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私の声はつきまで届く

「すいません先輩、つっきー、じゃなくて山門つきさん居ますか?」

「山門さん? ああ、そういえば朝のホームルームに居なかったな⋯⋯今日は体調不良なのかも」

 背筋を冷たいものが伝う。私の考えた結末が急に形を成した気がする。先輩の言う通り、本当にただの体調不良とかなのかもしれない。だがどちらにせよ、今日決着をつけないと辿る道筋は一つに絞られるだろう。

「⋯⋯あ、えっと。ありがとう、ございます」

 とってつけたようなお辞儀をして、階段を転げるように駆け降りる。つっきーが同じマンションに住んでいるのに、なぜ今朝、何も考えず電車に乗り込んでしまったのだろう。

「先生! ちょっと体調が悪いんで早退します!」

 階段を降り切ったすぐ真横にある職員室へ、顔だけ突っ込んで叫ぶ。返答を待っている時間なんてあるわけない、そのままターンして下駄箱へ走った。後ろから私を呼ぶ声が聞こえたけれど、今私が応えるべき声は屋上にあるのだ。何も聞こえないふりをして全速力で足を進める。

 つっきーを止めるべきなのか。もし仮に止めたとして、その後はどうする? 息を吐くたび頭の片隅にあったそれが主張を激しくする。私に何かができるわけでは無い、ならそもそも意味なんて。

 学校を飛び出て、駅を目指す。まだ身体が走るのを止めていない。それが全てだ。後のことなんて知らない、後で考えたらいい。

 

 自動改札機に定期を押し付ける。タイミングよく停車していた電車に、速度を維持したまま乗り込む。駆け込み乗車はおやめくださいなんて耳に入らなかった。

 通学や出勤を捌いた車両が軽やかに加速しだす。じっとしていられるはずもなくて、立ったまま数駅分の距離を移動する。きっと私の願いには神様も耳を傾けてくれない。でも、祈らずにはいられなかった。どうか、つっきーが無事でいますように。

 扉が開いたと同時に、体をねじ込むようにして外へ飛び出した。ここからマンションまで、走れば一分もかからない。駅近物件の利点が、まさかこんなところで役立つだなんて。

 屋上への階段を登り切る。エレベーターの点検が完了していて良かったと思う。それくらい体力的に限界だった。

 登り切ったは良いものの、人影が一つも見当たらない。間に合ったのか、あるいは。

「⋯⋯つっきー⋯⋯?」

 屋上ギリギリから地面を確認する。その高さに思わずクラっときたけど、幸いなことにどこにもつっきーは見当たらなかった。

 緊張の糸が解けたせいか、一気に胸が苦しくなってくる。立っていられなくて思わず地面にへたり込んでしまった。

「あたま、いたい⋯⋯」

 ドクドクと心臓の激しく脈打つ音が耳に響く。どれだけ全力で走っていたんだっけ。どんどん心臓の音が大きくなっていって、それに合わせるみたいに目の前がちかちか点滅する。段々暗くなってゆく。なんとか抗おうとしたけど、耐えきれない。

 屋上の隅で一人、私は意識を手放した。


 *

 

 ぼんやりと、目を開く。茜色が藍色に変わっていく空が見えてふと、先生に怒られちゃうな、と思った。いきなり学校を抜け出して、どこへ行ったか分からない。

 怒られるならまだいいか。でもきっと、もう呆れられている。見捨てられているだろう。

「⋯⋯あーあ、だめだなぁ」

 小さくひとりごつ。さすがにここで空を見上げ続けるわけにはいかないから、と体を起こした。ふらついて、座り込もうとする。

 カタン、と。風の中に異音が混じる。その方向へ顔を向けて、ついに覚悟を決めた。


「⋯⋯ねぇ、何してんの?」

 柵の外にいるつっきーへ問う。なんだか、デジャヴを感じる。そういえば、つっきーと初めて会った時もこんな感じだったっけ。「⋯⋯天体観測、かな」

 「絶対嘘だ」

 ほとんど一緒の返答が帰ってきて、あの時とより一層景色が重なる。違ったのは、喉元に引っかかっていた言葉がちゃんと飛び出したことだった。つっきーは笑って言う。

 「あはっ、嘘だなんて。そんなこと――」

「じゃあなんで、そんな死にそうな顔してんだよ。なんで、そんな泣いてるんだよ!」

 言葉を遮って、あの時言えなかったことをどんどん口に出す。満月に照らされているつっきーの顔が歪んだ。

「⋯⋯理由もなく学校を休むのはダメだって、当たり前なのに。お母さんを困らせたの。苦しいって伝えようと思った。でもやっぱり話せなかった。⋯⋯私のせいで心配かけるくらいなら、もう死んだ方がマシかなって」

