329.トロイメーア大聖堂
トラウリヒの首都リュールヴェーアはデルフィ教の総本山である。
信徒が巡礼する際もこの町を出発点にするか、この町を終着点にして始めることが大半で人の行き来も多い。
町の中心には大聖堂が建てられており、国中の信徒の祈りを日々受けて止めている。
大聖堂は城と見紛うほど多い尖塔とデルフィ教に伝わる神話や教皇、聖女、イルカを模した彫像、そして建物中を彩る精微な装飾が信徒でなくても目を引く。
職人だけでなく、住民の祈りも込められたトラウリヒにとって大切な建物と言えよう。
大聖堂はあくまでデルフィ教の信仰を示す場所であり、政治を行う場所ではない。
政務は大聖堂の隣に建てられている教皇宮殿で行われており、ここも大聖堂よりデザインは慎ましく建てられているものの、政治と宗教の精錬さを示すような真っ白な建物で宮殿というだけある巨大さだ。
今回、カナタ達が招待されるのはこの教皇宮殿である。
「そういえば、建物がみんな同じくらいの高さだな」
首都に着くなり、馬車の中から町を眺めながらカナタがつぶやく。
スターレイ王国の王都や魔術学院のある魔術都市オールターでは建物の高さはまちまちだった。
「トラウリヒの建物はデルフィ神が私達のことを見守りやすい様に、教会や大聖堂より背が低く作られているのよ。まちまちにしちゃったら見にくいでしょう? だから国で定めてるってわけ」
「でも教皇宮殿は大聖堂と同じくらいの大きさに見えるぞ?」
「昔はもうちょっと低かったんだけど今の教皇様が増築したの。教皇や国の政務を行う者は神に見守られるという報酬がなくとも国のために尽力しなければいけないっていう決意の現れなんだって」
「へぇ……それは立派だな」
四人を乗せた馬車はゆっくりと大通りを進んでいく。
祭りが近いせいか、町はとにかく賑わっていた。
見える家の軒先には貝や魚を模したインテリアのようなものが必ず飾られていて、波を模したアクセサリーなども販売されている。変わったものでは、砂が詰められた小瓶まで売れているようだった。
そして極めつけは聖女や教皇、イルカを模した鉄製の看板。
店先に出すものではなく、あくまでインテリアのような扱いで町の住民達が思い思いのデザインを買っている。
町の職人たちがこぞって気合いを入れているのかどの店先にも置かれているようだった。
「正直、当人からするとあれ恥ずかしいのよね……私のデザインがずらって並んで買われてくの何かこそばゆいっていうか……」
エイミーは万が一にもこの馬車に乗っていると気付かれないようにフード付きのローブを深く被っていた。この時期に首都で見つかるとそれはもう大騒ぎになるらしい。
恥ずかしがるエイミーを見て、ルミナはくすくすと微笑む。
「自分の看板だなんて素敵じゃないですか。それだけエイミーが愛されている証拠では?」
「そんなんじゃないってば。あくまで聖女だからよ」
「私も一枚欲しいですね……後でルイに買ってきてもらいましょうか」
「やーめーてー! お願い! ルミナ! お願いだから! 友達に買われるのは何かちがうのよぉ!」
どうやら本気で恥ずかしいようで、エイミーはルミナの肩をぐらぐら揺らす。
「何個買いますルミナ様?」
「ルイも乗り気になんないでよ! やだってば!」
「ルイ、じゃ後で……」
「ストップ! カナタが言っちゃうとルイは本当に止められなくなるからやめて! 冗談じゃなくなるでしょ! ほんとに!」
そんな風に馬車の進みが多少遅いことなど気にならないほどに馬車の中は和気あいあいとしながら、四人はまず大聖堂へと到着した。
大聖堂はデルフィ教の礼拝の場……エイミーが姿を現しても信徒達が弁えているのか、最初に来た町モノロのような騒ぎにはならなかった。
青銅製の扉をくぐって、カナタは無意識に自分の足を止める。
「おお……」
カナタは一生、神を信仰することはないだろう。
しかし、いてもおかしくないなと広がるその空間を見て思った。
――海が、そこに広がっていたから。
もう一つの空のように高い天井を、女性とイルカが泳いでいる。
言ってしまえばその正体は天井絵なのだが、まるで水面の中から見た光のような神々しさにカナタは目を奪われた。
