異郷---3
「水がある!」
織姫が起き上がるのは唐突だった。
組んでいた腕を引っ張られて、二人も引き起こされる。
織姫は振り向くと同時に二人の腕を放し、ぴょんぴょんと跳びはねながら手招きする。
「早く早く!!」
言うが早いか、パッと駆け出す織姫。つられて瑞希と一真の二人も走り出した。
木々の間をぐんぐんと抜け、走り去ってゆく織姫。その足取りに迷いはない。
大剣や、なんとか拾い上げた銃を担いでいる二人は、少しずつ織姫に引き離されてゆく。
見失う直前。
織姫のシルエットが、木立の向こうを満たす光に包まれる。
森を抜けると……。
そこには、渓谷を流れる深い川があった。
その辺りは河原になっていて、一面に掌よりも小さいくらいの石が転がっている。川上の側に視線をやると、ちょうどよく雨風をしのげそうな洞窟が空いていた。
「なんで分かったの!?」
驚く瑞希。
「う~ん……、なんとなく? 水が流れてるのが視えたの」
コテンと首を傾げ、そんなことを言う織姫。言葉を続ける。
「二人に囲まれてぼーっとしてたんだけど、そういえば水を探すって言って出てきたなぁって思い出して、それで水ってどこにあるんだろうって考えたんだ。そしたらなんか視界が霞んで、こっちに川が流れてるのが視えたの」
あれなんだったんだろうねー、などと言いながら、コロコロと笑う織姫。
川縁に走り寄って、手で水をすくって飲み始めた。
「一真ぁ……」
眉間に眉を寄せ、瑞希は一真の方を向く。
一真はというと、唖然とした表情で織姫を見つめ、突っ立っていた。
「一真……?」
その声にはっと我に返る一真。瑞希の方を向き、口を開く。
「……はい!? ……えーと、西谷さんは問題ないと思います。たぶん環境に適応したんでしょう」
そんなことを言う。
「……どういうこと?」
「……ここはゴブリンなんて不思議生物が出没する場所。人間が普通じゃ無い才能に目覚めたところで、なんら不思議はない」
「やっぱり変なものに織姫ちゃんが目覚めちゃったってこと?」
「変なもの、と一概には言えないと思いますよ。ゴブリンの他にも不思議生物がいるかもしれない。実際に西谷さんには、この水辺の存在を感知できるだけのナニカが備わっていた。まぁ原理はよく解りませんが」
瑞希は、常識では考えられないその仮説に、こめかみを押さえて天を仰いだ。
しかし、一真の言うとおり、ゴブリンなんて生き物を目の当たりにした今では、魔法があると言われても、頷いて受け入れるしかないわけで。
本当に頭の痛い話だった。今までの常識が、一欠片も通用しないと言われているようなものなのだから。
とりあえず、その辺りの問題は遠くの棚に放り投げて、生きるために着実に歩を進めていくしかなかった。
「ま、今日はあそこの洞窟で夜を過ごそうか」
「そうスね」
ある程度話を固めてから、川縁で水をちゃぷちゃぷして遊んでいる織姫に声を掛ける。
「織姫ちゃーん! 水美味しい~?」
「うーん! とっても美味しい!! こんなに美味しい水はなかなかないよー!」
「へぇ~、そうなんだ。とりあえず今晩は、そこの洞窟で夜を明かすことにするから、気が済んだらあそこにおいでよー!」
「あ、今行く~!!」
織姫は、二人の方へと走り寄ってきた。
「とうちゃく!」
ちょっとしたどや顔で、二人を見る。瑞希は、微笑みながらその頭を撫でた。
「よし、行こっか」
「は~い!」
三人で、洞窟へと歩み寄っていった。
「西谷さん、何か感じますか」
一真がそんな話を振る。
「んー、特に何も。今は大丈夫ってかんじ、かな? なんでー?」
「いえ、なんとなく」
一真はそのまま黙ってしまう。瑞希は、何とも言えない表情でそれを眺めているだけだった。
洞窟とはいえど、鍾乳洞のように奥に続いているわけではなく、ある程度の深さで緩く塞がっていた。
入り口近くの地面には石が転がり込んでいたが、奥の方は土の茶色が覗いている。
「よし、これで今晩はゆっくり寝られるねー」
「そうだねー!」
女子二人は、気を緩め、息を吐きながら腰を下ろす。一真は、鞄と肩に担いだ銃を地面に下ろした。
「あ、かずまごめんねー。荷物持ってもらっちゃって。……って」
そこまで言って、ハッと何かに気づく織姫。慌てながら瑞希の方を振り向き、声を上げる。
瑞希も同時に気づいたようだった。
「「野いちご!!」」
ゴブリン騒ぎで、森の中に野いちごを放り出してきてしまったのだ。
