真央の温度地図
私が最初に作った温度地図は、見やすかった。
だから、捨てた。
画面の真ん中に町営迷宮を置き、温かい場所を赤、冷たい場所を青にした。赤い筋は温泉街へ伸び、青い丸は巣穴の奥で脈打っている。
一目で、熱がどこへ動いたか分かる。
そう見える地図だった。
「ここ、測ってませんよね」
若い設備員さんが、赤と青の境目を指した。
迷宮入口と共同浴場の間だった。
固定した温度札は五か所にしかない。旅館側の記録も、建物ごとに違う三台の計器を使っている。地図の滑らかな色は、その間を私の処理が勝手に埋めたものだ。
宮前さんが熱の移動を感じた場所と、計器が実際に測った場所まで、同じ色でつないでいた。
「測ってません」
私は答えた。
「でも、流れとしてはたぶん――」
言いかけて、画面を閉じた。
たぶんを塗れば、見た人は測定済みだと思う。
宮前さんの感覚を、派手な色へ翻訳したことにもならない。私が空白を隠しただけだ。
「これ、使いません」
書き出した画像へ《比較不可》と入れ、公開用の候補から外した。元の温度記録は消さない。色を付けた処理も、どこを補間したか分かる状態で変更履歴へ残す。
失敗を隠さないことと、失敗した図を配ることは別だった。
「赤と青をやめるんですか」
「測った点だけにします。温度の高さより、いつ動いたかを先に見せます」
次の地図には、色の面を作らなかった。
町の見取図へ、温度札と計器の位置だけを丸で置く。丸の横に、同じ幅の時刻欄を並べる。上がった時は線を上へ、下がった時は下へ。計器の種類が違う場所は、数字を無理に揃えず、普段との差だけを別の形で示した。
宮前さんが拾った振動は、温度と同じ線にしなかった。
小さな点を打った。
巣穴の布片が動いた時刻は、短い縦線。
魔物が穴を替えた時刻は、獅堂さんの記録から白い三角を置いた。
きれいな一枚絵ではなくなった。
それでも、上から時刻を追えば、誰が見ても同じ順番に着いた。
奥の振動。
巣穴の風。
円盤の両側の温度差。
人間側の戻り。
宮前さんの「左から右へ来た感じ」は、左側の札が先に変わり、次の時刻欄で右側が追ったこととして置けた。
感じた強さは足さなかった。
追えない場所は、白いまま残した。
誰でも追えるかどうかを、私は自分で決めなかった。
地図を印刷し、共同浴場の待合室へ持っていった。
浴場の職員と篠原さん、それに移動洗浄車を待っていた住民へ、説明をせずに見てもらう。
「一番先に冷えたのは、どこに見えますか」
浴場の職員は、迷宮の左を指した。
篠原さんは、町側の戻りを指した。
住民は、斜線を指した。
「ここが一番悪いんじゃないのかい」
斜線は、比較に使えないという私の印だった。
読む人には、危険を強く塗った印に見えた。
「違います。そこは補助暖房が動いていて、迷宮の熱と分けられない場所です」
「だったら、悪い印に見える線を使うな」
住民の答えはもっともだった。
私は斜線をやめた。
比較できない欄には、温度の線を置かず、《別暖房使用》と短く書いた。文字を読まなくても区別できるよう、時刻欄そのものを薄い枠の外へ出した。
次に、三台の計器を一つの上向き線で描いた場所で、篠原さんが止まった。
「同じように上がったように見えます。でも、旅館では古い計器が遅れるんですよね」
「はい。私が差をまとめすぎました」
三台を一つへ揃えるのもやめた。
値が違うまま三本を細く並べ、平常時のずれから外れた一本だけに輪を付けた。
赤も青も使わなかった。
上がる、下がる、変わらない、比較しない。
四つを、線の向きと枠だけで追える図にした。
浴場の職員が、もう一度最初から指でなぞる。
「迷宮の奥が下がって、次に壁のこっち、最後に町へ来てる」
「はい。原因は書いていません」
「原因が分からなくても、次に見る場所は分かるな」
その言葉で、地図を管理棟へ戻した。
派手ではなくなった分、使う人の指が途中で止まらなくなった。
私は、地図の端へもう一つだけ決まりを書いた。
《線のない場所は、正常ではなく未測定》
空白を怖く見せる色は付けない。それでも、何もない場所だと思わせないためだった。
篠原さんは、その一文を見て、旅館側の紙へ一か所追加した。
「旧館の奥は、今夜ずっと空白です。閉めているから測らなくていい、ではなく、客を戻す前に測る場所ですね」
設備員ではない人が、空白から次の確認を選んだ。
私が説明した答えを覚えたのではない。
地図の読み方を使って、自分の建物の未測定を見つけた。
その場所は今夜の迷宮観測には足さず、《営業再開前》の別枠へ移した。全部を一枚へ詰めれば、また見やすさのために違う目的を混ぜることになる。
