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退路を先に作る

夜勤者三名は地下に残り、水位は上がっている。施設側からは最短路での進入を求められたが、その道を戻れる保証がない。救助を急いで二次遭難を増やすか、先に退路を成立させるか。獅堂さんは地図を見る前に、全員へ後者を宣言した。


「最短は候補の一つだ。退路にならない道は、進入路にも使わない」


地下手前の共用区画を、救助準備の拠点にした。


背後は地上へ続く共用階段。左は水が来ている管理扉。右は反対側の共用路で、施設員の避難は終わっている。資材と救助具は上り線を塞がない壁側へ寄せた。


白瀬さんは、救助のために入れる範囲と、設備を止められる範囲を分けた。


今ある権限でできるのは、要救助者の捜索、退路確保、非接触の測定、所有者側が確認済みの人間設備を安全側へ置くこと。旧管体や迷宮側の流路を操作するには、現物の役割と停止影響を確認し、別の承認が要る。


「救助を許可したことを、設備を自由に止めてよいという意味にはしません」


急いでいる時ほど、その区別が人を遅らせるように見える。


実際には、誰かを助けるための操作が、閉じ込められた側の空気や足場を失わせることがある。分からない箇所へ善意で触れないための線だった。


現場図は三種類あった。


東央の現行図。


施設所有者が持つ避難図。


宇田川さんが送った改変前記録に付いていた旧い点検図。


同じ地下を描いているのに、通路の数が合わない。


現行図では、管理扉から下流の作業点まで、ほぼ一直線の通路がある。避難図では、その途中が管理対象外として灰色になっている。旧い点検図には、直線路の横へ高い位置を回る保守歩廊と、途中で閉じた短い連絡路が描かれていた。


「線を一本にまとめないでください」


真央さんが三つを別の透明層へ置いた。


現在の図を正解にせず、どの版にだけある道かを残す。水位、非常灯、扉の状態は現場員から届くたびに時刻付きで重ねる。映像が切れた先は、道が続くように補わない。


獅堂さんは、図面上の距離より先に、今使える出口を数えた。


直線の最短路は、管理扉から低い床を進み、旧管体の下流へ出る。距離は短い。だが水はその道からこちらへ流れている。戻る時は流れに逆らうことになり、途中の非常灯も一列消えていた。


高い保守歩廊は遠回りだ。狭い区画を通り、魔物の搬送路と近い。水面より上にある部分が多く、途中に反対側の共用路へ戻れる連絡扉が一つある。ただし、その扉が現物でも開くかは未確認だった。


三つ目の連絡路は、閉鎖表示の先が現在図から消えている。出口として数えられない。


獅堂さんは、地上の広い場所で搬送の形を作らせた。


空の担架に救助用の荷を載せ、要救助者が歩けない場合の幅と人の位置を見る。先頭が通れても、担架を持つ二人と後方の護衛が曲がれなければ、救助路にはならない。


施設側担当は、現行図の最短路を床へテープで写した。


最初の曲がり角で、担架の後ろが設備区画にはみ出した。図面では一本の線だが、現物の壁際には現在図へない覆いが張り出しているという。そこへ水が来れば、通れる幅はさらに減る。


高い保守歩廊の形も作った。


距離は長い。途中で一度、担架の向きを変える必要がある。それでも後方の一人が出口側を向いたまま動ける。予備の連絡扉を使えば、先頭と後方が同じ狭い場所へ集まらずに済む。


「見つけた時は三人増える」


獅堂さんは空の担架を降ろした。


「行きの人数で通れるかじゃない。帰りの人数で選ぶ」


施設側担当は、最短路を捨てきれない顔をしたが、反論を地図から消さなかった。三人の状態が分からない以上、歩ける前提にも、全員搬送の前提にも固定しない。歩行補助、単独搬送、複数搬送のどれでも、退路幅を超えたら中止する欄が加わった。


「偵察は二つの入口までだ」


獅堂さんが探索者を連れ、管理扉の内側へ入った。


救助開始ではない。


直線路と保守歩廊の入口、退路に使う連絡扉の手前までを確認し、戻る。宮前の測定位置を増やすためでもなく、三人を探しに走るためでもない。入った人数が、そのまま帰れる道かを獅堂さん自身が見るためだった。


俺は入口から届く反応だけを記録した。


水面は低い音を連続させ、その下に外壁で聞いた打音が混じる。直線路側の非常灯は、奥から入口へ順に暗くなる。保守歩廊側では、灯りの間隔は不揃いだが、入口側から一つずつ反応が返っていた。


