363.■■信仰刻歌トラウリヒ
「「「“神はここに、時は自由、人は大地に”」」」
エメトとキュアモが教皇宮殿に向かう足はいつの間にかゆっくりになっていた。
先程まで魔物騒ぎで騒然としていたはずの都市全体が、今は見えない指揮者でもいるかのように整然と歌っている。
デルフィ教徒ではない二人には状況が理解できないが、トラウリヒの民全員が真剣に歌っているのはわかる。
「歌……か……? 」
「同じ歌を……全員で……歌ってるてる?」
「一体、どうなってんだ……? 何だこの……」
「何を歌っているのか理解できるのに、私達には歌えないない……?」
伝わってくる願い。民達の祈り。折り重なって生まれる信仰心が捧げられていく。
信徒でなければわからない一体感が国を包み込む。
魔物に建物を瓦礫にされようとも、国のトップに信仰心を利用されようとも。
揺らがない心が彼等の喉から歌を引き出す。今の今まで知らない歌だとしても、聖典に込められた願いが全員を一つにしていた。
首都全体に響き渡る合唱が、エメトとキュアモの体も軽くしていく。
二人が歩いていた町の大通りだけではなく――
「「“神はここに、時は自由、人は大地に”」」
――教皇宮殿中庭に向かう騎士達を食い止めていたシグリも、戦っていた騎士達と一緒に剣を置いてその場に跪いていた。
立場は違っていても同じデルフィ教徒。
先程まで聖女派と教皇派で争っていたはずの時間などなかったかのよう。
信奉する神に祈りを捧げる間、攻撃しようとする者がこの国に存在するはずがない。
彼等は信じている。神を信じている。自分を信じている
魂に刻まれた信仰が今、歌となって届く。
誰に?
もちろんデルフィ神と……今この国で最も、自分達の信仰を尊重する彼女に。
◆
「“神はここに、時は自由、人は大地に”!」
「なに……っ!?」
国中から届く歌が、エイミーの背中を押す。
エイミーの魔力はもうほとんど残っておらず、第四域以上に魔力消費の多い失伝魔術ともなれば詠唱中に力尽きるのは想像に難くない。
クヴィリスの理性は不可能だと言っている。
しかし、希望を湛えたエイミーの瞳に――本能が理性を投げ捨てた。
「させぬ!! 『至れ、光の魔樹』!!」
クヴィリスの周囲に突如、白く光る木々が生えてくる。
中庭はまるで森のように変わり、輝きながら生い茂った。
先程までの巨大な樹木と魔術自体は同じだが、加筆詠唱をなくしたことによって魔術の性能が変わったのだろう。森という仮想領域を展開するのが本来のカタチだったのかもしれない。
巨大な樹木で展開した時よりも攻撃力は低くなったが、手数が増える。
輝く森そのものがエイミーを襲っているかのように、枝は肉を突き刺し、飛んでくる葉は肌を裂いた。
「ぐっ……ううっ……!」
「はったりだろうがどちらでもよい! 絶命させれば同じこと! どうやら聖女を利用するのは諦めなければならないであるな!!」
先程までの攻撃をわざと緩めた誘いではない。
敵を絶命させんという攻撃の嵐が襲い掛かってくる。
血に塗れた衣服は裂かれ、服の下にある傷だらけの肌が見えてきた。
「我が道を阻んだ愚か者よ! この国は渡さん!! 聖女という象徴がいなくなれば、民は再び私の奇跡を見てその在り方を捧げるだろう!!」
「違う!! 奇跡を示すのは神であって、私達じゃ決してない!!」
無数の光の枝が刃となって無抵抗のエイミーを切り裂いていく。
増強魔術の弱点は、自分だけで魔術を唱えることができないこと。
エイミーが急いで詠唱を次の一節に進めたくても、詠唱は他と合わせなければいけない。
「“我等は光を超えし者、されど闇から逃れられず”!」
「命を削っての二節目か! だがその流血! 絶命のが先だ!! 治癒魔術を唱えたほうがいいのではないか聖女ぉ!!」
「っ……!」
魔力がほとんどないエイミーが何故詠唱を唱えられているのかはクヴィリスにもわからないが、少なくとも治癒魔術を使えば詠唱も途切れる。
そうなれば、間違いなくクヴィリスの勝ち。
エイミーが勝つ方法は、嵐のような攻撃で死なないようにしながら失伝魔術を唱え切るしかない。
