新人班の停止判断
地上の返事を待つ欄は、僕たちの中止票にはなかった。
通信二系統喪失。
観察柱は前回幅を超えたまま上昇。
入口側の土砂は継続。退避壁の内側に五人。負傷なし。
僕――朝倉湊は、最後の一行へ《外周区画・新規負荷停止》と書いた。
宮前さんならどうするかを考えるためではない。
試験前に自分たちで決めた中止条件が二つ成立し、片桐さんが持つ現地条項の範囲が、そこまでだったからだ。
「試験区画と次の搬出負荷を止めます。奥作業区は止めません」
名取さんが退避壁の現地盤を確認した。
「外周隔離はここから申請できます。操作は現地設備側の鍵が要る」
鍵を持っているのは、僕たちではない。
名取さんは設備経験があるが、この森林迷宮の運転員ではなかった。別施設で似た盤を扱った経験は、他人の権限を代わりに持つ理由にならない。
退避壁の奥に、外周観察所と山側避難区画だけを結ぶ現地用の伝声板があった。試験範囲外の設備なので、片桐さんが事故表示を確認し、名取さんが現地図と端子札を照合してから起動した。
二度目の呼びかけに、福本さんという林業設備員が応じた。森林迷宮の搬出設備を十年以上見ている現地運転員で、奥の林業班六人の一人として山側避難区画にいる。
『六人、負傷なし。現地鍵と運転権限は私が持っています。こちらの盤から外周一を操作できます』
戸田さんは、その返答を停止決裁とは別の時刻で原本へ残した。
柏木さんは、こちらの五人が退避壁の内側にいることを数え直した。奥の空気を測れないまま追加隔離へ進まない条件も、先に盤の横へ置いた。
片桐さんが現地条項の札を盤へ読み取らせた。
「事故時の限定停止を決裁します。範囲は外周一。理由は通信喪失と観察柱逸脱。奥の利用停止は未決裁です」
「止めた損失は」
名取さんが聞いた。
片桐さんは、事故だから不要とはしなかった。
「今朝の二便目と、午後の選別。地上側が代替を持っていなければ材が残ります。ただし、増便で取り返さない条件は事故切替前に承認済みです」
設備を止めれば、それで安全判断が完成するわけではない。
止めた分を明日へ無理に押し込めば、同じ斜面へ大きな負荷が戻る。通信がなくても、その禁止まで開始前の票に残っていた。
僕は開始前に地上側へ送った五人の署名を出した。地上から許可が戻らなくても、事故条項は失効しないと白瀬さんと読み合わせている。
戸田さんが、操作時刻の原本を二台へ残した。片方は通信端末ではなく、耐水の記録札だ。地上へ届かなくても、僕たちが何をしたかは消えない。
名取さんが現地盤の隔離枠を選び、片桐さんと二人で表示を照合した。対象表示を伝声板で送り、福本さんが奥側の現地盤で同じ枠を復唱する。
僕は観察柱を見た。
「外周一。新規負荷なし。奥は維持。福本さん、実行してください」
『外周一、現地鍵で実行します』
福本さんが現地運転員として操作し、盤の縁を走る緑の光が、入口側から一枠ずつ暗くなった。
一度に全部は消えない。外周から奥へ負荷を押し込まないよう、区画の境で返りを待つ仕組みだった。
足元へ来ていた細かな震えが弱くなった。
退避壁の向こうで続いていた土の落下も、間が長くなった。
観察柱の上昇は止まった。
僕たちは警報が消えるのを待たなかった。停止によって別の場所が悪くなるなら、その反応は次の一枠を落とす前に出る。
戸田さんが三十秒ごとに、観察柱と土砂音を別の欄へ刻んだ。
土砂は、停止の直後に一度大きく鳴った。名取さんは停止が斜面を壊したとは決めず、落下位置が退避壁へ近づいていないことだけを確認した。
迷宮圧は、下がらない。上昇が止まっただけだった。
停止成功の丸を付けるには足りない。
それでも追加停止へ進む前に待つ反応としては、二つとも中止条件を増やしていなかった。
「風が減っています」
柏木さんが、奥側の扉を見た。
扉の下で迷宮側へ揺れていた細い葉が、床に伏せていた。
外周の圧が下がったぶん、奥から入口へ返っていた空気も細くなっている。
名取さんは全面隔離の枠へ手を伸ばさなかった。
「圧だけなら次を落としたい。でも、奥の送気が同じ系統なら、人がいる側を先に止めることになる」
戸田さんが入場原本を出した。
奥作業区には林業班六人。停止実行前には伝声板で全員の無事を確認した。
停止後も同じ位置にいるか。避難区画の空気がどれだけ残るか。
僕たちの位置からは測れていない。
停止操作に使った伝声板は地上へ伸びる線ではない。僕が三度呼ぶと、二度目に返事が来た。
『山側避難、六人。負傷なし。送気盤、注意表示』
残る五人は選別班と運搬担当で、設備を操作する権限は持たない。
「こちら試験班五人。入口側は土砂で通れません。外周一を停止しました。そちらの空気は」
