359.■■■■■■トラウリヒ
「馬鹿げてる! 馬鹿げている!!」
「ルミナ、こっちに」
「は、はい!」
「聞いてるのか!? お、おい、本当に何も!?」
カナタはルミナの手を引いて中庭から剥き出しになった宮殿の廊下のほうへ。
中庭に残るのはエイミーとクヴィリスだけ。
当然エイミーから離れる形になり、アンダースもそれに着いていく。
カナタはどこの部屋からか転がってきた椅子を拾うと、ルミナのところに置いた。
「ありがとうございます。ですがカナタのほうが色々お疲れなのですからカナタが座るべきかと……」
「自分は床でいいので」
「おい! 私を無視していちゃつくな!」
「いちゃついてないですよ」
カナタは床に座り込み、ルミナは頬を赤らめながら椅子に座る。
アンダースが座る椅子は用意していない。
「お前が教皇を倒せばいいだけだったはずだ! お前は倒せるのだろ!?」
「はい。命懸けではありましたが、かなり相性いいですからね。ヴンダーの杖を奪った今、メレフィニスの時みたいにギリギリになることはないでしょう」
「おい、物騒な名前を出すんじゃ……いや、そうではない! それなのに何故わざわざ聖女にやらせる!? こんなのは茶番ではないか!!」
カナタがアンダースを見上げると、アンダースはびくっと肩を震わせる。
「はい、そうですね」
「な……!」
カナタはさらっとアンダースの言葉を肯定した。
今から行われる戦いは茶番であると。
「なら何故わざわざこんなことを……!」
「この国って、お酒がないですよね」
「は……?」
「あるのは聖水だけ……そうでしょう? デルフィ教徒はお酒を飲みませんもんね」
突然何の話をし始めたんだ、とアンダースは怪訝な表情を浮かべる。
確かにこの国に酒と呼ばれる飲み物は基本的に売られていない。あるのはデルフィ神の加護を持った聖水だけだ。
「それと同じなんですよ。酒を聖水と呼ぶのも、終わり方を決める戦いも……茶番ですけど、必要なことなんですよ」
「何にだ!?」
「この国とエイミーのため」
そう言い切るカナタの視線は中庭のエイミーに向けられていた。
ルミナとアンダースもその真っ直ぐな視線に釣られて中庭のほうを見る。
「このまま俺が教皇を殺して全て終わらせたらエイミーは何の決着もつけられないまま全てが終わってしまう。養父との関係も大好きな国での生き方も何もかも。それじゃ駄目なんだって俺は知ってる……黙って何もせずに全部が終わった時ってのは、本当に後悔する」
「カナタ……」
「だから、自分で踏み出さないといけないんだ」
カナタは思い出す。貴族に向かってハンカチを投げた日のことを。
何もしなかった自分。見ていただけの自分。
そんな自分でいいやと思えなかったからカナタはあの日ハンカチを投げた。
エイミーも今日、そう思ったはずだ。
そのまま全てが終わったら……何もしていない自分に後悔して、自分達にただ負い目を抱いたまま生きていくことになる。前に踏み出す機会も奪われたまま。
「この国とエイミー自身が今回の一件を、ただ記憶の中に刻まれる傷にしないために……無駄だろうが茶番だろうが、必要なんだよこの戦いは」
「この国の、傷……」
カナタの言葉を聞いて、アンダースは確認する様に繰り返す。
自分より遥かに年下の少年の言葉があまりに重く、自分の言葉の軽さと比較するかのように。
そして、エイミーだけでなく自分にも言われているような気がしていた。
「背負う? 背負うと言ったか……“膨張”!」
「!!」
二人だけとなった中庭で先手を取るのはクヴィリス。
エイミーの宣言を嘲笑うかのように躊躇いなく最強の一手を選択する。
魔術師として第四域と第三域の差の大きさを理解しているがゆえに。
「『至れ、光の魔樹』!!」
魔力が全快した今、もう一度第四域を発動させることは容易。
中庭に巨大な光の樹が現れ、二人しかいない空間を支配する。
失伝刻印者とはいえ、実力自体は第三域であるエイミーがこれに対抗するには失伝魔術しかない。