天井から視線を落とすと、聖人の姿が彫られた大聖堂を支える柱に祭壇、ステンドグラスには男性と女性が泳いでいる絵が輝いている。
荘厳な雰囲気の中に、どこか温かみがある……そして神を現実に呼ぶために人間の全身全霊が込められた場所。神にではなく、人間が自分の信仰を表すための熱意と迫力にカナタは圧された。
「素敵ですねカナタ……」
「はい……。王城とかとはまた違う豪華さに思えます……」
カナタ達が大聖堂にあっけに取られている中、エイミーの下に大聖堂にいた職員が駆け寄ってくる。
「これはこれは。おかえりなさいませエイミー様」
「ただいま、こっちが私の客人よ。スターレイ王国のカナタ・カレジャス伯爵とその婚約者のルミナに、こっちは専属使用人のルイ。みんな私の友達だから失礼のないようにね」
「この方々が外国で作られた聖女のご友人ですか……! この時間の勤務担当だった幸運をデルフィ神に感謝致します。聖女様、あなたのご友人に大聖堂の案内をするという大任をどうか私に」
「ええ、任せたわ。私は教皇様にご報告して呼んでくるから。カナタ、ルミナちょっと大聖堂を見ながら待ってて」
「ああ、ありがとう」
エイミーは足早に大聖堂の祭壇の脇にある関係者用の扉に入っていく。
当然エイミーは聖女である以上、常にこの地の関係者なので教皇の部屋以外は全て自由に出入りできる。
エイミーが奥に引っ込むのを見て、大聖堂で座りながらお祈りをしている信徒の何人かがため息を零していた。
「それではご案内します。トラウリヒへようこそ」
その後、カナタ達はエイミーが戻ってくるまで大聖堂を案内された。
職員の男性からは大聖堂に描かれた絵画や彫刻についての説明が丁寧になされ、当時の人間がこの大聖堂をどのような思いで建てたかの歴史に至るまで……案内を任されるだけあって、興味を惹くような説明の中に彼自身の情熱も込められているような説明にカナタ達は聞き入っていた。
「カナタ様はこの天井絵を気に入ってくださったようで」
「はい、一目見た時に圧倒されました。自分はルミナと違って芸術の分野はからきしなので何がどうとかは説明できないんですけど……」
「それで十分なのです。この天井絵は我々の魂が行きつく場所がどれだけ素晴らしい場所か信徒達に少しでも伝われば、と画家でもない当時の教皇様がその信仰によって描き切ったと言われています。つまり、この絵を支えたのは技術ではなく当時の教皇様の信仰なのです。その絵をデルフィ教徒でもないカナタ様が説明できない何かを感じ取った……一人のデルフィ信徒としてこれ以上の賞賛の言葉はないかと。お礼を申し上げます」
職員の男性から熱心にお礼を言われている中、大聖堂の空気が変わった。
カナタ達に説明してくれていた職員の男性も祭壇に向かって礼をする。
デルフィ教の象徴たる人間は二人いる。聖女と、教皇。
大聖堂の真ん中を歩いてくるのはエイミーともう一人……デルフィ教のシンボルである泡がモチーフになっているネックレスのようなものを首に下げて、豪華な法衣を着た老人がゆっくりとカナタ達の前まで歩いてきた。
ルミナとルイが礼の姿勢を取ったのを見て、すかさずカナタも同じ姿勢を取る。
「聖女の客人にそんなことをさせてしまってはトラウリヒの名折れ。顔をあげなさい」
カナタ達が顔を上げると、その老人は柔らかな微笑みを浮かべていた。
ステンドグラスのような橙と黄が混じったような瞳に、白髪交じりの金の髪。そして力強く、堂々とした眼差し。
年齢を感じさせない活力がどこか学院長のヘルメスと同類であることを思わせる。
その老人はゆっくりと、カナタに向かって手を伸ばした。
「初めまして友人達。我が名はデルフィ教皇クヴィリス・デルフィ・ハオプトロ。どうぞごゆっくり過ごされよ」
「カナタ・カレジャスです。光栄にも聖女エイミー様からお誘いを受けて参上しました。数日の間、よろしくお願いします」
静まり返る大聖堂の中、二人は固く握手をした。
ステンドグラスに差し込む青い光が揺らぐ。海を泳ぐイルカが水面に浮かび上がってきたかのように。




