獅堂の護送表
獅堂さんの護送表には、討伐数の欄がなかった。
代わりに、戻せる人数、守れる退路、負傷者を運ぶ時に空く場所が書かれていた。
三迷宮へ出せる探索者は限られている。
停電の影響で、駅、病院、避難所にも救助要員が要る。各ギルドが抱えている高位探索者を全員、迷宮へ集めることはできなかった。
「北環状へ火力を寄せるべきです」
探索ギルドの編成担当者が、三枚目の現況図を指した。
北環状では、小型種が下層から入口側へ移っている。崩壊指標も三地点で最も高い。強い探索者を多く置くという主張には理由があった。
「寄せない」
獅堂さんは答えた。
「北環状の退路は細い。人数を入れれば、後ろから詰まる」
市営第三、湾岸、北環状。
床へ貼った三枚の図は、同じ縮尺ではなかった。
獅堂さんは机の前で班を決めなかった。各現場の定点映像をつなぎ、現地探索者へ実際の退避線を歩かせた。
市営第三では、地下街から迷宮入口へ下りる階段と、正規深層側の通路が使える。幅はあるが、駅員、計測員、電力担当が同じ管理区画を通る。魔物より先に、人の交差が退路を塞ぐ危険があった。
湾岸は直線の搬送路が長い。荷を出した後も台車と固定枠が残り、負傷者を担架で返す時に曲がれる場所が少ない。飛び越える力より、遮蔽を動かさずに列を返せる班が要る。
北環状は入口の先で通路が二つに割れ、片方は避難灯の明滅で距離が狂って見える。もう片方は運搬種の戻り道と重なり、人間が広がれば魔物を入口側へ押し出してしまう。
三つの危険は、強い一班を三等分しても解けなかった。
獅堂さんは、候補班を一度ずつ空の退路へ入れた。
戦闘訓練ではない。計測員役が記録器を持ち、途中で歩けなくなった想定にして、入口まで連れ戻すだけだった。
市営第三の候補班は、最短で階段を上がった。だが先頭の探索者が地上扉を押さえるため列を離れた瞬間、担架役の片側が空いた。速さはあっても、駅員と作業員が混じる実際の列では使えない。
二回目は、最後尾の一人が扉を担当し、先頭は歩調を落とした。到着は遅くなったが、計測員役の足が床へ触れないまま戻れた。
獅堂さんは二回目の時間を護送表へ採った。
湾岸では、高位探索者が固定枠を飛び越え、後ろの二人が同じ動きをできず列が切れた。
「自分が通れる線を退路にするな」
獅堂さんは最短線を消した。
全員が保冷箱の脇を一列で通り、途中の広い場所で担架の向きを替えられる線へ直した。討伐なら不利な遠回りでも、負傷者を置かない帰路になった。
北環状の試行では、二つ目の避難灯が白くなった想定で現地設備員が記録を続けようとした。
獅堂さんは紙ごと手を下げさせた。
「合図の後に一行足す癖は、本番で一人分遅れる。白くなったら、途中の字で戻れ」
記録票には、書きかけで退いた場合の印が追加された。空欄を埋めてから帰るのではなく、空欄そのものを中止記録にする。
市営第三の映像で、資材搬入員が計測箱を階段の中央へ置いた。
獅堂さんがすぐに止めた。
「箱を壁へ寄せろ。今そこへ負傷者が来たら、二人並べない」
「作業開始前です」
搬入員が答えた。
「開始前に塞ぐ退路は、開始後も塞がる」
箱が壁際へ移されると、階段の中央に人一人を支えて上がれる幅が残った。
獅堂さんは、市営第三へ救助経験の多い中位班を置いた。最強の一人ではなく、駅員の誘導と歩調を合わせ、計測員を連れて同じ道を戻れる四人だった。
編成担当者が、湾岸へ高火力の探索者を移そうとした。
「この人なら、搬送路の群れを短時間で排除できます」
「排除した後、保冷箱を避けて負傷者を運べるか」
「戦闘はできます」
「聞いているのは帰りだ」
本人が映像越しに答えた。
《担架訓練は前の隊でやっています。二人搬送なら、後衛へ回れます》
獅堂さんは火力の欄を見ず、その経験を護送表へ入れた。
湾岸には、盾役一人、二人搬送ができる探索者二人、現地の搬送路を知る案内役一人。交代班は入口外に置き、長い通路で全員が疲れた時に一斉交代しないよう、二人ずつ入れ替える。
「戦う人数が少ない」
「荷はもう止めた。ここで守るのは討伐線じゃない。戻る列だ」
湾岸の現地責任者が、護送表を受け取った。
《搬送枠の再開より、退路を優先します》
施設側が復電を急いでいても、探索者の配置だけは再開率に従わなかった。
北環状の編成で、獅堂さんの手が止まった。
