竜は失った番に焦がれる
訪れた凛主の部屋には、数人の男達がいた。
斉主と獅枇、亜玲の番であるアンドレアと、もう一人見知らぬ若い男だ。その若い男は竜の気配を漂わせており、青みがかった髪色から青竜だと知れた。
「彗主、目覚めたのか!」
姿を認めた獅枇が嬉しそうに声を上げ、大股で距離を詰めてきた。
「お前、死にかけていたんだぞ。わかってるのか」
獅枇はそう言いながら、回復を確かめるように何度となく彗主の肩の辺りを叩いてくる。
「もう何ともない」
過剰なスキンシップに辟易した彗主は「悪かった」と謝りつつも、幼馴染みから軽く距離を取った。
喧嘩まがいのじゃれ合いは大好きだが、こんな風に心配されるのは照れくさい。どちらかと言うと、いたたまれない気分になった。
それから、ほっとした顔でこちらを見ている三人に向かって、彗主は改めて頭を下げた。
「心配をかけて申し訳なかった」
自分が今、命を繋いでいるのは同胞達のお陰だった。深手を負い、命からがら逃げてきたのは覚えているが、その後の記憶がなかった。おそらく自分を見つけた同胞が保護してくれたのだろう。
「思ったよりも早い目覚めだったな」
凛主からそう声を掛けられて、彗主はちらりと桂姫の方を見た。
「三か月寝ていたと、さっき桂姫から聞いた。
だが、法術師達から逃げた後の記憶がない。一体何故俺はここにいるんだ?」
「お前をここに運んでくれたのはこちらの翔威だ」
凛主は傍らに立つ青みがかった髪の男に軽く視線を走らせた。
紹介を受けて、翔威は口を開き、
「お前が満身創痍で空を翔けているところにたまたま行き当ってね。目の前で落下したから駆けつけたんだが、俺の手に負えるような傷ではなかった。だからすぐここに運んだんだ。
助かって良かったよ。出血もひどかったし、毒のせいでかなり体も弱っていたから、命を繋げるかどうかは賭けのようなものだった」
そういう事情だったのかと、彗主は小さく頷いた。
「そうか。お陰で助かった。礼を言う」
「別にいいさ。森で見つけた子どものところに行く途中だったんだ。お前が先に狩られなければ、多分俺が殺られていただろう」
翔威の言葉に彗主は息を呑んだ。
「子どものところに……? お前、まさかヴィレの事を知っているのか?」
翔威は何とも言えない顔で彗主を見た。
そもそもはこの黄金竜が番を森に捨てた事でこの度の騒動が起こったのだ。
あの子どもは自分の竜を慕っていたが、こいつはどうなのだろうと思いつつ、翔威は躊躇いがちに口を開いた。
「あの前日、森の上空を飛んでいたら、たまたま竜笛が聞こえて来たんだ。竜の番が森で迷っているのかと思って近づいてみたら小さな子どもがいて、ヴィレと名乗ってきた。
森の中は危険だから隠れ処に行こうと誘ったが、あの子が嫌がった。アンジュとやらが迎えに来るから、それまでここから離れないと言い張ってね。
森に一人で残すのは危険だから、取りあえず朝が来るまで傍にいてやったんだが……」
彗主は苦い顔で唇を引き結んだ。
無力なあの子を守り、傍にいてやるのは番である自分の務めである筈だった。
だが、自分がやったのは正反対の事だ。守るどころか、狼が生息する森にわざと子どもを置き去りにした。
ヴィレは、森に残される事をひどく怖がっていた。
それでも、別の竜が隠れ処に送ってやろうとしても、あの子はそれを断ったのだ。
ここで待っているねとあの子は何度も口にした。
どれほど怖くても、あの子どもは彗主のために最後まで約束を守ろうとしてくれたのだ。
視線を床に落とし、こぶしを握り締めたままでいる彗主に、凛主が静かな声で問いかけた。
「それでお前は?
お前が法術師に殺されかけたのは、ヴィレのところへ戻ろうとしたからで合っているか? お前にとってあの子が何よりも大事な存在だとわかったのか?」
彗主は顔を上げた。
それから真っ直ぐに凛主を見つめ、「ああ」と頷いた。
「森に到着したのは、翌日の昼くらいだったと思う。だが間抜けな事に森のどこら辺りにヴィレを置いてきたか覚えていなかった。
必死で探している最中にヴィレの悲鳴が聞こえた。駆けつけたらヴィレが地面に転がされていて、あの子の爪が……」
それ以上は言葉にできなかった。
顔を歪めた彗主を見て、何が起こっていたかを察したのだろう。凛主がやりきれない顔で呟いた。
「法術師達はヴィレをわざわざ連れ去った。竜に間違えられたのだろうとは思っていたが……。そうか、爪を……。それであの場所にあの子の血の匂いが残っていたんだな」
「だが、その時彗主はヴィレの傍にいなかったんだろ? 森でたまたま見つけただけの子を、法術師らは何で竜と思い込んだんだ?」
獅枇が不思議そうに口を開き、それからすぐにあっという顔で口を噤んだ。
その隣にいた翔威もまた、理由に思い当たったようだった。
「ああ、くそっ」と吐き捨て、苛立たしげに髪をかき上げた。
「多分、俺と一緒にいる姿を見られたんだ。
あの子の傍を離れる前、何度も上空を旋回して、あの子も俺に手を振り返してくれた。そんな光景を見られたら、あの子が竜の子どもだと間違えられても仕方がない。
俺があんな真似をしなかったら……」
「貴方のせいではないわ」
それまで黙って話を聞いていた桂姫が、静かに言葉を割り込ませた。
