第三十三話 はじめてのせつえい
「ここで……いいのよね?」
「だな」
目の前にあるどこか妙に懐かしさを覚える折り畳み式の簡素な長机の隅っこには、『とー8』と印刷されたシールが貼られていた。間違いない。ここだ。
運が良い事に、サークル『まりーあーじゅ』に割り当てられたのは四角い島の角の席だった。さすがにお誕生日席とまではいかなかったが、ここだって人の目には触れやすいし、片方しか隣が来ないので気が楽だ。何より出入りがしやすいのが良い。
きょろきょろと落ち着かないマリーは置いといて、前もって葵に聞いていたことを俺は一つ一つ実戦に移すことにする。まずは隣のサークルの人に挨拶しないと、だ。
「あ、あの……今日はよろしくお願いします!」
「はーい。こちらこそー」
自分たちもまだ準備で忙しいだろうに、ぎこちない俺の挨拶にわざわざ手を止めてにっこりと応えてくれた。そのとろんと眠たげな眼をした薄紫色のロングヘア―の優しそうなお姉さんの隣にいたのは、明るい栗色をしたあちこちくせっ毛が跳ね散らかっているボーイッシュな印象の女の子だった。にかっ、と白い歯を見せて、おっす、と片手を挙げる。
ふう、出だしはOK。
内心、ほっ、と胸を撫で下ろしつつ、まごついているマリーを追い立てるようにして再びカートを始動させると、島の中へと入りこんだ。
あれ……次はどうするんだっけ?
入ったはいいが、思考が止まってしまった。
と――。
「ええと。もしかして、初めての参加かな?」
「うっ……分かりますか?」
「あ! いいのいいの! 気にしないで!」
余程表情に出ていたらしい。ロングヘア―のお姉さんは見ているこっちが気の毒になるくらいの慌てっぷりで何度も手を振って笑う。
「誰だって最初は緊張するものだもの。まあ、ウチの相方はちっともそうじゃなかったけど。ああ、そうそう。私は舞亜。この子がその相方の織緒」
慌ててぺこぺこ頭を下げつつ、俺たちも名前だけの簡単な自己紹介を返した。
うんうん、と頷きながら舞亜さんは説明を続ける。
「私たち『カルネヴァール』というサークルでここに参加しているのよ。と言っても、ここではサンプルを展示しているだけで、気に入ってもらえた人に注文を受けてから、それを製作・販売してるの」
こちらから、何を――と尋ねる前に、足元の箱から実際にそれを見せてくれた。
「――コスプレ衣装。作るのも売るのも私よ。じゃあ織緒はって言うと……この子はウチの看板かな」
「ま、そんなとこだなー」
気を悪くする様子もなく織緒さんは腕組みをしたままむふーと息を吐き、満足気に何度も頷いた。
看板?
売り子ってことじゃなく?
舞亜さんの言った『看板』という言葉の真意が掴めなくて黙っていると、また別の箱の中から取り出した一揃いの衣装を抱えて織緒さんは言った。
「んじゃー、行ってくるぜ、舞亜」
「はいはい。行ってらっしゃいな」
またなー、と手を振りいずこかへと駆けて行く。
「えっと……。織緒さんは何処に?」
「すぐに分かるわよ」
ひらひらと手を振ってマリーの言葉を遮り、舞亜さんは俺たちのスペースの上をちょいちょいと指さした。
「ほーら。まずはそこに乗ってる邪魔な椅子を降ろしちゃった方がいいわよ? 準備、始めないと」
「あ。そ、そうですね」
俺たちのスペースとなっている長机の上には、無数のチラシに埋もれるようにして折り畳み式のパイプ椅子が二つ載っている。マリーにカートを預けてからそれを降ろそうとしたものの、慌てすぎたせいで何枚か床にチラシをばら撒いてしまった。それを舞亜さんが拾ってくれる。良い人だなあ。
「こんなに……。これ、どうすんの?」
「えっと……」
まごついていると、舞亜さんが半透明のごみ袋を広げて差し出している。
「興味があるなら持って帰って後で見ればいいんじゃない? ま、ほとんどが印刷所の広告か、別のイベントへの参加募集でしょうけどね。慣れればその場で仕分けして不要な物は捨てて帰ることもできるけれど、それより今は準備が優先。でしょ?」