そんな二人に、一真が苦笑いをしながら口を開く。
「あの状況で野いちごの確保ができている方がおかしいでしょう。日が暮れるまでまだ時間があります。ゆっくり食糧を探せばいい」
しゅんとしている織姫に、ばつの悪そうな瑞希。そんな二人に一真は淡々と言葉を掛けてゆく。
「西谷さんには、食糧確保に向かってほしいです。同時に河伯さん、まだまだ必要なものはあるので手分けして回収していきましょう。燃料やお湯を湧かすための器などが、それに当たります。そして――」
次々と必要なものを羅列されては、聞いている方もいつまでも落ち込んではいられないという気分になってくる。
「たしかに、火をおこさないとだめだよねー。あとお鍋みたいなのもあるといい。あるのかどうかは知らないけど……」
「じゃ、わたしは食べ物を見つけてくればいいんだね!」
「よろしくお願いします」
「はーい!!」
「あ、二人で回ってきてもらってもいいですか。河伯さんも行けば、たくさん食糧が見つかったとしても、持ってこられると思うので」
「りょうかーい。二人で食糧を探してくるね。それじゃ、一真が燃料の枝なんかを探してくるってことでオッケー?」
「よろしくお願いします」
「もう行っていい!?」
勇んで走り出す織姫。それを見て瑞希も、腰を上げた。
「行ってくるねー」
「彼女の言うことは信じてあげてください。きっとうまく転がると思うので」
「うん。分かってる。ここが見つかったのもあの子のおかげだし。ちょっとしたモノから多くのことを感じ取れるような、……そう、直感に優れているんだね! あの子は。……一真こそ気をつけてね。ゴブリンがいつ出てくるかも分からないし」
「ありがとうございます。そちらこそ」
そう言って、三人は一旦分かれた。
洞窟から出ると、瑞希はまず、織姫を探す。一人で駆けて行ってしまったのだ。
「おりひめちゃーん! どこに行ったのー!!」
「こっちー!!」
声のした方を見ると、先程通ってきた方向に、織姫の姿が見える。瑞希は、大剣を背負い直し、織姫に向かって走り出した。その肩には、織姫が置いていった銃が担がれている。
「おまたせー」
「銃持ってきてくれてありがと。そんなものを持ち歩く習慣なんて無かったから、ついつい忘れちゃうんだよね……」
「持ち歩く習慣なんてあったらその人日本に住んでないけどねー」
「たしかに!!」
「一応肌身離さず持ってないとだめよ? もしかしたら引き金引くだけで撃てる、不思議な銃かもしれないし」
「多分そうだろうね~。……そんなことよりもみずきちゃん! 早く行くよ!!」
「はいはい、そんな急がなくてもいいでしょー。落ち着きなって」
「いいから早く!」
「はいはーい」
織姫に引っ張られながら、瑞希は森の中を歩き出した。引っ張っていた織姫も、すぐに歩調を落とし、散歩とそう変わらないペースになる。
手を繋ぎながら、二人で森を歩く。
「食べるものねー。結構あったの? こっちには」
「んー、わかんない」
「わかんないのに来たんだ?」
「……知らないところを探しに行くより、一度通ったところを探した方が、おっちょこちょいなわたしでも迷いにくいかなーって」
「なるほどねー。確かにいい選択かもね、それ」
「知らないところをかずまに押しつけることになっちゃうんだけど、かずまなら考え事しながらでも、ちゃんと戻って来られると思うから」
「あはは、しっかりしてるもんね。あの子」
「……そうだね。しっかりしてるよ」
そんな雑談を交わしながら、森の中を歩いていると。
「あっ、ここにセリがある! 川が近いから地面が湿ってるんだね。おひたしとかにすると美味しい!!」
早速山菜を見つけたようだった。
「へぇ~、このギザギザの葉っぱのヤツが食べられるんだー」
「あ、似てるけどそれは毒ゼリ。食べたら手足が痺れるんだったかな? 違うものだよ~」
「は?!」
キノコのような紛らわしさに、瑞希は葉を摘む手を止める。
摘んだそれをそっと地面に置き、手を膝の上に戻した。
その横で織姫は、にこにこしながらセリを摘んでいる。
その辺りに生えていたフキの大きな葉っぱがいっぱいになる程度に摘むと、織姫はよっこらしょと腰を上げる。
「さて、次行こっか」
「……あたしついてくだけにするねー」
「森の中は毒の食べ物とかあるから怖いよね~」
コロコロ笑っている織姫と表情筋が硬直している瑞希の二人は、さらなる資源を求めて、さらに森の深くへと、足を踏み入れていった。