温度地図は、異常を派手にする一枚から、見る時刻と、まだ見ていない場所を分ける二枚になった。
「地図というより、時間割みたいですね」
若い設備員さんが言った。
「時間割なら、自分の場所がどの列か探せます」
私は旅館側の紙を一枚渡した。
「町側の巡回をした時刻に印を付けてもらえますか。上がった場所だけじゃなく、変わらなかった場所も」
設備員さんは、管理棟の机では書かなかった。
巡回鞄へ紙を挟み、外へ出ていった。
私は迷宮側の記録を一周期ずつ並べた。
温度地図を作る目的は、宮前さんの感覚が正しいと証明することではない。
宮前さんがいない場所で、次に何を見るかを選べる形へすることだ。
そのためには、分かりやすい一つの原因より、違う反応の順番が要る。
共同浴場の戻りが下がった。
少し遅れて、川沿いの宿が下がる。
坂上の宿は数字が動かない。補助暖房だけで持っている時間だから、迷宮の反応と混ぜない。
私はその欄へ斜線を入れた。
使えない記録を空白にすると、測り忘れと区別できない。斜線なら、「測ったが比較に使わない」と分かる。
私の地図は、赤い危機より斜線が増えていった。
画面映えはしない。
でも、稲葉さんは最初の図より長く見た。
「この紙、入口から並べてないな」
「変化した時刻順です」
「そっちの方がいい。冬は、近い順に戻らん」
稲葉さんは、岩片の縁が曇った時刻を鉛筆で足した。計器より遅いが、毎回同じ位置に入る。現地でしか分からない正常が、地図の一列になった。
次の周期を待っていると、若い設備員さんが予定より早く戻ってきた。
雪を払う前に、巡回紙を机へ広げる。
「予備の点検箱が冷えてます」
「どこのだ」
稲葉さんが聞いた。
「旧共同枝です。町側では使ってない箱です」
三年前に共同浴場の受け先を更新した時、旧い枝は日常運用から外した。流れを受けない箱なので、巡回では外板と周囲の凍結だけを見る。
「最初から冷たい場所じゃないですか」
私が聞くと、設備員さんは首を振った。
「冷たいままなのが普通です。でも、この地図だと、迷宮側の左が下がった後に、旧箱だけもう一段下がってる」
紙には、短い下向きの線があった。
同じ時刻の町側記録に、ほかの変化はない。
「触ったか」
「触ってません。覆いも開けてない。雪の付き方と外の札だけ見ました」
設備員さんは、予定していた共同浴場の受入れ試験の札を持っていた。
「これ、止めます。使ってない枝が反応するなら、浴場へ負荷をかける前に旧箱を追加で見たいです」
宮前さんへ確認を求めるより先に、試験札を裏返した。
《実施》が《保留》になった。
稲葉さんは反対しなかった。
「観測位置を増やせ。開けずに外で取れるものだけだ」
宮前さんは、若い設備員さんの紙と私の地図を見比べた。
「旧枝が熱を吸っている、とまでは言えません」
「はい」
設備員さんが答えた。
「でも、使ってないなら動かない、で試験するのはやめます」
「その判断でお願いします」
宮前さんがしたのは、保留を戻さない確認だけだった。
追加した温度札は、次の周期で反応した。
旧箱そのものが原因ではなかった。冷えは箱へ溜まらず、その外側を通り過ぎた。人間側の閉じた枝ではなく、もっと奥の流れが地上の近くまで回り込んでいる可能性が上がった。
もし予定どおり浴場へ熱を受けていたら、その変化を受入れ負荷のせいにしていたかもしれない。
設備員さんが止めた一回で、観測できる異常が一つ残った。
「宮前さんなら、旧箱の冷えに先に気づいていましたか」
私は聞いた。
宮前さんは少し考えた。
「迷宮内からは、町側の箱の位置まで絞れなかったと思います。町側を巡回して、いつもの冷え方を知っている人が必要です」
設備員さんは褒められた顔をしなかった。
次の観測札を二枚取り、自分と夜間担当の位置へ分けた。
気づいたことが評価で終わらず、次の配置を変えた。
私は地図を広げた。
測定点を時刻順に結ぶ。
一つ目の冷点は、巣穴の左。
十一分後、円盤の奥。
次は人間側の戻りから外れ、旧共同枝の脇。
さらに十一分後、町営迷宮の北東側に置いた外周札。
直線ではなかった。
冷点は、円盤の周囲を回るように場所を変えていた。
同じ円を二度描いた後、最後の一つだけが外へずれた。
稲葉さんが町の広域図を持ってきた。
北東には、峠の向こうへ続く谷がある。その延長上には、隣県の物流迷宮があった。
つながっているとは言えない。
同じ原因とも言えない。
ただ、地図の上では、冷点が十一分ごとに円を描き、別の迷宮の方角へ向いていた。




