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俺たちは皆クズである  作者: 火ノ坂 刃
第一章 踏破すべきは9エリア
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第八話 一触即壊

 それに気が付いたのは他の五人とズラトロクの巣を出た直後のことだった。


 プレイヤーがズラトロクの巣に入った瞬間、ズラトロクは他のどのエリアに居ようとも、巣のあるエリア内へと召還される。これは知っていたことだ。問題は其処ではない。


 巣に入る数十分前に俺はズラトロクが第一段階であることを確認した。その後に逃げ切り、少し時間を置いてから巣へと侵入したのだ。


 その時点では、確かにズラトロクは第一段階だった。


 だが、巣から出て200メートルもしない内に遭遇したズラトロクが俺に、俺たちに襲い掛かってきた時、既にアイツは第二段階へと変異していた。これは想定していたことではなかった。


 確かにズラトロクはプレイヤーが手を出さずとも、崖から落ちたりすることで死亡、変異することがある。だが、タイミングが出来すぎていた。


 はっきり言って、ズラトロクの第一段階目から逃げ切ることはそれほど困難ではない。走る速度は第二段階目とそれほど変わらないとはいえ、攻撃力が低過ぎる。第二段階目のソレと比べれば、デカイだけの風船、張子の虎のようなものだ。


 平均台の上を普通に歩くことは簡単でも、平均台の左右が針の山であればプレッシャーをどうしようもないほど感じるように、攻撃力が大したことのないズラトロクに追われてもそこまで重圧を感じるようなことはない。普通の平均台から落ちてもやり直せるのと同じように、一段階目のズラトロクの攻撃を喰らってもそうそう死にはしないからだ。


 同じことをするのであっても、プレッシャーがある状況とそうでない状況とでは難易度が大きく変わる。


 だからこそ、俺は巣から出た後の逃走方法から、速度は折り紙つきだが足の付く恐れのある『馬車』の選択を消し、自分の足で逃げ切ることを選択したのだ。馬車を使わずとも、一段階目のズラトロクからならば逃げ切れると判断して。そしてそれは他の五人も同じだろう。


 『馬車』は生産職の人間によって作られ、他のプレイヤーに貸与される。


 自分が馬車を貸した数時間後にズラトロクが城郭都市を襲撃すれば、馬の貸主が真っ先に疑うのは、自分の馬車を借りたプレイヤーだろう。城で宴のある日なら尚更だ。


 左右が只の地面である平均台を歩き切る。そんな簡単なことを行うために、他のプレイヤーに疑われるリスクを払ってまで馬車を借りるのは得策ではなかった。そして、それは今でも間違いではなかったと思う。


 あくまで、ズラトロクが第二段階に変異していなかったならばだが。




 


 視界が引き伸ばされる。


 下の物が上になり、上の物が下になる。目から入った情報を脳が処理し切れていない。硬くはないが厚みのある空気の壁のようなモノが顔全体に張り付き、呼吸が上手く出来ない。


 咥えられたまま大きく振り回され揺れる視界の中、「これは死ぬかもしれない」と本気で思う。そしてそんな考えを、視覚ごと無理やりに引き剥がす。


(ダメージは……それほどでもない)


 痛覚を感じることに集中するために目を瞑り、体の状態を把握することに集中する。


(……足じゃなかったか)


 噛み付かれた箇所は足そのものではなく、スーツのズボンの裾部分だったようだ。コスチューム扱いであるこのスーツは千切れたり破かれたりすることはないが、その下に着けている扱いの装備の耐久値は今ガリガリ削られている筈だ。


 正直なところ、この状態で振り回されても大ダメージにはならない。が、そのうち木に叩き付けられてお陀仏だろう。


 木の上にいるであろう蜘蛛型モンスターから放たれた、俺の体を縛っていた糸はその効果時間を終えて既に消滅している。このエリアの蜘蛛は直接土の上に降りて来ることはないし、連続して糸を吐いてくることもない。


