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「うわっ」
心臓がばくばくいっている。けれど害はなさそうな――どころではなく、知っている顔だった。
「ジェイド?」
「ねぇたま?」
若草色の丸い目が見上げてくる。その上たどたどしく呼ばれて、ときめかないはずがない。
ずきゅん、と効果音が聞こえるような胸の高鳴りをクリスティアは覚えた。
(なにこの可愛い子)
ふくふくした頬を、指先でつつきたいのをぐっと堪える。クリスティアの脳内イメージは獲物を追い詰めて怖がらせ、脱兎のように逃げられる、なのでそれが現実になると悪い。
(どうしよう。どうしたらいい!?)
前世では友人に弟がいるのがものすごく羨ましくて、家に遊びに行くたび、友人の弟に無駄に絡んで可愛がっていた。
けれど異母弟と関わっていいことはないと、意図的に距離を取っていたのに思わぬ遭遇だった。
逃げる素振りはない。
動きを固めたまま無言で向き合っていると、視線がクリスティアの手元に注がれていることに気づく。
手に先ほどシロツメクサで作った花冠を持っているのを思いだし、ミルクティ色の小さな頭に載せてみる。思いがけない行動だったのか、ジェイドはきょとんとして見上げて、ふわんと笑った。
「ねぇたま、ありがと」
(天使か!)
愛らしさに抱きしめたくなる。けれど姉と言う名の、時折顔を見る程度の親しくもない者がしていいことではない。
「お嬢様、おやつの用意ができました」
早々に本邸の方へ帰すべきだと考えたところで、メリーが戻ってこないクリスティアを探しにきた。
「おやつ?」
おやつに、ジェイドが反応する。目がきらきらと輝いていた。
逡巡はわずかだった。
「一緒に、おやつ食べる?」
「食べる!」
試しにクリスティアが誘ってみると、嬉しそうにジェイドが飛びつく。
(警戒してないな?)
きっとクリスティアのいないところで母親に色々吹き込まれ、憎まれているのだろうと思っていた。
それがなぜか、離れの方へ迷い込んできたその日をきっかけに交流が始まった。
「姉様?」
発音のしっかりした声に呼ばれ、クリスティアは現実に引き戻される。追憶の中にある異母弟の姿からジェイドは成長していた。
それでも十二歳なので、幼さは抜けきっていない。
「なんでもないわ」
ごまかすように、ティーカップを口元へ運ぶ。ねだられて持つようになった時間だ。
いずれ足が遠のくだろうと予想していたのに、クリスティアが十八になった今も続いている。相変わらず離れに引きこもっているし、義母との会話は最低限だ。
関係はまったく改善されていなかった。
いつだったかジェイドに、なぜ一人で離れにいるのかと、子どもの純粋さで問われた。
本当のことが言えるわけもなく、クリスティアはとっさに身体が弱いことにした。
とはいえ肌つやもよく、よく食べるので、さすがにそろそろ察しているかもしれない。あえて知らない振りをしている可能性もあった。
離れへと出入りできる使用人は限られている上に、許可なく立ち入ることは禁じられている。暮らしているのが次期当主ともなれば、使用人間に溝ができていてもおかしくはない。
必然的に噂話が生まれ、ジェイドの耳にも入っていそうだ。
「姉様、今日も焼き菓子を持ってきたので食べてください」
「ありがとう」
離れに顔を出すたび、クリスティアが好む菓子を持ってきてくれる。将来有望な気遣いだ。
一緒にいる時間はそう多くないのに、クリスティアが張った結界の領域内にするりと入ってくるくらいには、懐いてくれていた。
「ジェイドが持ってきてくれるお菓子、いつも美味しいわ」
「良かった」
にこ、と笑うジェイドの、ミルクティ色の髪が日差しを受け輝いている。若草色の瞳は今もくりっと丸く、成長とともにきつさが増したクリスティアとは違い、可愛い子犬系の容姿だ。
性格もおっとりしていて優しい。
