流れぬ星に願いを込めて
これが、彼女との最後のデートだ。
夜、丘の上で僕たちは2人芝生に座っていた。町明かりは遠く、星空がよく見える。この時間になるともう人はいない。僕たちだけだ。自然と手を絡めあった。
「ねぇ、怒ってる?」
カエデに尋ねる。
「なにを?」
「カヤさんと観覧車乗ったこと」
「怒ってないよ」
「ごめん」
「謝らないで。怒って、ないから」
言いながら手が震えている。彼女の手を握る指に力を込めた。
「ありがとう」
それしか、言えなかった。
「あ、流れ星」
「え」
いつのまにか下がっていた視線を上に戻す。
「見えた?」
彼女が笑って聞いてくる。今彼女は何を考えているのだろうか。
「見えなかった」
僕も笑って答える。
「きっとまた流れるから、目離しちゃだめだよ」
「うん」
そのまま空を見つめる。
「ねぇ、流れ星に何を願う?」
彼女がポツリと聞いた。
「カエデは何を願ったの?」
カエデはふふっと笑ってから答えた。
「カナタとずっと一緒にいられますように、って。さっきは願いそびれちゃったけど」
「そっか。じゃあ僕は............このまま時間が止まりますように、かな」
「じゃあ今度こそ見逃さないようにしないとね」
その日、もう流れ星を見ることはなかった。
「もう、帰らないと」
言ったのはカエデの方だった。
「そう、だな」
「うん」
「あのさ、お願いがあるんだけど」
僕は思い切って切り出した。
「なに?」
「式の前日、今月の最終日の夜、少しだけ会えない?ほんの10分程度しか無理だろうけど」
「ふふっ、私も、同じお願いしようと思ってた」
2人でひとしきり笑い合った。この時間を引き伸ばしたいのだ。
「じゃあ、帰ろうか。送るよ」
「うん、そうだね」
立ち上がった僕たちの背後でキラリと流れ星が流れた気がしたけれど、きっと気のせいだろう。
そして結婚式当日。牧師が誓いの言葉を読み上げる。
「新婦カヤ・アルバ、あなたはカナタ・リドルを、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
隣で、僕のフィアンセ、カヤが答える。
「新郎カナタ・リドル、あなたはカヤ・アルバを、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむ事を誓いますか?」
「誓います」
これで、本当に終わりだ。式は着々と進み、その時がやってくる。
「それでは、誓いのキスをお願いします」
カヤのベールを上げて、顔を近づけたその時、カヤが僕にしか聞こえない声で囁いた。
「これで貴方は私のものね」
............ああ、そうか、知っていたのか。知っていて君は。なんて残酷なんだろう。
僕はカヤの唇に口付けを落とした。
時は戻って、前日の夜。
「カエデ」
路地の奥に声をかけると、まもなくカエデが顔を出した。
「カナタ」
ふわりと笑う。
「ごめん、少し遅れた」
「大丈夫。それより、時間ないんだよね。これ、少し早いけど誕生日プレゼント」
小さな小箱を差し出してくる。
「えっ、ありがとう。開けていい?」
「うん」
中から出てきたのは青いピアスだった。
「これは......あの時の」
あの時、初めてショッピングデートに行った時、ショーウィンドウに飾ってあった。しばらく後でカエデにプレゼントしようと買いに行った時にはもう売り切れていたピアス。
「私があの時立ち止まったのは、自分が付けたかったからじゃないの。カナタに、似合うだろうなって、思って」
「なんだ、そういうことだったのか。ありがとう、大切にする」
「そうしてくれると嬉しい」
「僕からも、プレゼント」
言って、押し花のしおりを差し出す。
「かわいい。作ったの?」
「まぁ、花なんてガラじゃないかなとは思ったんだけど」
きっとどんな大金を積んでも彼女は喜ばないから、というのは言い訳だ。覚えていて欲しかった。形に残るものを贈りたかった。僕のエゴだ。それでも彼女は微笑んで答えてくれた。
「嬉しい。大切にするね」
目的は遂げた。渡したいものは渡せた。もう、行かないといけない。それでも離れがたかった。
「ごめん」
迷った末に出てきたのはそんな一言だった。
「謝らないでよ」
「だって、結局僕は君を」
遮るように彼女が首を振る。
「わかってたことでしょう。カナタが、フィアンセができたって言ってくれたあの日から。こういう約束だった。私のワガママ、聞いてくれてありがとう」
「ワガママなんてそんな、僕だって、カエデと離れたくなかった」
「その言葉だけで充分よ」
結婚するまでの1ヶ月、普通の恋人らしく過ごすこと、それがカエデとの約束だった。
ただの踊り子のカエデと貴族の自分が結ばれないことは始めからわかっていた。いつか婚約したらそれきりだとわかっていたし、だからこそ恋人らしいデートもしたことがなかった。それでも、土壇場になって惜しくなったのだ。見咎められる危険を犯してでも、離れがたかったのだ。
「ごめん」
口をついて出た言葉は結局それだった。
「謝らないで」
「ああ、そうだったな......ありがとう」
「私ね、明日この町を出るつもり。いい機会だから。学者になるために、王都に行く」
「そっか」
「だから、もうほんとにこれが最後」
「ああ」
「さようなら」
「............さようなら」
そのままお互いに背を向ける。振り返ってはいけない。振り返るわけにはいかない。お互いの幸せを祈って、僕たちは袂を分かった。
彼女に贈った押し花は白のアザレア。花言葉は『あなたに愛されて幸せ』。
永遠の恋を望むには、僕らは大人になりすぎていた。