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白瀬玲奈が指揮を執る

海浜迷宮の二つの警報が落ちた時、最初に開いたのは宮前さんの帰路ではなく、停止損失の一覧だった。


私は――白瀬玲奈は、予定作業票を事故票へ切り替えた。


画面の上段に《事故指揮者》が点滅した。


候補者の選択欄には、当直責任者と私の名がある。宮前さんは市外移動中で、候補にも入っていない。


私は自分の名を選んだ。


《白瀬玲奈・受任》


受任の表示は、市の海浜迷宮管理室と現地入口にも同時に出た。


現地責任者から、すぐ通話が入った。


『一般入場は止めます。ただ、午後便の素材が港で待っています。地上の仮保管庫は今日、別港の遅延分で半分埋まっています』


稼働を続けたいという要求ではなかった。


止めた品物を、どこへ置くのかという質問だった。


『朝便の三箱だけでも、表層保管区から出してよいですか。入口より陸側です』


空調と潮位警報の原因が分からない。陸側という呼び名だけで、安全範囲にはできない。


「現在位置と退路確認が終わるまで、人を戻しません。三箱の保冷余裕は」


『短いです。ただし箱ごとの予備材を追加すれば、地上搬送を待てます』


「追加できる場所は?」


『海側広場の倉庫です。迷宮へは入りません』


私は、箱を取りに戻す案を退け、広場側の予備材を地上へ運ぶ人員を出した。保管品の損失をゼロにはできない。人を原因不明区画へ戻さず、損失が出るまでの時間だけを延ばした。


現地責任者は反対せず、三箱の品名と劣化判定者を事故票へ追加した。


安全のため、と書けば損失品が消えるわけではない。


誰が使えないと判定し、誰へ補償を連絡するかまでが私の側の仕事だった。


三箱を守れなくても、診断班へ回収を命じない。その線も現地責任者と確認した。


損失予定額は、原因が分からないまま事故票へ載せた。


それも、私が引き受ける停止だった。


受任時刻が固定されると、予定していた観測窓交換は中止になった。作業用に確保していた短い停止枠も消える。ここから先に生じる保管便の遅れ、見学区の閉鎖、代替輸送の費用は、事故対応の損失として私の決裁へ付く。


「朝倉さん、二警報を同じ原因にしないでください。最後の正常記録から診断を開始」


「はい。空調、潮位監視、共通電源の三列で受けます」


朝倉さんは宮前さんの席へ行かなかった。


自分の端末で海浜迷宮の系統図を開き、名取さんへ現地札との照合を頼んだ。柏木さんは朝番の入退場を閉じ、戸田さんは現地原本の時刻を確保する。片桐さんは予定作業の許可を終了させ、事故下で使える測定範囲だけを市の現地責任者と結び直した。


五人が一枚の回答を作る配置ではない。


「獅堂さん、現在人数と進入可否を」


『表層利用者十四、朝番設備員三。全員、海側広場へ出す。確認が閉じるまで新規入場なし』


短い返答の後ろで、金属製の退路札が鳴っていた。


現地の空調は止まっているが、表層はすぐに呼吸できなくなる密閉区画ではない。だから安全だとは置かなかった。空調が落ちた原因と、潮位警報が見えなくなった原因が分からない。潮位そのものまで正常とは限らない。