『弱っています。まだ退避用の範囲です。全面停止すると、山側の根道まで止まります』
共通手順では、人命区画の送気低下は追加停止の前に代替を確保する。
ただし森林迷宮の現地図には、外周隔離と山側送気の関係が書かれていなかった。
「どこまで維持すれば、六人が出られますか」
『山側の材送り枠を空にする間です。人は乗せません。通路に残った材と道具だけを先に抜けば、歩いて保守口へ出られます』
福本さんは設備で人を運ぶ案を出さなかった。
林業用の材送り枠は荷のための設備で、人の避難装置ではない。だが通路を塞いでいる材を、誰かが抱えて運ばずに済む。
「必要な時間は」
『一回分では足りません。二回。途中で送気盤が赤へ入ったら、材を残して全員を保守口へ出します』
片桐さんが許可札へ、奥作業区の運転継続を足した。
通常搬出の再開ではない。避難通路を空けるための、二回を上限とした現地設備使用だった。開始責任者は福本さん。中止は送気盤の赤表示、伝声板の喪失、通路への土砂、生態の侵入のどれか一つ。
柏木さんが反対した。
「こちらから奥の退路を見られません。福本さんだけに人数確認を持たせないでください」
奥には設備員のほかに、選別班の班長がいた。福本さんが運転と空気を持ち、班長が一人ずつ保守口側へ送る。こちらの戸田さんが伝声板で人数を受け、六人目が出るまで外周一より奥を止めない。
戸田さんは、六人を一度に《避難完了》へ変えなかった。
一人。
二人。
材送り枠の低い駆動音が、根の下から伝わる。荷が一度通るたび、空気は弱くなった。観察柱は上がらない。入口側の土砂も、大きくは動かない。
止めた範囲を広げないことが、土砂を軽く見た判断ではない。
人が出るまで、二つの危険の間に止める位置を置いた。
三人目の後で、伝声板に砂を擦るような雑音が入った。
柏木さんが手を上げた。
名取さんは次の隔離へ進まず、福本さんも材送り枠を止めた。
『こちら、通路変化なし。送気盤は注意の上端。伝声板だけ一時欠け』
「再開の根拠が一つ足りません」
僕は言った。
声が戻ったことだけでは、線が保つとは言えない。福本さんが予備の局所札で時刻を返し、戸田さんの記録と一致した。選別班長が三人目までを保守口の外側で確認し、残る三人が避難区画内にいると別に数えた。
二つの確認が揃ってから、二回目を始めた。
四人。
五人。
最後に福本さんが出る前、材送り枠の駆動音が途中で止まった。
『最後の道具箱が残りました』
「人は」
『私一人。箱を置けば出られます』
瀬尾さんが札を取りに戻った場面を、全員が見ていた。
福本さんは道具箱へ戻らなかった。位置と中身を伝声板へ残し、保守口へ歩いた。
「六人目、山側保守口外。奥作業区、残留者ゼロ」
選別班長の声を、戸田さんが時刻と一緒に復唱した。
避難者は全員、対象区画から出た。
僕たち五人は、まだ退避壁の内側にいる。
柏木さんは山側保守口を、僕たちの新しい出口にはしなかった。奥へ続く通路は試験前に歩いておらず、六人が出られたことと、こちらから五人で進んでよいことは別だった。
「救助されるために、未確認の道へ人数を増やしません」
僕たちは今の退避壁を維持した。福本さんとは伝声板、地上とは無通信。出口が一つ見つかっても、退路として確認されるまでは使わない。
人を先に出したことで、空気の下がる区画を止める余裕だけができた。
僕は奥作業区の追加隔離を提案した。そこで初めて、片桐さんはその範囲を決裁した。福本さんが保守口外の現地盤へ鍵を入れ、現地運転員として運転終了を実行する。名取さんがこちらの盤に出た対象表示を照合し、戸田さんが決裁・操作・設備反応を同じ時刻へ置いた。僕は観察柱の戻りを見た。
緑の光が、もう一枠だけ暗くなる。
風は止まった。
次の瞬間、退避壁の下から青白い霧が薄く湧いた。
床に伏せていた葉が、入口側へではなく、僕たちの足元から奥へ転がった。
止めた側へ流れが戻るはずだった。
実際には、空になった避難区画の方から、外周へ向かうはずの流れを押し返している。
観察柱の数字は下がっているのに、空気だけが逆へ動いた。
名取さんが隔離盤から手を離した。
「もう一枠閉じれば、表示上は止まります」
「移送先が分かりません」
僕は答えた。
逆流を消すことと、正規の流れを戻すことは同じではない。避難者がいなくなったから、急いで表示を正常にする理由もなくなった。
柏木さんは全員を退避壁の山側へ一歩下げ、霧の先へ入らない線を引いた。戸田さんは《逆流発生》の時刻だけを書き、原因欄を空けた。
手順書の逆流欄には、全面停止後のこの向きがなかった。




