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前世、前々世、そして今世での五年間分の記憶が混ざり合って整理されると熱も嘘のように下がって、クリスティアが目覚めた時には重だるかった身体も頭の中もすっきりしていた。
けれどもう、あの苦しさは二度と味わいたくないものだ。
前世でインフルエンザに罹り、治ったと喜んだ直後に今度は風邪で熱を出し再度寝込み、追加された咳に苦しむ羽目になった時のようだった。
(健康大事、絶対)
楽しく生きるには、必要不可欠だ。
美味しくご飯も食べたい。
屋敷の料理人は、記憶が甦れば感動するほどに腕が良かった。
(転生なんて、ほんとにあるんだ)
何の因果かわからないが、この世界から日本に転生し、そして再度この世界にクリスティアとして生を受けている。
他人からしたら荒唐無稽の出来事だけれど、娯楽の溢れた世界に生きた中身アラサーの記憶があるので、まあそんなこともあるかと受け入れるのも難しくはない。
突きつけられた衝撃の事実で、今世こそ寿命を全うしようと決意を新たにしてもいた。
ただ問題も色々ある。筆頭は、義母の存在だ。
クリスティアとしては疎ましいわけではないが、サシャもそうとは限らない。
見た目は五歳児でも、強制アップデートされた成人済みの思考でよくよく考えてみれば、前妻の子どもなど後妻にしてみたら邪魔者以外の何者でもない。
推理小説も嗜んだ思考は、不自然を感じさせずに排除する機会を虎視眈々と狙っていたのでは? なんて可能性を勝手に検討していた。
(こわ)
仮説で、冤罪なのかもしれないが、クリスティアが湖に落ちた直後なので真実味が増していた。
抗う術のない子どもの姿では想像だけでもぞっとして、サシャには近づかないでおこう、そう結論づけるには充分だった。
(さりげなく距離を取るのも難しいよね)
関係にヒビが入ってもおかしくはない出来事ではあった。
けれど同じ屋敷で暮らしていれば、必然的に顔を合わせた。
今は病み上がりで、部屋に食事を運んでもらっているが、いずれ以前と同じように食堂へ行くことになるはずだ。
それをサシャが苦々しく思ったとしても、自らの主導で子どものクリスティアと食事を別にするわけにはいかない。
古くから仕えている使用人たちの目もあった。
外聞を考慮すると、サシャはクリスティアを大切にしていると取り繕う必要があった。
互いに気を遣わなければいけない境遇であることに、クリスティアは今更ながら気づいた。
子どもならではの無垢な思考が消えてしまえば、クリスティアはあれもこれもと色々な状況を想像してしまい、どんどん多くのことが面倒になり、誰も使用していなかった離れに移ることにした。
当然、クリスティアの近しい周囲には反対はされた。
この国は男女関係なく、長子に爵位の継承権が与えられる。家を継ぐことになる。ベラーニ伯爵家の正当な後継者であるクリスティアが、本館を出て行く謂われなどなかった。
けれど現在の当主は父のアントンであり、その伴侶で社交も担う女主人であるサシャに、使用人の立場では意見できることは多くなかった。
クリスティアが湖に落ちた、その事実に加え、同行していた者たちが目撃した光景もあった。
不穏な可能性がよぎった乳母が最初に折れて、そこからは早かった。
――すぐに移れるよう手配します。
離れの徹底的な掃除、小さな主人が快適に過ごせるように整えることが使用人たちの最優先事項となり、クリスティアが部屋でのんびりしている間に、ぬいぐるみを抱えて移動すればいいだけになっていた。
――あとはお嬢様の好みで模様替え致します。
本館にある元の部屋よりはシンプルではあるが、高級感は損なわれていなかった。
離れは元々、家督を譲った先代当主が住んでいたのだから当然だ。子ども部屋らしくないだけであって、クリスティアはむしろすっきりしていて好ましかった。
正直な気持ちを伝えたのに、使用人たちが表情を曇らせるから、見た目というのは厄介だ。
脳内で情報を勝手に補完し、我慢する五歳児の健気な姿は思い込みで幻覚だと気付かない。
――本館から出たのは正解だったかもしれません。
――奥様付きの侍女は信用できません。
――お嬢様、どうぞお気を付けください。
サシャが連れてきた侍女は一人だ。
使用人たちの間でも色々あるらしい。
対立は意図しないことでクリスティアの本意ではないが、人間関係など複雑で、想定外に何かが生まれるものだ。
使用人達が話しているのを偶然聞いて知ったが、女主人付きの侍女という立場を笠に着て、屋敷内を我が物顔で仕切ろうとしていたというから驚きだった。
クリスティアが離れに移ってからは一切関わりがなくなり、五年も経てば記憶は薄れている。そういえば居たな、程度で顔も思い出せないその侍女は、いつの間にかサシャに暇を出されていた。
心底興味がなさすぎて、クリスティアが気付いたのはつい最近だ。
今は新しく雇った侍女が、サシャの身の回りの世話をしているらしい。
昔からいる使用人と表だった対立の構図はないが、前妻の子であるクリスティアに対する気持ちに温度差はあるようだった。
不便はないので、正直どうでもいい。
ただ離れに引きこもるクリスティアの世話をすることで、古くからいる使用人たち、専属侍女となったメリーが不利益を被らないかは気がかりだった。
十歳の子どもに相談などしないだろうから、朗らかな笑顔を見せる裏で泣いていなければいいと、クリスティアはメリーの様子を窺った。
「お嬢様、新作のパンはお口に合いませんか?」
「すっごく美味しいよ」
駄目出しなどありえない。
離れに自主退避したクリスティアを哀れに思い、シェフはいつも腕によりをかけてくれていた。
「ですが、今日はまだパンをお一つしか召し上がっておりません」
一瞬、クリスティアは真顔になる。
(食いしんぼみたいじゃない)
あながち間違っていないところが悔しい。
前世とは違い、どんなに食べても太らないと気付いてから、ひゃっほう! と心の中で歓喜の舞を踊り、気の向くままがっつり食べていた。
感傷に浸っていたのに台無しだ。けれど育ち盛りの身体はそんなものは些末なことでしかなく、クリスティアはおかわりを宣言した。