必死の猛攻に耐えるエイミーの姿を、離れているカナタ達も見つめている。
「カナタ……!」
「……俺達は手を出せない」
「カナタ! エイミーは友人です!!」
「そ、そうだぞ貴様! 友を捨てる気か! お前なら勝てるのだろう!!」
ルミナとアンダースに詰め寄られて、カナタは頷く。
「はい、勝てます。勝つだけなら」
「なら――」
「でも、この国はその助けを望んでない。決着は自分達でつけるって、この歌が言ってる」
「う……」
「それに、エイミーの覚悟を侮辱することになる。俺が行っても駄目なんですよ」
「この……だから子供は綺麗事ばかりで苦手なのだ……!」
言いながら、見ているだけの自分に抱いた怒りが返ってきているようだった。
アンダースは血飛沫の中心にいながら、折れないエイミーの姿を見つめる。
クヴィリスの言う通り、このままでは血の流し過ぎで意識を失う。
痛みを誤魔化す脳内の高揚にも限度があるだろう。
聞こえてくる歌声はきっと、今エイミーがどんな状態にあるかわかっていない。
「これは違うだろう……。聖女は教皇の影法師で……人形だ……。しかし、それなら……このように背負わせていいはずがない……」
聖女の役目は本来、教皇の影法師。そして国に都合のいい人形。
それは確かに少女の無垢さを利用した非道な国策かもしれないが、裏を返せば国を背負っていないということ。
象徴でありながら国を背負っているわけではなく、責任を取らない自由がある。
だが、今はどうだ。
国中の信仰を背負って立ち向かうその姿を人形と呼べるだろうか?
重すぎる。少し前まで人形でしかなかった少女の双肩に、国と信仰の両方を背負わせるのは重すぎる。
誰かが支えなければいけない。誰かが背中を押すだけでなく――。
「意識があるだけ大したものだ聖女! 信仰とはかくも素晴らしい! 我が計画が証明した通りだ!」
「うるさ、い……! あんたが信仰を語んなぁ!!」
「では聖女が絶命した後にでも語るとしよう! 我が奇跡によって深まる畏敬を浴びながらな! なに、演じるのは得意なのは証明済みだとも! 聖女の養父も中々の役柄であったろう!!」
「こ、の――!」
残った魔力をかき集めて身体強化をしているものの、もう限界が近いとわかる。
エイミーとて、第三域の魔術師なのだ。信仰と気合いで何とかなるものではない。
聖女だからと手入れされていた肌はもう見る影もない。
(魔力は集まってくるけど唱える前に、死ぬ……! 後、五節で……勝てるのに!)
光の枝が鞭のようにしなり、斬撃のように肌と肉を裂く。
霞む目の中、躱しながら唱えようとするがそこは第四域。
今この中庭はクヴィリスの仮想領域……逃れようとすれば必然、それを察知して光の木々もエイミーを追うだけだ。
何より、大きく動けばまだ倒れている騎士達を狙われる。
今はエイミーに攻撃を集中させるのが最善だと攻撃を集中させているが、依然として気絶した騎士達は倒れているのだ。
(くそっ! くそっ!!)
エイミーは唱え切るまで攻撃を浴びながら耐えるしかない。
自らで選べる選択肢が今はない。
窮屈な血の海で、エイミーは自分にとどめを刺す光とクヴィリスの笑みを見た。
後一歩のところでクヴィリスに届かない自分に涙を滲ませたその時、
「み、『障壁』っ!!」
「え!?」
「なにっ!?」
その視界に突如、頼りない背中が映る。
周囲に展開された防御魔術はクヴィリスの光の枝に砕かれてはいるもののエイミーへの攻撃を止めていた。
「ア、アンダース!?」
「よ、よ、喜べぇい! この私が貴様の時間を稼いでやる!」
飛び込んできたのは今までカナタと一緒に戦いを見守っていたアンダース。
エイミーは思いがけない援軍に目を剥く。
「何秒だ!」
「詠唱がいつもより長い! 三十秒!」
「二十秒だ! それ以上はもたん!!」
「無茶言う!!」
そう、国を背負ったこの少女を、誰かが支えなければならない。
そんな時に思い出したのは……教皇になれなった自分の役職。
自分は、側近という誰かを支えるための役割だったのだと。




