同じ工具、違う目盛
同じ確認材を当てると、二本の針は正反対へ動いた。
日本側の携帯位相計は右へ三目盛り。
沿岸公共迷宮の位相計は左へ五目盛り。
どちらにも校正済みの札があり、どちらも確認範囲の中央で止まった。
片方を故障扱いにすれば話は早い。
その早い話を採れば、現地の二年分の正常記録を全部捨てることになる。
比較台には、二台のほかに何も置かなかった。
目盛の細かい仕様書を先に開くと、現物の動きを説明へ合わせてしまう。
ソフィアさんが現地計器を戻し、俺が日本側の計器を戻した。
操作はそれぞれの計器担当が行う。共同点検だからといって、知らない工具を互いに触らない。
真央さんは上から手元を撮った。
数字が読める画角と、どの確認材を使ったかが分かる全景を別の原本にする。
もう一度、同じ確認材を当てる。
右へ三つ。左へ五つ。
今度も反対だった。
「換算式を作りますか」
日本側の計器担当が、端末を開いた。
右三を左五へ置き換えれば、昨夜の記録も同じ方向へ直せる。
けれど確認材の一点だけを合わせても、実際の迷宮負荷で同じ関係が続くとは限らない。
現地計器の目盛は等間隔ではなかった。
危険側へ行くほど、一目盛りが示す変化量は小さくなる。わずかな変化を複数の目盛りで見せ、運転員が先に気づける表示だった。
日本側は物理的な間隔が均等だが、平常帯が季節ごとに付け替えられる。
同じ《一目盛り》でも、持っている意味が違った。
「一点換算は保留にしてください」
ソフィアさんが端末の入力を止めた。
「こちらの五目盛りは、日本側の五目盛りではありません。危険表示も逆になります」
一点換算を止めたまま、確認材を三つに増やした。
平常帯の低い側、中央、高い側を模した物だ。実迷宮の負荷は動かさず、計器だけを比較台で確認する。
中央では右三と左五だった。
低い側では日本側が右一、現地側は左二。
高い側では日本側が右五まで進んだのに、現地側は左六の直前から、同じ確認差で二目盛り近く進んだ。
一点で作った換算式へ入れると、低い側は平常外になり、高い側は危険表示より内側へ戻ってしまう。
正常を誤警報にし、危険側を小さく見せる式だった。
計器担当は式を削除せず、《一点のみ・運用換算不可》として保存した。
失敗した換算も残さなければ、別の班が同じ早い式を作る。
三つの確認材について、二台の数字を平均する案も出た。
右と左を足せば中央に近づく。
だが中央に近い数字は、正しい数字ではない。
二台が別の現象を零にしている以上、平均はどちらの平常にもならなかった。
真央さんは二台を同じ表の左右へ置き、中央の合計欄を黒く閉じた。
現地計器は、戻りが強くなる側を負に置いていた。
強い戻りを入口への流入と取り違えないためだという。
日本側は人工流入が増える側を正に置く。
どちらも、自分の施設で事故を見つけるための向きだった。
右が正しいか、左が正しいかではない。
何を増加としているかが違う。
俺は二台の零位置を見た。
日本側の零は、人工流入を切った直後の平衡材で決める。
現地側の零は、二つの支持帯から戻る力が同じになる確認材で決めていた。
同じ位相計という名前でも、零にした現象まで同じではなかった。
昨夜の逆向きを日本の絶対値へ変換すれば、現地正常は毎回異常になる。
その方式では、事故より先に計器規格を検出してしまう。
「数字を運ばず、平常からどちらへ、どれだけ外れたかを運ぶのはどうでしょう」
俺は日本側の過去票を一枚出した。
山腹の二拍も、谷側の一拍も、絶対の高さは揃わなかった。
使えたのは、それぞれの地点で同じ負荷をかけた時の幅と、今回がそこから外れた向きだった。
ソフィアさんはすぐには同意しなかった。
現地の正常記録を誰が決めたかを確認した。
事故後に広げた幅なら、偏差へ直しても異常を隠す。
二年前の定期記録は、運転班が採っただけではない。別当直が同じ空枠条件を再確認し、設備安全部門が版を閉じている。
昨夜の値を入れて平常幅を作り直してはいなかった。
日本側も同じ条件を出した。
地域試験前に採った正常、取得条件、欠測、補正履歴。宮前の感覚と一致した値だけを選んでいないこと。
双方の原本責任者が閉じた後で、偏差票を一枚作った。
新しい形式が異常まで平らにしないか、現地の過去記録で試した。
半年前、二つ目の支持帯だけ戻りが遅れ、空枠確認を中止した回がある。
設備はその日のうちに隔離され、支持材の交換後、別当直が低負荷で再開していた。事故にはならなかったが、正常と異常の両方に原本がある。
