登録証と指名依頼
討伐依頼の報酬を受け取った時、私は最初に金額を確認して、その次に頭の中で計算した。
討伐報酬、危険度加算、素材の買い取り。
そこから宿代、食費、必要になりそうな日用品。
残る分をざっと見積もって、私はその場で銅貨を二つに分けた。
「これ、二人に」
ギルド受付前の丸テーブルで、私はルクトとフィアの前に、それぞれ硬貨を置いた。
フィアが目を丸くする。
ルクトは硬貨を見て、それから私を見た。
「何だこれ」
「昨日と今日のフォロー代」
「律儀だな……」
フィアは困ったように笑った。
「でも、わたしたち、同行依頼でしたし、別に――」
「そういう話じゃなくて」
私は言ってから、少しだけ言葉を選び直した。
「助けてもらったから。特に昨日は、私が一人だったら危なかったと思う。フィアの魔法も、ルクトの判断もなかったら、たぶんもっと危なかった。だから払いたい」
ルクトが頬杖をついて、面倒そうな顔のまま口を開く。
「お前さ、真面目すぎるって言われない?」
「言われる」
「だろうな」
そう言いながらも、彼は硬貨に手をつけなかった。
代わりに、少し離れたところで帳簿をまとめていたリディさんが、こちらへ歩いてきた。
「気持ちは立派ですが、その支払いは不要ですよ」
「不要?」
「はい。ルクトさんとフィアさんには、ギルド側から同行補助が出ています」
私は瞬きをした。
「監督役だからですか?」
「それもあります」
リディさんは事務的な口調のまま、ほんの少しだけ声を落とした。
「……それと、これは表立って言うことではありませんが、成長の見込みが高い新人には、最初から質の高い同行者をつける、という暗黙の方針があるんです」
「暗黙の方針」
「有望な新人が、最初の数回で死んだり、育つ前に折れたりするのは、ギルドとしても損失ですから。先行投資みたいなものですね」
ルクトが横から口を挟む。
「要するに、見込みありって判断されたやつには、雑な面子をつけるなって上からやんわり圧があるんだよ」
「圧って言い方」
「でもだいたい合ってるだろ」
フィアが私の前の硬貨をそっと押し戻した。
「その代わり、今度お茶くらいなら奢ってください」
「それなら喜んで」
「わたしはスープでもいいです!」とフィア。
「お前は現金だな」とルクト。
「生きるのに必要ですから!」
そのやり取りに、少しだけ肩の力が抜けた。
ここでは全部が打算じゃない。打算もあるけど、それだけでもない。
そういう場所らしかった。
その時、奥からハルドさんの声が飛んだ。
「スズカ、ちょっと来い」
私は立ち上がった。
ルクトがぼそっと「たぶん良い話だ」と言う。
たぶん、じゃなくて、きっとそうだと思った。
ギルドマスター室は、見た目以上に実務的な部屋だった。
壁に武器や盾が掛かっているけれど、飾りではなく全部使われてきたものに見える。棚には古い記録簿、地図、討伐報告書。机の上には封蝋つきの書類が積まれていた。
「座れ」
言われた通り椅子に座ると、ハルドさんは正面から私を見た。
「結論から言う。本登録に上げる」
私は背筋を伸ばしたまま答えた。
「ありがとうございます」
「礼は早い。条件つきだ」
「はい」
「独断専行はまだ認めない。少なくとも数件は同行つきだ。
あと、お前の剣は危険すぎる。本人に悪意がないのはわかるが、わからないから放置はしない」
「……はい」
それは正しい。
むしろ、はっきり言ってもらえる方がありがたかった。
ハルドさんは引き出しから、新しい金属札を取り出した。
昨日の仮登録札より少し厚く、縁に細い刻みが入っている。
「本登録タグだ。なくすなよ」
受け取ると、小さいのにずしりと重かった。
その重みで、ようやく実感が湧いた。
私はこの世界で、ただの迷子ではなくなった。
少なくともこの町では、一人の冒険者として扱われる。
「それと」とハルドさんが続ける。
「さっそく指名依頼が来てる」
「……え?」
さすがにそれは予想していなかった。
「早くないですか」
「早い」
「ですよね」
「だが、来てるものは来てる」
机の上の書類を私の前に滑らせる。
依頼主は《王国史跡管理補佐官 マルタ・エルベ》。
内容は、北東丘陵地帯にある旧中継塔跡地の簡易調査、および周辺異常の確認。
「どうして私に?」
「依頼主が青く光る剣を使う新顔の剣士を同行条件に入れてきた」
「そんな限定的な条件あるんですか」
「ある時はある」
胡散臭い。
でも、ギルドを通している時点で完全な罠ではないはずだ。
「詳しい話は本人から聞け。もう来てる」
部屋を出ると、待合スペースの椅子に一人の女性が座っていた。
二十代後半くらい。
