第三十二話 いざ、イベント会場へ
ど――。
ドウシテコウナッター!
「ちょっと! そこで頭抱えてないで、少しは手伝ってってば!」
何この既視感。
しかし今回は、少しばかり、いや、物凄くかなり事情が違っていた。
「頭くらい抱えたって、罰は当たらないだろ!?」
そう悲鳴に似た声で俺は応えたが、その科白には酷く現実感というものが欠けていた。落ち着かなげな俺の様子を、にやついた笑いを浮かべたまま頭のてっぺんから足の先まで眺め終えてから、マリーはこう言った。
「やっぱ似合うと思ったのよねー。だってあんた、どっちかって言うと女顔だし」
「だからって――!」
一際大きな声で言うと、俺たちの周りを通り過ぎていく参加者たちが、何事か、と怪訝な顔をする。なので、顔を寄せて、こしょこしょと囁いた。
「……一体、俺に何を飲ませたんだよ!? こうなるなんて……聞いてないっ!」
「言ってないもん」
「お……前………………!」
くっそ!
すっげえすーすーして落ち着かない!
どう考えても正気の沙汰とは思えない短すぎるスカートの裾を押さえつつ、まだにやにやしたままのマリーになおも詰め寄った。
「何で俺が……お、女の子になってるんだよ!」
そうなのである。
女装や男の娘ならまだしも――い、いや、頼まれたって絶対やんないけど――今の俺は、どこからどうみても、完璧なまでに女の子になっているのだ。
まあ百歩譲って、女体化ってのはオタクが一生に一度くらいは抱きそうな夢だろう。だが、実際にそうなったらなったで到底落ち着いていられるものではなかった。こんなの妄想だけで十分だ。
せめてもの救いは、部分的に元の容姿を残しつつも、少しかけ離れた見た目になってくれていたことだろう。背の高さはあまり変わらなかったが、髪は燃えるような赤毛で、控えめながら、む――胸もきっちりとそれなりの自己主張をしていた。瞳の色までも違ってしまっていたようだったが、それ以上鏡の中の変わり果てた自分の姿を見ていられずにギブアップしてしまったのでよく覚えていない。
くっそ……何で俺が……。
「へっへーん。凄いでしょ? これこそ神の力よ」
マリーは何故か自慢げにふんぞり返って言った。
「前にAmazinで見かけて、一度使ってみたいなあって思ってたのよ。んで……買ってみたの」
「自分で飲めば良いじゃねえか……!」
「今度いつか、気が向いたら、ね?」
女同士、ということもあってかいつも以上に距離感を計るのが下手糞になっているマリーは、顔を赤らめて俯いている俺の細い顎先に無遠慮に手を添えると、強引に、くい、と上向かせた。
「ほーら。せっかく声まで可愛らしくなってるんだから、そんな乱暴な言葉遣いは、めっ!だぞ?」
「ううう……」
さっきからずっと消えない違和感の一番の原因はそれだった。この姿の俺は、やたらと可愛らしいアニメ声なのである。声優の誰かに似ている気もしたのだが、それを思い出すどころではなかった。
「お前……覚えてろ――なさいよ?」
くっ、と睨み付けた。
だが、俺の意志とは無関係に涙目になってしまっている。
「そーそー。良い感じ」
マリーは笑いを噛み殺す。
「貯め込んでたメガポで、衣装も揃えてあげたんだからねー。すっごい似合ってるわよー。……ほら! スカート押さえてないで背筋を伸ばしなさいよ」
「見えそうなんだよ……これ……!」
これデザインした奴、だいぶ頭おかしいだろ!