現地へ入れるのは、先導一人、防護二人、計測員一人。それ以上は、分岐で向きを変えられない。下層へ近づくほど避難灯の順番が乱れ、帰路を見失う可能性が上がる。
「俺が先導する」
獅堂さんは自分の札を置いた。
「防護は北環状の地形を知る二人。計測は現地設備員だ」
「宮前さんは」
編成担当者が聞いた。
俺も北環状の図を見ていた。
三地点のうち、現物を最も測れていないのは北環状だ。下層の戻り音を直接聞ければ、停止順を早く絞れるかもしれない。
「私が入れば、原因候補を減らせます」
俺は言った。
獅堂さんは否定しなかった。
「減らせる。で、あんたを連れて戻すには防護がもう一人要る」
「計測員と同じ位置で止まります」
「あんたは音が変われば止まる。現地設備員は決めた札だけ取って戻れる。必要な滞在時間が違う」
俺だけが特別に危険だ、という話ではなかった。
俺の作業は、現場の変化へ合わせて確認箇所が増える。増えた一分を守る人員が、北環状にはない。
「私と設備員さんを入れ替えるのは」
「駄目だ。北環状の正常を知っているのは現地だ。あんたが異常を聞けても、あの灯りが冬季の避難訓練でどう動くかは知らない」
現地設備員が通信越しに、少し間を置いて答えた。
《下層へは入りません。入口計器と二つ目の避難灯までで戻ります。そこから先は未測定で残します》
自分の現場だから進む、とは言わなかった。
守れる範囲を本人が決めた。
獅堂さんは、その中止条件を護送表へ書いた。
「三つ目の灯りが白くなったら、記録途中でも全員戻す。小型種が人の後ろへ回ったら、討伐せず入口を閉じる。計測員が転倒したら、器材は置いていく」
条件の一つ一つが、何を失うかへつながっていた。
器材を失っても人を出す。
記録を失っても退路を残す。
深層の情報を失っても、入口で次の停止判断を作る。
「宮前さんは市営第三です」
獅堂さんが言った。
「三地点のうち、過去の正常記録をあんたが現物で知っている。中央との連絡も保てる。北環状の班は、決めた観測を自分たちで取る」
三地点へ俺を順番に運ぶ案は消された。
移動時間を惜しんだのではない。俺が到着するまで現地の判断を待たせれば、病院と鉄道と避難所の短い窓が全部ずれる。
俺は自分の札を、市営第三から北環状へ一度動かしてみた。
市営第三の比較担当が一人減り、代わりに補助計測員さんを湾岸から戻す必要が出る。湾岸は現地記録の引継ぎに時間を使い、北環状では俺を守る防護一人が追加になる。その一人をどこから外しても、別の退路が細くなった。
護送表の上では、俺の移動一つが三現場の交代を起こした。
自分で見た方が早い一地点のために、三地点の開始を遅らせることになる。
俺は札を市営第三へ戻した。
「北環状は、現地の記録を受けます」
「そうしてくれ」
獅堂さんは礼を言わず、空いた防護枠へ北環状の地形を知る探索者を戻した。必要な人員が埋まることが返事だった。
若い補助計測員さんは湾岸班へ残った。市営第三では俺が現地計器の担当者と比較を取る。北環状は、宮前の耳がない状態で現地設備員が観測する。
「聞こえなかったら、どうします」
北環状の設備員が俺へ尋ねた。
「聞こうとしなくていいです。入口計器、灯りの順番、床札の振れが開始前へ戻ったかを見てください。戻らなければ、未完了で退いてください」
「原因が分からないままでも」
「原因を持ち帰るより、違う反応を持ち帰ってください。次の工程を止められます」
俺の説明を、獅堂さんが護送表へ写すことはなかった。
北環状の設備員が使う観測票へ、本人が三つの欄を書いた。獅堂さんはその紙を防水袋へ入れ、帰路側の防護担当へ持たせた。
役割を一覧で決めただけではない。
誰が倒れた時、誰が紙を持って戻るかまで、帰りの動きにした。
三枚の護送表が確定した。
市営第三。湾岸搬送。北環状。
最も危険な北環状の欄に、獅堂さん自身の名前がある。
俺は、その空欄を埋め直さなかった。
診断できる場所へ全部行くことより、三班が同じ時間に戻れる方が安全だった。
北環状の観測票は、現地設備員の手元へ渡った。分からない反応が出た時も、俺へ聞いてから退くのではなく、本人の中止条件で戻る。
俺がいないことも、最初から護送条件へ入った。
現地班は、その条件で退路を持てた。
その隣の同行者欄には、俺の名前がなかった。




