3話
王城の外れ。木々で覆われた、森のような庭。
誰も来ないような、それでいて見晴らしの良い場所で私は怠けていた。
「ふあぁ……今日も平和ですねぇ」
その数十メートル先では、もう一人のマリーが真面目な顔で巡回している。
もちろんマリー・エル・ホワイト本人ではない。投影魔法で作った分身だ。
「いやぁ、本当に便利な魔法ですよねぇ」
その辺で取った果実に齧り付く。甘酸っぱくて美味しい。
「剣の才能がないっていうなら、魔法の才能を存分に使ってサボればいいってね」
などと笑っていた、その時。
首筋に冷たい感触が触れた。
「動くな」
低い男の声。
ヒュッ、と喉が鳴る。
「……え?」
振り向こうとすると、さらに刃が首に押し当てられる。
「振り向くな」
「ひっ……」
心臓が飛び出そうになる。
背筋が段々冷えていき、この後に起こるであろうことは安易に想像できた。
殺される。
ガタガタと体全体が震え始めたが、あと数ミリ動くだけで皮膚が切れる距離。さらに恐怖が増幅する。
「王国騎士団所属、マリー・エル・ホワイト」
名前を呼ばれた、知られている。
今度は呼吸音が止まった。
「勤務中に投影魔法で分身を働かせ、自分は昼寝か。先週は一日平均4時間。昨日は三時間半。一昨日は大聖堂の机の下で昼寝……ほーん、お貴族様とは思えねぇ醜態っぷりだ」
「…………」
全部知ってる。
「あと城下町で食い逃げしかけた」
「お金忘れただけです!」
思わず叫んだ。
「声出すな」
「ひぃっ!」
ナイフが少しだけ近づく。視界が段々涙で霞んでいく。
そんな様子を見て気分を良くしたのか、男は話をすすめた。
「お願いがあります」
「お願い……?」
「俺を王国騎士団に入れてくれ。」
「…………はい?」
あまりに予想外だった。情報吐いたらポイ捨てされるのがお決まりだと思っていたのだ。
「お前の家なら推薦できるだろ。」
ホワイト家。
王家と縁が深い騎士の家。先祖代々優秀な騎士様が排出される名家。
確かに推薦権くらいはある。私が普段、優等生として(主に分身が)知れ渡っているため、容易いものだ。
しかし、私の実態を知る男が入団するなどどうなるか分からない。そもそも誰を狙っているのかも分からない輩だ。私が推薦した者が国家転覆なぞ起こせば責任は私にもやってくる。
「嫌です」
即答した。
「そうか。」
男は懐から紙束を取り出した。
『勤務怠慢』
『無断離脱』
『投影魔法の不正利用』
全部、証拠付き。
「…………」
全て、父上や兄上に提出されれば破門待ったなし。人生が終わるキーアイテムだ。
「お父様に送ろうか?」
しかし、路頭に迷うだけなら、死刑よりマシである。
「いいえ、私は貴方に屈しません!」
「ほう?」
「入隊希望の理由だって、どうせロクなことじゃ、ないんでしょう! そんな人を……っ推薦なんて、できません!」
震えが止まったと思ったら、喉の奥の奥が震え始める。唾が変なところに入っていく。
「あなたのせいでっ、首が飛ぶくらいなら、ここで死んだ方がマシ、です!」
ツー、と脂汗が喉を伝う。死にたくない。
「どうせ推薦権を持ってる中で、一番脅しやすそうなのが私だったから狙ったんでしょう!?」
ゴキュリ、と空気を飲み込んだ音がした。
「ざ、残念でした! 破門されても……その、ツテくらいありますし!」
私の悪あがきが滑稽に見えるのか、男のナイフがさらに近付く。肩が上がりそうになる。
「私みたいな……っ、高給取りのロクデナシなんて、そうそういないでしょうし……!」
「おーおー、口がよく回るな」
見栄っ張りだ。さらに最後のツテも嘘。もう命乞いも思いつかない頃に、男は飽きたような口ぶりで私の言葉を止めた。
「全部どうでもいいことだけど。まあ、そうだな……」
ポタリ、と汗がナイフを伝った。
「俺も楽して入団してえんだよな」
ナイフが離された。それと同時に、私の視界を全て埋め尽くすように男が姿を表した。
顔が近い。怖い、圧がすごい。
「入団させてくれねぇんなら、お前の大事なペットを殺す」
「……え?」
「ハム公、だっけか?」
ハム公。
私が飼っている大切な大切なハムスター。小さな小さな体で元気に走る、モチモチとした可愛い子。
小さくて、丸くて、ふわふわで、世界一かわいいハムスター。
朝起きれば手に乗ってきて。
おやつを振れば一生懸命走って。
眠る時は丸くなって。
私は土下座する勢いで叫んでいた。
「明日にでも手続きいたします!! 推薦状も書きます!! 面接の口利きもします!!」
男は満足そうに笑う。
「物分かりがよくて助かる」
そして踵を返しながら手をひらひら振った。
「よろしくな、ダニエルだ。ああそれと」
思い出したように私の瞳を覗き込む。恐怖で怯む私を楽しそうに眺めている。
「……ピョケコちゃんだっけか。あの鳥も大切にしてやれよ」
私は全てを人質に取られていたショックで、森の真ん中で気絶した。
それから一か月後、私とダニエルはロズヌーヴ家の護衛として派遣されることになった。
偶然ではない。
あの男は、最初からそこまで見据えて私を脅していた。
「マリーさん?」
ノエレット様の声で、はっと我に返った。
午後の暇を持て余していたお嬢様に、お茶会に誘われていたのだ。
「お城ではどんなお仕事をしていたの? ダニエルさんとは、その頃から一緒だったの?」
好奇心に満ちた笑顔で聞かれた。
私の平穏な人生が終わった、あの日のことを。
「いえ、そうですね……王城では主に警備配置などを担当しておりました。ダニエルとは、その……同じ部隊で働いておりまして」
もちろん、本当は違う。
“ナイフで脅されて部下にしました”なんて、口が裂けても言えるわけがない。
というか、こんな犯罪者を連れてきてしまって本当に謝っても謝りきれない。魔族だから大丈夫だろう、とか、そんな極悪非道な理由で許可してしまった昔の私を殴ってやりたい。
「へぇ! 仲が良かったのね!」
「…………はい」
違います。
全然違います。
「私ね、リオンにイタズラをするのだけれど中々引っかかってはくれなくて……」
……なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。
「だから、マリーさんが来てくれて嬉しかったわ。あんなに驚いてくれたの、初めてだったもの」
「…………」
悪気はない。
本当に、これっぽっちも悪気はないのだ。
「また面白いイタズラを思いついたら、一番に見せるわね」
「……ほどほどでお願いいたします」
____謝罪は、もう少し先でもいいかもしれない。
そんなことを考えてしまった私は、きっと少しだけ性格が悪い。
ノエレット様は花ほころぶ笑顔で紅茶を味わっていた。




