350.国の行く末
ダンティーニが第四域になったのは、彼が友と呼ぶ人物が死んでからだった。
才能ある魔術師に比べたら遅い開花。当時の年齢は三十八歳。
前教皇の側近が第四域に覚醒した事実は当時の教皇も驚きを見せ、祝福した。
当時はまだ跡継ぎとしての教育を受けていたクヴィリスも同様に。
「なんだここ……」
「私の第四域は珍しい空間生成型でね……。外の出来事が終わるまで君達宮殿の戦力を分断させてもらった……先程も言ったが、大人しく本を読むか写本をしなさい……」
ダンティーニは羽ばたくように飛んでいる本を一冊手に取った。
司祭や騎士が困惑している中、一人だけ図書館に相応しく本を読み始める。
その様子に、一人の真面目そうな騎士が剣を抜く。
「おいみんなさっきの命令聞いてなかったのか! 全員で――!」
「やめろ!! 抜くな!!」
その焦った声は、先程ダンティーニを前にして呆然としていた司祭と騎士を咎めていた司教だった。突然真逆のことを言われてその騎士も困惑するが、ダンティーニの後ろにいる巨大な女性が剣を抜いた騎士にじっと視線を送っていた。
巨大な女性は全身が白い光に包まれて女性の体型ということがわかるだけだが、その目はあまりにリアルにその騎士を見つめている。
その剣でどうするつもりなの?
騎士にそう問うかのように。
同時に、ぽわ、と音を立てて雪のように光が無数に落ちてくる。
「もう遅い……。二度も言った。本を読むか、写本でもしようとね」
隔離されていて伸びっぱなしの髭を撫でながらダンティーニは嘆息する。
後ろで本を読んでいただけの、巨大な女性が動く。
誰かが生唾を飲み込んだ音が聞こえた。
「殺されはしないよ……。頑張りなさい」
次の瞬間、巨大な女性は咆哮した。
びりびり、と図書館の中の空気が揺れ、巨大な女性は本を置いて暴れ始める。
先程まで会った理知的な女性ではなく、敵意を振り撒く獣のように騎士達を踏み潰していった。
ダンティーニの第四域『清し女の蛍雪』は戦意に反応する。
図書館にない剣の音。魔術の詠唱。魔道具の起動。血。暴力。
全てここにあるのは許されない。許されるのは使い手であるダンティーニのみ。
その代わり、ダンティーニ以外が戦意を見せなければダンティーニも攻撃することを許されない受け身の魔術。
使い手であるダンティーニではなく、魔術そのものが主導権を握る珍しい第四域。
「ぎゃあああああ!?」
「ごぶっ……!?」
「逃げに徹しろ! 魔術を使うな!! 魔術を使えば魔術で返されるぞ!!」
唯一、ダンティーニの第四域を知っている司教が叫ぶももう遅い。
襲ってきた巨大な女性に対して魔術を唱えた司祭は、降り注ぐ光の粒の爆発で気絶していた。
女性の足を斬りつけようとした騎士は蹴り上げられ、吹き抜けの空間を回転しながら浮き上がっている。
……この仮想領域に隔離された全員がパニックになっていた。
図書館という落ち着いた場所を模した魔術だが、その実態は圧倒的な蹂躙。
学びを得られる場所で、戦意を見せた人物達を許さない絶対の支配。
悲鳴と絶叫を音楽にしながら、ダンティーニは本をめくる。
攻撃せずに図書館らしく本を読んでいるダンティーニの隣には、小さな女の子が座っていた。
巨大な女性のほうと同じく、白い光に包まれているような女の子でその背丈に似合わない大きな本を持っていた。
ダンティーニがその本を持った子供を撫でると、嬉しそうに足をぷらぷらとさせる。
「くだらない第四域だろう……? 攻撃の意思を見せなければこちらか攻撃することもできないのだ……ゆえに、自分で攻撃しない魔道具を壊すことなどできない……。魔術師の壁を越えたところで……友の遺言を私は守れなかった……」
何度も何度もダンティーニはこの魔術で遺言を果たそうとした。
友人が作った魔道具の破壊を試みた。
けれど何度やっても『トラウリヒの微睡み』に一撃たりとも攻撃を加えることはなかったのだ。
「そして、クヴィリスに挑むこともなく……アンダースによって投獄された……。憐れだろう? 何も成せなかった老いぼれの姿というのは」
