異郷---4
そして、夜。
三人は一真の集めてきた柴に火を付け、それを囲って食事を済ませた。
たまたま見つけた竹を節ごとに切って、それを器の代わりにした。箸は竹の枝。
食事が終わった三人は、仰向けに転がったり、ボーッと焚き火を眺めたり、思い思いに動いている。
「ふぃぃぃぃぃ……。おなかいっぱい……」
「織姫ちゃんのおかげで食べるものには困らなそうだねー」
「いやいやわたしなんてなんてことないよ~。お礼はお父さんたちに言ってぇ……」
「……もしかして眠い?」
「……ちょっとだけ」
「あはは、寝てていいよ。適当にお世話しといてあげるから」
「ありがとぉぉぉ……」
うつぶせになり、ぐぴゅうと謎の吐息を聞かせる織姫。
くるりと寝返りをうち、宵闇を見上げた。
黒々と茂った大樹群に縁取られて、ため息が漏れそうなほど満天の星空が広がる。
真球形の満月の他、隕石のような形をした歪な月が、星の海で泳いでいる。
「不思議な空だねぇ」
ポツリとつぶやく。
「……あの丸い月の模様は見慣れてるんだけどねー」
「隕石だよね~。あっちの月」
「なんなんだろうねー」
三人で、空を見上げる。ちょっとした間。
しかしその場に静寂が横たわることはけしてなく。
常にこだましている川の音。カサカサという梢の擦れる音。パチパチと薪が爆ぜる音。
予想外に大きく響くそれらの音に、大自然に満ちる大いなるエネルギーを、改めて認識する。
「すっごいねー……」
今度は瑞希がつぶやいた。
「なにが~?」
「なんか、いままでの人生の中で、こんな、自分ってちっぽけなんだなーって思ったことなかったから」
「わたしもキャンプとかよく行くけど、ここまで自然が手つかずで、ドドッと広がってるのは初めてだね~」
「あたしなんてキャンプの経験すらないからさ、こう……、無限に感じられる自然の中にいると、ゴブリンに襲われたのも相まってか、お前なんか排除してやる~! って追い立てられてるみたいに感じちゃって……」
自身を守るかのように膝を抱え込む瑞希。
「でもね」
顔を上げ、言葉を続ける。
「怖いとは思うんだけど、心細くはないんだ」
三人の脳裏に浮かぶのは、等しく同じ光景。
まばゆい木漏れ日を浴びながら、約束を交わしたあの場面。
「二人が必ず居てくれるって、信じられるから。どんな悪いことが降りかかってきても、この三人で運命を共にするんだって、分かってるから」
瑞希は二人の方を見る。
寝転んだまま口元に笑みを浮かべている織姫に、焚き火の焔を読みにくい表情で眺める一真。
「いろんなことがあるとは思うけど、三人で頑張っていこう」
瑞希は柔らかな笑みをその口元に浮かべた。
「さてー、そんじゃ、そろそろ寝ようかねー。寝ずの番とか要るのかな」
打って変わって明るい声で、瑞希は二人に話しかける。
「うー、わたしはむり……」
「はいはい、織姫ちゃんはしっかり寝てなねー」
ぽんぽんと、隣の織姫の頭を撫でる瑞希。
顔を上げ、一真に笑いかける
「まずはあたしが寝ずの番しよっか」
しかし一真の返答は固かった。
「いえ、私がやります。寝不足はお肌の敵とかよく聞きますし」
「いやこんな世界に来た時点で今更でしょ。一人が抱え込む物でもないし、しっかり分業してこうよ」
「なおさら私の役目っスね。どう考えても、戦力としては私よりも河伯さんの方が価値が高い。しっかり休んでおいてください。少なくとも今日は私がやります」
一真は頑ななほどに、自分がやると言って聞かない。
「あ、そう? じゃああたし寝るけど……なんかあったら起こしてね」
「三人で生き残るための判断は鈍らせませんよ」
ヒョッと肩をすくめる一真に、瑞希は黙って引くことにした。
ふと視線を転じれば、焚き火に照らされ、幸せそうな寝顔を見せる織姫。
「あーららぁ。織姫ちゃん、こんなところで寝ちゃって。確かにお世話するとは言ったけどさー」
頭を抱き寄せ、そっと髪をくしけずる。
幸い夜になっても冷え込みはせず、過ごしやすい気温が続いていた。これなら少し寝ていても風邪を引く心配はない。
「一応、男がいるんですが……」
「あはは。この子はもう、あたしたちのことを本物の家族とすら思ってるのかもね。あるいは……」
「……あるいは?」
「いやーなんでもないよー」
瑞希は、楽しそうに笑って、織姫のことを担ぎ上げた。
「それじゃ、火の番と外敵の番、よろしくねー」
「おやすみなさい」