やがて、小型の運搬種が保守歩廊から出てきた。


口に白い殻をくわえ、人を避けて高い方へ上がる。続く個体も、直線路へは下りない。水から逃げているだけなら、保守歩廊は生き物にとっても高い退路になっている。


その後ろで、脚の長い攻撃個体が一度だけ姿を見せた。


獅堂さんは倒しに追わなかった。


運搬種と人の退路を同じ幅へ押し込めないよう、探索者の位置を下げる。攻撃個体が追ってこないことを確認し、連絡扉の外側へ回った。


扉は開いた。


ただし内側の床には薄く水が来ており、荷物を置けば退路幅が消える。


獅堂さんは戻ると、最短路を外した。


「入るなら高い歩廊。帰りは来た道を基本にして、連絡扉を予備にする。直線路は水と魔物の両方がこちらへ来る。一本しかない道で、要救助者を運ぶのは無理だ」


施設側担当が旧図を見た。


「でも、直線なら所在が途切れた作業点まで早い。三人の水位が――」


「だから中止条件を先に決める」


獅堂さんは、救助を遅らせるために遠回りを選んだのではない。


要救助者を見つけた後、人数が増え、移動が遅くなった状態でも帰れる道を選んだ。


中止条件も、獅堂さん自身が決めた。


保守歩廊の乾いた目印まで水が上がる。運搬種が高い方ではなく入口側へ逆走する。予備の連絡扉が閉じる。後方との通信か灯りが連続して失われる。隊員か要救助者の一人でも自力移動を続けられず、搬送幅を確保できない。


そのどれか一つで、三人が見えていても一度退く。


「設備側の確認が途中でも、俺の退避で戻す。理由の説明は地上でやる」


白瀬さんが、その中止権を救助計画へ入れた。


進入班の役割も、地上で一度動かした。


獅堂さんと探索者が先頭と後方を守る。施設の現場員は道と扉の現況を示すが、旧図にない箇所を知っているふりはしない。俺は中央で、触れずに取れる反応を現場図へ戻す。搬送担当は、要救助者を見つける前から担架の向きと置き場を決める。


真央さんは地上に残る。


進入班の映像を見て指示するためではない。入った人数、通過した目印、仮説変更、停止要請を、地上の原本へ固定する。映像が途切れた先を推測で埋めず、最後に確認できた位置を救助本部へ渡す。


「私が奥へ入れば、画角は増えます」


真央さんは自分で言ってから、記録席へ機材を置いた。


「でも、原本を持つ人まで同じ退路へ入れたら、途切れた時に全部なくなります。今回はここに残ります」


白瀬さんは、地上と地下の連絡が切れた場合の扱いも決めた。


地下班は救助を続ける許可とは読まない。獅堂さんの中止条件に従って戻る。地上班は、返答がないまま旧管体を止めて助けようとしない。通信断を、操作の承認へ置き換えない。


俺は現場図の設備側を分けた。


赤い実線は、所有者側の正規班が現物を確認し、必要なら触れてよい箇所。地上から隔離済みの人間設備、共用部の排水境界、救助用の扉。触るのは担当班で、俺ではない。


黒い斜線は、止めてはいけない箇所。低い打音を返す旧管体、管理扉の奥で灯りへ反応する流れ、閉じ込め区画へつながる可能性がある換気と戻り。役割が分かるまで、救助の近道に使わない。


白いまま残したのは未測定。持ち上がった床の下、現行図から消えた連絡路、同系列管体の上流と下流。そこへ「異常なし」の色は塗らない。


「停止できる点が少なすぎないか」


施設側担当が言った。


「今は少ないです」


俺は認めた。


「でも、救助前に増やすため奥へ触ると、退路へ何が返るか分かりません。三人へ近づく間に測定済みを増やし、停止の可否は地上へ返して別に承認します」


赤い実線のうち、救助中に実際に使うのは扉だけにした。


共用部の排水境界は地上班が監視し、退路へ水が来た場合に限って所有者側の担当が扱う。人間設備の隔離は維持し、復旧しない。旧管体へ近い箇所は、たとえ操作部らしい形が見えても黒い斜線のままにする。


現場図は、触れる場所を増やす計画ではなく、触らずに帰る範囲を先に決める図になった。


最短路を当てる速さは、役に立たない。


戻れない最短路なら、救出の後半で人を失う。


進入班は、獅堂さんの選んだ保守歩廊を使う。真央さんが前後の記録を地上で固定し、白瀬さんが救助と設備停止の承認を分ける。俺は現場図の白い範囲を減らし、触らない線を守る。


準備が整ったところで、施設の古い紙台帳が届いた。


現行図の直線路には、昔の閉鎖記録が重なっていた。


床の返りが壁より先に来る。下流未確認。支持と流路を再確認するまで立入禁止。


現行図では通路名も入口の基準も変わり、俺が提出した担当施設一覧からは同じ場所だと結べなかった。旧図の床目地と、閉鎖時に使った点検位置が重なって、ようやく一つの道になった。


記載者の欄に、自分の名前があった。


覚えている。


東央にいた頃、俺が赤札を付けて閉じた通路だった。


三人へ続く最短路は、俺が在職中に危険として閉じた道だった。


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