第61話 英雄は裁かれる
61話です。
第61話
英雄は裁かれる
歓声は、長く続かなかった。
鉱山都市を包んでいた拍手は、夕焼けとともに静かに消え、代わりに聞こえてきたのは、折れた梁を運ぶ音と、負傷者のうめき声、それから失われた者の名を呼ぶ家族の声だった。
英雄が生まれた日ほど、現実は残酷になる。
助かった命があるということは、助からなかった命もあるということだ。
崩れた坑道の前には、粗末な布を掛けられた亡骸が並び、その前に膝をつく者たちの肩は、小刻みに震えていた。
誰も泣き叫ばない。
泣けば終わってしまう。
だから皆、歯を食いしばっていた。
アルヴェルは少し離れた場所に立ち、その光景を黙って見つめていた。
右腕には板が当てられ、肩には包帯が巻かれている。
医師からは絶対安静を命じられた。
だが座ろうとはしない。
自分だけが休む資格などないと、その背中が語っていた。
そこへ、一人の文官が駆け込んできた。
息を切らしながら、震える声で告げる。
「……王都から使者です。」
周囲の空気が変わる。
兵も職人も、自然と道を開ける。
黒塗りの馬車がゆっくりと止まり、中から降りてきたのは、王宮監察院の紋章を胸に付けた男だった。
年は五十を過ぎているだろう。
白髪を後ろへ撫でつけ、皺一つない黒い法衣をまとい、その目だけが刃物のように冷たい。
男は周囲を一瞥し、亡骸にも負傷者にも視線を止めることなく、まっすぐアルヴェルの前まで歩いてきた。
「アルヴェル卿。」
声に感情はなかった。
「はい。」
「王命により、本日の事故について調査を開始します。」
周囲がざわつく。
まだ土煙は消えていない。
まだ遺体の収容も終わっていない。
その場で調査。
その場で責任。
あまりにも早かった。
「まず確認します。」
監察官は書類を開く。
「坑道拡張計画を承認した責任者は、あなたですね。」
「……そうです。」
「崩落の危険性について報告は受けていましたか。」
「受けていました。」
その一言に、兵たちが息を呑む。
監察官の目が細くなる。
「危険を認識した上で、工事を続行した。」
「はい。」
「なぜです。」
アルヴェルは亡骸の方へ視線を向けた。
「冬までに鉱脈を確保できなければ、この都市は飢えます。」
「つまり。」
「危険を承知で進めました。」
監察官は静かに書き留める。
紙に走る筆の音だけが響く。
「では、事故の責任は。」
長い沈黙。
風が吹き、砕けた岩の上を砂が転がる。
アルヴェルはゆっくりと顔を上げた。
「……私です。」
迷いはなかった。
言い訳もない。
「私の判断です。」
その瞬間だった。
人垣の後ろから、一人の老人が歩いてきた。
白髪混じりの髭。
煤で黒くなった作業着。
五十年近く鉱山に潜ってきた老職人だった。
「違う。」
老人は低く言った。
監察官が眉をひそめる。
「何ですか。」
老人はアルヴェルの前に立つ。
「俺も判を押した。」
周囲がざわめく。
「地盤を見るのは俺の仕事だった。」
さらに別の声が上がる。
「運搬路は俺が決めた。」
「支柱の配置は俺だ。」
「採掘速度を上げろと言ったのは俺たちだ。」
次々と前へ出てくる。
監督。
職長。
測量士。
教師。
誰も逃げなかった。
「責任者は一人じゃない。」
老人は監察官を真っ直ぐ見た。
「俺たちは、自分で決めた。」
監察官は初めて言葉を失う。
この国では珍しい光景だった。
責任とは押し付け合うもの。
そう信じられてきた。
だが今、目の前では逆のことが起きている。
皆が、自分の責任を引き受けようとしていた。
少し離れた高台から、その光景を見ていた。
胸の奥が静かに熱を帯びる。
あれほど遠かった景色。
誰か一人に責任を集める社会ではなく、それぞれが自分の判断を口にする社会。
まだ未完成だ。
まだ危うい。
それでも確かに芽吹いている。
監察官はゆっくりと書類を閉じた。
そして初めて、周囲の人々を見渡した。
亡骸。
負傷者。
立ち上がる職人たち。
そしてアルヴェル。
「……面白い。」
誰にも聞こえないほど小さく呟く。
その目には、先ほどまでの冷たさとは別の光が宿っていた。
彼は気づいてしまったのだ。
ここで生まれ始めているものは、ただの鉱山都市ではない。
王都の常識では測れない、新しい国家の形なのだと。
しかし、その様子を、さらに遠くの丘の上から見つめる影があった。
黒い外套。
豪奢な馬。
従者を一人も連れない貴族。
男は静かに微笑む。
「……やっと見つけた。」
その瞳が向けられていたのは、英雄アルヴェルではない。
高台で黙って全てを見届ける、一人の教師だった。
「あなたが、この国を変えた男ですね。」
風が強く吹く。
夕焼けは完全に消え、鉱山都市に長い夜が訪れようとしていた。
だが、その夜は終わりではない。
ここから始まる。
国家そのものを揺るがす、最初の政治戦が。
事故って、難しいですよね。




