第四十八話 《王の右手》
「しばらくぶりです、老ナサニエル竜心王――」
玉座の前まで近づくと、すっ、と淀みない所作で片膝をついて頭を垂れ、その名を口に出した。それからすぐに視線を上げて、にやり、と秘密を分かち合う者同士にだけ伝わる笑みを投げる。
「まだその名でお呼びした方が良いんですよね?」
「そうとも。良い心がけである、勇者よ」
老ナサニエル竜心王もまた、ぼうぼうに伸びた白い髭の奥から、にいっ、と笑い返してきた。少なくとも前回よりはまともな話が出来そうで助かる。ただ、展開が急すぎてぽかんとした顔付きをしているマリーを他所に、老王が茶目っ気たっぷりにウインクまでしてきたのには少し驚かされてしまった。
「……こういうの、男の子は好きじゃもんな?」
老王がこそっと囁き、辛うじて俺の耳にも届いた。
「分かってますね。さすがです」
「うむ。よいよい」
ぶうぇっへ、と妙な咳払いをしてから、老王は声のトーンをいつも通りに戻して言った。
「再び貴公がこの地を訪れるとは思わなんだ、勇者・ショージよ。だが、魔王討伐の使命を果たさんとする、その心意気やよし!」
ここぞとばかりに芝居っ気たっぷりの声で言った。
「儂は昨晩、天界より啓示を得たのじゃ! そして、貴公の旅の仲間となる二人の冒険者を遣わされたのじゃよ――参れ!」
直前まで気付きもしなかったが、玉座の裏手から左右に一人ずつ二つの影が姿を現し、俺たちの前までゆっくりと歩み出る。そして天蓋から差し込む陽の光が、対照的な二人の姿を等しく照らした。
まずは一人。
「私こそが《王の右手》、戦士マクマス――」
向かって左に立つ、藍色の外套に白銀の半甲冑が目にも眩しい勇壮たる青年が口を開いた。
「よろしくね、勇者クン♪ 仲良くして欲しいな」
そのいかつい体躯に似つかわしい歌うような優しい旋律で告げる。緩くウェーブのかかった肩まである銀髪を掻き上げると今まで隠れていたブルーの瞳が覗き、さらにその下方からは純白の歯が零れた。
「よ、よろしくお願いします」
「……げ」
ん?
反射的に隣を向くと、マリーは笑みで取り繕うことも忘れ、何故か苦々しい顔をしている。
「おい。げ、とは何だよ、げ、とは。失礼な」
「あたし、知ってるのよ。あいつが誰だか」
「………………はい?」
豹変したマリーの態度を不審に思いつつ視線を戻すと、マクマスは、やれやれ、と首を振っていた。
「無理もないね。何故ならこの私――僕は、元・勇者であり、同時に元・天上神でもあるんだから」
えええええ!?
何かド偉い人が遣わされちゃってるぞ!
でも、こんなに心強いことはない。元・勇者だということはもちろんだったが、その上、元・神だということはつまり、いくつかの《女神の加護》を授かった《スキル所持者》だってことだろうし、過去に魔王を討伐したことのある《経験者》だということにもなる。
おまけにまだ《神の御力》も所有しているのかもしれない。そうであれば主人公である俺を余裕で超えるチートキャラの参戦だ。
……ん? 待てよ?
元・天上神、ってどういう意味だ?