「進入線は?」


『地上の設備室まで白。迷宮入口から潮見回廊は黄色。海側の封鎖扉は赤だ。診断が要るなら、白から採れるものを先に出せ』


「赤を開ける許可は出しません。退避命令は獅堂さんを優先します」


『了解』


真央さんは、事故前二十分の映像を公開系統から外した。


隠すためではない。海浜迷宮の避難口と、潮位警報が見ていた海側通路が映っている。一般公開すれば、まだ使える退路へ見物人を集める。


「原本は二系統です」


真央さんが言った。


「空調盤は市の共通時刻。潮位警報は現地の潮時計。普段から少しだけ記録間隔が違います。同時表示ですが、発生順はまだ確定できません」


「同時故障と発表しないでください。現時点は、同じ表示時刻に二つ見えなくなった、までです」


公開保留の理由と、次の発表条件を市の広報へ渡した。


利用者全員の退出確認。地上潮位の外部照合。空調停止区画の確定。三つが揃うまでは、原因名を出さない。


事故画面の隅に、宮前さんの列車が表示された。


次の停車駅で降りれば戻れる。乗り換えを含めた最短帰着時刻まで、自動で計算されていた。


現場到着は、早くても一時間以上後だ。


今から呼び戻せば、朝倉班はその一時間を《宮前待ち》として扱うかもしれない。待たなくても、途中の宮前さんへ現地情報を集め、判断の最後だけ預ける形へ戻る。


事故指揮者の欄に、名前を入れた意味がなくなる。


「宮前さんへの帰還要求は出しません」


小暮班長が私を見た。


「国の聴取は止めない?」


「止めません。事故ミラーは共有します。ただし現地の診断入力には接続しないでください」


「何かあった時の責任は」


「停止範囲と損失は私です」


答えると、事故票の未入力欄が一つ減った。


責任という言葉だけでは、保管品は守れない。


海浜迷宮は、表層の低温と湿度の安定を利用して、港へ入った迷宮素材を短時間保管している。今日の午後便を止めれば、二便分を地上の保冷車へ移す必要がある。車両は、別施設の定期便と共用だった。


私は定期便を奪わなかった。


海浜側の二便は港の仮保管庫へ残し、地上電源の保冷区画を追加で借りる。長く置けない素材だけを小型車で分けて運ぶ。遅れを夜間の一斉搬送で取り返す案は退けた。事故後の道路と作業員へ、停止した分をまとめて載せない。


見学区は終日閉鎖にした。予約客には別日の振替と交通費の扱いを市が通知する。


管理室から、閉鎖範囲を狭められないか再度照会が来た。


海浜迷宮の入口前には、迷宮へ入らず海を見られる地上デッキがある。潮位板もそこから読める。見学区と切り離せば、デッキだけは開けられるという提案だった。


収入を守るためだけの提案ではない。閉鎖すると、港の潮位板を日常的に見る人も減る。自動警報が失われた今、外部の目視は残したい。


私は全面閉鎖にしなかった。


デッキの海側半分を地上観測班へ渡し、一般利用を止める。陸側半分は、退出者の通過と第二集合所への移動に使う。観測者と退出者が交差しないよう、入口を分けた。


潮位の目視を残しながら、見物人は入れない。


損失を減らすことと、事故を小さく見せることを同じにしなかった。


海側広場は、全員退出の確認場所として残す。ただし、地上の手動潮位板が通常幅を外れる、迷宮入口の空気が外向きへ変わる、退路へ魔物が出る。そのどれかで広場も閉じ、堤防側の第二集合所へ移す。


損失と中止線を、同じ決裁へ入れた。


『表層利用者十四、退出確認』


獅堂さんの声が入った。


『設備員三、退出確認。負傷なし。現地確認班はまだ入れていない』


人が出たから、すぐ診断を始められるわけではない。


私が現地へ着いた時、海側広場には十四人分の退出札が伏せて並べられていた。


名前を読み上げる代わりに、朝番の入場原本と一枚ずつ照合する。見学者の一人は予約名と受付名の表記が違い、最初の照合で未退出扱いになった。


獅堂さんは、本人が目の前にいるからと人数を閉じなかった。


受付記録を直し、退出時刻を別の担当が確認するまで、入口の白線を開けない。


三分後、十四枚が揃った。


設備員三人も、工具と一緒ではなく人だけを先に数えた。観測窓交換用の箱は入口内に残っている。取りに戻す作業は許可していない。


私は、事故指揮者の腕章を受け取った。


目印のためで、現場の原因が分かるようになる物ではない。


朝倉さんが診断点を選び、獅堂さんが入れる線を引き、真央さんが映らない範囲を未確認にする。その三つを変えずに、止めた費用と次の中止を私が持つ。


朝倉班が地上設備室へ着くまで、現地の朝番は空調盤に触れず、表示と現物札だけを保全した。予定していた観測窓の工具も、その場で封じた。作業途中の物が原因候補へ混ざらないよう、まだ始めていなかったことを残した。


宮前さんからは、《受領》の二文字だけが返った。


原因の候補も、見る順番も書かれていない。


私は返信を求めなかった。


海浜迷宮へ向かう車内から、朝倉さんが最初の比較を送ってきた。


港の外部潮位板は、予測どおり引いている。海浜迷宮の潮位警報は消えたまま。空調の共通電源には、他設備の応答が残っている。


二つが同時に見えなくなった事実は変わらない。


一つの停電で全部落ちた、という最初の簡単な説明だけが外れた。


現地到着後、獅堂さんが許可した白い線の手前で、朝倉さんたちは装備を合わせた。


扉は閉じている。


空調も動いていない。


それでも、真央さんの定点音声に、濡れた砂を押すような低い息が入った。


『白瀬さん』


朝倉さんが、断定を避ける時の声で呼んだ。


『入口で潮の臭いがします。外は引き潮です。臭気は、潮が引く向きと逆に、迷宮の奥から上がっています』


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