1話
青い空を見上げる。
こんな日は庭でお昼寝をするのも好きだけれど、お散歩も悪くない。領地の視察を兼ねて、私は散歩をしていた。
「ロズヌーヴお嬢様ー!」
「はーい!」
返事をしようと身を傾けた途端。
「おっと」
ふわり、と体を抱き寄せられた。
「あ……」
「危ないですよ、お嬢様」
私を抱えているリオンが苦笑いをしながら、少しだけ日傘を傾ける。あと少し前へ出ていたら、お日様に当たってしまうところだった。
「ご、ごめんなさい。お陰で助かったわ」
「気をつけてくださいよ」
怒っているわけではない。いつもの優しい声で、やれやれと困った顔をしている彼に、私も苦笑いをした。
「こんにちは、お嬢様!」
「こんにちは! 今日も活気に満ちていますね」
村の人たちは、今日も笑顔で迎えてくれる。故郷では、こんな風に隣人と笑い合うことなんて、ほとんどなかった。
いいえ、引越し前の私が、あまり外に出なかったからというのもあるのだけれど。
「実は隣村に、お嬢様のお好きな花が入荷したそうですよ!」
「えっ、本当!?」
だから、こうして会話を弾ませられることにとても喜びを感じていた。
「明日にしましょう」
「え?」
「今日は私しかおりませんから。」
リオンは困ったように笑う。彼の右腕にはわたし。左手には日光を遮る大ぶりの傘。
「花を持つ人がいません」
「わたしが持てば──」
「条約違反ですよ。お父様共々、王国から怒られてしまいます」
「うぅ……」
分かっている、私は花すら持ってはいけないのだと。
私の名前は、ノエレット・ロズヌーヴ。
父は吸血鬼族の統治者であり、魔界からの外交官。母は人間だ。
人間と魔族が和平を結んだあと、私が暮らす人間の国、ソライト王国では「魔族は自ら動いてはならない」という条約が定められた。
人を傷つけないため。人を怖がらせないため。
人間が私たち魔族の手足となり、行動を補助する。それが、この国で暮らすための約束事だ。
最初は不便だと思ったこともある。
けれど、私は……私たち魔国から降りてきた魔族は、人と共生する道を選んだ。
まだ平穏が守られて二年、さらに私たちを縛る決まりが出来上がる可能性もあれば、もしかすると歩くくらいは許されるようになるのかもしれない。
淡い期待を寄せながら、今日も誰かとの会話を続けている。
いま私を抱えているリオンは、“傘持ち“として私に仕えてくれている青年だ。
条約によってひとりでは動けず、さらには日光に当たると体調を壊す吸血鬼と人間のハーフである私は、父の計らいで傘持ちの世話になることとなったのだ。
最初はやっぱり、異性であったり自由が効かなかったり、気が合わないところがあったりと反対していたが、今はむしろ____私は、傘持ちの彼を好いている。
「見てみて、クワガタ!」
「すごい! 自分で捕まえたんですか?」
「お嬢様……この前はピアノを聞いてくださって、ありがとうございました」
「発表会、上手くいくといいですね!」
ロズヌーヴ家に与えられた領地は元々吸血鬼族とは交流のある村で、他の地域に比べると当たりがかなり優しい。
父は魔界にいることが多く、私がよく挨拶へ向かっているのだが、人との交流が楽しくて過剰に外出している自覚はある。
「お嬢様、そろそろ庭の手入れをしに戻りましょう」
リオンが声をかけてくる。私は彼に抱えられている状態で、耳打ちなんて簡単な距離だけれど……やっぱりちょっとソワソワする。
間違えて空気を飲み込みそうになって、やっとのことで返事をしようとした途端。
「見つけたぞ! 忌々しい魔族め、死ねぇぇえええ!!」
私へ向かって火花が弾けた。
王国最新兵器のハンドキャノン、噂には聞いていたけれど初めて見た。聞いたこともないような乾いた破裂音が響く。
そして、私が目を見開くよりも早く、視界がぐるりと回った。
