↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/178

間に合わなかった宮前

駅へ着いた時、海浜迷宮の受付灯はもう点いていた。


事故ミラーには《段階再開中》とある。


朝倉さんの再開判定から、十二分が過ぎていた。


俺は間に合わなかった。


列車を降り、海浜迷宮行きの連絡車へ乗った。原因を聞く必要はない。固着の解消も、再開の条件も、俺が到着する前に記録されている。


それでも、完了した現場を見ずに班へ戻る選択はしなかった。


仕事を奪わないことと、結果を確かめないことは別だった。


連絡車の窓から港へ入る一便が見えたが、海浜側の午後便ではなかった。停止した荷を一度に戻さないため、海浜側の受入枠はまだ空けてある。


受付灯は点いていても、今日の見学は終了済みだった。動いているのは、明日の予約変更を受ける窓口だけだ。


海側広場では、三箱が別々の台車へ載っていた。加工所へ送る一箱、補償後に廃棄する一箱、別の受入先へ翌朝運ぶ一箱。守れた、失ったと一つにせず、箱ごとの処理先と時刻が決まっていた。


午後便二便も出航元と地上倉庫へ振り分けたままだ。日中班を夜まで残して遅れを取り返す計画はない。


営業担当は俺へ完了報告をせず、明日の受入量を減らす電話を続けていた。


それが営業側の復旧だった。


白線の手前で、入場札を受け取った。


「宮前さんでも、通常範囲だけです」


柏木さんが言った。


「砂床保守層は図面改訂まで閉鎖。封鎖扉の先は現地潜水班の次回点検まで入場不可です」


「分かりました」


俺の名前で線を広げなかった。


入口前室では、予備空調の風が戻り口へ素直に流れていた。


交換した捕集枠は保管袋の中にあり、元へ戻してはいない。砂の付着方向と湿りを残し、分析担当へ渡す番号が付いている。


潮見回廊へ下りると、事故ミラーでは分からなかった音がした。


砂を押す低い息ではない。


海側で短く鳴り、中央の床へ柔らかく返り、最後に入口の壁が小さく受ける。


満ち始めた潮の音だった。


俺が聞く前から、三窓は同じ順を二度返している。俺の耳は、再開判定の根拠へ追加されない。


ただ、記録された正常と、今聞こえる返りは合っていた。


封鎖扉の確認帯は垂れている。奥から上がっていた重い潮臭はなく、濡れた砂の臭いは海側へ引かれていた。


現地ダイバーの二人が、回収容器を引継ぎ棚へ運んでいた。


一人が俺へ、八年前の枠の写真を見せた。


「宮前さんなら、内側から枠を出しましたか」


質問に、正解を期待する響きはなかった。


自分たちの施工と、別の保守案を比べたい声だった。


写真だけを先に見ていたら、俺は内側の砂床を広く開け、枠の摩耗を確認してから交換可否を決める案を出したと思う。


可動部が図面から落ち、八年埋まっていた。縁材の破片も出ている。枠自体が傷んでいる可能性を、開ける前には下げにくい。


その案なら、内側の作業帯をもっと広く取り、停止時間も長く見積もる。砂床の層を崩すので、何がどちらから噛んだかという証拠も一部失う。


現地班は逆だった。


外側浮標で使っている砂回収枠を使い、潮戻り受けを持ち上げない。砂、結晶質の殻、古い縁材の破片を、付いていた側ごとに分けて外した。


一回動いたところで終了せず、戻りの遅れから残った硬い層を見つけた。


枠の変形がないことは、八年前の写真だけでなく、潜水班の外側確認具と、現地設備員の更新記録で合わせている。


修理後の確認も、人工の負荷を入れて早く動かさなかった。次の自然な潮を待ち、海側、中央、入口側へ戻る順で確かめた。


「俺の案より、砂床を壊す範囲が小さいです」


俺は写真を返した。


「止める時間も短い。回収物の向きも残っています。枠を交換しなかったのは省略ではなく、再使用できる根拠を現地で揃えた結果です」


現地ダイバーは、回収容器の札を一度見た。


「二回目をやったのは、最初の戻りが鈍かったからです」


「そこが一番いいと思います。動いたことではなく、以前と同じ速さで戻ったことを見ている」


俺が付け足せる修理はなかった。


真央さんが、公開用ではない事故記録を持ってきた。


最初に見せたのは、完成した三点比較ではなかった。