「おやすみー」
洞窟の中へと足を踏み入れ、日が出ているうちに集めてきた落ち葉に織姫を埋め、自身も同じようにしてから、瑞希はそっと目を閉じた。
一人残された一真。
しばらくの間、赤白い焚き火の光をその身に受けて、寸毫も動かないでいる。
その瞳に浮かぶのは、恐ろしく冷静な光。
(これからどう生きていこうか)
考えているのはそれについてだった。
(幸い食べるものについては、西谷さんのおかげでしばらくは困らない)
この思考と同時に一真は、これから毎日のように生き物の命を奪う必要が出てくる可能性を瞬時に導き出している。
そしてそれを、彼女らにも背負わせるべきなのかどうか、ということも。
(とりあえず、当面は自分がやればいいだろう)
思考はどんどん加速してゆく。
食糧の見通しが立ったのであれば、他に考えなければならないのは着る物と住むところ。
住むところについては、贅沢を言わないならば最低限確保できることは、この野宿で目処が立ったと言える。
問題は衣類。
どう頑張っても自分たちでは確保できない。
裁縫などの家庭的なスキルを彼女ら二人の内どちらかが持っていたとしても、身体を覆うほど大きな毛皮ないし何らかの布、それから糸や刃物、針などが必須になってくる。
どう考えても人を見つけなければ話にならない。
さらに大きな問題もある。
現地人を見つけたとしても、商品に対する対価が用意できないという点だ。
生活必需品としてタオルは手元に残しておくと考えても、現時点で交換できるものと言えば、文庫本と筆記用具、ジャージ一人分。
素材が未知のものであることを差し引いたとしても、三人が長く暮らせるものと交換できる価値があるとは考えがたい。
現地人との交渉により、現代社会の大量消費製品に少しでも大きな価値を付加し、それを元手に何か別の仕事を確保するのが理想的な流れだ。
さらに言うのであれば、異世界の技術力が現代日本に劣っているわけではない、という可能性も当然存在する。
ゴブリンが日本で言うところの野生の猿と同じ立ち位置であるとするならば、ゴブリンが出てきたことは、異世界の技術力を低く見積もらせる要因たりえない。
単純に例えるならば『ファンタジー生物が生息するSF世界』である可能性も、未だ存在するわけである。
現代社会なみに管理が行き届いた社会構造をしているのであれば、幸い優しい性格の人間に知り合えたとしても、生きていくのは困難を極めるかもしれない。
「ふぅ」
一真は仰向けに寝転がる。
同じ姿勢を続けたことによって背骨が固まってしまっていた。
下敷きになった小石が、その背中を刺激する。気持ちいいを通り越してもはや痛い。
火にあぶられていた顔が冷たい夜気に触れ、加熱していた頭もクールダウンしてきた。
「願うはここが、未開の野蛮なる土地であること、か。普通は文明が発達していることを望むんじゃないのか」
自分の考えに苦笑する。
「文字通りのファンタジー世界ならどうしようか」
寝転がって夜空を眺めたまま考える。
予想通りのファンタジー世界であるならば、先程よりもいくらか生活するのが簡単になる。
糧を得る手段はいくらでも考えられるからである。
単純に野生生物を狩り、それを捌いて生計を立ててもいい。殺すのが無理ならいわゆる内政チートを行ってもいい。こんな奥深い山間に存在するなら、日本の山奥に存在する村よりは社会も未熟であると考えられる。王都などならいざ知らず、なんとかやっていけるだろう。
その場合、自分が行わなければならないことは何か。
たぶん第一は体力作り。
基本的には頭脳労働よりも肉体労働の方が需要が高いことが想定される。
狩猟を生業とするにしても、何でも屋のように生計を立てるにしても、体力が無ければお金にはならないような気がする。
そこまで考えて、一真はスッと立ち上がった。
火から十分離れてから、目を閉じて自分の筋肉を意識する。
昼間にゴブリンを倒したあの感覚を、反芻して忘れないようにするためだ。
グラグラと目眩がするような、あの感覚に襲われる。
なぜなのか考える。
つま先から踵へ、ゆっくりと体重が往復している感覚に気付いた。
重心とやらいうものがブレているのかもしれない。
その事を意識して身体に注意を戻すと、唐突に息苦しいことに気付いた。
原因を考えながら、じっと身体を動かさずに、倒れないようにしながら待つ。
……肩が重たい。