「ちょ、マリー、解説PLZ」
「あ、あんたねえ……!」
この恰好してるのよ?とでも言いたげに文句を言いかけたマリーだったが、じろり、と疑いに満ちた半目をマクマスに向けて話し始めた。
「……こいつは敵よ。女神の敵なの。元・天上神とか自分から名乗っちゃってるけど、何てことはない、天界から追放されたのよ、こいつは!」
「酷いなあ。敵だ、なんて」
憂いを帯びた瞳が一度閉じ、再び開いた。
そして――。
「ええと……確か君、女神・マリー=リーズだったよね? スリーサイズは上から……八〇・五八・八三……だったかな?」
「ひっ……!」
マリーは込み上げる嫌悪感に身を震わせ、それから込み上げる憤怒の感情に身を震わせて叫んだ。
「し、死ねえええっ! さっくり人の超絶機密情報漏らしてくれやがりやがってえええええっ!!」
えっと。メモメモ、っと。
一応忘れぬようにと、俺が脳内HDDに書き付けている間に、マクマスは困ったように眉を顰めて再び口を開いた。
「うーん……そんなに怒ると、可愛いバストもますます可愛くなっちゃうよ? あ、パッド、一枚入れてるんだね? 無理しないで自然なままがいいのに。それと……ああ、訂正しないといけないみたいだね。少しウエストは増えたようだから、六――」
「ぶっ!殺ぉおおおおおおおおおおおおすっ!!」
マリーが腹の底から絶叫を放ったせいで肝心なところがちっとも聴こえなかったが、残念そうな表情は入念に隠した上で、俺は小声で横槍を入れた。
「……おいおいおい。知り合いだったのか?」
「ち、違うわよっ!?」
「え? だってやけに詳しいみたいじゃん?」
「違うのよ! そうじゃないのよ!!」
マリーは怒りで震えっ放しの指をマクマスの微笑みに狙いを定めるように突き付けるが、震えの幅が広すぎてもう指揮者のタクトのように見える。
「授けられた《加護》の力か、あいつに与えられた《御力》のせいなのかは分からないんだけどっ、あいつは一目見ただけで言い当てることができるの! 相手のスリーサイズだとか……そ、そのう……長さとか太さとかっ!」
はっ!
瞬間、妙に生暖かい視線を感じ、思わず俺は自分の股間のあたりを両手で覆い隠してしまった。一方のマクマスは相変わらずこちらに向けて優しい視線を投げているだけで、何処も見ていないようでもあるし、何処か一点を注視しているようにも見える。
「しかもね……」
マクマスがそれ以上余計な一言を口走りだしそうにないことにようやく安堵したのか、マリーは、はああ、と盛大な溜息と共に言う。
「あいつには一切悪気がない、ってところがタチの悪いところなの。それどころか、その実、あいつは他人に対してそこまで興味を持てないのよ。ほら見なさいよ。今、あいつが何をしてるか、分かる?」
「えっ」
マリーがつい今しがた言ったように、俺たちが目の前にいるにも関わらず、マクマスは左手に小型の丸盾を構え、右手で腰に下げた長剣を抜き払って、構えては斬り、斬っては構え、何度も何度も剣舞のような動きを繰り返していた。
「はー。やっぱさすが元・勇者だなー」
ちょっと空気読めない子感は否めないが、これはこれ、この先に待ち受ける苛烈な戦いに備え、わずかな時間も惜しんで己が剣技を磨いてるだなんて戦士の鑑である。率直な感想を伝えようと隣を向こうとすると、頬に容赦なく錫杖がめり込んで来て行く手を阻んだ。
いたたたたた!
「違うってば! 良く見なさいマクマスの動き!」
いたた……ん?
しゅばっ! がしん!
……ちらっ。
しゅばっ! がしん!
……ちらっ。
「ん……んんんー?」
周期的に違和感が。
特に端正なマクマスの顔だちの中でも、とりわけ目元のあたりに集中的に。
「いくらショージでも気付いたみたいね」
「いくら、も、でも、も余計だっつーの!」
一応、文句は言う。
それから一層声を潜めた。
「……で、あいつ一体何してるんだ? あれって、もしかして――」
「そ。斬って、構えて、斬って、構えて――そのたびごとに剣と盾のどちらかに自分の姿を映してはうっとり見惚れてるのよ。あいつ、周りには気付かれてないとか思ってるんでしょうけど、超バレバレ。超キモい! マジ無理!」
その恰好で、超とかマジとか言うな。
そこでマリーはほんのり顔を赤らめて続ける。
「でも、あれでもマシになった方。いくらかは」
「と、言うと?」
「勇者だった頃は、女神から《加護》を授かる御礼だーとか言って、片っ端から口説きまくってたってもっぱら噂だった。ってか、要注意人物?」
うわあ……。
確かにイケメンに違いないけど、駄目でしょそれ。
何だかなあ、とちょっと他人事っぽく苦笑を浮かべていた俺だったが、
「あ、そっか」
ぽん、と手を打ったマリーは納得したようだった。
「一回神にもなったんだから、今はどっちもイケるってことよね? マク×ショー……アリかも」
「ねえよっ!!」
うわあああああ!!
唐突に他人事じゃ済まなくなったから!
俺の背後の、主として臀部の中心あたりに、ひゅん!って寒気が走っちゃったから!
……ま、今は他人には一切興味がなさそうだし。
放っておこう。




