第二十三話 閲覧、コメ、ありがとうございます!
スクリーンには、見たことのあるイラストが映し出されていた。
いや、正確に言えば、見たことのある、しかしそれとは少し違っているイラストだった。
「お前! こ、これ……と……投稿したのか!?」
「あ……うん」
マリーは、今にも消えてしまいたい、とでも言うように身を縮こませ、両手をジャージのズボンの間に、きゅっ、と挟み込んでもじもじしている。
「葵さんに話したら、是非見てみたい!って言われて、やりとりしてるうちに何だか断り切れない雰囲気になっちゃって……。でもでも、あたしなんかのイラストなんて……」
「おいおい」
「あー。やっぱ、止めとけばよかった……」
そう言ってマリーは、見ているこっちまで胸が締め付けられるくらい切なさを込めて溜息を吐いた。一時のノリでやってしまったはいいが、いまさら激しい後悔の念に苛まれている様子だった。
だが――俺は違った。
「お――おいおいおいっ!」
こいつ……気付いてないのか!?
「おいっ、違うだろ! これ……見てみろって!」
俺は興奮を隠さず、目を背け続けるマリーの肩をがしりと掴んで強引にスクリーンに向けてやった。
そこには――。
「………………う……うそ……っ!?」
閲覧数、一〇一五回。
コメント数、三〇四。
どちらもその数は、最初に見た葵のイラストに対するそれには遥か遠く及ばなかったのだけれど、それは確かにマリーの描いたイラストに向けて送られた『声』だった。
「うそうそうそうそっ! あたし、投稿したの、ついさっきよ!? それなのに、こんな――っ!」
神絵師SNSは、天界に住まうオタク層にとって欠かすことのできない、いわばポータルサイトといった位置づけだ。その桁外れの数の訪問者たちの手によって、さらにそれを遥かに超える閲覧数が日々叩き出されている。
「ねえ……! こ、こんなの嘘だし、絶対――!」
それでも、だ。
良いイラストかそうでないかは、スレッドに居並ぶサムネイルからある程度判断できてしまうものだ。だからこそ、世の中には『サムネ詐欺』みたいな投稿が存在する訳で、クリックして見てもらえたってことは一つ目のハードルをクリアしたってことで。
「このコメント……素敵なイラストですねって……。こっちは……ファン第一号名乗ってもおk?って」
もちろん、これ、葵さんの盗作じゃね?と、ありもしない言いがかりを付けてけなしてくる奴もいた。それを、ぴしり、と制したのは、当の葵だった。そのあまりに見事なあしらい方に思わず、にやり、とさせられてしまった。
『あーこれ違う。だってこれ、ショタじゃないし。確定的に明らかぞ? ファンを代表して言っとくと、ってことだったけど、だったら違うのは分かってるくせにこのいけずー! あ、そこの違いが分かりません!って人っ! キミには葵から入念に一〇〇年解けぬショタロンの呪いかけとくぜ!(はあと)』
こういう手合いは頭ごなしに叱ったり否定したりされようものならむしろ反発し、ますます意固地になるものだ。そうならないよう相手自身のことは認めつつも、誤った認識や発言に関しては正すべきところを正し、最後には自ら道化を演じてみせることで話題を変えてしまっている。お見事、と言うよりなかった。
自称ファンの連中は、時に暴走し、最も敬愛する作者の意志をまるきり無視して、脚光を浴びる別の作者の作品を意図的に貶めたりもする。そうすることで、自分が好きな作品の方が上だと、その優れた作品に惜しみない愛を注ぐ自分の『信仰心』の方がより純粋で強いものなのだと叫びたいのだろう。だが、所詮それは、他者を蹴落として地に貶めることでしか優位性を保てない者であることを自ら証明してしまったようなものであり、空しい行為だ。
とは言え、彼らの本質はそこまで歪んではいない。
ただ、好きなだけなのだ。
いいよねあれ、って頷いて欲しかっただけなのだ。
残念ながら、それきりその投稿者のハンドルネームはマリーのイラストへのコメントの中から姿を消してしまっていたようだが――。
「いつか……この人にも、凄いね、って言ってもらえるかな……。いや! 絶対言わせてみせるし!」
マリーは闘士のごときタフさで、新たな決意を胸にスクリーンの中に消えた誰かに向けて力強く頷く。
が――。
その表情が歪み、今にも泣き出しそうになった。
「お、おい……何が――」
「んっ」
喋ろうものなら止められなくなる――込み上げる感情を必死で押し留めるように、マリーは無言でその真新しいコメントを俺に向けて指し示した。
『ファン第一号は譲らない。絶対にだ! 第一号は葵なのですよ。ねー。くっそー! ショタじゃないのに……ショタじゃないのに、悔しいけど感じちゃう!(びくんびくん)また新作描いたらよろー!』
ド変態め……。
書き込まれているコメントはどうしようもなく品性を欠いた物だったのだけれど、自分の顔がだらしなくにやけるのを止めることができなかった。
「……よかったな、マリー」
「ん。ん」
まだ喋れそうにないマリーは何度も頷き、ジャージの袖で目元を拭う素振りをしている。俺は何となくそれを見ちゃいけないって気がして、別の方向へ視線を泳がせた。
くいっ。
「?」
くいくいっ。
が、マリーがしきりにシャツの端っこを引っ張ってきたのでそちらを見る。
「どした?」
「………………ありがと」
どきり、としてしまった。
「お、おう。い、いや……俺は別に何も……」
「それは違うし!」
思わず腰が引けて慌てて距離を置こうとした俺の身体を、シャツの端っこをしっかりと握り締めているマリーの手が引き戻した。
「ショージがアドバイスしてくれたからじゃん! ……ホントはすっごく悔しかったんだ。ケチばっかつけて、って超ムカムカしてた! けど……けどね、独りになって考えてみたら、やっぱそうだなーって思えたから……。だからこれ、描き直した奴なの」
そうか――。
だからこのイラストには見覚えがあったし、同時に違和感もあったのだ。
けれど、呆気にとられて見つめ返しているだけの俺の沈黙をマリーは別のものと誤解したらしい。
「ち、違うよ!? ちゃんと下描きもしたから!」
ほらほら、とラフスケッチの証拠を見せてくる。
「漫画じゃなくってイラストだから、ネ、ネーム?ってのはやんなかったけどっ! で、でも! このシーンに登場する二人は、今どういう思いで、互いをどう思ってこんな表情してるのかとか、すっごく妄想したんだからっ! だから……だからだよ?」
この短時間で、か?
こいつは……まったく。
また俺は視線を反らしたが、でもそれはさっきのとは違って、俺自身が今浮かべてしまっている表情を見られたくなかったからだった。俺は咳払いをするように口元に拳を当てて、そっとそれを隠した。
「……ま。叩き上げのオタクである俺に言わせれば、ようやく及第点ってとこだがな? ……褒めてやる」
くしゃっ。
「な――なによう!」
くしゃくしゃっ。
「あ、頭をわしゃわしゃ撫でるのはやめてってば! 子供じゃないし! ほどけちゃうでしょってば!」
いいじゃん。
ちょっとやってみたかったんだからさ。