「ですね。ありがとうございます」
マリーはぺこぺこ御礼を言いつつ、好意に甘えて手の中のチラシをがさっとごみ袋に投入する。ちゃんとごみ袋は持ってきていたのに、どうにも勝手が分からず手際が悪い。後でちゃんと返そう。
「お――あ、あたしは設営始めるから、まりりー☆先生は印刷の仕上がり具合を確認してて」
「えっ……。ど、何処にあるのよ!?」
「ほら、机の下に」
早速持参してきたテーブルクロスを両手で広げつつ、顎をしゃくるようにしてマリーに合図を送る。そこには小さめの段ボール箱が二つ、置かれていた。
「これ……が?」
マリーは見た目より重量感のあるそれをうやうやしい手つきで取り上げると、スペースの裏手まで運んでしゃがみ込んだ。やがて、ぴりぴりとガムテープを剥がし始める音がする。しばらくは放っとこう。
机の上に広げたクロスを目にすると、舞亜さんが感心したような声を出した。
「あら? 素敵ね、それ」
「ありがとうございます。嬉しいです」
俺たちの初陣を飾るに相応しい物を、と悩みに悩みまくった挙句にチョイスしたそれは、黒を基調に、無数の星を散りばめた夜空をデザインした光沢のある布地だった。材質はちょっと分からない。でも、薄すぎず、しっかりとハリがあって、ここまで折り畳んで運んできたけれど皺も目立たなかった。
けれど、舞亜さんが感心してくれたのはデザインだけじゃなかったようだ。
「サイズぴったり。それに……まあ! 手前の部分はポケットにしてあるのね! 凄く便利じゃない!」
「そんなに重い物は入れられないんですけどね」
手前に多めに垂らしたクロスを折り返すようにして袋状に縫い、ついでに三等分になるよう縦方向にも縫っておいたのだ。
「ペンとかノートとか、ちょっとした小物くらいなら入れておけます。紙屑みたいなのもここに入れちゃえばいいかな、って」
「うんうん」
何もオリジナルのアイディアという訳ではない。
以前に同人サークルの集まるSNSで何となく見かけた物だったのだが、さすがに細かい寸法までは覚えていなかったのでそこは少々頭を使う必要があった。
まず、この《ノア=ノワール》で開催されるイベントで使用する長机の寸法をネットで調べ、ポケットの部分を作るにはどれくらいの寸法が追加で必要になるかを計算した。一番困ったのは長さを示している読めもしない謎の単位の存在だったが、考えてもみればそれを計る定規の方も同じ単位で表記されている訳なので無事クリアできた。ちなみに、いまだにその単位は何と読むのか分からない。
「ね? あまったかちゃん……だったわよね?」
舞亜さんは急に困ったような微笑みを浮かべる。
「こんなことをお願いするのは間違っているのかもしれないけれど……。これ、今度私も作ってみてもいいかしら?」
「えっ」
驚いてまじまじと舞亜さんの顔を見つめると、
「そ、そうよね。あなたが発案者なのだし」
「あ……。いえいえいえ!」
恥じたように自分の頭をこつんと叩いた舞亜さんに慌てて手を振って見せる。
「違います! ちょっと驚いたってだけですから! 少しでも、便利だなって思ってくれたのなら、もう、どうぞどうぞ!って感じなので。ただ、細かい寸法とかまではあたしもメモしてなくって」
「あら! いいの!?」
良いも何も、そもそも俺の発明でも何でもない。
それでも舞亜さんは嬉しそうに笑うと、ぺこり、と頭を下げた。
「ありがと。では、お言葉に甘えるわね。寸法の方は大丈夫。私、大抵の物は見れば分かっちゃうの」
「へー。凄いですね。やっぱりそっち方面の女神様なんですか?」
どうやらそういう質問は女神たちの間でもあまりしないようで、舞さんは一瞬きょとんとしたかと思うと、急にくすくすと笑い出した。
「いやね、ただの趣味よ。好きが高じて、ってとこ。それよりも――」
「あああ! そうでした!」
いかん、すっかり手が止まってる。
まだサークル設営、終わってなかったんだっけ。




