10
手間暇のかかった支度を終えると、クリスティアは馬車に乗り込む。
両親とは別だ。
アントンはクリスティアがサシャと不仲なのを察しているのか、使用人たちから報告を受けているのか、最低限の会話で距離を取っていても咎めない。仲良くしろと、苦言を呈されることもなかった。
夫婦であるサシャとアントンも、どことなく他人行儀に感じる。貴族の結婚などそんなものかもしれない。
ジェイドが加われば仲の良い家族に見えるので、可愛い弟が幸せに過ごせているのなら、実際二人の仲が良くても悪くても、クリスティアには関係なかった。
はあ、と深いため息がこぼれる。
「すでにもうおうち帰りたい。今すぐにでも横になりたい」
走り出した馬車の揺れを身体に感じながら、クリスティアは嘆く。
夜会はこれからなのに、一人になった途端疲れがどっと押し寄せてきている。咎める者がいないので寛ぎたいが、髪型やドレスを乱すわけにもいかず、おとなしく座っているしかない。
行きたくもない王宮に運ばれていく移動の時間の無意味さにも、クリスティアはうんざりして自然とため息がこぼれた。
「もう話してもいいか?」
傍らでずっとふよふよ浮いていた女神のレーテが、顔をのぞきこんでくる。離れに迷い込んだジェイドの姿を見た途端飛び立った、シマエナガであり女神であるレーテは今も離れに居座っていた。
未練を残した霊ではないが、ある程度クリスティアの様子を眺め満足し、後は望むままに生きてね、幸せに、さようなら――そんな別れを予想していたのに、なんで!? という気分だ。
教会に戻らないのかと訊けば、思いがけない答えが返ってきた。
――見守ってほしいのだろう?
頼んでいないとクリスティアは眉をひそめたが、己の言動を振り返ってみると近いことを言っていた。神に向かって、軽率で迂闊なことを言ってはいけないと心に刻んだ瞬間だった。
――それに聖域は心地がいい。
微笑むレーテに、それはよかったですね? 以外返せなかった。
「今夜はついてくるの?」
シマエナガは依り代であり、抜け出せばレーテの姿が見える者はほぼいない。
市井に遊びに行く際は、今と同じミニサイズの女神姿でクリスティアに付き添っている。
ただ他の人には聞こえない声にうっかり応えると不審者だ。二人の時以外はできるだけ話しかけないでほしいと頼んだが、完全に守られた試しはない。
ドレスやアクセサリーを選ぶときにはこっちがいい、あっちがいいと主張してくる。女神はどこまでも自由だった。
「会場には入らない」
「そう」
夜会には一度だけついてきたが、思惑が渦巻く場の空気の悪さに辟易したのか、すぐにレーテは姿を消した。
「ねぇ、今更なんだけど、最初すごく女神様ーって感じの柔らかで慈愛に満ちた話し方じゃなかった? それどこいったの」
「あれは女神らしさを演出した話し方だ」
「え、女神様もそんなこと気にするんだ」
「以前友にその方がいいと言われた。クリスティアには必要ないだろう?」
「まあ、そうね」
いつの間にか存在に慣れ、雑な扱いをしてもクリスティアは心が痛まない。レーテも気にする素振りはなく、受け入れていた。
「人は本質ではなく、見た目、己の持つイメージを重要視する者が多い」
「言われてみれば、そうかも」
今世の容姿は、聖女らしくないとクリスティアも感じる。どちらかといえば、前世で読んだ小説の悪役令嬢だ。
それならいっそ物語のように『おまえを愛することはない!』とか『おまえはお飾りの妻だ!』とか宣言されたい。
お飾り妻で、悠々自適な暮らしなど最高だ。
(そんな都合のいいことあるわけないけど)
結婚の二文字が浮かぶと、クリスティアは憂鬱になる。
伯爵家の長女とあって、求婚状は山のように届いている。継ぐ家のない嫡子以外は必死だ。
条件のいい者もいる。けれど結婚に前向きになれないクリスティアは、すべてに否を突きつけていた。
貴族は親が婚約者を決める場合も多いが、アントンはクリスティアの意思を尊重すると、相手選びは一任してくれている。サシャとしては婿を迎えるとなればジェイドが家を継ぐ希望が潰えるので、早く相手を見つけろ、などと急かすことはなかった。
その結果、現在婚約者がいない。
「あーあ、めんどくさい」
「どうかしたのか?」
「学園卒業後どうしようかなって」
不労所得で自由気ままな生活が理想だが、そんな都合良くはいかない。ほどほどに働き、楽しく暮らすのがクリスティアの希望だ。
侍女か文官として王宮に勤めてもいいが、王女にいい噂を聞かない。
社交界に疎いクリスティアの耳にも入るくらいなのだから、信憑性は高かった。
「決めかねているなら、また教会の聖女になればいいだろう?」
「それは絶対に嫌」
断固拒否だ。
この気持ちは以前と少しも変わらない。
明確な意思を持ってクリスティアが否を突きつけると、レーテがしょんぼりした。
この世界へ祐理の魂が渡り気持ちが逸って、教皇に神託を下ろしたと言うからはた迷惑な話だ。
今世はクリスティアが自由に生きることに同意してくれているが、離れでひっそり暮らしているせいで、教会で保護してもらい大切にしてもらうこともレーテは推奨している。
けれど立場には責任も伴うものだ。
ずっと不在だった聖女の席に座るなど、想像するだけでぞっとした。
「わかった」
あっさりレーテは引き下がる。時折クリスティアの幸せを願って提案するが、無理強いはしなかった。
「あとね、ルドウィグ公爵と縁がなさすぎる」
面倒事には関わらない、人のために聖女の力を使わないと決めていても、恩は返すべきだ。
それくらいの義理人情はクリスティアにもある。教皇でさえ解けない呪いではあるが、レーテの祝福を受けた聖女の力ならば――そんな確信がなぜかあった。
ただそこに至るまでが難しい。相手は公爵家だ。
面識もない伯爵家の娘が尋ねていって会える人ではない。
呪いを解けます! なんて主張したところで、怪しさ満載だ。詐欺だと思われてもおかしくはない。
それに親から子へと受け継がれた呪いを理不尽だと感じていれば、クリスティアのようにやさぐれている可能性もあった。
夜会で会えるならば、さりげなく接触して呪いを解くなんて強硬手段に出てもいいが、ルドウィグ公爵が不参加続きではどうしようもなかった。
「会いたいのなら教皇を手駒にし、浄化へ行く際に同行すればいい」
言葉の選び方それでいいのか女神、とクリスティアは呆れる。けれど案としては最善だった。
「教皇に会いたくないんだもの」
シャーランの記憶が、教会関係者への忌避感に繋がっている。正しい者だとレーテから聞いても、どうしても気が引けた。
呪いが進行するならばクリスティアもなりふり構わず行動するが、その心配はないらしい。自己保身の塊でごめんなさいと、心の中で謝罪した。
「あやつはクリスティアの下僕になりたいようだが」
「げぼく……」
本当にどこでその言葉を学ぶのか、クリスティアは不思議で仕方がない。
「その気になったか?」
「……それは最終手段で」
「わかった。いつでも言え」
教会の最高権力者を、レーテは下僕にする気満々だ。
他の手段が見付かりますようにとクリスティアは祈ってすぐに、祈りを捧げた相手は下僕推奨派だと気づいてしまった。