《予備空調起動の風による表層砂の崩れ》


自分で付け、三分後に無効化した赤い注記だ。灰色の帯には、映像到着時刻と現地起動時刻を同一にした、と理由が残っている。


「国の聴取担当から、この事故の記録提供依頼が来ています」


「俺の聴取資料へ足すんですか」


「いいえ。別の実績です」


真央さんは提供画面を開いた。


提出者の候補には、誤注記を訂正した真央さん、三点を診断した朝倉班、施工した現地班、停止を決裁した白瀬さん、退路を閉じた獅堂さんがいる。


俺の名は、《事故中の閲覧者》にだけあった。


提供対象も、成功した修理映像だけではない。


第一仮説を外した履歴。真央さんの時刻誤認。退避時刻を守って測定を中断した記録。設備側署名だけでは回収車を入れなかった履歴。朝倉さんが一度、再開を保留へ戻した時間。


「『宮前不在でも同じ答えを出した例』にはしないんですね」


「同じ答えか、分かりませんから」


真央さんは言った。


「宮前さんと違う方法で止めて、違う方法で直して、誰の承認も借りず再開した例です」


提供依頼の分類は、《個人代行》ではなく《分散停止・独立再開》だった。


俺は内容を承認しなかった。


閲覧者として、事故中に診断入力をしていないことだけを確認した。資料の提出可否は、各原本の保有者と市の記録担当が決める。


正式な停止申請が受理されたため、例外事故ではなく制度実績として扱える。


国へ説明していた標準化の話へ、現場が先に一件の実物を返していた。


工具箱を持ってきていないことに、そこで気づいた。


国の聴取へ出た朝、班へ置いてきたままだった。


持ってきていても、開ける作業はない。


朝倉さんは管理室で、再開後の最初の引継ぎをしていた。


正常値、潮位、退避路、残件をもう一度説明してはいない。


次の当直が見る画面を開き、再停止条件だけを現物と合わせている。


三窓の順が外れる。


封鎖扉の確認帯が張る。


空調の保護停止が戻る。


そのどれかで、受付灯が点いていても新規入場を止める。


図面改訂が終わるまでは、砂床保守層へ赤札を残す。担当は現地設備員、期限は翌当直。作業後は、改訂図と海側台帳を別の班が照合する。


「宮前さん」


朝倉さんが俺に気づいた。


「再開、出しました」


「見ました」


「途中で一度、保留に戻しています。上段の退路に保冷枠が置かれていて」


弁明ではなかった。


自分の判定を、都合の悪い保留ごと渡してきた。


「止め直したのは正しいです。設備が直った後に置かれた物なら、現場復旧の署名では拾えません」


「はい」


朝倉さんは少し間を置いた。


「宮前さんが着く前に、終わりました」


俺も、事故ミラーの時計を思い出した。


列車を降りた時、再開判定から十二分が過ぎていた。


事故へ間に合わなかった。


以前なら、そう記録したと思う。


だが、現場には俺が遅れたために増えた損失がなかった。


帰還要求は出なかった。


遠隔診断も求められなかった。


白瀬さんは自分の権限で止め、獅堂さんは時刻で全員を出し、真央さんは間違いを残し、朝倉班と現地班は正常比較から直した。


最後の再開も、俺の承認を待っていない。


「俺が間に合わなかった、ではないですね」


言い直した。


「呼ばれずに済んだんです」


朝倉さんが返事をする前に、次の当直が赤札の位置を尋ねた。


朝倉さんは俺を見ず、現物棚へ案内した。


それでよかった。


事故票の最後には、俺の承認欄がない。


人員は負傷なし、設備は再開後監視、三箱と午後便は処理先あり。真央さんの誤注記から施工原本まで、次の班が原本番号で開ける。


俺が署名したのは、事故の合格ではなかった。


通常当直へ戻った後の、連絡受領欄だけだ。


《宮前直人・次回勤務時に図面改訂結果を閲覧》


今日の成果を俺の名へ戻す欄ではない。


海側広場で、最初の一箱を載せた地上車が動き出した。


受付では、明日の見学予約へ再開の連絡が送られている。


潮見回廊の奥から、短い波音が三つ、順に返った。


誰もその音を俺へ聞かせるために待ってはいなかった。


俺は、戻った後から聞いただけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。