リオンが地面を蹴ったのだ。耳元を熱い何かが掠め、背後で木の幹が爆ぜる。
「きゃっ……!」
「大丈夫です」
落ち着いたような、それでいてどこか好戦的な声。
抱えられたまま見上げると、彼はもう次の攻撃に備えて相手を見据えていた。
農民のような、逞しい腕と古びた服。
「くそっ……」
男が舌打ちをして、銃口を再びこちらへ向ける。わざわざ正面から向かって来るのは、私が自ら動けないことを知っているからだ。
リオンは私を抱えたまま身をひねり、木々を盾にしながら弾丸をかわしていく。
右腕には私。
左手には日傘。
そのどちらも離すことなく、まるで踊るような足取りで、刺客との距離を保ち続けていた。
「リオン、屋敷へ!」
リオンは避けることはできている。けれど、一度も反撃しない。
いいえ、できないのだ。
私を抱え、日傘を持っている今の彼は、両手が塞がっている。
剣を抜くことも、相手を取り押さえることもできない。さらに今いる場所は村の中心。村民に危害が及ぶ。
私を抱く腕に少しだけ力を込めると、屋敷がある森の方へ視線を向けた。
「逃げるなァ!!」
もう少し、あと少しで敷地に入る。男以外に近付いてくる者はいないようだ。
「お嬢様、敷地内に入りました」
私が頷くと、リオンが振り返る。
私は右手を掲げ、呪文を唱えた。
「フレアブラッド____!」
赤みを帯びた光が私の声と共に出現する。
その光は無数の礫となり、男に向かって飛散した。それは石のように硬く、泥のように粘着する。男は痛みに悶えながら、一瞬にして地面へ磔にされた。
「ぐあっ……な、なぜ動いて……っ」
「ロズヌーヴの屋敷では、私は自由に動いているの。内緒だけれどね」
口元に手を当てる。
「____血は循環する。ヘーズィ」
赤いモヤが男を包む。男が気を失うと共に、赤いモヤは霧のように散っていった。
「ごめんね、恨み言を聞いてあげることはできないの」
男は気を失っている。
呪文を使って屋敷内での記憶を飛ばしたのだから、きっと国中で私のひとときの自由が露見することはないだろう。
リオンは慣れた手つきで縄を取り出す。
「お嬢様」
「なぁに?」
「敷地内だからって、自由になったことは領民にも秘密です。分かっていますね?」
リオンは淡々と告げる。
私はため息を吐くように返事をした。
「分かっているわ」
「もし広まれば条約違反です。面倒なことになりますから」
「ええ。理解しているもの……」
「まあ、そうなっても俺が頑張って揉み消しますよ……っと」
リオンは物騒なことを言っている。ただ襲ってきた人を縛って騎士団へ引き渡すだけでしょうに、リオンは時々こういう言い方をする。
「相変わらず、大袈裟なんだから……」
「ん? 何か言いましたか?」
彼は襲ってきた男を縄で縛り上げる。ぎゅっと、縄が擦れる音がした。容赦がない。
……そうだ、今なら気付かれないかも。
私はこっそり赤い蝶をリオンの頬めがけて飛ばした。目標地点へ到達すると、小さなハートがペイントされるささやかな呪文だ。
「えいっ」
リオンは完全に無反応で、男の物品を確認している。
蝶は段々目的地へ近付いており、ちょうどいいタイミングでリオンがこちらを振り返りそうだった。
「ふふふ、今度こそ引っかか……」
「お嬢様」
リオンが気絶している男を盾にしていた。
「なーにしてるんですか?」
八つ当たりで男を過剰にぐるぐる巻きにし始める。
「き、気付いていたの!?」
「はい。毎回分かりやすいんですよ」
「そっかあ……また失敗ね……」
肩を落として、その場でしゃがみこんだ。私は野花へツンツンと指先でつついて、八つ当たりをする。
そんなことをしていると、ギュッギュッと過剰に縛り上げる音が延々と聞こえてきた。「ぐえっ……」と男の小さな悲鳴が聞こえてくる。
「リオン」
「はい」
「人に当たってはダメよ」
「はは、気のせいですよ」




