食彩小噺② 野営の夕餉(第一章⑦後)*
傷の手当てを終えるなり、三明は「火、見てくる」とだけ言い残し、逃げるように天幕を出ていった。
(まったく……)
薬品や包帯を片付けながら、小さくため息をつく。
だが、しばらくすると。
(……え?)
天幕の外から漂ってくる、芳醇な香り。
陽南はぴたりと手を止め、慌てて天幕を飛び出した。
「ちょっと、三明!」
焚き火の明かりに照らされる背中。
彼は何事もなかったように鍋をかき混ぜている。
「大人しくしてなきゃダメでしょ! あの傷で──」
「ちょうど完成したけど、飯にする?」
鍋に蓋をして、ひょいと見上げてくる眠たげな金眼。
空腹を刺激する匂いにつられ、思わず頷いてしまう。
(少しくらい、弱音を吐いてもいいのに……)
複雑な気持ちのまま腰を下ろした、その時。
天幕の裏手から、武智が顔を出した。
「食事か。当然、毒味は済んでいるんだろうな?」
先ほどまでのしおらしさはどこへやら、相変わらずの尊大な態度。
陽南の中で、何かがぷつりと切れた。
「……は?」
じろりと睨み上げれば、武智の広い肩がびくりと揺れる。
「うちの三明が丹精込めて作った料理に、ケチつける気?」
「あ、いや……確認だ。庶民の作るものが安全かどうか――」
「三明!」
陽南は勢いよく振り返り、にっこり笑う。
「お華族様は庶民飯なんて要らないみたいよ、早く二人で食べましょ!」
「な、待っ──!」
武智がぎょっとする。
だが三明は小首を傾げつつ、鍋の蓋に手をかける。
「や、三人前作ったし。味見も済んでるけど」
蓋が開き、ふわりと湯気が立ち昇った。
「……わぁ」
鍋の中には、じっくりと煮込まれた肉の塊。
柔らかくなった野菜と共に、芳しい汁気の中で揺れている。
「お肉入ってる! これ、なんて料理?」
「ん〜……親父は“ぽてと”って言ってた」
「違う“ポトフ”だ! お前、常識面はからきしだな!?」
ツッコミつつ、武智も思わず鍋を覗き込んできた。
「……というか、何の肉だ?」
「昨日やっつけた、狐っぽいヤツ」
「狐ぇ!? そんなゲテモ──」
陽南が氷点下の視線で黙らせると、武智は一つ咳払いする。
「い、いや。初めて食べる珍味だが……まぁ、この機会に試してみるのも一興か……」
差し出された椀を渋々受け取る武智。
続けて陽南の分が差し出される。
「熱いから、気ぃ付けてな」
「ありがと、いただきます!」
陽南は嬉々として匙を握り、一口。
「っ……!」
思わず感嘆の息が漏れた。
ほろりととろける肉の、素朴な味わい。
野菜の甘みがたっぷり溶け込み、じんわりと身体を温めていく。
「美味しいっ! 鶏肉っぽい味で、野菜と合うわね!」
「……そっか」
三明も自分の分を器によそい、静かに食べ始める。
それを見た武智も、恐る恐る匙を口へと運んだ。
「…………!!」
驚きに目を見開き、更に一口、二口と食べ進めていく。
「……で? 感想は?」
陽南がニヤリと笑って促せば、気まずそうに目を逸らされる。
「……ふん。曲がりなりにも飯炊き担当という訳か」
びきっ、と陽南の額に青筋が浮かんだ。
「武智君、お代わり禁止ね」
「なっ!?」
途端、焦ったように腰を浮かせる武智。
「ま、待ってくれ陽南さん! 今のは褒め言葉だ!」
「はぁ!? どこがよ!?」
「だから、庶民にしてはそれなりの味を出せる腕前だと──」
「っ最低! 残りは没収ね!!」
武智のお椀を素早く奪い取り、仁王立ちで言い放つ。
「っ陽南さん、僕が悪かった! 頼む、もう少しだけ食べさせてくれ!」
「うるさいっ! 庶民を馬鹿にする奴は、庶民料理に泣くのよ!」
華族の副隊長が、平隊士の陽南相手に頭を下げている。
上司であり華族としてのプライドをかなぐり捨てる姿に、少しだけ溜飲が下がった。
──けど、そう簡単には許してやらない。
「ねぇ三明、残った分はあたしが食べていい?」
「陽南さんっ!?」
……なんて、思っていたのに。
それまで黙って食べていた三明が、不思議そうに目を瞬かせた。
「? フツ〜お代わり自由で、早いモン勝ちだろ」
「「!!」」
「……ま、冷めない内に食べれば」
肩を竦めた三明が、食事を再開する。
呆気に取られた隙に、武智がお椀を引ったくった。
「作り手本人がそう言うなら、致し方あるまい。
今回は特別に、庶民の流儀に合わせてやろう」
(あぁ全くもう……!)
無駄に律儀な三明と、相変わらずお華族様な武智。
盛大に嘆息すると、陽南は勢いよく汁を掬った。
「っ上等よ、あたしの胃袋を舐めないでよね!」
猛然と食べ始めた陽南と武智を交互に見やり、三明がのんびりと呟く。
「……明日、も〜ちょい量増やす?」
「よろしく!」
「是非頼む!」
二人揃ってほぼ同時に即答すれば、彼は小さく頷いた。
「了〜解」
焚き火がぱちぱちと爆ぜる音に紛れ、武智が小さく漏らす。
「ふむ……狐肉が、こんな味だったとはな……」
「いい加減、素直に美味しいって言えばいいのに」
「う……まぁ、及第点ではあるが……」
(どんだけ意地っ張り!?)
思わず噴き出す陽南。
隣で静かに食べる三明の表情も、どこか普段より柔らかく見える気がした。
生まれも育ちも価値観も、何もかも違う三人。
それでも同じ鍋を囲み、くだらないことで言い合っていると、不思議と肩の力が抜けていく。
三明の作った料理が、冷え切った砂漠の夜だけでなく、張り詰めていた心まで解かしてくれるようだった。
「「お代わりっ!」」
「……まだ食うの?」