クヴィリスはこの戦いを茶番だと捨てる気は毛頭ない。
最短にして最も有効な手でエイミーを殺しに行く。
「軽々しく口にしたものだ! お前は我でも魔術漁りではない!!」
驕らない。油断しない。だが、過度に恐れもしない。
カナタという死神に苛まれた今、クヴィリスがエイミーを恐れる理由はない。
「軽々しく!? そう聞こえた!?」
エイミーは第四域を前にして浮き上がる。
光の樹が輝きを増し、成長の予兆が一瞬だけ灯った。
「軽くなければ何だ!? 我が計画を否定するだけで国を背負えるとでも!? その小さな背に!?」
「何で私一人だけで背負うのよ! 国はみんなで背負うものでしょ!!」
「言ったはずだ! 民は導くものだと!」
「言ったはずよ! 導かなくても人は自分の意思で歩ける!」
エイミーを黙らせるかのようにクヴィリスの光の樹は成長する。
成長という概念が凝縮された第四域の放出。光の樹から伸びた無数の光の枝が中庭を鋭く埋め尽くす。
今回は失伝魔術も唱えておらず、術の相殺はない。
エイミーがどこの枝に串刺しになっているかとクヴィリスが見上げた時――光る枝の合間を縫って飛ぶ、少女がいた。
「なに……!?」
「はっ……! はっ……!」
枝がいくつも掠ったのか、あちこちから聖女の白い装束に血を滲ませるエイミー。
しかしその傷はどれも致命傷になっているわけではなく……治癒魔術を持つエイミーにとっては怪我にすら数えるほどではない。
エイミーは何ら特別なことをしたわけではなく、失伝魔術の術式による影響である浮遊……その力を使って空中で光る枝を躱しただけ。
だがそれは確証を持って躱せたわけではない。
(躱せた……! 浮遊できる私ならって思ったけど……!)
エイミーの浮遊は人間の動きというよりも海を泳ぐ魚やくらげに近い。
普通に体を動かすのと違って何にも囚われることのない自由自在であり、動きも意識次第。集中すれば普通の人間よりは躱しやすい条件は揃っているが、それでも賭けに近い試みだった。
そうした理由は先程の戦いで植え付けられた精神的な格差を埋めるため。
二人の間には魔術師として実力だけでなく精神的にも差がある。
第四域のクヴィリスは余裕が。第三域のエイミーには焦りが。
これはそんな精神的な差を詰めるための一手。お前の第四域を失伝魔術なしでも対応できる、とクヴィリスに植え付けるためにエイミーがあえて挑んだ賭け。
先程の中途半端なままのエイミーであれば、第四域を前にしてまずできなかった芸当であろう。
カナタに背中を押されて覚悟を決めた今だからこそ――ただ生き残るのではなく、恐怖を乗り越えて勝利のために体が動き、目が攻撃を直視し続けていた。
自らの第四域を使って与えたのがかすり傷。その事実にクヴィリスは目を剥く。
「馬鹿な……。我が第四域を……!」
「な、何……驚いてんの……! あんたの第四域は一度見てんのよ。なら、このくらいできて当然でしょ!」
今になって足下から這い上がってくる串刺しの想像と恐怖。
息を整えながら、はったりをぶつけろ、と自分に言い聞かせる。
当然なわけないのは自分が一番よくわかっている。一度躱したからといってエイミーの有利になるわけじゃない。ようやく自分とクヴィリスの間にあった精神的な余裕という差が埋まるのだ。
「私はトラウリヒの聖女! 我等の手が届かぬ場所で泳ぐデルフィ神に仕えし者! 木々がどれだけ成長しようとも……空を侵せるわけじゃない!!」
それでも迷いながら戦っていたエイミーはもういない。
掠った傷から血が落ちる。
空から落ちるその雫はまるで、空に海があることを証明しているかのようで。
「私が失伝魔術を使うのはあんたがこの国から消える時よ! クヴィリス!!」
「たかが初撃を躱せたのがよほど嬉しいようだな、聖女?」
空を遊泳するエイミーの姿はまるで彼等が崇めるデルフィ神。
その化身たるイルカのように優雅に見えた。




