空荷の資材車
資材車は昼前に戻ってきた。
荷台は空だった。
雪を積んだままの車体が町営迷宮の管理棟へ入り、運転手がドアを開ける前に、稲葉さんは軍手を外した。
「峠が閉じたか」
運転手は頷いた。
除雪車の先で倒木が見つかり、その向こうでは別の車が動けなくなっている。注文した部品は集積所まで来ているが、町側へ渡せる車がない。道路の再開見込みも、まだ出ていなかった。
空荷の車を責めても、継手は増えない。
運転手は荷台から、濡れた送り状だけを持ってきた。品名、個数、集積所の受領印。物が届いていない町に、届くはずだった証拠だけが戻った。
荷台には、部品を固定するはずだった木片が二本だけ残っていた。稲葉さんはそれも降ろし、濡れて割れていない方を倉庫へ回した。
空荷でも、持ち帰れる物は捨てなかった。
白瀬さんは道路再開の連絡先を確認し、運転手を次の便へ縛りつけなかった。今夜も雪が強まるなら、町内の生活物資を運ぶ車へ戻さなければならない。
資材車は保守班だけの車ではなかった。
「部品が来るまで待てます、とはまだ言えません」
俺は送り状を稲葉さんへ返した。
「待つ間に凍る場所と、先に傷む場所を見ます」
俺たちは管理棟の車庫へ移った。
「今あるもので、どこまで確認できるかを決めましょう」
「確認だけで湯が出るなら、倉庫はいらん」
「出ません。ですが、使えない物で壊すのは防げます」
稲葉さんは少しだけ鼻を鳴らし、車庫の奥を指した。
「なら、使えない物から見ろ。新しそうな箱に飛びつくな」
稲葉さんは言いながら、車庫の奥の南京錠を開けた。
扉の向こうは、廃材置場というより、町営迷宮の過去が積まれた部屋だった。
曲がった覆い板、色の違う保温材、取り外した計器箱、短い管材。どれも捨てるには費用がかかり、使うには理由が要る。
稲葉さんは一番手前の箱を蹴らずに、足で少し寄せた。
「ここにある物を、在庫表だけで使えると思うなよ」
「現物を見ます」
「見ても、冬にどうなるかは帳面にない」
棚の上から、稲葉さんは灰色の輪を下ろした。
人間側の熱交換路に使っていた古い継ぎ輪だった。見た目は今回必要な大きさに近い。だが内側には、細い割れが一周している。
「夏なら検査まで持つかもしれん。冷えた場所で使えば、次の朝には割れる」
「これは使わない印を付けます」
俺が赤い札を取ると、稲葉さんが先に紐を通した。
「もう付けてある。薄くなっただけだ」
色の抜けた札には、三年前の日付と《再使用不可》の字が残っていた。
稲葉さんは古い部品へ情を持っている。だから捨てられないのではなく、捨てると、次に届いた部品と何が違うか比べられなくなるから残していた。
別の棚から出てきた平たい覆いは、端が欠けていたが、計器を雪と結露から守る囲いには使える。短い管材は系統へ組み込まず、温度計を同じ位置へ固定する台にできる。保温布は半端ごとに乾燥袋へ入れられ、交換部までの作業路を冷えから守るには足りそうだった。
一番下の段には、濡れた木枠が三つ重なっていた。
「それは去年、捨てるはずだった」
稲葉さんは木枠を外へ出し、雪の上へ立てた。
熱を受ける場所には使えない。けれど、迷宮内で人間側の管路と立入禁止側を見分ける囲いにはなる。金属の柵を持ち込むより軽く、壊れた時に流路を塞ぎにくい。
若い作業員が、枠の腐った足を指で押した。一本だけ沈んだ。
「これは持ちません」
「一本外して、二つに振り分けろ。三つ使おうとするな」
稲葉さんは、使える数を減らした。
倉庫の棚卸しは、数を増やす作業ではなかった。使えない物と、違う用途なら使える物を分け、事故の時に迷わない数へ減らしていく作業だった。
「直す材料ではないですね」
「待ってる間に、測った場所が変わらないようにする材料だ」
稲葉さんの答えで、使い道が一つ決まった。
一方、光沢の残る板材を持ち上げると、稲葉さんは首を振った。
「それは旅館の旧槽から外した物だ。篠原さんに聞け」
篠原さんは、すぐに許可しなかった。
俺たちは旅館へ戻り、休止した小浴場の裏へ通された。板材が外された場所には、同じ形の予備が二枚だけ残っている。
「迷宮へ持っていけば、こちらの予備がなくなります」
篠原さんは一枚を壁から外し、裏面を見せた。
「この浴槽は今、空です。でも湯が戻った時、これがなければ再開できません。町の設備を助けるために旅館の再開を遅らせるなら、その費用を誰が持つのか決めてください」
正しい拒否だった。
使えそうな物を見つけたことと、使ってよいことは別だった。
「借りる前提には入れません」
俺は板を戻した。
「迷宮側の故障位置が決まって、本当に代えがなく、使用後に同等品を戻せる時だけ、改めて町から相談してください」