「貴方はヴィレの傍で一晩を過ごしてくれた。それだけで十分よ。あの子はきっと貴方に感謝をしているわ」
タイミングが悪かったとしか言いようがない。
たまたま法術師があの森に入り込んでいて、親しげに青竜に手を振るヴィレの姿を見てしまった。
「桂姫の言う通りだ。俺が夜の間にヴィレを迎えに行っていれば、それで済んだ話だ。
そもそも一人になるのを怖がっていたあの子を森に捨てなければ、こんな事にはならなかった」
彗主が苦い語調で応じ、凛主もまた苦しげに眉を寄せた。
あの夜以来、凛主は深い後悔に苛まれていた。それは、彗主を信じてやってくれないかとヴィレに頼んだ獅枇も同様だった。
ただ二人とも、この場でそれを口にする事はなかった。謝罪を口にすれば自分の気持ちは楽になるが、それで彗主の苦しみが和らぐ訳ではない。
束の間の沈黙が場を支配した。
「そうだ」と、アンドレアが口を開いた。
「彗主。お前に確かめておきたい事があったんだ。
翔威が連れ帰った時、お前の額や手首には呪字の残骸が残されていた。あれは竜の力を封じるものだろう? なのに何故、お前は法術師達から逃げ切る事ができたんだ。
あれに抗える竜はいない筈だと亜鈴が言っていた。何があったか、状況を教えてもらえないか?」
凛主が彗主の方を見た。
凛主の妻、桜姫は今も、呪字によって膨大な魔力を封じられていた。
桜姫も黒竜の純血種であり、竜としての力は彗主とそう変わらない筈だ。なのに何故桜姫は封じられ、彗主は逃げ切る事ができたのか……。
問われた彗主は当時の記憶をゆっくりと探った。
「四方から矢を射掛けられ、弱っていたところを無理やり人間に変化させられた。額や手首に捕縛の紐を掛けられて、そこから呪字が肌に入り込んできたのは覚えている。
抗えば抗うだけ魔力を吸い取られ、完全に封じられようとした時、ヴィレが俺の名前を呼んで竜に戻るよう命じたんだ。
その途端、体に力が漲った。気が付いたら竜に変化していて、命じられるままに空を翔けていた」
「誓約者が呼ぶ眞名は、呪字さえも弾くのか……」
呆然とした口調で凛主が呟いた。
眞名は竜にとって特別な意味合いを持つ。
無力な番は竜の眞名を支配する事で身を守るのだと単純に理解していたが、まさかその誓約が竜を守る盾になり得るのだとは誰も思ってもいなかった。
ではあの子は自分の竜を守ったのだ……。
凛主は心の中でそう呟いた。
全霊を込めて命じたからこそ、竜の本能が呪字の枷を食い破った。
自分が助かる事よりも竜が自由になる事を望んだあの子どもは、今頃どこにいるのだろうか。
「俺はヴィレに助けられたんだ。
俺が守らなければ生きていけない脆弱な存在だと思っていたが、何の事はない。守られたのは俺の方だった」
自嘲を込めた声でそう呟き、彗主は苦く嗤った。
誰も何も言わなかった。かける言葉を持たなかった。
ややあって彗主は顔を上げ、皆の顔を見渡した。
「長い間、世話になった。俺は今日、ここを発つ」
「どこに行くつもりだ?」
獅枇の問いに、彗主は小さく首を振った。
「わからない。とにかく人里へ向かう。あの子はどこかで生きている筈だから」
魂の片割れともいえる存在を奪われたまま、生きていく事はできなかった。
幼いあの子がいつか竜との思い出を忘れ、新しい人生を踏み出していったとしても、彗主にはもう魂に刻み込まれた誓約者を忘れる事はできない。
喪失と痛みを抱えながら、生きていく事になるだろう。
「時々はここに顔を出せ」
凛主がそう声を掛けてきて、彗主は訝しげに後ろを振り返った。何故と目で問い掛ける彗主に、凛主は小さく笑った。
「ここにいる竜達も、様々な方法でヴィレの行方を捜している。
それと、他の同胞らにも声を掛けた。あの子どもの手掛かりにつながる情報があればすぐに知らせるよう頼んでいる。
人里で暮らしている同胞も多い。うまくいけば、情報を拾ってくれるだろう」
思いがけない言葉に彗主は驚いたように目を瞠き、それからふっと唇を綻ばせた。目覚めてから初めて見せる、心からの笑みだった。
「ありがとう」
ヴィレを連れ去った法術師の痕跡を追うといっても、簡単な事ではない。竜の襲撃を恐れ、彼らは身を潜めて暮らしているからだ。
彼らはあらゆる国の中枢に伝手を持ち、その国の保護を受けて、裕福な商人や地主などに擬態して生活している。居場所を見つけるのは至難の業であり、同胞の協力を得られる事は何よりありがたかった。
「一朝一夕に結果は出まい。焦るなよ」
そう声を掛けてくるアンドレアに、彗主は「ああ」と頷いた。
「そうだ。ヴィレの事では、亜玲にも世話になった。他の皆にもよろしく伝えておいてくれ」
ヴィレを見つけるまでどれほどの年月がかかるだろうかと彗主は思った。
どんな困難に見舞われようと、ヴィレを諦めるつもりは毛頭ない。
けれど、長い時を生きる自分と違い、ヴィレの時間には限りがあった。そして人の子であるヴィレは、成長とともに容姿を変えていくだろう。
本当にあの子の手がかりを見つけられるのか。そして見つけられたとしても、ヴィレが生きている間に間に合うものだろうか。
膨れ上がる焦慮と渇望を彗主は呑み下した。
閉じた瞼の裏側に、邪気のないヴィレの笑顔が消えて浮かんだ。
面影は魂の奥底に刻みつけられて、決して消える事はない。
必ず見つけ出してみせると、彗主は心に強く呟いた。




