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 リリィ・アフェアの死から十年の月日が経った。ツーパレス市の衛兵隊長補佐リクター・スウィンドルは前衛兵隊長の死去に伴い隊長に昇進し、事件の後に親交を深めたアコニット・ラースと結婚していた。彼が原因不明の奇病に侵され、下半身不随となったのはそんな折である。やむなく仕事を辞めることになったが、年金のおかげで不自由なく生活できるのが救いだった。

「すまんな、アコニット」

「気にしなくていいのよ。面倒ごとはいつものこと」

 悪口も慣れてしまえばかわいらしいものだ。彼女はリクターが下半身不随になったと聞いた時もにっこり微笑んでその事実を受け入れ、今も献身的に尽くしてくれている。今となってはリクターの生活は彼女なしには成り立たない。

「ねえ。思い出話をしてもいいかしら」

 アコニットがそう切り出したのは、穏やかな日曜の午後だった。寝台で上体をクッションに預けるリクターのそばで、彼女は椅子に腰かけている。

「別にいいが……どうした、突然に」

「リリィ・アフェアのことを覚えている?」

「もちろんだ。痛ましい事件だった」

 リクターとアコニットが出会うきっかけとなった事件を覚えていないはずがない。犯人のバロナーは牢内で首をくくって死亡、彼が経営していた銀鹿亭は料理人のコッキンが経営を受け継いで、今でも繁盛していると聞く。

「ちょうど、十年が経ったのよね。あのときのことで、聞きたいことがあるの」

「ああ。覚えている範囲でなら、答えるぞ」

 リクターの言葉にうなずいたアコニットが、問いを口にする。

「リリィを見殺しにしたのは貴方でしょう、リクター?」

 爽やかな春の陽気、その空気が一瞬で凍てつく。

「……見殺し、だって?」

 それだけをようやく返す。表情を消したアコニットの顔から、感情を読み取ろうと試みる。彼女がなにを思ってその問いを口にしたのかがわからない。

「バロナーを犯人に仕立て上げたときの、貴方の言葉を借りましょう。これが最後のチャンスよ。リリィ殺しを自白する気はあるかしら?」

「お前は誤解しているんだ、アコニット。まずは話をしよう」

 アコニットの目は本気だった。事実はどうあれ、リリィ殺しをリクターが認めればこの場で殺されると直感する。

「いいわ、話をしましょう。まずは貴方が犯人だと気付いた経緯について」

「…………」

 否定の言葉を連ねるのは逆効果だと理解する。彼女は冷静に話をしている。

「最初に違和感を覚えたのは、教会でリリィの遺体と対面したとき。あの子はバラの香水を好んでつけていたけれど、それに混じってシトラスがかすかに香ったの。当時、リリィの周囲にいた人間でシトラスの香水をつけていたのは、貴方だけ」

「それは……俺とリリィは付き合っていたから……」

「ええ、そうだったわね。けど、あのとき貴方はこう言っていた。リリィと最後に会ったのは一週間前だって。だったら、あの日におろしたばっかりのあの子の服に、貴方の香水がついているのはおかしいわよね」

「お前……そのときから俺を疑っていたのか……」

「それだけで犯人だと決めつけたわけじゃないけれど。その後の発言に注意を払うきっかけにはなったかしらね。貴方、最初はわたしを犯人にするつもりだったでしょう? 途中で計画を変更するから、ボロが出るのよ」

 アコニットの洞察力を甘く見ていたのは事実だった。そもそも、リリィが遺言書を残していること自体が想定外だった。

「リリィはいい子だから上手く取り繕っていたけど、ナルキンに付きまとわれたりと内心では銀鹿亭での仕事をよく思っていなかった。だから、晴れて解放奴隷になった暁には貴方と結婚して仕事を辞めるつもりだった。けど、バロナーは解放奴隷になってもリリィが銀鹿亭で働き続けると思っていたから、そこで口論になったんでしょうね。結果として、かっとなったバロナーはあの子を突き飛ばした」