篠原さんは礼を言わなかった。代わりに、再び板を固定し、空の浴槽へ入れないよう扉を閉めた。
守りたい設備を守っただけだった。
人員も、名簿ではなく、動ける時間で見た。
稲葉さんの設備班は三人いる。そのうち一人は、旅館と共同浴場の凍結防止を回らなければならない。もう一人は夜間の監視を担当する。三人全員を迷宮へ入れれば、町側の異常を拾う人がいなくなる。
若い作業員は、迷宮の中へ入りたいと申し出た。
「稲葉さんしか場所を知らないなら、今のうちに見ておかないと、夜に何か出ても俺は動けません」
「だからお前は町側を回れ」
稲葉さんは断った。
「冷えた旅館の戻りを一人で見て、違ったら呼べ。奥を二人で覚えて、表を誰も見ない方が困る」
若い作業員は不満そうに口を閉じたが、巡回鞄を持った。
人を現場へ集めることが、いつも増員になるわけではない。残した人が拾う異常も、今回の作業の一部だった。
獅堂さんの護衛班も、連続して奥へ張りつけるわけではない。
「入口から第一点検区画までなら、二人で交代できる。巣穴側へ入るなら別だ。昨日の反応だと、作業員を守ったまま長居はできない」
「巣穴は、まだ候補にも入っていません」
「なら、候補になるまでの時間だけ出せ」
獅堂さんは、戦える人数ではなく、退路を維持できる人数で時間を決めた。
真央さんは管理棟の机へ記録器を並べたが、全部を迷宮内へ持ち込まなかった。
寒さで交換が早くなる電源は暖房のある部屋へ置き、延長できる記録だけ入口へ回す。手持ちで追うのは二台。故障位置が決まる前に機材を使い切らないためだった。
「温度の固定記録は準備できます。でも、地図にするのは測る場所を決めてからです」
「お願いします。今は同じ場所を同じ条件で測れるようにしてください」
寝る場所も作業時間の一部だった。
篠原さんは、暖房を残した新館の四室を現場班へ空けた。客を断った部屋なので無料にはできない。町が緊急対応費から最低限を払い、食事は従業員の通常勤務を増やさない簡易分にする。
「善意で泊めたことにすると、次に同じことがあった時、宿が断れなくなります」
篠原さんは宿泊台帳へ団体名を書いた。
「それに、休む人が廊下で寝て、判断を間違えたら困ります」
白瀬さんは町の担当へ費用区分を確認し、俺は夜間に残す測定点を稲葉さんと決めた。
使える物が少ないのは変わらない。
けれど、何もないわけではなかった。
壊れた部品は比較用に使える。
欠けた覆いは計器を守れる。
短い部材は測定位置を固定できる。
旅館の予備板は、使わないと決めたことで、復旧後の浴槽を一つ守った。
倉庫の奥で、稲葉さんが木箱を引き出した。
中には、迷宮側の古い熱交換路から外した継ぎ部が入っていた。人間が作った部分と、迷宮の岩に似た部分が一体になっている。今回注文したのは、その形に合わせる耐相継手だった。
「規格品に見えて、ここのは入口の角度が違う。町で削って合わせた物は、昔一度だけ漏れた」
稲葉さんは、漏れ跡の残る旧品を指した。
「だから今回は、現物寸法を送って作らせた。代用品は使わん」
注文の根拠は、古い見本の形だけではなかった。
故障した夜、稲葉さんは稼働中の継ぎ部を外さず、確認窓の外から前後を測っていた。短い熱の山が来るたび、迷宮側の縁だけが上がり、町側は冷えたままになる。外周には、いつもの冬には出ない細い霜の輪が残った。
「中は開けてない。詰まりか、歪みか、別の流れに引かれた結果かも決めてない」
現用継手が主原因とは、まだ言えない。だが、町側へ受け渡せていない候補を三日後まで注文せずに残せば、原因が確定した時からさらに三日待つことになる。
稲葉さんは、観測記録と《主原因未確定》の欄を一緒に送り、交換候補だけを先に山の向こうへ用意させていた。
集積所へ連絡すると、梱包を開けずに寸法票だけ読み上げてもらえた。稲葉さんが送った現物記録と一致している。違っていたのは、部品ではなく、部品と町の間にある道路だった。
「別の町から同型を回せませんか」
白瀬さんが確認した。
「同型はある。だが、ここの角度に合う保証がない」
稲葉さんは旧品の漏れ跡を持ち上げた。
「合わせるために削ったこれで、一度失敗してる。二度目を応急とは呼ばん」
遠回りの輸送は検討に残したが、別規格の部品を持ち込む案は外れた。
俺も同じ意見だった。
あり合わせで測定と保護はできる。熱を受ける継ぎ部まで、似た形で済ませてはいけない。
昼を過ぎて、道路管理から連絡が入った。
倒木の処理後も、峠の雪崩確認が必要になる。集積所の部品を載せる車は手配できたが、最短でも明後日の夜。安全を見込んだ現地到着は、その翌朝だった。
稲葉さんが、壁の予定表を三日分ずらした。
熱交換路に必要な部品は峠の向こうにある。
こちらへ着くのは、三日後だった。