 目を開け、脱出のチャンスを探ろうとしたが、やはり焦点が定まらない。足に噛み付かれているのであれば足と腹筋を使い、跳ね起きるような動作を取るなりやりようはあるが、裾を噛まれているだけではそれも出来ない。


(何とでもなると思ってたが、このザマか……)


 社会人にもなって恥ずかしい話だが、俺は自惚れていたらしい。だが、どうやらここまでのようだ。


 少し振り回されるぐらいならあまりダメージにならなくても、流石に振り回されすぎだ。あと10秒ももたないだろう。


 そんなことを考えていた時、




「『崩れなさい!!』」


 その声と共に、空気が震えるような大きな音と衝撃が、ズラトロクの頭部を通して俺の両足に伝わってきた。




 ムンクの叫びのようなデフォルメ調の景色が収まり、それと同時に俺の体が落下を始める。受身を取りたいが、平衡感覚が頼りにならない。近くで誰かの大声が聞こえた気がしたが、その言葉を頭の中で整理するだけの時間的余裕がない。


 俺は何が起きたのか理解出来ないまま、地面に衝突した。


「ぐっっ!」


 頭の中がグラグラするのは勿論だが、尻が痛い。


 右手を額に当てて気分を落ち着かせようとしたが、そんな俺のスーツの下、ワイシャツの後ろの襟部分を誰かが掴んで強引に引きずり始めた。


「がはっ!」


 シャツによって首が絞まり、喉の奥から反射的にそんな声が出た。息が出来ない。俺の頭の中は既にグチャグチャだ。一体何が起きている。


 混乱した頭のまま、掴まれた部分に両手を宛がおうとしたところ、少し熱を持った人の肌のような感触が返ってきた。


「大人しくしなさい!!」


 ズボンが土との摩擦で熱くなり、時々尖がった石のような物が尻とぶつかり、鋭い痛みが生じる。


 明滅する視界の中、正面にズラトロクの姿が見えた。痛みを感じているかのように右前足の膝を曲げ、体勢を大きく崩している。


(なんだ……?)


 俺の体を引きずっていた力がスッと消え、喉部分に食い込んでいたシャツが元の状態に戻る。


「ごほっ! ごほっ!」


 えずくような咳をしている俺の横で誰かが叫んだ。


「『この地にラハブの祝福を』!!!!」


 その言葉の意味を理解する前に、俺の体はその誰かによって持ち上げられた。


 そうして俺を抱き上げるような状態のまま、その人物は地面の上を数歩進み、


「いつっっ!」


 一瞬の浮遊感の後、俺の後頭部に鋭い痛みが走った。どうやら放り投げられたようだ。


 後頭部を打ち、悶絶する俺。


「静かにしなさい!!」


 ゴロゴロと土の上を転がる俺の体を、誰かが強引に押し留めた。


「何が起きているか分からなくていいから! 今は音を立てないで!」


 痛む尻と頭、平衡感覚が正常でない所為でいまだに揺れる視界の中、俺の手を誰かが掴んだ。


 反射的に、俺はその誰かの手を握り返した。


(訳が、分からない)


 何がどうなっているのか聞きたい、何もせずにいてズラトロクに襲われないのかと聞きたい、という俺の考えが分かったかのように、その手の主は一言だけ、言葉を口にした。


「大丈夫だから」


 子供を落ち着かせるような、宥めるようなその言葉に、俺は少しだけ冷静さを取り戻した。


 言われた通り音を立てないようにゆっくりと視線を上げると、ゴシックロリータの服に身を包んだ女性――マリーの姿があった。


 俺と目が合ったマリーは一度微笑んだ後、俺の頭を右手で撫でるようにしながら、静かな動作でもう片方の手の人差し指を立て、自分の口元に当てた。


 数秒その状態を過ごした後、俺は痛みを我慢しながら上半身を起こし、周りに目を向けた。


(……亜麻束を使ったのか)