「だいじょーぶ大丈夫。ギリギリ見えてないって」
「ギリギリなのかよ!?」
自分では見えないが、思った以上に短いらしい。
「ちょ――! 引っ張んな! めくんなってば!」
スカートの端を摘み上げるマリーの手が足の付け根あたりに触れた途端、勝手に、ひゃん!とか声が出そうになってしまい、恥ずかしいやら悔しいやらでますます頬が熱くなってしまった。
「さーって。会場の外でイチャイチャしてても仕方ないから、早く会場に入らないと」
「にしても、結構な人が来てるのな……」
二人して改めて周囲に集まっている群衆を眺める。
俺たちの横を通り過ぎていく参加者たちは、皆一様にこの日のために準備した思い思いの衣装に身を包んでいた。比較的多いのはマニッシュ、というよりストレートに男装だった。今まで腐女子向けイベントに参加した経験なんてなかったけれど、いかにも『らしい』感じがする。
その中において、魔法少女めいたフリフリブリブリの衣装に身を包み、右手に造型師が悶死しそうな複雑なデザインのステッキを持っている俺はむしろ少数派に属するようだ。ときおり周囲から飛んでくる好奇心の入り混じった視線に晒され、ますます落ち着かない気持ちになってきてしまった俺は、左手に握るカートの持ち手に力を込め、のんびり見物中のマリーに声をかけた。
「い、急ごう。設営とかもあるんだから」
「あ、うん。まだ距離ありそうだもんね」
マリーの持つ能力である例の《扉》を使えば会場の中に直接アクセスできるものだとばかり思っていたのだが実はそうでもなく、少し離れた《拠点》と呼ばれる場所に《扉》は開いた。
何でも《扉》はどこにでも設置できるという物でもなくって、こういう公共の施設に関してはあらかじめ設定されている場所にしか設置できないのだそうだ。さっき俺たちが《扉》を出ようとした時も、すぐ隣に複数の《扉》が出現していたせいで他の女神たちと鉢合わせするような格好になってしまい、危うくぶつかりそうになって、ひやり、とした。
ころころ、とカートを転がしながら、改めて思う。
「って言うか……かなりデカいな」
「うん。ここ来たの、初めてだよ」
目の前に鎮座している巨大な盃のようなアンバランスな外観をした白亜の建造物の名は『悠久ゴッドサイト』と言う。やっぱり何処かで聴いたような名だが、ここが本日のイベント会場だ。急に無口になったマリーの方を横目で見ると、緊張してきたのか表情が硬く強張っていた。
「おい、ビビってるのか?」
「そんなこと――!」
言いかけてから、ははは、と乾いた笑いが漏れた。
「……ホントは超帰りたい気分。あんたは?」
「おいおい、お――あたしはオタクだぜ?」
一瞬間を置いてから、ストレートに答えてやる。
「……って強がって見せたいとこだけど、正直言うとさっきからちょっぴり膝が笑っててさ。武者震いじゃないな、これ……ははは」
「どうしよう……」
マリーの足取りは重くなったが、反対に俺はカートを引く手に力を込めた。
「だからって、いまさら帰る手はないぜ? せっかく苦労してここまで来たんじゃないか。お前、すっごい頑張ってたもんな。それに、出来上がった自分の初めての本、見てみたくはないのかよ?」
「そりゃあ……見たいわよ? けど――」
遂に足が止まる。
言葉が出ない。
が、反射的に俺はマリーの手を掴んでいた。
「行こうぜ、まりりー☆先生」
ぎゅっ、と手に力がこもった。
「大丈夫、ずっと見てきたオタクのあたしが言うんだから間違いない。自信を持て。お前はただ前を見て、しっかり胸を張ればいい。お前にはその資格がある。そして、お前の妄想を皆に見てもらうんだ」
「あたしの……妄想……」
マリーの手が強張ったのは恐れからだろうか。
それとも恐怖?
後悔?
いや――どちらであっても駄目だ。
「いいか、まりりー☆先生?」
一際手に力を込めると、驚いたようにマリーは俺の真剣そのものの顔を無言で見つめた。
「ここにはきっと、お前の描いた妄想を好きになってくれる人がいる。わくわくして、きゅんとして、どきどきしてくれる人がいるんだ。お前をずっと苦しめてきた妄想が、間違ってないんだ、正しいことなんだ、って言ってくれる人がここにはいるんだぞ。それ……見てみたいと思わないかよ!」
はっ、と息を呑む音が聴こえた。
やがてマリーは、
「し――仕方ないわねっ!」
手を振り解いてそっぽを向く。
その声は、うわずって震えていた。
「あまったかちゃんがそう言うんなら、行ってあげなくもないけどっ!? そ、それに? 別にあたし、行きたくないなんて少しも思ってないしっ!?」
耳は真っ赤だ。
でもそれは口に出さずもう一度マリーの手を取ると、俺は威勢の良い号令をかけた。
「よーし! じゃあ我ら『まりーあーじゅ』の初陣と参りましょうか!」
「う……うっし!」
けどそこは、うんっ!が良かったなー。
ま……いっか。
そして俺たちは、遂にイベント会場へと足を踏み入れたのだった。




