42話 変化の兆し
ジークもルシオンを下がらせ、室内は二人きりになった。
「言い忘れていたが、その服、よく似合っているぞ。」
手酌で杯に酒を注ぎながら、ジーク。
セリスが今着ているのは、ドレスとワンピースの間のようなもの。目が覚めるような鮮やかな黄色に、砂漠の民独自の紋様が刺繍されたそれは、ラティルド特有のもので、ジークの目にも新鮮に映った。
しかし、そんな褒め言葉にセリスは淡く微笑するだけ。瞳はまだ、思考の海を彷徨っている。
「何を考えている?」
至近距離から降りてきた声に、セリスはビクリと体を震わせた。
テーブルをはさんで正面にいたはずの、彼の姿はない。
そんなことにも気付かないほど、考え込んでいたのだとこの時初めて自覚した。
ゆっくりと顔を上げていくと、座っている自分に背後から覆いかぶさるようにしてジークがいた。腕はセリスを閉じ込めるようにテーブルにつき、覗き込んでいる。
首を反らせたセリスと、ちょうど、顔が互い違いになる状態。
視線を合わせて、ジークはもう一度訪ねる。
「何をそんなに考え込んでいたんだ。」
「別に・・・・・・。」
視線を避け、俯くセリス。しかし、ジークも退かない。
彼女が逃げないよう腕はそのままに、ゆっくり身をかがめる。
吐息交じりに耳元で囁いた。
「言えないようなことなのか?」
バッと耳を押さえたセリスが振り向いた。
酒の酔いにうっすらと染まった頬。潤んだ瞳にただ視線を絡める。
漆黒の瞳にセリスの視線が吸い寄せられる。が、抵抗した。
吐息が混じりそうな程の至近距離で、黒と黒紫がぶつかった。
そこに恋人たちの甘さなど微塵もない。
強制と抵抗。それぞれを乗せた視線が火花を散らして激突し、互いをねじ伏せようとする。
感情に、互いの魔力が反応し、ギシリと空間が軋んだ。
どれ程そうしていたか。
静かな戦いはセリスが目を伏せたことで終わった。
それでもせめてもの抵抗とセリスはジークに背を向ける。
悩んでいたのは本当に他愛無いことなのだ。なのに、どうしてこんなに意地を張っているのか、自分でもわからない。
コントロールできない感情に戸惑い、固く手を握り締める。
表情がわからないように軽くうつむいて、無理に明るい声を響かせた。
「本当に大した事ではないのよ。以前に魔女の正装を見せたからわかると思うんだけど、私たちには正装の色が決められているの。
ただ・・・私の色は華やかな場所にはあまりそぐわない。
それに、今の私は魔女とはいえないから、そこまでこだわる必要があるのか、って考えて・・・・。」
そこで、途切れた。
言葉に詰まったことに、セリスは動揺する。
視界がひどく暗く感じた。
どこか情緒不安定なセリスを救ったのは、淡い温もりだった。
いつの間にかセリスはジークに抱きすくめられていた。
直接触れることはせずとも、小柄なセリスの体はスッポリと覆うように包み込まれる。
僅かな間を通して伝わる体温が、ゆるゆるとセリスの身体のこわばりを溶かしていった。
セリスの様子に安心したジークだったが、ふと眉をしかめた。
「歯形がつくぞ。」
強く強く、色が変わるほどに噛み締められた唇を、そっと指先がかすめる様に触れた。
そのとたん、ゾワリとセリスの体を甘いしびれが駆け抜け、力が抜ける。
ジークはそんなセリスの異常に気付かず、今度はそっと唇をなぞった。
「!!!」
「ああ、やっぱり血が滲んでた。」
そう言って、ジークは指先に付いた血をぺろりと舐め取る。
セリスはと言えば、再び感じた甘いしびれとジークの行動に、本能的に身を引いていた。
「・・・・。」
「も、もう私寝るから!!お休み!!」
気まずくて、そのまま寝室に飛び込んだセリスを、ジークは黙って見送った。
セリスの姿を遮った扉を見つめる。
「お休み、良い夢を。」
そっと吐き出し、ジークも部屋を出て行った。
ジークが出て行ったのを感じ、セリスは息を吐きだした。
月影の間はセリスの支配下にあるため、人の出入りやら何やらはセリスに筒抜けだ。
そのために、ジークが出て行ったさっきまで、気を抜けなかったが。
用心のため物理的・魔術的に施錠し、寝台に寝転がる。
「どうしたんだろう、私・・・・・・・。」
その理由に気づきながら、セリスはそれを否定するようにまぶたを閉ざした。
―――――あの一瞬、確かに、ジークを『男』として意識したという、その事実から。
一方、自室に戻ったジークは、明かりもつけずに指輪を見つめていた。
欠けた月の光を映し、金色に輝くそれは、シェイナから渡されたもの。
これを渡した時、彼女は既に自分がこうすることを予想していたのだろうか。
だが、例え全てが彼女の手の平の内だとしても、それがセリスに関することである限り、ジークは避けることが出来ない。
教えられたとおりに古代語を唱えると、あの時と同じ、渦巻く闇を湛えた空間が現れる。
ただし、床に。
「飛び込め、ということか?」
底なし沼を連想させるそこに踏み入ることはなかなか思い切りが要る。
覚悟を決めて踏み込めば、緩やかに体が沈んでいった。
沈み込む、ズブズブという感覚に引きつる顔を隠すことなく、それでもジークは目を閉じて大人しく従う
完全に沈み込むと同時に、入り口は消えた。
そうして、気付けばジークは昼間訪れたのと同じ空間に立っていた。
ジークはセリスの教育によって、「女性に対する態度」を叩き込まれています。
なので、誉め言葉を言い忘れていたのは、わざとです。ルシオン君に気遣ったんですね。
この章では、ちょっとジークとはセリスに近づいてもらいたいなあ、と思っています。
気長に待っていてください。
読んでくださって、ありがとうございました!




