5 流星のさだめ・続き・2
東の丘陵地帯にあるへーコの集落とはゼクソーを挟んで丁度反対側の西に広がる田園地帯に、ギース大公国貴族の別荘地がある。
ルーダル様式の瀟洒な邸宅群の、一際豪華な館で、その少年は病床に伏していた。
ギース大公の末子、クシファの意識は混濁している。
美しい象牙の肌は土気色に染まり、乾いた唇が醜くひび割れる。
生来華奢である上に、病でやせ衰え、骨と皮ばかりの体。
美しかった髪の毛は、案山子にかぶせるかつらよりも情けなく、枕に埋もれている。
母親はゼクソーの街の慈善パーティーに出かけてしまった。
回復の見込みのない息子の病に付き合うのに飽きてしまったのだ。
父・大公はもとより病弱なクシファを嫌っている。
それぞれに才覚優れた異母兄たちが五人もいる。
(六番目の出来損ないの僕。)
ぼんやりとクシファは思った。
(僕は、何のために生まれてきたのかしら。)
父も母も、クシファの存在を既に忘れている。
室内を照らす月光が消え、暗黒が訪れる。
(これが、死か。)
クシファのこめかみを涙が伝った。みじめな
干からびた自分の体に、涙となり得る水分がまだ残っていたなんて、と驚く。
(死とは、ただ闇なのか。)
何も見えない。
クシファの死後、母は値の張る鎮魂士を召喚して、盛大な葬祭を催すだろう。
当然だ。大陸王家で五指に入る、強勢なギース大公国の公子が亡くなったのだから。
もう、何も思うまい。感じまい。
十四歳と半年間囚われていたこの牢獄から、ようやく去ることが出来るのだ。
ホントウニ、ソレデヨイノカ。
うずくまる闇が少年に問いかけた。
(死神?!)
少年は恐怖した。
寝台の天蓋の柱に、真っ黒い靄が絡み付いている。
(怖いよ、助けて、誰か!)
縋る者の名を持たない、哀れな少年は、恐慌状態の精神の中で、必死にもがいた。
(死んでも、闇の中で一人ぽっちなの?)
月の光さえ射さない、そこは真の闇。
生の光を見出せず、死者の国に赴く者を待つのは永劫の闇。
死神は、じっと少年の様子を伺っている。
闇は、醜い王子を連れ去ろうか否か、迷っているようだ。
(死神にとってすら、価値の無い僕の魂。)
(僕はここにいる。醜く、無力で、厄介者だけれど、ちゃんと存在している。誰か、僕を見てよ。)
クシファが心の中で悲痛に叫ぶ度に、呼応するように、うずくまる黒き闇は、伸縮を繰り返す。
(闇が怖いんじゃない。一人ぽっちが、もういやなんだ。)
少年のこめかみに、大量の涙が伝った。
少年の瞳だけが、本来の美しさと生気を取り戻して、狂おしく輝く。
(嫌だ、死にたくない。たとえ魔性と取引をしてでも、生きてやる。母と、父に復讐するのだ。僕をいつも見下していた、兄たちにも。
僕をぞんざいに扱う、あの召使たちにもだ。奴等を闇に引きずりこんでやる。無明の世界の底の底へと、この国、世界そのものを成してやるのだ。
僕だけが、闇にまかれてたまるものか。どいつも、こいつも、一蓮托生だ。)
自らの生を呪う少年は、世界の全てを呪った。
(力が欲しい。わが怨念の宿願を果たす力が。)
うずくまる闇が、嗤った。
闇が、少年の体の穴という穴から体内へと入り込む。
闇が侵入するにつれて、少年の体は、復活を遂げてゆく。
父、ギース大公と同じ癖の無い、金糸のような髪、紺碧の夜空の如き碧眼。
母譲りの象牙色の肌、細い顎、しなやかに伸びた手足。
クシファが病に伏していた館の上空で、魔術師ナシルパルは、じっと少年の様子を眺めていた。
魔術師の不思議な目は、館の屋根を突き抜け、闇と少年の対話を透視する。
ナシルパルの目には、少年の体に元々から宿る魂魄が、壊れかかっているのがわかる。
「あのような、脆き魂で、闇の魔性を操れるものか・・・・・・・。」
冷ややかな声で呟く。
この少年に宿った闇の力は、そのうち暴走を始めるだろう。
ギース大公国の繁栄とシエナの安寧を破壊しながら。
暗黒の雲に覆われた天空を、二筋の流星が駆ける。
「鎮魂士君たちのお出ましだ。」
役者は揃った。
あとは、ナシルパルの用意した悲喜劇を上手く演じてくれれば良い。
青緑の瓦屋根の上に陣取り、ナシルパルはキシカを待ち受けた。