしたセオドアを、ダイアナが笑う。


 ーー違うわ。


『ソフィアは、貴方に似たの』


 頑固なところなんてそっくり、と可笑しそうに言うダイアナに、「そうか?」とセオドアは首をひねりながら顎をさすった。そうしてソフィアの出て行った扉を見ながら呟く。


『ソフィアにあんな辛い思いをさせて。もし彼が帰ってきたら、一発殴ってやらねば気がすまん』


 物騒な事を口にするセオドアを、ダイアナは止めなかった。彼女もまた、ソフィアを苦しめるグウィンに怒りを覚えていたからだ。


『その時は、私にも教えてね』


 私も一発殴りたいから、と言った妻にセオドアはくすりと笑みを浮かべる。「分かった」と愛おしげに目を細めたセオドアの視線を、ダイアナは微笑みを持って受け止めた。


 ***


 あれから、更に2年。

 ソフィアはグウィンの姿を探し求め続けている。

 セオドアの協力によって、死者との交渉は劇的に容易になった。オールドマン家の力を持ってすれば、残された遺族の生活を支えることは造作もないことだったから。死者の言葉はオールドマン家の弁護士が家族に伝えている。弁護士が遺書だと言って渡せば、疑う者はいなかった。

 あの後護衛をつける事を条件に、それまでより外出を許されたソフィアは、時間が空けば外に出て街を巡っている。


「また来ます」


 この日、ソフィアはハイゲート墓地に足を運んでいた。バスカヴィル家の人々が眠るこの場所を、ソフィアは毎月訪れている。

 黙祷を終えると、ソフィアはゆっくりと立ち上がった。

 泣くのを止めグウィンを探しはじめてから、彼の家族の墓前に花を手向けに来るのが習慣になっていた。

 グウィンがいる時には一度も訪れることのなかった場所。彼が消え、死者との交流を持つようになって、やっとここへ来る決意ができた。

 今更ながらグウィンと二人で来たかったと、ソフィアは思う。いつかそんな日が来るのだろうか?

 

 5年という歳月は、ゆっくりとソフィアを変えていった。

 傍目には何一つ苦労を知らぬ世間知らずな少女は、死者達との様々な出会いを通して成長した。

 死者と語らい、心通わせる。彼らは血の通った人間と同じく様々な人生を生き、ある日その生を終えた。死者たちの物語は生々しく、苦しく、残酷で、そしてかなしかった。彼らとの出会いは単純な協力関係だけでは終わらず、ソフィアの価値観や人生観にも影響を与えたのである。ゆるやかに死者達との交流は続き、霊体が現世に留まれなくなるその時までソフィアは彼らと共にあり続けた。

 現世のしがらみから離れた彼らは率直で、時に指摘も手厳しい。


 ーー所詮、お嬢様の決意なんて甘いんだ。中途半端な気持ちならやめちまえ。


 そんな言葉も日常茶飯事。箱入り娘でぞんざいな扱いを受けたことなどないソフィアには、最初はそれだけでも衝撃だった。少しずつ言い返したり、言い負かしたり、宥めすかして協力してもらったりと、彼らとの付き合い方に馴染んでいく。執事が聞いたら卒倒しそうな下品な言葉にも、そのうち慣れてしまった。

 生者も死者も心の本質の部分にはそれほど大差はないのだと、いつしかそんな風に思うようになっていた。彼らはソフィアにこの世への未練を語り、ソフィアは耳を傾ける。そうやってこの5年という歳月を過ごしてきたのだ。


 最も変わったことといえばーー。


「ソフィア。もう暗くなるわ。ライオネル達がそわそわしてるわよ」


 後ろに佇んでいたアルマの声に、下へ向けていた目線を起こす。ぼうっと考え込んでいたことを自覚すると、ソフィアはゆっくりと振り返った。


「うん。そろそろ行くわ」


 長い時間を共に過ごす内に、ソフィアとアルマの間には奇妙な絆ができていた。この5年、常に共にいた相手。協力者であり、復讐の同志でもある。友情と呼べるような関係が、二人の間に生まれていたのである。成長したソフィアの目線はアルマのものより少しだけ高くなり、見た目にも二人は同じ年頃の少女のように見える。もうソフィアはアルマを恐れていない。


 アルマにもう少し待つよう頼むと、ソフィアは以前来た際の花を回収し、墓石の周りを清めた。そうした後で、ソフィアは空になった花立てへと視線を移す。


 ーー今月は、来てなかったのか。


 時折この墓碑にソフィア以外の誰かが花を手向けに来ているのだ。

 年に1、2回。ソフィアが訪れるとまだ真新しい花が生けられていることがあった。

 もしかしたらそれがグウィンの仕業ではないかと、ソフィアは淡い期待を抱いている。

 まだグウィンへの気持ちは消えていない。そのことにどこかホッとしている自分がいることを、ソフィアは自覚していた。

 記憶の中のグウィンの姿はどんどん曖昧になっていく。忘れずにいるために、彼の写真が載った新聞の切り抜きを持つようになったのは、グウィンが消えて3年が経つころだった。いつかグウィンが思い出の一つになって、彼の姿を懐かしく思い返す日が来ることを、ソフィアは恐れていた。忘れたくない。けれどこうして自分の気持ちを確認していなければ、この思いがどういった種類のものなのか自分でも分からなくなりそうだった。


「明日は例の夜会でしょ? 準備しなくていいの?」


 軽い調子で聞いてきたアルマに、「私が苦手なの知ってるでしょ」と返して溜息をついた。着飾って出掛けていくのは、あまり好きではないのだ。持ってきた花を花立てに入れながら、ソフィアは口を開いた。


「いつもの夜会と変わらないわ。そんなに気合を入れなくても大丈夫よ」

「それ、ヴァネッサが聞いたら怒るんじゃない」

 

 アルマが呆れたように言う。アルマはヴァネッサが先日ソフィアを訪ねてきた時も、部屋の中にいたのだ。

 ソフィアはいたずらが見つかった子供のように肩をすくめた。


「もしかしたらいい出会いがあるかもよ?」


 からかうように言ったアルマに、「どうかな」と薄闇が迫る空を見上げながらソフィアは小さく呟いた。

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