360.■■信■■■トラウリヒ
この国が好きだ。
古くからの信仰を抱えて、ゆっくりと歩み続けるこの国が。
土地が肥沃なわけではないけれど、ふと見える景色はどれも眩しい。
きっとデルフィ神のいる世界から零れる光がこの国には降り注いでいるんだろうって、子供の頃から思っている。
「聖女様!」
「聖女様! 道中お気をつけて!」
「おいみんな! 聖女様が到着なられたぞ!」
この国の人達が好きだ。
敬虔な祈りを捧げる信仰に厚い彼等が。
この国の人達は神の教えを守りながら、懸命に毎日を生きている。
私のような糞生意気なガキを、聖女と慕いながら手を振ってくれている。
「みんな! 私が来てあげたわよ! もっと喜びなさい!!」
「うおー! 聖女様―!」
「うるさくなりすぎ! 私の声が聞こえなくなっちゃうでしょ!!」
この国を愛してる。
ずっと魔物に侵攻され続けながら、決して下を向かないこの国を。
この国よりもっと安全で、もっと豊かで、もっと大きな国が隣にあっても。
そんなこと知らない。
この国に生まれ、神を信じ、そしてこの地に生きる人を尊んだ。
私達は神と信仰が根付くこの国を愛したから上を向いて生きてるんだ。
だって、私達を待ってくださるデルフィ神は空よりももっと高い……今の私達がいけない場所におわすのだから。
上を向いているから、私達はゆっくりと歩むんだ。国としても、人としても。
神の教えを守って、善き行いをするために寄り道を多くして。
肥沃でない土地を耕し、魔物に踏み潰された芽に悲しみ、生まれた命を尊んで、死に行く命との別れを惜しむ。
そして、祈る。空の向こうで泳いでいるデルフィ神に届くように。
今日までの何百年も、そしてこれからも、信仰が途絶えぬ限り。
教皇と聖女とはそんな信仰を続ける彼等の先頭に立つ者。
「我等は信仰の先頭に立つ者。ゆえに、彼等の希望にならなければいけない」
「はい!」
「だからこそ、同じところに下りようとしてはならぬ。我等は他よりもデルフィ神に近いとこにいる意識がなくてはならない。民よりも一段、上にいるのだ」
……私はそう教わった。
物心つく前から教皇宮殿で教えを受けた。聖女とはなんなのか。
全ての教えがよかったとは言わない。私はスターレイ王国に行くまで世間知らずで生意気な子供だったから。
でも。でも、あの教えは私の中にあるよ。
他の人よりもデルフィ神の祝福を受け取っている私達がどうするべきか。
私にそう教えてくれたのは他でもない――!!
「あんたでしょうが! 馬鹿教皇!!」
視線が交わってエイミーは怒りを声にする。
光の枝が槍のごとくエイミーを襲う中、それでも声にするのを我慢できなかった。
優雅に空を泳ぐエイミーを見て、疎ましそうにクヴィリスが眉間に皺を寄せた。
「ちょこまかと……!」
「ちょこまかと動けるようにあんたと訓練したんでしょ!!」
聖女として、失伝刻印者として、エイミーは養父であるクヴィリスから魔術や魔力のコントロールを教わった。
デルフィ教の教え、聖典の読み方や写本のやり方、巡礼の手順、民との接し方。
信徒として、傀儡として育てられる中で多くの司教や司祭の教えを糧としてきたが、魔術に関してはその全てが教皇譲りだ。
養父と娘の関係でなければ、師弟の関係が似合う間柄だろう。
そんな二人が、ぶつかりあっている。この先のトラウリヒをどちらが背負うかを決めるために。
「ならばその自由を奪おう! 『水葬の聖骨箱』!」
「ぅぐ……!? さっきの……!」
骸骨を模した金色の鎧にエイミーは閉じ込められる。
先程ルミナと一緒に閉じ込められた拘束魔術。
身動きが取れなくなったところに容赦なく襲い掛かる光の枝。
拘束してから第四域を叩き込む単純ながらあまりに有効な攻撃がエイミーを襲う。
「“神よ弱き者の祝福を”! 『大地隔てる聖剣』!」
「なに……?」
エイミーの背後に現れる巨大な二本の腕とその腕が握る光る剣。
その巨大な剣は自分を閉じ込めていた骸骨の鎧ごと光の枝を両断する。
クヴィリスの驚愕は違和感から来るもの。
先程までのエイミーとは魔術の威力が違う。
同じ聖女の魔術を両断した上で、自分の光の枝を切り落とせる威力があったか?
