セイル支局への急報
休み場の奥にある中継柱は、近くで見るとずいぶん古びていた。
柱の中央には細長い差し込み口。周囲には擦り切れた刻線。
旧中継塔や封蝋袋の中にあった欠片と、同じ系統の線だと涼花にも分かる。
商隊の男が布包みをほどき、例の銀青色の認証片を取り出した。
それを見ただけで、涼花の剣がまたかすかに熱を持つ。
「認証片があるなら話は別かもしれないよ」 休み場の女が腕を組んで言う。 「ただし、最近のこいつは気分屋だ。光れば儲けものと思っときな」
商隊の男がうなずき、認証片を中継柱へ差し込もうとした。
だが次の瞬間、男の表情が固まる。
「……光らない」
柱は沈黙したままだった。
「やっぱり駄目かね」 休み場の女が眉をしかめる。
その横で、フィアが柱へそっと手をかざした。
「揺れています」 フィアは目を閉じて言う。 「壊れているというより、線が合っていません。街道の継目異常に引っ張られて、中の道筋がずれている感じです」
「つまり?」 ルクトが短く聞く。
フィアは柱を見つめたまま答えた。
「正しい場所に、正しく届くための線が、少し外れています」
その説明を聞いた瞬間、涼花は嫌な予感と、もっと嫌な確信を同時に持った。
剣が、また熱を持っている。
「……これ、私の剣で何とかできるかも」 涼花が言いかけると、ルクトがすぐに遮った。
「無理はするな」 ルクトの声はいつもより低い。 「たぶん、で触るには面倒が大きい」
「でも、これと剣は同じ系統っぽい」 涼花は柱の刻線を見る。 「完全に直すのは無理でも、一瞬だけなら合うかもしれない」
商隊の男が唇を噛んだ。
「認証片だけじゃ足りないのか……」 男の声には焦りが混じっている。
そのとき、フィアが顔を上げた。
「中継のあいだだけ、継目を合わせれば届くかもしれません」 フィアは涼花を見る。 「わたしが揺れを見ます。ルクトさんは、危なくなったら離脱させる役」 「……離脱させる役って何だ」 ルクトがぼそりと言う。
フィアはまじめな顔のまま答えた。
「危なかったら引き剥がす役です」 「適任だと思います」
そう言われて、ルクトはわずかに眉を動かした。
「否定しづらいな」
涼花は思わず小さく笑った。
少しだけ肩の力が抜ける。
「やってみる」 涼花は言った。 「長くはやらない。一瞬だけ」
◇
認証片が中継柱へ差し込まれる。
フィアは柱の反対側に立ち、杖を両手で握った。
ルクトは涼花の斜め後ろ、すぐ引ける位置に立っている。
「行けそう?」 涼花が小声で聞くと、フィアが真顔で答える。
「三つ数える間なら」
「短い」 涼花が苦笑する。
「短いです」 フィアも即答する。 「ですが、それが限界です」
「でも、やるしかないか」 「はい」
涼花は剣を抜いた。
青い刃を、中継柱の刻線の近くへそっと寄せる。
触れた瞬間、頭の奥であの音が鳴った。
打って、合わせて、留める。
次の瞬間、フィアが鋭く声を上げる。
「いまです! そこから少し右、ほんの少し!」
その声に合わせて、涼花は刃先をわずかにずらした。
すると、中継柱の刻線が青白く光った。
商隊の男が息をのむ。
「ついた……!」
だが次の瞬間、涼花の視界の文字が激しく点滅した。
中継線接続:暫定
固定猶予:短
過負荷注意
「文を!」 ルクトが低く怒鳴る。 「早く読め!」
商隊の男は、あらかじめ広げていた紙へ視線を落とし、息継ぎも惜しんで読み上げた。
「トーヴェ街道にて認証片輸送中に襲撃!」 男の声が震える。 「黒外套の関与濃厚、継目由来影の出現あり! 青光剣保持者への指示も確認! 街道沿い中継線に異常、早急な支援と照合を要請――!」
最後まで読み切るのと、中継柱の光が強く瞬くのは、ほぼ同時だった。
涼花の右手に、びりっと強いしびれが走る。
「っ……!」
「涼花さん!」 フィアが叫ぶ。
ルクトはすぐに涼花の肩を引き、中継柱から離した。
青い光がぱっと散り、柱の刻線は一度暗く沈む。
だが、完全には消えなかった。
数秒遅れて、柱の頂部の小鐘が、ちりん、と一度だけ鳴る。
誰も動かなかった。
そして、もう一度。
ちりん。
ちりん。
休み場の女が目を見開く。
「返答だよ」 女は柱を見上げたまま言う。 「簡易だけど、受理されたって合図さ」
商隊の男は、へたりこみそうになるのをこらえながら、柱の脇に浮かんだ薄い光文字を読んだ。
「……セイル支局、受理」 男の声がかすかに震える。 「街道南寄りの進路を維持、休み場単位で警戒伝達、支局側より迎えを差し向ける、だ」
「迎え?」 涼花が息を整えながら聞き返す。
答えたのはルクトだった。
「支局兵か、あるいは管理局の人員だろう」 ルクトは柱から離れたまま言う。 「少なくとも、話は届いた」
フィアがほっとしたように杖を下ろす。
「よかった……」
そう言ったあとで、フィアはすぐに涼花の手元を見た。
「痺れていますか」 フィアが心配そうに聞く。
「ちょっとだけ」 涼花が答えると、フィアは少しだけ眉を寄せた。
「ちょっと、ではありませんね」 「また分かるんだ」 「顔に出ています」
その言い方が少しだけ柔らかくて、涼花はかすかに笑った。
「でも、大丈夫。立てる」 「立てるのと、無理していないのは別です」 フィアはそう言い切る。 「その台詞、今日は二回目じゃない?」 涼花が聞くと、フィアは迷わず答えた。 「大事なことなので」