これがクソ生意気で、クリスティアを下に見て虐げるようだったら交流などしていない。
むしろ『相手になってやる! かかってこい!』と反則技の聖力を使って対抗するところだが、悪意などわずかも向けられることなく慕ってくれている。子犬のようで、ただただ可愛い。
異母弟ではあるが、弟は弟だ。
だからこそ、爵位など渡しても良かった。
クリスティアが絆される、これがサシャの目論見で、作戦であり、狡猾な手のひらの上で転がされていたとしても、まあいいかで終わる。クリスティアにとっては、爵位など惜しいものではなかった。
小姑が邪魔で、王都にある屋敷から出て行けというのなら離れを明け渡して移住してもいい。
贅沢はしないので、結婚もできない異母姉を哀れに思い領地にそっと放牧しておいてくれという気分だ。
「ジェイド、好きな子はいる?」
「すきな、こ?」
「そうよ。交流のある令嬢でいるのかなぁって思って」
社交の場には最低限の参加のみ、基本引きこもりのクリスティアとは違い、義母の実子であるジェイドは、交流の場に顔を出しているはずだ。
早い子はもう婚約者がいる。家のことに関与していないのでクリスティアは知らないが、打診くらいは来ているかもしれない。
「いません」
「気になる子は?」
「いません!」
きっぱりと否定される。他家も様子を窺っているのかもしれない。
爵位を継ぐ嫡男ならば、娘を嫁がせたいと考える家も多いはずだ。
現在は、長子であるクリスティアに継承権がある。例え病弱設定で離れに引きこもっていようとも、正当な理由――死亡か、他家に嫁ぐ等がなければ覆らない。
「そう」
ジェイドが伴侶を選ぶ問題もあるので、早々に対策を練らなくてはいけない。
決断を迫られている。面倒くさいなと、クリスティアはため息をつきたくなった。
(誰かお飾りの妻にしてくれないかなぁ)
この世界の、貴族女性は結婚して当たり前の風潮にげんなりする。前世の気楽なおひとり人様を経験すると、いかにこの世界が窮屈なのかを思い知っていた。
(別に独身だっていいじゃない)
だからといって、教会に身を寄せるなど冗談じゃない。シャーランの時は飢えなければいいと思っていたのに、贅沢になったものだ。
豊かな食、娯楽の溢れた平和な日本になど転生させるから価値観ががらりと変わった。
責任の一端はレーテにある。確かに楽しく幸せに暮らして、癒やされた。
魂が輝いて、力が強くなっていると言われるほどに。
「姉様は……」
「ん?」
「従兄のアビゲイルと結婚するんですか?」
は、とクリスティアは息がこぼれる。想像するのも嫌で、眉間にぎゅっとシワが寄った。
「絶対に、それだけはないわよ。なんでそんなありえない勘違いしたの?」
「この前叔父さんが母様に会いに来て、一緒にいたアビゲイルが近々義兄になるって」
一気に、嫌悪感と怒りがわき上がる。ありえない、ありえなさすぎると、クリスティアは脳内でアビゲイルをボコボコにした。
叔父は息子のアビゲイルをクリスティアの伴侶に据え、アントンが必死に働き築いた財を持つベラーニ家を乗っ取る気でいる。表向きの病弱設定を信じていて、婚姻さえ結べば当主としての権限を握れると思い込んでいた。
「あの人たちは嘘つきだから信じちゃだめよ」
「そうなんですか?」
「ええ」
さすがに、家を乗っ取ろうとしているとは言えない。
二人でサシャに会いにきたということは、こりもせずに婚姻の打診をしたはずだ。相変わらず鬱陶しいなと、クリスティアはげんなりした。
「そんなことよりも、ジェイドに気になる子ができたら、姉様に教えてほしいな」
「嫌です」
即答だ。
わずかなためらいもない。
「えぇぇ、ショックなんですけど」
「姉にする話ではありません」
成長したなぁと微笑ましくなる。けれどまだまだ可愛がりたいクリスティアは、ジェイドに口を開くように促して、クッキーを放り込んであげた。
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