第二十二話 一夜明けて
「うーっ……朝か」
のそり、と起きる。
そこここが強張った身体が伸びをした拍子に軋みを上げた。
肩を上げ下げし、首をぐるりと回すといくぶん楽になった気がする。
入室を許可されたとは言え、さすがにほんわかパステルトーンのマリーの部屋で、となると、逆に一睡もできないという妙な自信と確信が童貞臭い俺にはあったので、扉の外で寝ることに決めたのだった。
「痛ってえ……止めときゃよかった」
でも、すっかりお馴染のこの空間にはベッドどころか布団すらない。おまけに、ご存じのとおりガラスっぽい床なのである。寝返りすら拷問に等しい。
それに、朝かー、とか言ってるけれど、実際には一度も陽は沈むことがなかったのである。
いや、ずっと起きて見張っていた訳じゃないけれど間違いないだろう。単純に雲の上の世界なんだろう、とか安易に決めつけていた俺だが、まるきりアテが外れてしまってちっとも寝た気がしなかった。
とは言え、どうやら俺は《勇者》になったせいで、睡眠や空腹、その他の身体的ダメージについてもかなりの耐久性が身に付いているようなのだ。
「ふ……わあぁ……ふう」
しばらく生あくびを繰り返していたが、
「あいつ……もう起きてるかな?」
ふと気になって、例の扉へと向かった。
こんこん。
返事はない。
「おーい。開けるぞー?」
開けてしまってから、一瞬ありがちなラッキースケベが脳裏をよぎったが、
「何だよ、起きてるなら返事くらいしろって――」
最後に見た時と寸分違わないマリーの姿に呆れ気味の半笑いを浮かべて声をかける。
……いや。
ちょっと待て。
セーブポイントからやり直したみたいにまったく同じ姿勢ってことは、つまり――。
「……おいこら、そこの腐女神」
へらっとした笑いを引っ込め、苦虫を嚙み潰したように渋い顔になってしまった。はあ……と溜息を溢しながら、卓袱台の上に置きっ放しのペットボトルから麦茶をコップに注ぎ一口含んだ。ぬるい。
「お前、まさか……あれからずっとその神絵師SNS読んでたんじゃ――」
「あ、馬鹿ショージ。おはよ」
「おはよ、じゃねえよ!」
俺が寝てたことくらいは気付いてたんだな。
「寝ないで全スレ読破とか、腐女神っつーか廃人、い、いや、廃神かっつーの!」
うおお。
漢字で会話したい。ストレス溜まる。
「だって、神や女神には睡眠欲なんてないし」
「せやかて工藤――!」
「それよりさ!」
きっと分かる筈もない俺のボケに、かぶせ気味にマリーは興奮冷めやらぬ口調で言った。
「――葵さんがこの《神絵師SNS》の管理人だったのよ! ううん、そうじゃなくったって、葵さんのイラストって本当に凄くって、どれもこれも綺麗で、もー溜息しか出ない。わくわく……どきどきして……ええと、これって確か……。何て言えば良いんだっけ……?」
えとえと……としばらく黙り込んだマリーは、瞳の中に星まで散りばめた澄んだ目で高らかに告げた。
「そう! ……ドチャシコっ!!」
ぶふーっ!!!!!
「き、きたなっ! もー、噴き出さないでよっ!」
「おおおお前が変な言葉覚えるからだろうがっ!」
わなつく指でマリーを指すが、驚きのあまり思うように狙いが定まらない。一方マリーの方はと言うと、ぶつくさいいながら、飛沫のかかったスクリーンを丁寧に拭き拭きしていた。その不満げに突き出された唇がもごもご動く。
「分かんない言葉があったら自分でゴゴれ、って言ったの馬鹿ショージじゃん……」
「い、いや……まあ、そうなんだけども……。つーかお前、そ、その言葉の意味、本当に分かって使ってるんだろうな?」
「当ったり前じゃない! ちゃんと調べたし!」
マリーはほとんどイキオイでそう答えつつも、
「あー。あれでしょ? どちゃくそシコれる、って……あ、でも、『シコれる』って結局どういう意味なのか分からなくって……。男の子に聞けば、そりゃもうねっとり丁寧に教えてくれる筈よ、って言われたんだけど」
そして上目遣いに俺を見た。
「ちょ――! ま――っ!」
誰だよ!
その、お遊び程度のパス練習に渾身のドライブシュート蹴り込んでくる馬鹿はっ!
エロ同人か!
エロ同人みたいにか!
そこで、はっ、と我に返った。
「ま――待て待て待て!」
「? 教えて……くれるの?」
「ややややや! お、教えないけどっ!」
必死に拒む俺の顔と手の振りが速すぎるあまり、きっとマリーから見たら三つか四つに分身したかのように見えた筈だ。好奇心が満たされずちょっと残念そうにも見えるマリーから距離を置き、何とか視線を反らして尋ねた。
「い、言われた、ってお前……それを誰から聞いたんだよ?」
「ん?」
かちかちっ。
さも当たり前の事だとでも言いたげに、マリーがその会話を『見せて』くれた。
「ほら。そんなの、葵さんからに決まってるじゃん。フレンドになってくれたんだー!」
「嘘だろ!?」
二度見したが幻影ではなかった。
「……あーマジだ。マジだわこれ」
頭が痛い。
こめかみを揉みほぐすようにして言う。
「つーか……お前、危機感とか警戒心とかないのか。このド変態、どこの誰だかも分からないんだぞ? それこそ男か女か――じゃなかった、神か女神なのかも分かんないんだし……」
「ち、ちょっとっ! 葵さんのこと、悪く言うのは許さないわよ!」
だーかーらー!
近いんだってば!
激昂して椅子を蹴るようにして立ち上がったマリーだったが、にやにや笑いを浮かべながら再び腰を降ろすと、肩にかかった長い髪を払い除けるような何ともムカつく仕草をした。
「……はっはーん、ヤキモチって奴なんでしょ?」
残念ながらそこには髪の毛一本ないんだが?
お前の頭の上でとぐろ巻いてるんだが?
「あたしに先を越されたからって、ぎゃーぎゃー言わないで! ……そりゃあ葵さんの言う、ショタ萌え、ってのはあたしにはいまだにちっとも理解できないけど? 偉ぶったところなんて少しもないし、初心者のあたしを馬鹿にしたりもしなかった。むしろ、初心者丸出しのあたしのコメントにしつこく絡んできた他の人を注意して守ってくれたんだよ?」
「そ、そうだったのか……」
俺の中で葵の評価が、度し難いド変態、から、節度と常識を持ったド変態、に変わっていた。ま、基本的にはド変態ってことに変わりないんだけど。
「それにね――」
かちかちっ。
マリーは、葵のプロフィール画面を表示した。
性別・女神、とある。
ツッコミどころは満載だけども。
「仕組み上、この世界のネットでは、神か女神かは詐称できないの。葵さんは女神。それは間違いないんだって。だからっ……しっ……心配しなくたって大丈夫なんだってば!」
「ししし心配なんて誰がしましたか!?」
やめろやめろ。
何かこっちまで頬が赤くなっただろ!
「あと……ね?」
かちかちっ。
お、おい……それは?




