第七十四話 女神をスパンキング
解せぬ。
皆の脳裏に浮かんだのは、細かい言い回しやニュアンスは違っても大体そんな感想だった。
誰一人、動こうとも語ろうともしない中、しくしくと泣き続ける心を締め付けられるような哀し気な囁きが聴こえてくる。ただし、それを発しているのはあの英雄神・アルヴァーなのだ、となると状況はかなり変わってきてしまう。
「お、おい、マリー!」
出来る限り声のトーンを抑え、喰い入るように事の成り行きを見つめているマリーに尋ねた。
「どうなったんだ、この状況!? 何か変わったことや気付いたことはあるか!?」
俺の科白を耳にして、何処か遠くを見つめたまま茫然としていたマリーの目に光が戻った。
「あ――あるわ! あるに決まってるじゃない!」
「ホ、ホントか!?」
俺はいつの間にか解けてしまっていた拘束に驚きつつも、自由になった両手でマリーの肩を掴む。
「さすがはマリー様様だぜ! さ、教えてくれ!」
「ほら、見て!」
マリーが指さすまま、俺たちはアルヴァーと魔王のいる方向へ目を向けた。
「ショタのドS眼鏡が攻めで、いつもは強気の俺様英雄神が受け……これ、やばい! 超とうとい!」
ていっ。
「ちょっと! 何で今、ぽいっ、ってしたのよ!」
「するだろ、この腐女神っ! この非常事態に何腐った妄想浮かべてハァハァしてやがるんだよっ!」
「い、いやいやいや! だってね? だってだよ!? 葵さんが言う『ショタ萌え』なんて物がまるで理解できなくて、やっぱ『俺様受け』一択よねーとか思ってたあたしがですよ? あの眼鏡という単なる視力矯正器具でしかないお堅いシロモノがトッピングされたことで気付いちゃった訳ですよ!」
そこでマリーは顎先に手を添えるようにしてポーズを取り、男っぽく声色を変えて言い放った。
「ショタ攻め……アリだな、と」
すぱんっ!
「ひゃん!」
咄嗟に手が動いてしまい、盛大な音を立ててマリーのお尻を引っぱたいてしまった。
そこにエロさなんてものは微塵もなく、ただ純粋に腹が立ったからやった、それだけだ。
「い、痛いじゃない! しかも乙女のお尻を叩くなんて――!」
「うっさいわ、ボケっ!」
少し頬を桃色に染めているのが怒り倍増である。
こっちにはそんな気はさらさらないし、そもそも今の状況ではそれどころではないのだ。
「アリだな、じゃねえよ! 無駄なイケボやめろ! それよりも、どうしてアルヴァーは儀式を止めちまったんだよ? 誰かが魔法でも使ったのか?」
「そ、それは……ないわよ?」
ぎくり、とマリーの口調がぎこちなくなったが、考えを巡らせている俺はそのことに気付かなかった。
「だよな……そもそも天界の頂点に立つ神の中の神に対して魔法が通じるとは思えないし。なあ、マリー? 例えばだけど、神の持つ御力や女神の加護はどうなんだ? あのアルヴァーに対しても、ちゃんと効果を発揮できるのか?」
「モノによるんじゃないかしら」
「……ほう?」
「例えばだけど……アルヴァーの力を奪ったり、弱体化させるような技や魔法は一切通じないと思うよ。だって、とにかくずば抜けて強い!って定められているんだから、それが具体的にどのくらいかなんて誰にも計れないんだもの」
数値化できない程途轍もなく強大な力なのだから、逆を返せば、どのくらい減らせば弱くなるとも言い難い。そんな相手を弱体化させることなどできる訳ないじゃない、そういうことを言いたいらしい。
えへん、と慎ましやかな胸を張りつつ、マリーは続ける。
「その点、あたしの加護とかは別だけどね。今だって見てたでしょ? まあ、自分の意志では――」
俺は、すうっ、と息を吸い込み、
「今・す・ぐ・そ・こ・に・正・座・し・ろ・!」
「………………はぁい」
しゅん、と肩を落としてマリーは即座に正座の姿勢をとった。
その正面で腕を組み仁王立ちをした俺は、静かな中にも凄みを漂わせながら尋ねた。
「お前だな? お前なんだな!?」
「ナ、ナンノコトカナー?」
凄え目が泳いでる。
「正直に言え! 嘘を吐けば俺には分かるんだぞ! つまらない嘘を吐けばコロス! このカオス状態がお前のせいだと分かってもコロス!」
「ど、どっちでも殺されちゃうんですけどっ!?」
女神絶対殺すマンと化した俺が一歩踏み出すと、マリーは恐れ戦いて逃げようとする。
が、早くも足が痺れたのか、はたまた俺の浮かべるあまりの形相に腰を抜かしたのか、マリーは正座を崩した程度の体勢のまま固まって、がちがちと歯を鳴らしていた。
「やはりお前だったのだな……」
「あわわわ! あたしのせいじゃないいいいい!」
ひぃっ、と顔を両腕で庇うようにして弁解する。
「あたしの加護、あたし自身の意志じゃコントロールできないんだもの! 無理なんだもん! だって、あたしが萌えないと発動しないんだもんっ!!」
……はい?