 まるでその場にいたかのようにアコニットは語る。

「運悪く、リリィは机の角に頭をぶつけて、血を流して昏倒。慌てたバロナーはなにを思ってか、リリィを外に運び出そうとした。医者に連れて行こうとしたのかも知れないけど、彼が死んでしまった以上はもうわからない。いえ、死んでしまったとは言ったけど、それだって本当はどうだったか」

「あれは……自殺だった」

「そう。なら、そういうことにしておきましょう」

 衛兵隊の不興を買った犯罪者がどうなるかは子供でも知っている。バロナーはそれを悲観し、また銀鹿亭を失うことに絶望もしていた。死んだ方がマシではないか、と耳元で囁いたのはリクターだったか、あるいは部下の一人だったか。

「その晩、リリィに呼ばれた貴方は人目につかない裏路地で待っていた。そう、貴方は彼女の部屋で待っていたと言っていたけど、それは不可能だった。なぜなら、中からはかんぬきがかかっていて、誰かに開けてもらわない限りは銀鹿亭の中には入れないのだから。きっと、いつもはリリィに入れてもらっていたから、つい口を滑らせたんでしょう? わたしが矛盾に気づかないと侮った貴方のミスね」

 アコニットは最初から衛兵隊を信用していなかった。衛兵隊長補佐であるリクターが犯人ではないかと指摘しても、揉み消されるか、最悪の場合は彼女自身が犯人に仕立て上げられることを懸念していたのだろう。

「ずっと、気付いてないフリをしてたってことか……」

「そういうこと。そもそも貴方、婚約者が殺されたっていうのに冷静過ぎたのよ。リリィとの関係をわたしに看破されて、慌てて犯人に対して憤ってみせる様子なんてあんまり嘘っぽいものだから、笑っちゃいそうだったわ」

 そのときのことを思い出したように笑ってみせるアコニット。

「ついでに言えば、奴隷への蔑視をわたしの前で隠さなかったのも失敗だったわね。貴方がお金目当てでリリィに近づいたのはその時点でバレバレだったわ」

「そこまで見透かされてるとはな……」

 そうなると、彼女がリクターと結婚したのも目的があってのことなのだろう。

「友人を殺された復讐か? ずっと機会を伺ってたってわけだ」

「もしかして、まだ気付いていないのかしら?」

 アコニットはテーブルに置かれたカゴから一本のキノコを取り出した。

「マヒダケ。一本まるごと食べると手足のしびれと強烈な嘔吐感をもたらす毒キノコ。普通ならそれほど重篤な症状を呈することはないんだけど、乾燥させて粉末状にしたものを微量かつ長期間に渡って摂取することで、手足などの末端部に毒素が蓄積して回復不可能な麻痺をもたらす。そう、ちょうど貴方の足のように」

「アコニット、お前……! 毒まで盛ってやがったのか!」

「衛兵隊長にまでなった貴方に、公正な裁きを受けさせるのは難しかったから」

 当然のように言い放つ彼女に、リクターは言い知れぬ恐怖を感じる。

「それに、貴方が罪に問われたところで、リリィを復活させるためのお布施と、彼女を解放奴隷にするための費用の両方がまかなえるわけじゃない。あの子の奴隷としての十年が報われるためには、それだけじゃ足らなかった」

「……そうだ、遺体が腐敗する前に復活しなければ、人はアンデッドに成り果てる。お前とリリィの妙な遺言書さえなければ、万事が丸く収まっていたんだ」

 もはやリリィの殺害をごまかすのは不可能とみて吐き捨てるリクターの姿に、アコニットは嫌悪感もあらわに目を細める。

「……頭から血を流すリリィを引きずって裏口から出てきたバロナーと鉢合わせた貴方は、図らずも彼の弱みを握ることになった。後は任せろと体よく追い払い、リリィがそのまま死ぬに任せて、遺産を手にするつもりだったんでしょう?」