 円を描くように、俺とマリーの周囲に亜麻が散らばっている。勿論、ドレたちがいた場所のソレとは別に使った物だろう。


 右に目をやると、丁度ズラトロクが立ち上がるところだった。




 『ラハブの亜麻束』には欠点がある。




 ラハブの亜麻束の効果は、その中にいるプレイヤーが亜麻の外にいる敵からの認識を避けることが出来るというものだ。この認識というものが曲者で、これは物理的なバリア、障壁ではない。あくまで敵から認識されなくなるというだけだ。しかも、この認識はあくまで視覚のみに限定される。つまり音を立てればアウトということだ。言うなれば効果範囲のプレイヤーが透明人間になるようなもので、敵に触れられれば存在を感知されてしまう。そして厄介なことに、亜麻の中に敵が入った時点で『ラハブの亜麻束』は破壊される。


 そういった理由から、『ラハブの亜麻束』は敵との距離が近い場所などで使うのは適切とは言えない。使用した直後に亜麻が敵に触れられる可能性が高いからだ。


 今回、ズラトロクと俺たちを囲んだ亜麻の距離は約15メートルほど。これは亜麻束を使用する際の適正距離とは言いがたい。


(運次第か……)


 それでもマリーが使用したのは、これ以上離れるための時間がなかったからだろう。亜麻は展開されてから約8秒間、近くの敵から攻撃対象になる。亜麻が効果を発揮するのは、その8秒を越えてからだ。


 膝を折っているズラトロクが立ち上がるまでの8秒間の間に亜麻を展開するには、この距離しかないとマリーは判断したのだろう。


 心臓が激しく脈打つのが分かった。


 ズラトロクがこの中に侵入すれば終わりだ。俺にはもう立ち上がって逃げ切るだけの体力がない。


 立ち上がったズラトロクが、マリーに何らかの攻撃をされたであろう自分の右前足に視線をやった。ここから見ただけでは血が出ているようには見えない。おそらく鈍器のようなモノで殴られたのだろう。何度かその前足で地面を掘るような動きをしたズラトロクは、ゆっくりと動き出した――――俺たちの方へ向かって。


 額に汗が吹き出る。


 地面が揺れ、その度にズラトロクのその巨体が俺たちに近付いてくる。


 もしかしてズラトロクには俺たちの姿が見えているのか、と錯覚してしまいそうになる。勿論、そんなことはない筈だ。ズラトロクが立ち上がる前に、亜麻束が効果を発揮していることは確かなのだから。その証拠に、ズラトロクの視線は俺たちに向けられていないじゃないか。


 服が僅かに引っ張られるような感じがした。


 音に気を付けながら首を左に曲げると、マリーが俺のスーツの裾を右手でぎゅっと握り締めていた。その目は睨むようにズラトロクに向けられている。


 再びズラトロクに視線をやると、亜麻の右斜め前、約3メートルの場所を歩いているところだった。


 ズラトロクはそのまま一歩、二歩と進み、とうとう俺たちの真横まで歩いてきた。土で汚れた蹄が目に入り、そしてそれと共に、獣臭い強い臭気が漂ってくる。


 思わず唾を飲み込んだ――その時、ズラトロクの足が止まった。


 緊張が走る。


 マリーの手が更に強く俺のスーツを握ったのが分かった。


 どういう積もりか分からないが、助けてもらった恩だ。いざという時は時間稼ぎぐらいはしてやる。


 


 だが、そんな俺の思いとは裏腹に、ズラトロクは何事もなかったかのように地面を震わせながら森の奥へと去って行った。


「…………ふー」


 意識していたわけではないが、自然とそんな溜息が出た。


 マリーの方を見てみると、彼女も俺ほどではないにしろ、小さく吐息を洩らしていた。


 


 そうして数十秒後、そんな俺たちの方へと、他の四人が近付いてくるのが遠目に見えた――――。

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