「お、おい……今何と申された、そこの腐女神」
「あたしの加護は、あたしが萌えたら使えるの!」
マリーの言葉がゆっくりと俺の中に沁み込んでくる。
十分な時間をかけて、ようやく俺はマリーが言った意味を理解することができた。
「ええと……確かお前の《加護》って、互いを愛しいと思い慈しむ、純粋な心を思い出させる……とかいう奴だったよな? そいつを喰らったアルヴァーは一体どうなっちまうんだ!?」
「喰らった、って失礼ね! 攻撃とか呪いじゃあるまいし! 普通なら、少しばかり友好的になって仲が良くなるくらいよ? 普通なら、ね」
そういってマリーは振り返った。
俺もその視線の先に目を向ける。
しかしアルヴァーは、取り落とした剣を拾う素振りも見せず、その場にぺたりと座り込んだまま、両手で顔を覆いしくしくと泣き続けている。
「あれ……どう見ても普通じゃないじゃん……」
「あ、あたしに言わないでよ! あたしだって何が起きてるのかちっともわからないんだってばっ!」
慌てた口調でマリーは顔の前で手を振ってみせ、もう一度振り返って、今度は別の方向にいる者に視線を向けて呼びかけた。
「ね、ねぇ! まおたん! 大丈夫?」
その呼びかけに、少し焦点がブレたようになっていた魔王の瞳に光が戻ってきた。
「あ……? ああ、大丈夫。僕は大丈夫だよ。でも、さっきからアルヴァーの様子がおかしくて……」
マリーの加護の影響を受けた筈の魔王でもこの反応ということは、アルヴァーの今の状態が極めて特殊で異常なのだということが改めて分かる。
「アルヴァー、君は一体どうしちゃったんだよ?」
魔王がそっと尋ねると、アルヴァーは、びくり、と肩を震わせてから、か細い声で呟いた。
「……うるさい。何でもないったら何でもない」
何処か、癇癪を起して拗ねているようにもみえる。
魔王は俺たちの方を見て肩を竦める素振りをしてから、もう一度アルヴァーに向かって語りかけようとしたのだが――。
「お前は……酷い奴だ」
「え?」
「お前は酷い奴だと言った」
魔王はそれを耳にするとしばし考え込む。それから言った。
「あ、あのさ、アルヴァー? どっちかって言うと、それ、僕の科白じゃないかなって思うんだけど? だってさ、今まさに封滅されて二度と転生できないようにされかかったの、僕なんだし」
確かに。
だが、アルヴァーは首を振った。
「……違わない。お前はさっき言ったじゃないか。俺様のことは、もう二度と思い出さない、記憶から綺麗さっぱり消し去ってしまうと。違うか?」
「そ、そりゃ言ったけどさ――」
アルヴァーの口調は真剣そのものだ。
それだけに魔王は見るからに狼狽してしまったようだ。
「それは君が、僕の大事な物を馬鹿にしたから――あ、あれ? おかしいな……?」
そこで魔王は自分でも気付いていなかった違和感を見つけていた。
「僕は何で、二度と思い出さない、なんて言ったんだっけ……?」
魔王がその科白を繰り返し口に出した時、ようやくアルヴァーはそれまで地に落としていた顔を、はっ、と上げた。
「やっぱりそうだ……そうなんだな……?」
「な、何を言ってるのか分かんないんだけど!?」
「魔王、お前は……転生前の記憶を思い出したんだろ? そうだろ? そうだと言ってくれ!!」
「そんなこと、あり得ないよ!?」
魔王は縋るようなアルヴァーの潤んだ視線を掻き散らすように両手を振って叫んでいた。
「いやいやいや! 僕たち魔王はね、神である君たちと違って、転生前の記憶は持ってないんだ! そんなこと言われたって………………え?」
そこまで言いかけた魔王の表情が、ぎくり、と硬く強張った。
しばし沈黙した後、恐る恐る尋ねる。
「何だか、ちょーっとだけ嫌な予感するんだけど、聞いても良い、アルヴァー?」
こくり。
魔王は続けた。
「君の持ってる記憶の中の僕って……一体何者?」
そこでアルヴァーは重々しく一つ頷くと、血を吐くような切なげな表情とともにこう言った。
「俺とお前は……愛し合う恋人同士だったのだ」
……え?
えええええええええええええええええええええ!
驚きのあまり、かくん、と音まで立てて、俺の口が全開放された。