そのやり取りに、少しだけ場の空気が緩む。
けれど、ルクトはすぐに現実へ引き戻した。
「急報は通った。次は移動だ」 ルクトは街道の先を見ながら言う。 「迎えが来るにしても、ここで待ち続けるのは悪手だ。相手が急報まで読んでいる可能性は低いが、ゼロじゃない」
「……うん」 涼花もうなずく。
黒い外套は、先回りしている。
こちらが考えるより少し先で動いている可能性が高い。
なら、立ち止まりすぎるのは危ない。
同じころ、えんちゃんたちの側では、中継成功の報に小さなどよめきが走っていた。
「接続、通りました」 白槻がログを確認しながら言う。 「予想より短時間でしたが、十分です。セイル支局側の反応も取れています」
えんちゃんは椅子の背にもたれたまま、大きく息を吐いた。
「よかったあ……」
「安堵するのはまだ早いです」 白槻の返しはいつもどおりだったが、声の硬さは少し和らいでいた。 「ただ、中継柱への適合は想定以上でした。青い剣が縫うだけでなく、つなぐ役目も持つ可能性が高い」
「便利って言っていいのか分かんない便利さだなあ」 えんちゃんがぼやく。
「便利、で済ませると部長に怒られます」 白槻が真顔で返す。
「そこはもう分かってるんですよ」 えんちゃんは肩を落とした。
それでも、その視線はモニターの向こうの涼花から離れない。
「……痛そうだな」 えんちゃんが小さく言う。
「過負荷としては軽度です」 白槻が数字を確認しながら答える。 「ですが、今後は接続と戦闘を短時間で連続させるのは避けるべきでしょう」
「つまり、すずかちゃんに何でもやらせるなってことですね」 「最初からそう言っています」 「はい、すみません……」
白槻は少しだけ間を置いてから続けた。
「ただ、今回の急報成功で、向こうの対応線が動きます。街道だけの問題ではなく、支局案件になった」 「それは大きい」 えんちゃんが顔を上げる。 「ええ。物語上も、現場上も」 「現場上のほうを先に言うあたり、ほんと白槻さんだなあ」 「仕事ですので」 「そこは毎回ぶれないな……」
休み場を出る準備は、想像していたより早く整った。
拘束した男たちは、御者たちの協力で荷車の後ろへまとめて乗せられる。
休み場の女は街道沿いの別の小屋へ伝言を回すため、鐘の鳴らし方と木札の使い方を旅人へ簡潔に説明していた。
「南寄りを通りな」 女は最後にそう言って、涼花たちを見る。 「次に何か出るなら、今度はもっと分かりにくい形で来る。分かりやすい待ち伏せは、一度使った手だ」
「……肝に銘じます」 涼花が答えると、女は少しだけ口元をゆるめた。
「若いのに、返事だけはいいね」
商隊の男は、封蝋袋を抱え直しながら深く頭を下げる。
「助かった」 男は涼花たち三人を見回した。 「あんたたちがいなければ、ここまで来る前に終わってた」
そう言ってから、男は涼花をまっすぐ見た。
「だが同時に、あんたがいたから狙われたのも事実なんだろう」
「……うん」 涼花は否定しなかった。 「たぶん、そう」
「ならなおさら、セイルまで一緒に行ってくれ」 商隊の男は言う。 「護衛としてでも、証人としてでもいい。支局に着いたら、今日のことを全部話してほしい」
ルクトが涼花を見る。
フィアもまた、不安と覚悟の混じった目でこちらを見ていた。
答えは、もう決まっていた。
「行くよ」 涼花は言った。 「どうせ、私も知らないふりはできない」
ルクトが肩をすくめる。
「そう言うと思った」 「止めないの?」 涼花が聞くと、ルクトは短く返した。 「止めて聞く顔か」
「それは……」 涼花が言葉を探すと、横からフィアが重ねた。
「聞く顔じゃないです」 フィアは真顔だった。
涼花は少しだけ笑って、剣の柄を握り直す。
知らないままでいられない。
見なかったことにもできない。
最初は、自分が生き延びることだけで精いっぱいだった。
でも、いまは違う。
この世界の継目がどうなっているのか。
青い剣が何なのか。
黒い外套が何を狙っているのか。
その全部が、少しずつ自分の足元まで来ている。
なら、前に進むしかない。
街道の先には、セイルがある。
支局があり、人がいて、答えの欠片が少しは転がっていそうな場所だ。
けれど同時に、そこはもっと大きな渦の入り口なのかもしれなかった。
涼花たちは再び街道へ出る。
朝はもう過ぎ、日差しは少しずつ高くなっている。
それでも風の奥には、まだ嫌なざらつきが残っていた。
急報は届いた。
迎えも来る。
けれど、それで全部が安全になるほど、この話はもう簡単ではない。
涼花は前を向いたまま、小さくつぶやく。
「マニュアル、ほんとにないな……」
その声に、フィアが少しだけ笑った。
「ですが、手引きくらいなら、これから作れるかもしれません」 フィアはまっすぐ前を見たまま言う。 「わたしたちで、です」
その言葉を受けて、ルクトが短く言う。
「その前に、生きてセイルへ着くぞ」
いつもどおり素っ気ない言い方なのに、不思議とそれが一番しっくりきた。
「うん」 涼花はうなずく。 「まずはそこからだね」
三人は、そして荷を守る者たちは、街道の南寄りを選んで進み始める。
セイル支局への道は、まだ続いている。
そしてその先で待つものは、たぶんもう、ただの街道トラブルでは終わらない。
そんな予感だけが、嫌にはっきりと胸の内へ残っていた。