 つっきーが苦しいのは分かっている。だけど、それ以上に羨ましさが勝った。何か気の利いた言葉を出そうと考えたけど、どう頑張っても皮肉交じりにしか出力できない。

「わたし、あんたのことが死ぬほど羨ましいんだよ」

 それでいいんだ。綺麗事は私に似合わないんだから。つっきーは顔を俯けたまま何も話さない。

「あんたはわたしが欲しいと思ってるもの全部持ってる。クラスメイトからは認められてるし、笑いあいながらお弁当一緒に食べてた友達だっていたでしょ。しかも、そのお弁当はお母さんと一緒に作ったって言ってたよね。わたし聞いてたから。なんでそんなに幸せだらけなのにあんたは死のうとしてんの? ふざけんなよ!」

 訳も分からず、ただ苦しいから? そんな曖昧で自ら幸せを手放すだなんて、絶対に許さない。

「私のせいで迷惑かけるなんてっていってたけどさぁ、そんなんで迷惑だと思う奴なんてあんたの周りに居ねーんだよ。どうしてもいやなんだったら、わたしに嫌なもん全部ぶつけろ! あんまり人と比べるの良くないけど、絶対あんたよりわたしの人生のほうが不幸なんだから幸せなあんたの不幸くらい背負える! ⋯⋯わたし、酷いこと言ってる。ごめん、でも嫌なんだよ⋯⋯」

 流れ出る思いが、涙になる。乱暴にそれを拭い、つっきーに向かって走った。

「知らない、しらない! もう来ないで!」

 お構いなしに私は地面を蹴りあげる。柵を握っていたつっきーの手を私が掴み直す。

「絶対、離さないから! つっきーが心の底から本当の本当に死にたいっていうんならそのまま飛び降りて。わたしも一緒に死ぬから。それが嫌だってんなら⋯⋯今から天体観測しよう!」

 さっき、天体観測しに来たって言ってたじゃん。わたしもだよ、わたしも、月を見に来たの。それでいいじゃん。死ぬとかどうでも良い。

 今日は良く星が見える。昨日の雨で汚れたものが全部流れたからだろうか。

「⋯⋯なんで、そんなに優しいの⋯⋯?」

 弱々しく私に問うつっきーへ、涙でぬれた顔のまま笑う。

「決まってんじゃん。わたしの、大切な人だからだよ」

 息が漏れて、さっきまで抵抗していたつっきーの力が抜けた。今がチャンスだと腕を引っ張り、屋上の内側に無理やりつっきーを引き込む。バランスを崩したつっきーを庇って、私が下敷きになる。背中に鈍い痛みが走ったけど、安堵の方が大きい。

「痛って⋯⋯つっきー、大丈夫?」

 返答がない。その代わり、体を大きく震わせているのが分かった。泣いているのだろう。怪我してないか訊くと、しゃくり上げながら大丈夫と答えた。

「⋯⋯こんなの、後でいいんだけどさ⋯⋯星、すごい綺麗」

 つっきーをゆっくり降ろして、空を見上げる。涙をいっぱい溜めた目で揺らいだ星空が、キラキラと瞬いているのが分かった。見たこともないような景色に目が離せなくなる。

 美しい。あまり柄ではないが、その言葉しか頭に浮かばない。

 

 一体、どれだけの時間夜空を見上げていたのだろうか。流石に涙も乾いてきて、体も芯から冷えてくる。そろそろ戻ろうかと、体を起こす。つっきーが私の腕を掴んだ。

「えっと⋯⋯ありがとう。りゅなちゃんが言ってくれたこと、全部忘れないよ。私、幸せなんだね」

「⋯⋯なんだよ、それ。いまから永遠に別れるみてーじゃん」

 少し気に障って、頬を膨らす。

「⋯⋯別に、わたしも不幸しか知らないわけじゃないから。わたしは、つっきーがこれからも一緒に居てくれたら、それだけで幸せ」

 今まで夢見てた幸せのテンプレート、私には必要ないのかも。たった一つを結晶にしたら、それだけで生きていける気がした。

 掴まれた腕をそのまま持ち上げ、つっきーを立たせる。帰ろうと振り返ると、満月が私達の視界を満たす。

 一つの問いが、ふわりと舞い込んできた。

「なー、地球と月ってけっこう近いじゃん? ならさ、なんか叫んだりしたら声とかって届くの? ほら、なんか音ってスゲー速いらしいし」

 ぷっと、つっきーが噴き出す。大声で笑う彼女にイラっときて、「なんだよ! 私バカだからわかんねぇんだよ!」と叫んだ。つっきーはあらためるように私の方を向く。

「音をあそこまで届かせるのは難しいと思うけど⋯⋯りゅなちゃんの声は、つきまで届いたよ」

 にこっと笑って見せるつっきーがまぶしい。少し遅れて意味を理解して、応えるように私も笑った。


おしまい

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