「成長したのか……? この、数分で……?」
クヴィリスは自分の口を押さえるように手で叩く。
自分で言っておいて、何て妄想を吐いているのかと自分を叱責するかのように。
エイミーの実力を一番わかっているのはクヴィリス自身と言っていい。
だからこそ、想定外の魔術の威力が一瞬クヴィリスを惑わした。
「“愛しき民に加護を! 悪しき者には降り注げ”! 『影を滅せよ』!」
「ぬぅ……!?」
聖典の加筆詠唱でエイミーは火力を底上げする。
クヴィリスに落ちる光からは迸る魔力が火花のように散っていて、闇を裂く。
これらの攻撃魔術の威力もまたクヴィリスは大体把握している。
何せ自分を基準にできるのだから当然だ。この魔術は闇属性や呪詛には有効ではあるが……。
(何だこの威力は……!? 加筆詠唱しているからと……!)
魔術で焼かれたそばからクヴィリスの体は回復するものの痛みが違う。
先程といい、今といい、この数分で一体何が起きたのか。
第四域のもっとも強力な点はただでさえ強力な第四域の力に加えて、自らの得意なフィールドを用意できる点にある。
相手は第三域。今、第四域の仮想領域を展開している自分のほうが有利のはず。
その差は歴然のはずだが、そこまで大きな差が生まれていない。
「気圧されたとでもいうのか……!? 我が……!?」
その結論に辿り着き、自らへの失望と怒りでクヴィリスは歯を鳴らす。
人の成長は素晴らしい。目の前を泳ぐエイミーは先程のルミナのように成長したのかもしれない。
だが敗北したからといって、今の自分がエイミーの成長を少しでも恐れたかもしれないという事実が腹立たしかった。
自分は神の代理人。国の頂点。
化け物には殺されても、この最低ラインだけは他の者に踏ませまいと魔力を操る。
「串刺しになれ!! 我が影法師よ!!」
「っ!!」
聖女を貶める声と共に、クヴィリスの仮想領域――光の樹が輝く。
先程までのただエイミーの移動先を突くような攻撃ではなく、魔力の爆発。
樹木はもう一度だけ成長し、天を衝く。
同時に光の枝が中庭を埋め尽くし、教皇宮殿をさらに破壊し始めた。
「きゃああ!!」
「ひいい!」
「仮想領域の規模を巨大に……!」
二人の戦いを見守っていたカナタ達も中庭から離れるように奥へと避難した。
壁は砕け、ガラスも割れる。宮殿という人間の文明を呑み込む魔力の樹。
砂埃が舞い、整然とした宮殿の形がえぐられるように崩れていった。
「聖女は……!? 死んだか!?」
縁起でもないことを言いながらアンダースが中庭を覗き込むと、
「い、っづぁ……!!」
砂埃の中に、腕と腹を串刺しにされたエイミーが姿を現す。
最初の一回は集中して躱すことができたが、予期せぬ二回目は流石に躱しきれなかったようだ。
クヴィリスの魔力で膨れ上がった光の樹はさらにエイミーに枝を向ける。
「う、ぎ……っあああああ!? うぶ……ごぶっ……!」
目尻に涙を浮かべながら刺さった枝から逃れるが、今度は胸に光の枝が一突き。
同時に、喉元に溜まっていた血が一気に零れ落ちてエイミーの服を染めた。
相手は第四域。いかに聖女の魔術が強力とはいえ、第三域に過ぎないエイミーは一瞬で逆転されてしまう。
例え精神力で上回っていたとしても、限界があるのだ。
クヴィリスはエイミーの姿を見て、安堵する。
やはり聖女が教皇に並び立つことはないのだと。
「だが、ら……どうじだ……! ごぼっ……!」
クヴィリスの上がりかけた口角が途中で止まる。
致命傷を受けてなおその目は戦意を宿していて。
言葉と同時に吐き出る血がその純白の服をどれだけ汚そうとも――
「“最果てに……浮がぶ極光の海”……。“雫は恵みになりで、大地を癒ず”……!」
――もう何人も聖女の在り方を損なえることはない。
「『治癒の祝福』!!」
エイミーを中心に球体上に広がる光の渦。
体に刺さっていた光の枝を振り払い、エイミーの傷は瞬く間に塞がった。
クヴィリスが自分の知る聖女の魔術と違う力に驚く中、エイミーは口の中に残っていた血を唾と共に吐き捨てる。
「何驚いてんのよクヴィリス。治癒はあんただけの専売特許じゃないわ」
「どうなっている……!? 先程から、聖女の魔術の性能が……!?」
「成長してんのよ! 私は十五の乙女! 育ち盛りなんだから!」