司祭や騎士達は図書館の床に倒れ、苦しそうなうめき声を上げる。
腰を抜かして戦意をとっくに失っていた司教だけが無事だった。
「はぁ……! はぁ……! たす、かった……」
「残ったのは一人か……。若い者は血気盛んでいかんな……」
第四域は別格。第四域の前に数の利は存在しない。
ダンティーニが自分をどれだけ見下げ果てても、その事実は覆らなかった。
司祭と騎士の意識を奪った巨大な女性はダンティーニの後ろに戻って、また本を読み始めた。
◆
「ダンティーニさんが消えた……?」
「奴の第四域だ! カナタのと同じで仮想領域の空間を作り上げる! 今のうちに教皇のところへ急ぐぞ! 奴のはカナタのものほど安定していない!」
「アンダースさんは見たことが?」
「奴が違法魔道具に執心して色々とやっているところを突き止めた時にな! 戦おうとしない相手には攻撃もしてこない馬鹿な魔術だ!」
アンダースは先導きって走り出す。魔物の声がうるさいが、どうやら教皇宮殿ではなく町のほうに行ったようだ。何故だかはわからないが、中庭を突っ切るチャンス。
ルミナ達もそれに続こうとするが、ルイが中庭の向こう側から何かが飛んでくることに気付く。
「きゃあ!」
「何……!?」
「今のは……」
飛んできた何かは、中庭にある噴水に直撃した。
デルフィ神を模した噴水はがらがらと崩れ落ち、水の飛沫が一瞬だけ霧になる。
流れ出た水に塗れながら、その飛んできた何かがゆっくりと浮かび上がった。
「あったぁ……!」
「エイミー!」
「ああ……ルミナ……。ちょっと下がってたほうがいいわよ……」
エイミーは猫のように水を払いながら、中庭の向こう側から目を逸らさない。
水を滴らせながらも、その集中は切れない。
「そちらの術式の副次効果は便利であるなあ……」
「!!」
エイミーが服を濡らし、頬の砂利を払っているのとは裏腹に、その声の人物は悠然と中庭へと歩いてくる。その表情には笑みを湛えて。
「我の術式などほら、今君に傷付けられたダメージがすぐに回復する程度の力しかない……我も君のように浮いてみたいものだよ」
服に傷はついているものの、クヴィリスの体は全くの無傷だった。
着替えをするだけで何事もなくなってしまいそうだ。
「糞爺……!」
「教皇……!」
「……っ!」
「ひいい!」
「ちょ!?」
ルミナとシグリが臨戦態勢に、アンダースは非戦闘員のルイを連れて元来た道を戻った。教皇宮殿の中から中庭の様子を見ている。
アンダースの姿を一瞥すると、その笑みがほんの少しだけ曇る。
(……本当にアンダースを垂らし込んだのか。少しは聖女らしい仕事ができたようだ)
内心の不満を発散するように、クヴィリスはもう一度口角を上げて中庭に残った三人を見た。
エイミー、ルミナ、シグリの三人。
壊れた噴水から溢れている水の音が夜の静けさを少しだけ手伝っている。
「三人……いや、一人はただの護衛騎士か。数えるまでもないな。」
「……っ」
クヴィリスの目はルミナとエイミーだけを捉えている。
失伝刻印者以外など相手にならないと言いたげに。
「エイミー、状況は?」
「やばい」
「端的ですね……」
「ヴンダーの杖に溜め込んだ魔力と首都中の生命力のせいで、メレフィニスの時と同じくらいの絶望を感じるわ」
「あの時とですか……それは確かに絶望ですね……」
ルミナは先程のダンティーニからのヒントを噛み砕きながら前を向く。
楽しい婚前旅行のはずが、今や国のトップと戦意をもって相対しているのだからわからないものだ。
クヴィリスは二人に向かって手を伸ばした。
「絶望しているなら投降したまえ。聖女と公女どちらも我のものになるのであれば釣りがくる」
「育ての親の癖して養女の私を口説いてんの? うえ、きも」
「せっかくのお誘いですが、私は婚約者がいますのでお断りします」
当然、ルミナとエイミーがその手をとるわけもない。
静かな夜の中、宮殿の中庭だけ空気が張り詰める。
ここがこの国の、トラウリヒという国が進む道の分岐点。