「身勝手な妄想を、見てきたように語る」

「いいえ、妄想なんかじゃないわ」

 アコニットはかぶりを振ると、背後の続き部屋に声をかける。

「リリィ。もう出てきていいわよ」

 その声に応じて、リリィ・アフェアが姿を現した。あれから十年が経ったというのに、当時と全く変わらない姿に戦慄する。亡霊が出たとしか思えなかった。

「残念よ、リクター」

 痛ましげな表情、沈んだ声でリリィが告げる。彼女は生きている。生きていた。だが、なぜ、どうして。リクターの頭の中で疑問が渦巻く。

「種明かしをして欲しいと言いたげな顔ね、リクター。きっかけは、リリィの死を嗅ぎつけて押し寄せてきた僧侶たちの宣伝文句よ。あの時、復活教会や他の教会に混じって、冷凍教会というのがいたでしょう?」

 冷凍教会。現代の回復魔法では治療が困難な患者を冷凍し、未来の回復魔法の発展に希望を繋ぐという教義の新興宗教だったはずだ。

「バロナーが捕縛されたあの日、すでにリリィの遺体は冷凍教会に預けていたの。長期だからって格安で引き受けてくれたわ。後は簡単。バロナーとの奴隷契約が時効で消滅する十年が経過するのを待ってリリィを復活させれば、晴れてリリィは解放奴隷として復活できるって寸法よ」

「そんな、そんな手が……」

「法の抜け道よね。わたしが悪用したから、早晩潰されると思うわ。けど、わたしにとっては一回で十分。リリィさえ戻ってくれば、それでいいのだもの」

 リリィの手を取り、リクターには向けたことのない笑顔を浮かべるアコニット。

「本当に残念だわ、リクター。リリィは、貴方が真実を述べて悔恨の念を示せば、許してもいいと考えていたのに。貴方はそれを真っ向から裏切った」

 あまりのショックに反論や言い訳は頭から抜け落ち、唇を噛むしかなかった。リリィがどんな表情を浮かべているか、確認するのも恐ろしかった。

「あたしはね、リクター。貴方を信じていたのよ」

 酷く穏やかに、リリィが語り始める。

「最期のとき、頭から血を流して意識がもうろうとする中で感じたのは、貴方の匂いだった。ああ、あたしは死ぬけど、大好きな人に看取ってもらえるんだって、そう思って死ねたの。でも、そうじゃなかったんだね」

 細くて美しい、記憶の中にあるのと寸分違わぬ指で、リリィは自らの首に触れる。そこに残っているのはわずかな痕。リクターがその手で彼女の首を絞めた、傷痕だった。無意識に、自分の右手に左手を重ねてしまう。

「衛兵隊は手袋をしている。だから手袋をしていても誰にも怪しまれない。リリィの首を絞めたとき、彼女にひっかかれてついた傷を隠すのにはさぞ便利だったでしょうね、リクター。けど、煙草を吸うときも外さないのはやり過ぎだったわ」

 アコニットはリクターの手の動きを見咎め、淡々と指摘した。あのとき、仕事終わりで私服に着替えていたリクターは手袋を外していた。素手で首を絞めた際にひっかかれてついた傷は、一日や二日で治るものではなかった。苦肉の策として、事件の日から数日は常に手袋をつけたまま過ごしていたのだった。

「リリィ、もういい?」

「うん。ありがとう、アコニット」

 短いやり取りを交わし、再びアコニットがリクターに向き直る。

「もう貴方に興味はないわ。だから、終わり方くらい選ばせてあげる」

 そう言ってサイドテーブルに置かれたのは、水の入ったコップだった。そこに粉末が注がれ、スプーンで念入りにかき混ぜられる。なんの粉末かとは尋ねなかった。おそらくはマヒダケ、しかも致死量を超える分量だった。

「これを呑んで楽になるか、半身不随の身体を抱えて無様に生きるか。好きにすればいいわ。わたしもリリィも興味はない。もう貴方の顔を見たくもない」

 それだけを言い残すと、アコニットは本当に興味を失ったかのように視線を外し、リリィの手を取って立ち上がる。

「行きましょう、リリィ」

「ええ。……さようなら、リクター」


 誰にも気にかけられることのない死。あるいは生だけがそこに残されていた。

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