「はぁ」
ため息をついた、その瞬間。
肩の力がストンと落ちた。すると首が亀のように前に伸びている感覚に襲われる。背中も苦しい。
顎を引くと、自分の背筋がスッと伸びたのが分かった。
同時に肩が開き、胸を張るような感じに体感が変わる。
すると踵にのみ体重がかかるようになったが、今度は後ろに倒れそうで怖い。
つま先に体重を戻す。
ふくらはぎが緊張しているのがよく解った。
踵が地面につくかつかないかの感覚を、しっかりと意識する。
今度は筋力的な問題で身体がフラフラするが、これは慣れるしかない。無視して同じ姿勢を続ける。
そうしているうちに、腰のあたりを中心に身体が動いていることを、なんとなく見つけた。理由はないがたぶん正しい。
この体勢にも慣れてきたので、一番全身の力が抜ける姿勢を模索する。
足は、いわゆる肩幅に開くのがいいらしい。内股が一番ラクなのはその広さだった。
つま先を動かす筋肉を意識してみる。
指先に全く力が入っていないことに気がついた。
靴の中で、つま先をもぞもぞと動かしてみる。
背伸びして、戻して。
倒れそうになったので、ついつい足を踏み出してしまう。
元の位置に足を戻して、やり直し。
目一杯指を伸ばしてみた瞬間。
ピタッ
身体の揺れがなくなった。
平たい机に手をついて平面を握ろうとするような感覚で、足の指で地面を掴んでみる。
自然と踵は地面につくかつかないかになっており、さらに身体も揺れない。どっしりとしたキャタピラに、上半身をくっつけたかのような感覚。
「面白いな」
ニヤリと唇の端をつり上げながらも、ゆっくりと腕を上げ始める。
足下の安定感とは打って変わって、ぎこちない、不安定な感覚。
一旦腕を戻す。
腕の全ての筋肉を意識するつもりで、ゆっくりと腕を上げてゆく。
45度程度上げたところで、腕がフラフラ震える感覚を得る。その不安定感がなくなる程度だけ微妙に力を入れる。目視してみると、ほんの少しだけ肘が曲がっていた。
その肘が曲がった状態のまま手を戻し、またゆっくり上げていく。指先が遊んでいる感覚が気持ち悪かった。
足と同様に、全ての指先に力を込めてみる。遊びがなくなり、指先まで芯が入ったかのような動きが可能になる。
そして…………
「これだ」
熱が籠もるような、あの感覚。
昼間の感覚が戻ってきた。
指先から力を抜くと、どうもその熱が霧散する。
腕全体に熱を籠もらせるようにして、さらにその状態をキープする。
身体が熱い。
汗すら額に浮かんでいた。
その状態で目蓋の裏に描くのは、昼間のゴブリンの攻撃。
小柄なゴブリンが、棍棒を振りかぶり、飛びかかってくる。
手を跳ね上げる。
……早い。
棍棒が襲いかかってくる前に、腕は目の前を通り過ぎる。
もう一度やり直し。
飛びかかるゴブリン。
跳ね上がる腕。
……まだダメだ。
もう一度。
…………………
……………
………
数分経ったか、数時間経ったか。あるいは数十秒だったかもしれない。
身体が破裂するように感じて、咄嗟に熱を逃がした。
ブワァァ
大量のエネルギーが、身体から流れ出していく。
途端、膝を笑わせて地面に崩れ落ちる一真。
たまらず河原に寝転んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
一歩もその場から動いていないのに、100メートルを全力疾走したかのように息が切れていた。
冴え冴えとした月が、中天から一真を照らしている。
その景色がぐるぐると回転して見える。
今度は集中のしすぎで、一真は目を回していた。
冷たい風が、熱を持った頭に気持ちいい。
ゆっくりと身体を起こす。
練習を始めたときと異なるのは、焚き火の大きさのみ。
風に揺れる木々の枝も、そこを流れる川も。泰然自若とそこに在った。
「……薪、足しておかないと」
重い身体を引きずり、一真は火の元へと戻っていった。
元の場所に腰掛け、火に薪を足し、大きく広がる焔を見つめる。
目を細くして、また何かを考えている。
しばらくじっとそうしていたが、頭の中の考えを振り払うかのように、大きく首を振った。
「まだ明日があることだし、疲れ切るわけにはいかない。練習は筋肉痛が酷くならない程度に抑えておくべきだ」
背筋を伸ばし、無限大に広がる夜空を眺める。
地球と同じ丸い月をじっと見つめ、微動だにしないまま、時間だけが刻々と流れていった。