淡い灰青色のローブに眼鏡。栗色の髪をひとつに束ね、膝には革張りの筒を抱えている。学者か役人に見える、きっちりした雰囲気の人だった。
彼女は立ち上がると、礼儀正しく一礼した。
「はじめまして。マルタ・エルベです。辺境史跡管理の補佐官をしています」
「新井涼花です。スズカでいいです」
「では、スズカさん。率直に申し上げます」
彼女は私の腰の剣を見た。
「その剣、北東の旧中継塔に刻まれた紋様と、少しだけ似ています」
私は思わず息を止めた。
ギルドの会議卓に広げられたのは、町周辺の詳細地図と、その外側まで描かれた大きな地域図だった。
最初は周辺地図だと思った。
でも違った。
町の外には丘陵があり、森があり、古道があり、その先に別の街道があり、さらにずっと向こうには王都へ繋がる大路が通っている。山脈があり、河川があり、別の領地があり、海まで描かれていた。
思っていたより、ずっと広い。
私が今いる町――リネルは、その大きな地図の右上にある、本当に小さな点のひとつだった。
王国全体で見れば爪でつけた傷ほど、さらに大陸全体で見れば針先で触れたかどうかも怪しいくらいの小ささだ。
「……ちっちゃい」
思わず本音が漏れた。
マルタさんが少しだけ笑う。
「そうですね。リネルは小さい町です。王都の学者の中には、ここを町と呼ぶのは辺境に優しすぎるなんて言う人もいます」
「感じ悪いですね」
「ええ、わたしもそう思います」
気が合いそうだった。
マルタさんは地図の中央寄り、もっと線と印が集中している区域を指した。
「ここがリュセリア王国の中心部です。わたしたちはその北東外縁にいます。
さらに西へ行けば連邦都市群、南には神聖領、海を挟んで東方諸国。
そして大陸西南部には、魔王軍の支配領域が広がっています」
「魔王軍って、そんなに遠いんですか」
「前線は遠いです。ただ、遠いから無関係というわけではありません」
彼女の指が、地図上のいくつかの古戦場跡をなぞる。
「人類と魔王軍の大規模な衝突は、約二百七十年前から断続的に続いています。
王国史では長い戦と書かれますが、辺境ではたいていまだ終わっていない戦と呼ばれます」
その言い方が、妙に印象に残った。
終わった歴史じゃなく、まだ続いている歴史。
「今の人類側には、《十賢者》と呼ばれる十人の中心戦力がいます」
フィアがぱっと顔を上げた。
「十賢者……!」
ルクトは壁際にもたれたまま、眠そうな顔で話の続きを待っている。
「全員が賢者というわけではありません」とマルタさん。
「実際には、人類圏を支える十の大戦力という意味合いですね。
炎杖のレグナ、蒼鎖のミレア、深森のオーゼン、聖刻のユノ……名前を挙げればきりがありませんが、彼らは前線や重要拠点を守る柱です」
「じゃあ、この町にはいないんですね」
「いません」
即答だった。
「リネルは地図の端です。重要ではありますが、中心ではない。
十賢者が動くのは、国が傾くような場所です。逆に言えば、ここはその少し手前の、見落とされやすい場所でもあります」
その言葉に、昨日の魔物の動きが重なった。
見落とされやすい場所。
だから異常も育ちやすい。
マルタさんは地図の北東丘陵へ指を滑らせた。
「今回の依頼場所はここ。旧中継塔跡です。百年以上前、魔王軍の斥候対策と街道監視のために建てられた塔でしたが、戦線が遠のいてから放棄されました」
「そこに、私の剣と似た紋が?」
「はい。正確には、光る青い線状紋です。非常に古く、何を意味するのか未解読ですが」
私の剣の刃に走る、青白い筋。
偶然かもしれない。
でも、偶然じゃないかもしれない。
「指名理由はそこですか」
「それもあります。あと、あなたが昨日の討伐で普通ではない踏み込みを見せたと聞きました」
ギルド、情報共有が早い。
マルタさんは気にせず続けた。
「旧中継塔の周辺では最近、位置感覚が狂う、同じ道を歩いたのに景色が違う、距離がずれるといった報告があります」
「……かなり嫌な感じですね」
「はい。だからこそ、感覚の鋭い人と、魔力検知ができる術師、経験のある護衛が必要です」
「つまり、私とフィアとルクト」
「そうです」
フィアがぴしっと背筋を伸ばした。
「本格同行、がんばります!」
ルクトは片手だけ上げる。
「私はいつも通りで」
温度差がすごい。
でも、その並びは妙にしっくりきた。
私は新しい本登録タグを指先でなぞった。
小さな町だ。
でもその外には地図があって、国があって、前線があって、十賢者がいて、魔王軍がいて、終わっていない戦いがある。
世界は、思っていたよりずっと広い。
その広さの中で、私の剣がどこに繋がっているのか。
それを確かめる最初の依頼が、もう始まろうとしていた。