現地の絶対値では、遅れた回も警報目盛の内側だった。
数値だけを日本側へ換算すると、平常四回との差はほとんど見えない。
偏差票へ置くと、高さではなく順序が外れた。
一つ目の支持帯が戻った後、平常なら同じ時間幅で二つ目が続く。中止回だけ、その幅を越えても二つ目が来なかった。
偏差形式は、現地班が実際に中止した差を消さなかった。
日本側の過去票でも試した。
山腹の復旧直後に一度だけ出た逆順は、高さだけなら平常幅へ戻っている。順序の偏差へ置くと《比較外》として残り、次の枠を別当直へ渡した判断と一致した。
両方の現場で、警報値より小さいが中止を変えた差を拾えた。
それを確認してから、偏差票を七件へ配る形式にした。
中央の横線が、各地の平常中央値。
線の上下には絶対値を書かない。
平常幅のどちら側へ出たか、幅を一単位とした時にどの程度外れたか、戻るまでの順序だけを置く。
日本側の右三と、現地側の左五は、どちらも確認材に対して平常幅内になった。
昨夜の十一分目は、日本側では平常幅の上側へ細く戻る。
現地側では、表示上は下へ動くが、現地平常から見れば同じく戻り側へ外れていた。
逆位相は消えたわけではない。
針の向きが反対なのは規格差だった。
その規格差を外しても、応答が来る順序には差が残った。
日本の地域試験では、無負荷へ入った後、近い三地点から順に底へ着き、旧B避難口が遅れた。十一分目には地域固有の形を保ったまま基準へ揃った。
沿岸公共迷宮では、床面の二段応答が先に落ちた後、入口側ではなく、外海側の戻り記録が先に現れている。
計器を換算して作った逆向きではない。
現地の二年分にもある、戻り順そのものだった。
「こちらの迷宮では、戻りを受ける側が日本と反対なのかもしれません」
俺が言うと、ソフィアさんは《反対》へ線を引いた。
「何に対して反対かが、まだありません」
その通りだった。
地図の東西や時計の左右を、迷宮の流れへそのまま当てる根拠はない。
俺は言い直した。
「日本の地域網と同じ向きへ流れると仮定した時、戻りの受け順が合いません。流れの向きか、途中の接続が違う可能性があります」
仮説欄が二つに増えた。
一つは、全球の流れが一方向ではなく、複数の戻りを持つ。
もう一つは、日本と沿岸公共迷宮の間に、まだ台帳へない接続がある。
どちらも、この二台だけでは決められない。
真央さんが七件の修正版へ、同じ偏差欄を追加した。
絶対値を中央で変換しない。
各地が自分の正常、正常を閉じた版、今回の生値、偏差を一組で持つ。中央側は生値を上書きせず、偏差だけを重ねる。
一件は正常記録が短く、偏差へ直せなかった。
別の一件は事故後の幅しかなく、比較保留になった。
保留を埋めるため、ほかの地点の値は貸さない。
比較できた五件を、真央さんが各地それぞれの無負荷T0を零にした相対時刻へ置いた。
同じ絶対時刻に起きた一つの現象を並べた図ではない。各地が無負荷へ入った後、小さな戻りがどの順で現れたかだけを比べる図だ。
二件が相対時刻の早い側へ返り、一件が遅れた。日本側の札で戻りが細くなる位置には、沿岸公共迷宮の最大偏差の札が重なった。
研究所が持っていた海越えの位相仮説へ重ねる。
点は直線に並ばなかった。
輪を閉じるように置いた時だけ、戻りの順が途切れずにつながった。
まだ全球環状線の証明ではない。
比較できない二件も、台帳外の接続も残っている。
それでも、沿岸公共迷宮の逆向きは誤計器として捨てるより、環状仮説の位相順で日本側と向かい合う観測点として置いた方が、五件の順序を一つ少ない仮定で説明できた。
真央さんは地図に線を描かなかった。
代わりに、五つの偏差札を円形の透明板へ仮留めした。
ソフィアさんの札は、日本側の札と向かい合った。
この並びを根拠に、次の停止時刻を決めることはしなかった。
円の位置は相対T0からの観測順を説明する仮置きで、距離も接続も確定していない。同一の絶対時刻イベントか、日本を起点に伝わった現象かも未確認だ。比較保留の二地点が入れば、輪が崩れる可能性もある。
代わりに、次に必要な記録だけが決まった。
日本側の戻りが細くなる時間帯に、沿岸側の外海寄り観測点と入口側を同じ現地時計で取る。保留二地点には、絶対値でなく、事故前正常と無負荷判断の原本を求める。
仮説が外れても、現地の正常を失わない観測だった。
同じ工具の違う目盛を消した後に残ったのは、全球環状線かもしれない一つの戻り順だった。




